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「まず、ふるいにかける。」
「え、ザルでいい?」
「ふるいだ。目の細かいやつがこっちにあったはずだ。」
私は純粋に思った。何故友人の方がうちの台所事情を知っているのか。多分私より台所に立っているからだろう。まるで岸峰の家みたいだと思ったのは内緒だ。
「ほう。」
「…わかってる風に演出するな。」
私はふるいを正面に持ちあげて声をあげた。それっぽく。というか、それっぽくが阿呆っぽい。
「ここにボウルを置く。で、こっちの器に粉類を量りで量りながらどんどん入れていく。量り終わったらふるいにドバっと入れてこっちのボウルにふるいにかけていく。わかったか?」
「多分ね。」
「量るのは俺がやってやる。お前は薄力粉とかを盛大にばら撒きそうだからな。そして、何故かコンロの火をつけて粉塵爆発…。」
それは流石にない。
「いや、命の危機までいかなから。あと、なんでそこでコンロが登場する……。」
「……冗談だ。」
けど、ばら撒きそうなのは否定しない。
「あ、あと卵割れるか?」
「…教えてください。」
「よし。わかった。」
何故かポンポンと頭を撫でられた。解せぬ。
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で、出来た?
そう思い岸峰を見上げると頷きが返ってきた。
「はぁ~。」
キッチンで焼けたチョコケーキを目の前にして達成感と安堵がため息と共に出る。
「これを冷ましてからラッピングだな。」
「いや、あとは私がやるから岸峰は私の部屋に行ってて。」
「は?」
「片付けもやる。」
「それは、いいが。」
訝し気な顔をする岸峰だが、誰よりも牡丹の事を知っていると自負している。牡丹は何か作業をするときは人がいると出来なくなるのだ。何かをするとき人がいると落ち着かないとか多分普通に嫌なのだろう。家事をするにしてもそうだ。だから今回このお菓子作りで岸峰を頼ってきたことが少々意外だったのだ。まぁ、片付けとかは一人でやりたいのだろう。それくらいは出来るからな。ラッピングなども自分のやることに関して口を出してきそうで怖いのだろう。俺は口を出さないが、人はどうしてもそうしてしまう。牡丹はそれを恐れたのだろう。
「じゃあ、今度どこに行くか計画しといてやる。また後でな。」
「うん。ありがとう。」
岸峰が退室する。
「うし。」
牡丹は気合を入れなおすと片付けを始めた。
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「ふぃ~。出来た。」
変な声を出し、今一度確認する。うん。完璧かな?泡立てた少し高い生クリームを皿に添えて粉砂糖を振っていく。このチョコレートケーキはスポンジケーキよりも固く、フォークで食べると皿の上で滑ってしまうので素手で食べれるようにする。一応フォークも持っていくが、私は面倒臭いのでタッパーに移した生クリームをたっぷりすくって食べる。紅茶をマグカップに淹れてお盆に乗せる。ケーキは後でだ。お母さんは今日は夜勤なので帰ってこない。邪魔するものは誰もいない。自分の部屋に入ろうと思ったがお盆で両手がふさがっていた。
「岸峰開けて。」
ガチャ
すぐに開いた部屋の扉。速いな。部屋に入ってマグカップを置いていく。
「終わったか?」
「うん。紅茶持ってきた。」
「ありがと。」
「トイレ行ってくる。」
「わかった。」
淡々とした会話だが本人たちは一応楽しんでいるつもりだ。牡丹は感謝の言葉を嬉しく思い、岸峰は………言うまでもない。
牡丹はキッチンに戻り皿をお盆に乗せて二階に向かう。
少し薄暗くなった外から夕陽の光が見える。電気がついて明るい自室はやはり安心する。
「ぼた、ん。」
牡丹を呼ぼうとした岸峰だったが持ってきたものに疑問を持つ。
「こっち座って。」
部屋にあるテーブル。牡丹の座っている正面を指されて岸峰は素直に座る。そして、そこには先程自分たちで作ったチョコレートケーキがあった。少しお洒落な感じに皿に盛られているが。
「その、いつもありがとう。一人で作れなかったから岸峰に手伝ってもらってしまったけど、えー、と、食べて?」
「……おう。」
岸峰は感謝されたことにも喜んでいた。が、最後の食べてというセリフが「私を食べて?」的な言葉に聞こえてしょうがなかった。それと心の片隅で岸峰は男の影が自分だったことに安堵し呆けていた。
一口食べると甘すぎない素朴なチョコレートケーキの味がした。普段食べているものよりも味も材料もランクが落ちるが、この世で食べた何よりも美味しかった。そして、嬉しかった。
「じゃあ、私もいただきます。」
牡丹はケーキを鷲掴みしスプーンで生クリームをたっぷりとのっけてがぶりと豪快に食べた。それでも食べかすが口の端に着くなどはなく案外器用なやつである。正面で岸峰がその食べっぷりに微笑んでいた。それはもう蕩ける様な笑みで。もともと端正な顔立ちの岸峰はあまり表情に出さないクールなやつだが、牡丹の前では表情が動くことが多々あった。その微笑みは学校の女子が見れば幸せの汁を出しながら倒れる人続出だろう。目には愛しいという熱を帯びて、薄い唇は美しい弧を描いている。牡丹はそれに気付かずに幸せを貪る。時折聞こえる「美味い、うんめぇ。」という声は岸峰の耳に一応届いている。
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「ふぅ、ごちそうさまでした。」
「ごちそうさまでした。」
紅茶を一口飲み息を吐く。冷めていたので、全て飲み干したあとに新たに淹れてきたのだ。
ベッドに岸峰と並んでもたれる。
「美味しかったねぇ。」
「そうだな。」
「牡丹。」
「ん?」
急になんだろうか。岸峰が凄く真面目な顔をしてこちらを向く。それでも牡丹は自分の姿勢を正さないが。そこはマイペースな牡丹なのだ。
「好きだ。」
ん?
「愛している。」
ほぉ
「え…」
心の中では余裕そうにしているが、実はそうでもない。今、牡丹の顔は真っ赤になっているだろう。ちょっと暑いこの季節。汗ばむのは早い。
「牡丹は俺のことをどう想ってくれている?」
普通付き合うか?と聞くところだろうが、この男はそういった枠にはまる男ではない。
じりじりと距離を詰められながら牡丹は返事を迫られる。
「なんで?」
「何が?」
なんでと聞いた牡丹は岸峰が理解できなかった。
「何で私なの?」
長らく人の心に触れてこなかった牡丹はそれが怖い。
「可愛いからだ。」
嘘だ。
「可愛くない。」
そうだ。
「綺麗だからだ。」
違う。
「綺麗じゃない。」
「じゃあ、どうすればいい?」
「どうもしない。」
いつの間にか床ドンされていた。逃げ場はない。逃げる手段もない。何故か怖い。岸峰がではなく気持ちが怖い。感情が怖い。
「大丈夫だ。」
それを聞いた時私は泣いてしまった。とめどなく溢れる涙を岸峰が綺麗な指で拭ってくれる。
「怖いか?」
「ゔん。」
「何が怖い?」
「だって、感情とかそういうのがなんか怖い。あと、何でかゔれじい。ゔゔゔ。」
岸峰が牡丹を抱き起し膝の上に座らす。ぼさぼさになったその黒髪が愛おしい。濡れたその黒い瞳が愛おしいと言うように優しく抱いてやる。
どこからか出したタオルからは岸峰の匂いがしてとても安心できる。
「そうか。」
そういって、また岸峰は私をぎゅっと抱き締めた。私はその安心感に縋りたくて岸峰の背中に手をまわしてぎゅっとしかえした。
「……いつから?」
沈黙を破ったのは私の声だった。泣きすぎて震えて掠れている声だった。ちょっと恥ずかしい。あ、鼻水垂れる。
「ごめん、ティッシュとって。」
「ああ。」
岸峰は優しく微笑んでくれて私にティッシュをくれた。私は流石に岸峰に正面向いて鼻をかむことは出来ないのでそっぽを向いてから鼻を何度かかんだ。
「はぁ~。」
いつの間にか止めていた息を吐きだす。
「落ち着いたか?」
コクリ
鼻を啜りながら頷き返す。
「もう一度言うぞ?」
「え?」
「好きだ。愛している。……やっと手に入れたんだ。」
最後に小さな声でそう言った岸峰。その小さな声は私の頭の真上で言っているのでちょっと聞こえてたりする。
「…ありがとう。」
「ありがとう?」
「?」
「返事は?」
首を傾げた牡丹に岸峰が催促する。
どうしよう。恥ずかしい。だけど、うん、言おう。
「あの、」
「ん?」
「首に抱き着いてもいい?」
「………聞くな。」
一瞬で耳を真っ赤にしている岸峰に現実味が増してくる。
私は肯定と捉え、首に抱き着いた。そして、私の顔の横にある岸峰の耳に向かってこう言った。
「…………好きです。」