蠱毒
残酷な描写があります。
読む際はご注意下さい。
「あら、ウィキニア。どうしてここに?」
その日、私はひとりで魔王城へと赴いていた。
常なら無人の客室。
そこになぜかウィキニアがいる。
「アイリス待ち〜。陛下がそろそろアイリスが来るんじゃないかって。陛下は仕事ちゅーだから、俺がそれまで相手するってわけ」
「ありがとうございます?」
「なんで疑問形なわけ? まぁ、いいや。紅茶淹れてやるから、座れよ」
ウィキニアに促されるままにソファに腰掛けると、手際良くお茶の準備が整った。
お茶受けにルナ特製のフルーツの砂糖漬けを差し出すと、ウィキニアが嬉しそうにオレンジピールを頬張る。
私はウィキニアの淹れた紅茶を1口飲むと、アンズやベリーなどを次々と食べるウィキニアに向かって口を開いた。
「ウィキニアは甘いものお好きですわよね。そういえば、前々から聞きたいと思っていたのですが、最初にこの城に来たときも紅茶を出して下さいましたわよね? どうして魔界に人の世の紅茶がございますの?」
皿に伸ばしていたウィキニアの指がぴたりと止まる。
ウィキニアがゆっくりと顔を上げ、底知れぬ瞳で私を見た。
「俺ねぇ、昔から紅茶大好きなんだよぉ。俺の父親は茶農園の経営者だったからねぇ。どういう意味か分かる? そうだよ、俺元々人間なの」
ウィキニアが人間だった?
私が衝撃で凍るように身動きを止めると、ウィキニアが立ち上がり、私の隣に腰かけた。
そして、私の背に当たる背もたれに右腕を伸ばし、左手で私の左頬を優しく撫でる。
私は怖くて隣を向くことも、その手を振り払うことも出来ず、ただなされるがままウィキニアの声に耳を傾けた。
「むかぁし昔ねぇ、あるところに魔術結社があったんだぁ。そいつらはねぇ、13人の人間をなぁんにもない地下室に閉じ込めたの。最初は小さな子どもだったんだよ? 飢え死にしちゃってねぇ……そうしたら、ひとりの男がさぁ、ふらふらってその子に近づいたかと思うと、その子の腕に喰らいついたの。そこからはあっという間。気がついたら俺ひとり生き残ってた。それが1回目。俺ねぇ、それを13回繰り返したんだぁ。13回! 13回だよ! 何度も何度も何度も何度も!!!! ふふっ、死のうとしたんだよ? 壁に頭をぶつけたり、舌を噛み切ったり、首を絞められても抵抗しなかったり。でもね、出来ないんだよ。死ねないの。どうしてか分かる? 生き残らないと殺されちゃうの、家族。妹が産まれたばかりで、すっごく可愛いんだよぉ? 俺が死ぬと、次は妹が来るんだって。妹は赤ちゃんだから真っ先に食べられちゃう! 食べられちゃうの! だから、俺が食べるしかないよね? 妹が食べられる前に、俺が他の奴ら食べるしかないよね? アイリスもそう思うだろ?」
吐き気と悲鳴を必死で堪える。
私は、ウィキニアの話を知っている。
知っているのだ。
ここで身をよじって逃げてはいけない。
「俺はね、13回連続で生き残った初めての人間なんだって。すごいでしょう? その俺の前にね、魔術結社の人間が褒美をやろうって言ってね、くれたの。何だと思う? ふふっ、家族全員の首。可愛い可愛い妹が真っ赤になっててね、俺は絶叫したよ。自分の顔を掻き毟り、妹の首を搔き抱いて、魔術結社の人間に飛びかかったの。その俺を無数の光の槍が貫いて、床に縫い止めた。そして、魔術結社の人間は、何をしたと思う? 陛下を召喚したんだよ! 俺はねぇ、俺たちはねぇ、魔王召喚陣を描くための生贄だったの! 俺は願ったよ。陛下に願った。こんな世の中滅ぼしてくれって! それが600年前だよ。陛下は、俺を魔族にしてくれたの。絶望し、死にかけていた俺を。魔術結社の人間を滅ぼすための力をくれたの。俺、陛下の眷属なんだよ。もう人間は辞めたの。だから、俺はアイリス、お前が憎いよ。俺たちの血で敷かれた魔王召喚陣で、陛下を召喚したからね」
がちがちと歯の根が合わず、音を立てる。
先日、私はヴァイスにひとつの質問をした。
人間を使った蠱毒という術を知っているか、と。
以前ランティス様がその呪術によって魔王召喚陣は敷かれたと言っていたため、魔王召喚陣を作成するために必要だということを伏せたまま、私はヴァイスに説明を求めた。
ヴァイスが蠱毒について話す度、私は自分が一体何を用いてランティス様を召喚したのかと己が身を震わせた。
そして今、ウィキニアがそのおぞましい呪術の犠牲者だと知った。
どうして召喚者となった私がウィキニアから逃げられよう?
知らなかったという我が身の正当化が、通用するだろうか?
「どうしてアイリスは泣いているの? いいんだよ? 私のせいじゃないって言ったって。実際そうだしねぇ。俺をこんな目に合わせたのはアイリスじゃない」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。あなたの苦しみも悲しみも分かるとは言えない。私があなたを利用してここにいることも否定しない。けれど、私はあなたに償いたい。あなたの傷が癒えるまで、私はあなたに償いたい」
幾重にも幾重にも私は謝罪する。
人間として、ウィキニアに謝罪する。
ランティス様たちが人間を厭うわけだ。
他者の生命を、尊厳を欲望のために犠牲にすることをためらわない生き物。
どうしたら私はウィキニアに償える?
ウィキニアがすっと私から離れて立つ。
「俺はアイリスが嫌い。召喚者だから」
ウィキニアが唇を噛み締めた。
血が一筋顎を伝う。
「でもね、俺、こんなんになっても人間は心底嫌いになりきれないんだよ」
その言葉に私ははっと顔を上げた。
「俺は人間を辞めたけど、俺も家族も人間だった。妹も人間だ。後さぁ、アイリスも人間だからねぇ〜。ルナやソルは人間じゃなくなったけどなぁ。アイリスは、ルナやソルが人間じゃなくなっても大事にしてるねぇ。だから、人間じゃない俺にも贖罪しようとするの? アイリスはいつも誰かのために頑張ってるよね。そういう人間もいたなぁって、最近ちょっと思い出した。ほんと、全然いないんだけど、馬鹿みたいに自分ばっかり損して生きている人間がいるんだよねぇ。500年前の聖乙女もそうだったよ。ごめんなさいって泣いて、人間を嫌わないでって泣いてた。光の勇者は自分こそ正義みたいな目をしてて大嫌いだった。でも、聖乙女は、2度と蠱毒で魔王召喚陣が敷かれないように魔術書は燃やす、この陣は浄化するって言ってくれた。それまでにあなたの悲しみが癒えるよう祈るって。アイリスはその聖乙女と同じ目をしているよ。他人の罪まで背負って泣かなくていいのに、あの子もアイリスもーー陛下もね」
「私、ウィキニアの言うような綺麗な人間ではありませんわ……自分のことばっかり考えてますのよ?」
「そうかもな。でも、そうじゃない部分もあるから、陛下もアイリスを気に入ってるんでしょ」
ウィキニアは寂しそうに笑うと、私の頭を乱暴に撫でた。
「紅茶、すっかり冷めたな。淹れ直して来るよ。この紅茶な、俺がここで作ってるんだよ。父親の茶樹を育ててな。今度案内してやる」
「はい、ウィキニア。はい。ありがとう」




