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 汐はよくわからないうちに母と同じく白いエンパイアドレスに着替えさせられ、ローマのコロッセオのようなところに放り出された。もちろん、観客席ではなく、完全に「見せる側」である。円形の更地には彼女しかいなかったが、観客席には悪魔たちが満員御礼である。魔王と母は貴賓席とおぼしき、バルコニーのようなところに並んで座っている。母は無責任に「頑張れー」と手を振っていた。真性のドSは自らそうだと気づかないものである。


 実際のところ、母フローレンスは「お使いにいってきてね」という軽いノリで受け合っているものの、敗北した時に払う代償は彼女自身の言葉通り、「魂を差し出すこと」に違いはない。人間界と悪魔界にはいにしえから天界の神によって申し渡された約定がある。悪魔の脅威にさらされた人間たちが神に拝み倒してとりつけた、人間を守るための取り決めである。


 それは「聖女」を利用した代理戦争。

 神はある一族の女たちに神力を与え、その中からもっとも優秀な女を「聖女」とし、魔王の創りだす幻魔たちと戦わせた。悪魔は「聖女」の戦いを観戦することを許された。「聖女」の圧倒的な力の前に、戦意を喪失させるのが目的だったが、長い時を経て、それは悪魔たちの娯楽となっている。


 魔界の権力者たちはこの定期的な催しの間にも、虎視眈々と人間界への侵攻を目論むが、その他大多数の魔界の住人たちにはそんなこと関係ない。たとえ人間界を征服したところでイイ思いができるのは、権力者たちだけなのである。彼らが望むのは、退屈な日々を紛らわす娯楽……それだけなのであった。


 そんなわけで、「聖女」の代理戦争を行う時はこうなる。


『フロオオオオオレンスウウウウウさまあああああああっ!』

『こっちを向いてえええええええっ!』

『本日もうるわしいいいいいいいいいいい!』


 聖女。それは魔界の「アイドル」。神の好みか何か知らないが、代々聖女と名乗ってきた女性たちは総じて絶世の美女ばかり。それが揃いも揃って、圧倒的な力で幻魔たちを駆逐していくのである。時に髪を振り乱し、時に衣裳を切り裂かれながら。自分より弱いはずの生き物が精一杯頑張るのである。心ある悪魔たちは素直に応援し、下心ある悪魔たちは「もっと乱れてくれないだろうか」とガン見する。どちらにせよ、一般悪魔たちは人間たちと同じようにミーハーなのだ。


 こんな悪魔たちの中で、フローレンスは年齢不詳の美魔女としての地位を確立していた。だがさすがの彼らもその美魔女が子持ちとまでは悪魔たちは知らない。非処女で構わなくとも、既婚者の聖女は歴史上例がなかったからである。


 なので当然のことながら、そのフローレンスの代わりに突然現れた「素性もよく知らぬガキ」にはこうなる。


『おるるるるるううあああああああっ』

『ぶうぶう! フローレンス様を出せやーっ!』

『ひっこめ、小娘えええええええっ! 悪魔海の底に沈めちゃるわああああああっ』

『死ねええええええっ』


 すべて悪魔語であるが、雰囲気は言葉よりも雄弁な時もある。

 汐はあからさまに顔をしかめて、心の中で何度も繰り返す。


(ムリムリムリムリ……)


 優雅にこちらに向かって手を振る母が憎らしくてたまらない汐だが、ここまで来たらもう後にも引けないことはわかっていた。どこの出入り口も鉄格子が下ろされていたのだ。


 汐はサイズがいまいち合わずにずれ落ちてくるエンパイアドレスの胸元部分を引き上げた。


(胸に谷間がない悲しさ……)


 彼女に用意されたエンパイアドレスは、母のサイズのものだった。魔王妃様の持ち物なのだそうな。


 パッパラパー、とラッパの音が辺りに響き始めると、悪魔たちは途端に静かになり、辺りは静寂に包まれた。その中に、玉座から立ち上がった魔王が朗々と語りかけた。


『崇高なる悪魔諸君。今日と言う善き日に……などという御託は聞き飽きたであろう。我が宣言したいことはただ一つ。我らが娯楽、「代理戦争」を執り行うこととする——!』


 わああああああああっ。一際大きな歓声があがった。

 しかし、汐にはわからない。またしても悪魔語だったのだ。本人からしてみれば、「何か言ってるぞ、何か開会の挨拶っぽいな!」ぐらいのものである。


 羽の生えた真っ黒な腕を伸ばしてその歓声を沈めた魔王はさらに続ける。


『だが、今回は聖女フローレンスは出ぬ!』


 会場中が落胆の渦に放り込まれた。


『彼女は自らの代わりに新しい聖女を見出したのだ! 己の全盛期よりも大きな神力を持つ聖女を異世界より招いたのである! 聖女フローレンスの後継、名はシオ! 皆彼女の持つ力に大きな興奮を覚えることであろう! 心せよ!』


 瞬間、悪魔たちの視線が集まってきた汐の肩が、ずんと重くなった。


(うへえっ。魔王様が睨んでる! こっちみながら口元がにやにやしてるぅー!)


 混乱しすぎてそのうち「うっひょーい!」と謎の奇声が上がりそうになるのを自制する汐である。

 ここで魔王は日本語に切り替えた。


『では、これから幻魔を召喚するから! 頑張るのだぞ!』


 コロッセオの中でこの意味を理解できるのは汐とフローレンスだけである。

 フローレンスもメガホンのように手を筒状にさせてから叫ぶ。


「汐ちゃーん! さっきみたいに頑張るのよー! 強い感情を呼び覚まして! 野性を解き放つのよー!」

「頑張れない! 解き放てない!」


(どいつもこいつも「頑張れ」ばっかりで、ちっとも具体性がないじゃん! どうすりゃいいって言うのよ!)


 重ねて言うが、汐には悪魔語がわからない。魔王が汐を次期聖女として紹介したこともちっともわかっていなかった。本人が理解していたら、全力で火消しにかかっていたことだろう。頑張っても、聖女はムリっ、と。


 だが状況は汐を待ってくれるはずもなく、何やら呪文を唱え始めた魔王の影がぐんぐんとコロッセウム中に広がる。どろり、とその影が泥のようにどろどろと流れるようになり、波打ちはじめる。特に、汐のいる辺りで。


 汐自身の周囲一メートルぐらいまでは影は及ばなかった。

 泥はやがて噴水のように盛り上がったと思えば塊となって、マネキンぐらいの大きさになった。汐は黒いナナちゃん人形みたいだと思った。手足が長くて、顔がのっぺらとしているところとか。


 だがナナちゃん人形と違って、彼らには剣や槍みたいな武器を持っているし、数も尋常ではなかった。何十、何百、何千……下手すれば、何万、かもしれない。


(量産型黒ナナちゃん……おそろしや)


 神力という中二病設定が自分にあるとは思えなかったが、母の言うことぐらいしか縋れるものもなかったので、さっきと同じように両手で輪っかを作って、量産型ナナちゃん人形……幻魔に向ける。


 そして同級生への怒りを込めて、


「ファイヤアア!」


 叫ぶ。


 プスッ。


 手の中でガス欠みたいな音がした。あ、駄目だ。

 今にも自分に降りかかってきそうになる剣。汐は走って逃げた。


(なんで何にも出ないのよおおおおおっ)


 逃げている汐に、観客たちのブーイングは止まない。


「汐ちゃん……! まずいわ、魔王様! あの子負けちゃうかも!」


 特別席のフローレンスは顔色を変えて、魔王に叫ぶ。


「そなた、神力の扱いを教えておったはずだな?」

「力の出し方は教えたわ。強い感情を思いだしてって……まさか」

「何かあったか」


 母は急いで立ち上がった。


「あの子、基本的に怒りが持続しないのよ……! 一回吐きだしたらけろっとしてしまうのだったわ! あぁ、なんてこと……! 私、ちょっと助けに行ってくるわね」

「そなたが介入するのはルールに反しておるぞ」


 そんなことしないわ、とフローレンスは何万の幻魔から根性で逃げ回っている娘を一瞥してから、さっと踵を返した。


「再びドアを繋げさせてもらうわ! 行き先はルンジイ王国、首都ルンジイのお城! 汐ちゃんにうってつけの人を探してくる……! 緊急呪文、『どこでも行けるドア』よ!」


 ずずっとバルコニーの床からドアが生えた。観客たちの混乱をよそに迷いなくドアノブを開いて出た。力が弱まっているフローレンスにとっては一世一代の賭けだったが、なんとか成功した。代わりにとてもつもない疲労感が襲うが、そんなことに構っていられなかった。


「もう少し辛抱するのよ、汐ちゃん……!」


 母は強し。



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