魔王
寒い……
ぶるっと身体を震わせ、私はぼんやりと意識を取り戻した。
ゆっくりと目を開ける。
しかし、目の前の光景は変わらない。
暗いままだ。
恐慌状態に陥りかけるが、ソルに何度も何度もくどいほど言われていたことを思い出す。
「まずは深呼吸。それから状況確認」
ひんやりとして滑らかな床の上。
横倒れていた私は、怯えながら上半身を起こすと大きく息を吸って吐く。
気がつけば見知らぬ場所だったとき、慌ててはいけない。
迷子になったとき然り、誘拐されたとき然り、そして恐らく転移させられたであろろう今の状況然り。
それが家に帰るための最初の1歩だから、とソルに教わった。
「ルナ? ソル?」
小さくふたりの名前を呼ぶが、返事はない。
私は四つん這いになると、暗闇の中、床の上に手のひらを滑らせた。
「痛っ……ああ、さっき怪我をしたのだったわ」
手のひらの痛みなどつい先程まで感じなかったのに……
まだ私、冷静になれていなかったのね。
「あっ……」
手のひらをついた辺りの床が、小さな紅い光を放ち始める。
先程と同じ光景に、私は咄嗟に立ち上がった。
瞬く間に紅の光が不思議な紋様を描きながら急激に広がる。
そして、遂に床一面を輝かせた。
「ルナ! ソル!」
紅の光に照らされ、すぐそばに浮かび上がるルナとソル。
私は急いでふたりの元に走り寄ると、まずはルナを揺り動かそうとした、そのときーー
「何者だ?」
深く静かに響く低い声に、私の動きが止まる。
突然耳朶を打ったその声に惹きつけられ、私は恐る恐る顔を上げた。
腰まで届く漆黒の艶やかな髪。
側頭部からは天を貫くように金色の角が生えている。
白皙の整った顔立ちの中で、黄金に輝く双眸。
その不思議な光を放つ瞳に真っ直ぐに見つめられ、私の心臓がどくんと大きく高鳴った。
「っぁ……あ、アイリスと申します。魔王陛下であらせられますか?」
家名は名乗らない。
ウィステリア公爵家もエリューシオン聖王国も巻き込めない。
だから、私は名前だけを名乗り、床の中央に立つ気品と威厳に満ちた男性に問いかける。
「おかしなことを聞く。お前が私を呼んだのだろう? ーーその血で」
「血……? これは、あの……うっかり転んでしまって……」
その瞬間、確かに魔王が私に呆れたのが感じられた。




