鍛錬(1)
ーー私の神魔術の鍛錬はまだ続いている。
その1:身体を神魔力に馴染ませる。
正面に立つランティス様が、私に両手を差し出す。
「アイリス、俺の手のひらの上に手を置け。そこから俺の力をそなたに流す」
「はい、ランティス様」
私の手よりひと回り大きくて、ひんやりとしているランティス様の手。
上目遣いにそっと伺うと、ランティス様がかすかに口元を緩めた。
いつもランティス様の微笑みには可愛らしさを覚える。
端正なお顔立ちなのに、なぜかしら?
不思議な気持ちを抱えながら私も顔を綻ばせると、ランティス様の低く穏やかな声に耳を傾けた。
「目を閉じよ、アイリス。集中し、身体を巡る力を感じるのだ」
ランティス様の言われるがままに目をつむる。
手のひらからじんわりと伝わり始める熱。
それが腕、肩を通って全身へ広がり、まるで温水の中でたゆたっているような安らぎを感じる。
ぽかぽかとした気持ち良さに、身体の力が抜けていく。
そして、腰が砕けた。
「アイリス!」
ランティス様がとっさに手を離し、私の腰を抱える。
仰け反る私を、覆い被さるようにランティス様が支えている。
吐息まで感じられる距離。
ーーなんて美しいな目なのでしょう……
黄金を溶かしたような瞳から目が離せない。
ランティス様の双眸に吸い込まれていたのは一瞬か、永遠か。
「ーーも、申し訳、いえ、あの、ご、ごめんなさい」
はっと我に返り、あたふたとランティス様の胸に手を当て離れようとするも、芯が消えた足は命令を受け入れてくれない。
「良い。ふむ、立ったままでは危険だな」
ランティス様が私の膝裏に腕を差し込むと、そのまま横抱きにする。
そして、軽々と私をソファまで運ぶと、その隣に腰かけた。
もう言葉も出ず、顔も上げられず、脳内で必死に隠れる穴を探す。
「向こうを向け。身体ごと」
「は、はい!」
ランティス様が視界から外れ、少し冷静さを取り戻したのも束の間ーー
「ら、ランティス様⁉︎ あの、あの⁉︎」
「倒れるときは、後ろ向きに倒れよ。俺が支える」
背中からランティス様の腕が回され、両手を握られた。
恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて、顔が熱い。
背中も熱いし、両手も熱い。
淑女としてこの姿勢がとてもよろしくないことは理解出来る。
で、ですが、これは鍛錬なのですから……
その言い訳に甘え、私は再び目を閉じた。
その2:神魔力を自在に発動する。
本日の担当は、ウィキニア。
ランティス様はお仕事中だ。
そして現在、私は空中にいる。
眼下に広がるのは、アクアマリンのように美しい広大な湖。
ウィキニアが私の腰を抱きかかえながら、にっこりと、それはもう楽しそうににっこりと笑う。
以前ランティス様と東方へ行ったとき、ランティス様は私自身にも空を浮遊する術をかけていた。
そのため、空の上という環境に慣れてからは、私はランティス様にそっと寄り添うだけだった。
しかし、ウィキニアは今、筋力のみで私を支えている。
ウィキニアの首に手を回し、必死でしがみつかざるを得ない私。
「アイリス」
耳元でささやかれる毒を含んだ甘い声。
「……まさか……ウィキニア……?」
「察しが良いね。陛下に教わったよね? 神魔術は、アイリスに流れる血を媒介に、念じるだけで発動するって。転移するもよし! 防御結界を張るもよし! 何だって出来るから、大丈夫!」
ウィキニアが、ぱっと私から離れる。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる、というより落ちてる!
轟々と唸る風。
見上げれば、手を振っているウィキニア。
背中から落ちているため、湖までの距離が分からない。
乱れる黒髪と涙の雫が私の後を追う。
私は祈るように指を組むと、ぎゅっときつくまぶたを閉じてイメージする。
ふわりふわりと浮かぶシャボン玉。
その球体の中心にいる私。
一生懸命想像して、創造する。
しかし、落下速度は変わらない。
恐怖に身を縮こまらせた瞬間、ぴたりと落下が止まった。
「えっ⁉︎」
ぱちぱちと瞬きすると、ウィキニアが目の前で私を見下ろしていた。
腰に手を当て、人差し指で私を指しているウィキニア。
「もうアイリスはだめだなぁ〜」
ウィキニアが、慣性の法則による衝撃すら調整して、湖すれすれの高さで私を止めたようだった。
「お仕置きね」
嫌な予感がする。
嫌な予感しかしない。
ウィキニアの握られていた残り4本の指が開かれた瞬間ーー
水音と水飛沫と共に私は湖の中に落ちた。
すぐさま引き上げられたものの、私はすっかり水浸しになってしまった。
「ウィキニア! あんまりですわ!」
「ちゃんと呼吸出来るようにしたから苦しくなかったでしょ? ほら、服も乾かしてあげる」
抗議する私に涼しい顔をして、ウィキニアが指を鳴らす。
「俺、アイリスの泣いている顔大好き。もっと悲鳴も聞きたい」
「悪趣味でしてよ!」
ぐっと私の腰を引き寄せ、にやりと笑うウィキニア。
「そうだよ。だから、もう1回、ね?」




