腹いせの競争
周囲の光景が、海から山の奥地へと変わる。
地面に足をつけてから、ランクスのげんこつがカシアの頭に振ってきた。
「痛っ! いきなり殴るな!」
頭を押さえつつカシアが後ろを睨むと、ランクスが不愉快そうにこちらを見下ろしていた。
「うるさい! 偶然町を守れたからって有頂天になりかけてんだろ。少しは気を引き締めろ」
「そんなこと言って、アタシが褒められたから面白くなかっただけだろ! あー嫌だ嫌だ、大人げない」
カシアの一言に、ランクスがたじろぐ。
「な、生意気言うな。村じゃあ最弱のクセに」
少しランクスにとって不利な内容を言えば、すぐに「最弱のクセに」と口にしてくる。ずっと言われ続けているせいか、今ではカシアがすぐに怒ることもなくなり、鼻で笑ってケンカを売ることが日常化していた。
さらになにかを言おうとしたランクスを、リーンハルトが無言で制す。
ひとまず口論がやんだところで、エミリオが呆れて肩をすくめる。
「時間を無駄にしないで下さい。さっさと次の仕事に移りますよ」
「はいはい、分かってるよ。今度はアウグル山の頂上に居ついた魔王軍団が相手なんだろ? 早く終わらせてしまおうぜ」
さっき戦闘が終わったばかりなのに、またやるのか。とカシアが思っていると、三人は互いに目配せし合い、こちらを見つめてきた。
「カシア、あの崖の所を見てみろ」
ランクスが指さしてきたので、反射的にカシアはそちらを向く。目を細めて見ると、崖の中ほどにある出っ張った所に、黒いレンガで作られた二階建ての屋敷があった。
「今からあそこへ行って、ザコの魔王を倒してこい。オレたちの仕事が終わる前に退治できなかったら、これから一ヶ月は村の雑用を全部やってもらうからな」
村の雑用というのは、各家にある水瓶に井戸で汲んできた水を入れたり、エマの店に出す食材を採りに行ったり、ギードに代わって薪割りをしたりなどをすることだった。
いつも魔物退治の仕事を押しつけられる時は「時間内に退治できなかったら雑用を一週間」と言い渡されるのだが……明らかにランクスが海の町での一件で機嫌を損ねている。
ふざけるな、と言いたい気持ちだったが、「やっぱり最弱」と馬鹿にされたくなかったので、カシアは自分を抑えて不敵に笑う。
「ザコ魔王なんて楽勝で倒せる。もしアタシがさっさと決着をつけてからアウグル山に行っても、そっちの仕事が終わってなかったら三人で雑用やれよ」
「やらねーよ。雑用はお前さんの基礎体力を上げるためにやらせてんだ。強くなりたかったら、文句言わずにやれ」
まともに取り合おうとしないランクスだったが、隣で一人、感心したようにリーンハルトが大きくうなずいた。
「確かに私たちの仕事が間に合わなければ、気持ちがたるんでいる証拠だ。鍛え直す必要はある」
話を聞いて、ランクスとエミリオがげんなりした顔になる。口には出さなくても「この生真面目な鍛錬バカめ」という心の声が聞こえてくる。
エミリオが目頭を押さえながら歩き始めた。
「そんな金にならないことなんて、やっていられませんよ。そもそも私は魔法専門ですから、肉体を鍛える必要なんてないんですよ。やるならどうぞ貴方たちで勝手にやって下さい」
「この野郎、お前だけ逃げるな!」
早歩きでランクスがエミリオの後を追う。すぐに追いついて肩をつかむと、二人はその場で言い合いを始めた。
自分が嫌なことを人に押し付けんなよ、とカシアが呆れ半分で見ていると、リーンハルトから長息を吐く音が聞こえてきた。
「まったく、あの二人にはもっと強さに貪欲になってもらいたいものだな。……いい機会だ。カシア、私が君の提案を受け入れよう。その時は必ずあの二人にも雑用をさせることを約束する」
ということは、うまくいけばランクスたちに一泡吹かせることができるってことか。
願ったり叶ったりだと、カシアはにんまり笑って「じゃあ全力で戦ってくる」とやる気を出す。しかし、
「私もカシアに習って全力で戦ってこよう」
リーンハルトが本気を出せば、一人で魔物たちを瞬殺しかねない。そう考えると、グズグズしている時間はなかった。
ゆっくりとランクスたちの元へ歩いていく彼を見やってから、カシアは魔物の屋敷へと駆け出していった。