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第一話

悪役令嬢の災難、第一話です。探偵が登場する推理小説ということもあり、伏線を要所要所で散りばめておりますので、その辺も意識して読んでいただけると幸いです。

この先、話が前後する場面が多々ありますので、悪しからず……。

限られた時間をこの作品に割いて頂けることに感謝します。

「今この時をもって、ソフィア・ブルクハルト嬢との婚約破棄を宣言致します」


 夜空に皓々と鎮座する満月のおかげで、世界はかろうじて色を残していた。

 すっかり濃くなった緑色からは幾重にも重ねられた生き物の息遣いがざわめいている。

 その中でも特に主張が激しいのは虫の音だった。彼らは仕切りに鳴き、羽を擦り合わせ、闇に音を撒き散らしている。


 一体何が彼らをそうさせているのだろうか……。

 もしや彼らには、この後起きるであろう悲劇を予測し、それを誰かしらに知らせようとしていたのかもしれない。


 しかし仮にそうだったとしても、その思いがこの森の先にあるあのお城へ届くことは決してなかった。

 厚い壁に囲まれた世界。外の闇など意にも介さず、彼らは今も明るい空間で陽気に笑い合っている。


 月光を照り返す白壁に、暗く尖った帽子を大小さまざまに空へと伸ばす。

 左右対称の影を地に映し出す洋城は、その隙間から点々と光を漏らしており、耳をすませば聞こえてくる華麗な音楽をいたずらに外界へと垂れ流していた。


 国歴九九九六年、十月二日。暑い時期が姿を消して久しいころ、動物たちがそろそろ冬眠を考え始める時期である。


 ここアモルト城では今、五十人近い客を集めパーティが催されていた。

 城を囲っている城壁の上にはいつもよりも大勢の警備兵の姿があり、彼らは皆一様に真っ暗な外の世界へと、まじめにも険しい顔つきで凝視し続けていた。


 城壁を越え、中央に位置する大扉をくぐり抜けると広いホールに出る。

 真っ白な石畳が一面に敷かれたこの空間には、戸愚呂を巻いた階段が中央にデカデカと聳えていた。

 その階段を素通りし、再び現れる扉を開く。


 第一声は暖かい、だろう——。


 冬が迫り徐々に冷え込み始める季節だが、ここは年中暖かかった。

 厚い壁や床のおかげなのか、はたまた会場にひしめく人々の熱気がそうさせているのか。ここは妙に空気が滑らかだった。


 クリーム色の壁に天井の光を照り返す床。滑らかな赤いシルクのカーテンが壁に天井に彩られ、光が目に見えるかのようにキラキラと輝いていた。

 ゆったりとした音色に合わせ、ゆらりと踊る人々。片手に洋酒を携え談笑しあっている人もいれば、高級食材を用いた料理を無心で食する者の姿も見受けられた。


 現実とは思えないほど華やかな会場。しかし彼らにとってはそれほど珍しくもない、当たり前の空間。選ばれしものだけがその権利を持ち、選ばれたものだけが招かれる祝宴。

 この賑わいがいつまでもとは言わないものの、せめて今日いっぱいは続くものだと、誰しもがそう思っていたことだろう。


 彼らが姿を表す、その時まで——。


「悪いなソフィア。そう言うことなんだ」


 パーティが開かれ一時間ほどは経過した午後九時ごろ。

 ようやく今回の主役である城の関係者——アモルト王国国王の息子、ルイス王子が姿を現した。


 誰もが彼を待ち侘び、祝福を願った。お祝いの言葉を考えていた者も数えきれないほどいたことだろう。

 だが結果、誰もが絶句していた。誰一人として、彼に声をかけられるものなどいなかった。


 このアモルト城で行われているパーティ。

 多くの来賓をお迎えして催され、集められたその目的はアモルト王国第二王子であるルイス・ジェレミー・アモルト。そして、アモルト王国でそれなりの地位を確立している侯爵家の令嬢、ソフィア・ブルクハルト。この両名の婚約を祝してのパーティなのであった。


 この婚約は彼らが物心つく前から計画されていたもので、両家の当主同士が交わした約束事であった。故に二人はそれに従い育てられ、ついに今日、挙式まで一ヶ月を切ったのである。


 彼らの結婚はアモルト王国内部だけでなく、隣国にも影響を及ぼす。将来の発展を目指すアモルト王国にとっては、それは大いに喜ばしいことであった。

 だからこそ、今目の前で起きている光景が、皆には理解できなかった。


 金色の髪に青く塗られた正装。皺一つなくピシッと伸ばされた衣服には、彼の功績を示す勲章が光り輝いていた。


 ホール中央の大扉から大きなファンファーレと共に登場したルイス。その傍らには女性が一人寄り添っていた。

 しかしそれは婚約者、ソフィア・ブルクハルトその人ではなかった。


 ふわりと花が咲いたようなピンク色のドレスを身に纏った少女。肩に触れない程度で切り揃えられた淡い金髪。ルイスの腕に回された手には銀色の指輪——蒼い宝石が煌めいた。


 幼さの残る顔立ちは大変愛らしかったが、場の雰囲気に飲まれ多少こわばっている。

 緊張を誤魔化すためなのか、その手はしっかりとルイスの腕を捕らえており、彼はそれを平然と受け入れていた。


 二人は会場へ足を踏み入れると、すぐに一人の女性の元へ足を進めた。

 困惑する大衆は何も言わずとも道を譲っていく。


 そして会場中央付近で三人は対峙した。


 茶色い髪を腰の辺りまで伸ばした女性。スラっとした水色のドレスは細身の彼女にはよく似合っていた。

 顔の横を流れる髪は耳にかけられており、緑色のイヤリングがきらりと光った。


 円形に囲むように皆に見つめられながら、まずルイスが口を開いた。


「久しいな——と言うほどでもないか、ソフィア」


 申し訳なさそうにするでもなく、嘲笑うでもなく、彼は真剣な眼差しで目の前に立つ女性に向かって言った。

 彼はちらりと隣の少女を見やる。


「俺は彼女と結婚することにした。だから、お前との婚約は解消だ」


 ソフィアはルイスから顔を逸らすと、同じように少女を見た。

 まだあどけなさを残す顔。自分よりも一つか二つ、年下に思えた。


 切長で鋭い目つきをしたソフィアの視線に、見つめられた少女は萎縮した。

 咄嗟に一歩下がると、ルイスの影に隠れるように身を動かした。


 ソフィアはルイスに視線を戻すと、


「——貴方、本気なの?」


 彼女はあたかも彼の瞳に映る自分を見つめるかのように言った。

 すると、ルイスの表情が一瞬こわばった。


 自信に満ち溢れていた彼の表情に、この時初めて影を落としたのである。

 だがそれは刹那のことであり、傍らの少女が腕を持つ手にぎゅっと力を込めると、彼の表情はすぐに回復した。


「あ、ああ……本気だとも」


 ソフィアは静かに目を瞑ると、


「——そう。そうなのね」


 その瞼の裏に何が写っているのか、彼らには知る由もない。だが、彼女の右手が密かに、強く握り締められていることだけは疑いようのない事実だった。


 彼女はそっと目を開く。しかし、何も要求はしない。

 詳しい事情も、そう思い至った経緯(いきさつ)も、彼女は何一つ求めることはなく、ただ黙って、目の前に立つ彼——ルイスの胸の中に眠っているであろうペンダントを、じっと見つめ続けていた。

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