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第十六話

「迷ったな……」


 応接間での報告を受けてから数分。

 ユウは一人、アモルト城一階の西館にいた。


 短剣が入手できるであろう人物を割り出すことに成功したシグルドは、早速その他関係者の解放に取り掛かった。

 騎士団の誘導に従い退城していく貴族の方々。

 ホールの横にある応接間で待機していたユウたちの耳には時折、騎士団員を揶揄する言葉や罵声の声が届いた。

 ユウはそんな彼らに呆れながら、騎士団をひどく気の毒に感じた。


 ——彼らだって、好きでやっているわけではないだろうに……。


 そして新しく絞られた容疑者。その二、三人を除いた全員の退城が完了したのを見越して、椅子に腰掛けていたユウが立ち上がった。


「シグルドさん。お手洗いはどこにあるのでしょう」


 ライラを一人応接間へと残したユウは、シグルドに教えてもらった手洗い場を目指した。

 しかし、行けども行けども目的の場所は見つからなかった。


「あれ、おかしいな……」


 眉を傾け、後ろ頭を掻きながら、ユウは自身が歩く廊下を何度も振り返った。


「このあたりのはずなんだけど……」


 どこを探してもそれらしい扉は見つからない。

 このまま一度、応接間へ戻ってもいいのだが、再び道を確認するのは少し気恥ずかしかった。シグルドに馬鹿にされるのは彼として面白くはないのだ。


 そんなことを思っていると、ユウの耳にどこからか物音が届いた。

 瞬時には方向までわからなかったものの、耳を澄ますと、それは床が軋む音、服が擦れ合う音であり、確かに人の生活音だった。


 何者かは不明なものの、ユウはとりあえずその者に手洗い場の場所を伺うことに決めた。

 他人ならば、手洗い場の確認もそれほど気にする心配はない。


 ユウは小さな物音を頼りに、その人の気配のする場所を目指した。



 その部屋はことの他すぐに見つかった。

 ユウは早速その部屋をノックした。


「……」


 だが、部屋の中から返事はなかった。


 部屋を間違えたかと、ユウはもう一度耳を澄ました。だが、間違いなく今も音はこの中から聞こえている。


 ユウは再度扉を叩いた。


「…………」


 やはり返事はない。


 ユウは心苦しくはあったが、仕方がないと勝手にその扉を開くことにした。

 ノブに手をかけ、ゆっくりと押し開くユウ。音はせず、すんなりとそれは動いた。


 部屋はオスカーやアンナの部屋ほどの広さはなく、奥が長い長方形の形をしていた。右側面には無数の木製ロッカーが立ち並んでおり、その中の一つ。ロッカーの前に一人の女性が佇んでいた。


 黒く艶のある長い髪を下ろした女性は下着姿に白いガーターストッキングという、なんとも肌の露出の多い格好をしていた。

 右手にはこれから着替えるであろう清潔な白黒の使用人服を持ち、顔の近くに寄せた左手には何やら光るものを乗せていた。


 彼女は心底愛おしそうに、その左手に乗ったものを見つめていた。よくよく見るとその掌からは、首筋にかけて鎖のようなものが伸びていた。


 ユウは全く予想だにしていなかった光景に、口をあんぐりと開け、その場で呆然と立ち尽くしてしまっていた。


 ここは使用人の更衣室なのか。——気がついた時にはすでに遅し。部屋の中にはもう、片足だけ部屋の中へ踏み入れてしまっているのである。しかし、運よく相手はまだこちらに気づいた様子はない。

 ユウは後ろ足に力を込めると、無言で来た道をそのまま後退ろうとした。時を巻き戻すかのように移動すれば、何事もなかったかのようにすることは可能なはずなのだ。


 だが不幸にも、来た時には一切反応しなかった床が、ユウの後脚に呼応して、わりかた大きめな軋み声を発した。


「きゃっ——」


 こちらの存在に気づいた彼女は咄嗟に自身の体を隠すと、控えめな叫び声を上げた。

 ユウは慌てて部屋の扉を閉めた。


「す、すみません。少し場所を訪ねたかったのですが、ノックをしても返事がなかったものですから」


 ユウは扉越しに全力で弁解を述べる。

 彼はこの場にライラがいなかったことに心の底から安堵していた。


 しばし無言が続いた。

 ユウはもう一度扉越しに謝罪を述べると、応接間へと引き返すことにした。


 ——わざとではないとはいえ、やはり訊きづらいか……。


 脳裏にこびりついた光景を必死に振り払い、来た道へ足を向ける。するとその時、更衣室の扉がそっと開いた。


 姿を現したのは当然、先ほどの女性だった。

 彼女はつい今しがたの格好からは一変、キリッとした使用人の姿へと変身を遂げていた。


 長かった髪は後頭部でお団子に纏め上げ、着ている服には乱れが一つとして見当たらないのである。

 落ち着いた雰囲気からは大人びた印象を感じたが、しかし顔を見ると年齢はおよそ二十代前半に思えた。


 女性は静かに居住まいを正すと、両手を揃えお辞儀をした。


「先ほどは何ともお見苦しいところをお見せしてしまいました」

「い、いえ。こちらこそ、申し訳ありませんでした」


 ユウも慌てて頭を下げる。

 そしてほぼ同時に顔を上げると、彼女の方から先に話題を切り出した。


「先ほど(わたくし)めに、場所をお訊ねしたいとのことを仰られていましたが、どの部屋のことでございますか?」


 彼女はもう先ほどのことなど綺麗さっぱり忘れてしまったかのように、何事もなく言葉を並べていく。

 ユウの方はまだ少し居心地が悪かったが、彼女が気にしていない以上、変に意識するのも失礼かと思い、素直に答えた。


「えっと、お手洗いはどちらなのでしょうか?」


 改めて質問した内容がこれなのかと、ユウは顔から火が出るほどに恥ずかしかった。だが、彼女は一切気にする素振りなく丁寧に道順を説明した。


「ああ。もう少し先だったんですね。ありがとうございます、えっと——」

「クロエ、と申します」


 彼女は再び居住まいを正し、一礼した。



 それから彼女と別れたユウは、言われた通りの道順で手洗い場を発見し、無事応接間へと帰還した。


「遅かったですねユウさん」


 帰ってくるなり椅子に腰掛けていたライラが心配そうに訊ねた。

 ユウは自分でも何故だかわからなかったが、無意識に彼女から顔を背けた。


「ちょっと場所がわからなくてね」


 ユウの不可解な反応にライラは小首を傾げる。

 するとそこへ、たった今用事を済ませたシグルドがやってきた。


「ユウさん、それにライラさん。関係者へはすでにお伝えしておきましたので、そろそろお話を聞きに行きませんか?」


 さすがこういったことへの対応は早いなと感心しながらユウは頷くと、ライラが椅子から立ち上がった。



 応接間から出た三人はまず初めに、シグルドの提案から、第一発見者である使用人、アデラの元へ向かうことに決めた。


 彼女のいる場所はユウが先ほど通った道と同じ、西館の奥。

 クロエと一悶着があったあの更衣室の前には、すでに彼女の姿はどこにもなかった。


「どうかされましたか?」


 じっと見つめていたことに不審を抱いたライラが顔を覗き込んできた。先ほどのこともあり、少し顔色を伺うような素振りをしている。


 ユウは悟られまいと彼女に精一杯の笑顔を向けると「何でもないよ」と答えた。

 そして彼女の気を逸らす意図も含め、質問を投げかけた。


「ところでライラ。屋敷に仕えている使用人は普段、ネックレスやペンダントの類は着用したりするものなのかな?」


 ユウの問いに、ライラは一拍逡巡してから答えた。


「人によって異なるとは思いますが、普通はしません。ただ、使用人の方の中には、家族や恋人から貰ったものを、主人に内緒で身につけている方はいらっしゃいました」

「ふーん、そっか……」

「それがどうかされたんですか?」


 不思議そうに訊ねるライラに、ユウはかぶりを振った。


「いや、何でもないよ。ちょっと気になっただけ」



 ゾロゾロと歩くこと数分。そろそろ廊下の端に当たるんじゃないかと思い始めたユウに、前を歩くシグルドがまるで心の中を読んだかのように口を開いた。


「使用人の部屋はもう少し先ですよ」


 そう言った彼はさらに向こうにある扉を指差した。


「あそこです。あの部屋で使用人のアデラさんが待機しています」


 ユウは一つ大きく息を吐き出すと、気持ちを切り替え、ポケットの中にあるパイプを手探りで確かめた。

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