御名
やはりお優しい方だと、私は目の前で微笑む魔王陛下を見て改めて思った。
寝室に転移してしまった衝撃のあまり悲鳴を上げ、動揺と羞恥で泣き出してしまうなどという失態を犯したにも関わらず、魔王陛下は一生懸命私を宥めて下さった。
更にルナとソルも一緒に魔王城へ来て良いと許可を下さる。
調整して貰った指輪を嬉しくなって眺めていると、魔王陛下が話しかけて来た。
「アイリスは、今日はドレスを着ておるのだな」
私の顔が輝く。
お気に召して頂けただろうか?
「先日は魔王陛下の御前でお見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした。本日は、初めて魔王城へ上がらせて頂きます栄えある日ですので、失礼のないようこのような服装をして参りました。お目汚しでしたら、誠に申し訳ございません」
「いや、構わぬ。先日の格好も、我は気にしてはおらぬ。好きな姿で来るが良い」
魔王陛下の言葉に、私は思わず肩を落としてしまう。
私がどのようなものを身に纏おうと、何とも思わないのは当たり前ですわね……
「ーーなぜ悲しそうな顔をする?」
「そりぁ、気合い入れてお洒落して来たのに、どうでもいいみたいに言われたからだろ」
「そうなのか?」
ノックもせず応接間に戻って来たウィキニアが呆れたように肩をすくめて言うと、魔王陛下は私の顔を覗き込む。
ウィキニアにはっきり指摘され、自己嫌悪で魔王陛下をまともに見ることが出来ない。
私ったら、顕示欲の塊みたいでみっともない……
「よく似合ってるぞ? 我はあまり服装にこだわらぬ。何を着ていようと、そなたの美しさは変わらぬからな」
「⁉︎ あ、ありがとうございます。恐悦至極に存じます」
顔がみるみる赤くなるのが分かる。
落とした視線の先にある指先まで赤い。
淡々と何でもないことのように言われた分、恥ずかしさが募る。
嬉しい、と思った。
今まで色々な人に美しいと言われて来た。
その都度嬉しいとは思ったが、こんな風に噛み締めるほど嬉しいと思ったのは、いつぶりだろう?
幼い頃、殿下に花冠を被せて頂き、アイリスは可愛いねと言われたあのとき以来だろうか?
長ずるにつれ私に興味を失った殿下は、私が茶会で、夜会で何を着ようと儀礼的に褒め言葉を口にするだけだったから。
流行だけではなく、殿下が好みそうな型、殿下がお好きな色など色々研究したものだったわ。
「だが、アイリス。その口調はどうにかならぬか? このウィキニアほど砕けよとは申さぬが、我は堅苦しく振舞われるのは得手ではない」
喜びから一転、魔王陛下の言葉に私は顔を青ざめさせる。
「ご不快な想いをさせてしまい、申し訳ございません……」
「だめだな〜、アイリス。そういうときは、ごめんなさい、でいいんだよ! 俺ならわりぃわりぃで済ませるけどな」
顔を上げてウィキニアを見て、魔王陛下を見る。
もう1度ウィキニアを見ると、ほれほれと言わんばかりに手を振るので、私は思い切って口を開いた。
「はい、ウィキニアさん。魔王陛下、ごめんなさい」
魔王陛下の金色の瞳が優しく和んだ。
それを見て私の口元もふわりと緩む。
「アイリス、俺にさんもいらない。ウィキニアでいいって。はい、呼んでみて」
「ウィキニア」
「アイリス」
「ウィキニア」
「アイリス」
交互に名前を呼び合う私とウィキニア。
何だか面白くなって笑ってしまったところで、不機嫌そうな声が割って入った。
「楽しそうだな」
慌てて魔王陛下を見ると、冷たい眼差しがウィキニアに注がれている。
また怒らせてしまった……
「楽しいよ〜? 陛下もアイリスに名前で呼んで貰ったらいいじゃん。俺は魔族だし、血の盟約なんて結んでないから陛下の名前呼ぶと死んじゃうけどさ」
凍殺しそうな瞳をひょうひょうとかわし、ウィキニアがにやにや笑いながら魔王陛下に言い返す。
おろおろする私をよそに、魔王陛下がはっとした表情をすると、両目を大きく開いて私を見た。
「アイリス、我が名はランティスだ」




