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「それじゃ、汐ちゃん。お出かけしましょうか」


 ラルフ・フジサキとの密かな攻防が終わらないうちに、母は軽い調子で言った。


「え、どこに」

「さっき言っていた幻魔退治に。ひとまず一年の休戦協定をこぎつけてきましょう。汐ちゃんも手伝ってね」

「フローレンス様? そのようなご予定はありませんが……」

「だって今決めたもの。今日は汐ちゃんもいて二人でやるから、魔王様も退屈なされないでしょ? むしろ気にいっちゃうかもね! 成功したらお兄様に有給休暇を請求させていただくわ。行くわよ、汐ちゃん!」

「う、うん……?」


 母は近くにあったドアの――さきほど汐が使ったトイレに続くドアだ——ドアノブを開く。


「いざ、開かん! 魔王の住まう宮殿への扉よ!」

「フローレンス様!」


 ラルフと愉快な仲間たちが慌ててこちらを引き留めようとしてくる。けれども子持ちの聖女はそれぐらいじゃ止まらない。


「お兄様によろしくお伝えしてねー。ではごきげんよう!」


 母はあっさりイケメンたちを捨てた。あんなに必死に止めようとしているのに、あっさりしすぎだろ……と汐は思わんでもなかった。けれども汐にとっては所詮その場に居合わせただけの赤の他人であったので、汐もこれまたあっさりとイケメンたちを後にした。この妙な潔さがこの母娘に共通するところである。



 ドア向こうはやっぱりトイレじゃなかった。

 悪魔っぽい生き物が元の地面がどんなかわからないほど、うじゃうじゃと集まっている。しかも見覚えがあった。昨日の夜に見た場所の一つととてもよく似ている。


(ああ、なるほど。これは夢の続きなのか)


 なにやらものすごい匂いも漂ってくるが、汐はどうにか耐えて母についていく。

 母のエンパイアドレスの裾が翻るたびに、細い道ができていく。その先には、玉座があつらえてあって、そこにはやっぱり悪魔っぽい生き物がいた。巨大な擬人化コウモリみたいな感じ。ものすごく偉そうな、という形容詞もつきそうである。


「……久しいな、聖女。我との対戦ができないほどに弱っていたと聞いたが……」

「現役を掲げているけれどね、これでもとうに年だからねー。色々身体が老化にさらされているし、夫と娘もいるもの」

「タカオは元気にしておるか」

「元気元気。……そうよね、汐ちゃん?」

「最近生え際の後退を気にして、育毛剤を通販で買ってたよ」

「ほほう……諦めて、スキンヘッドにでもすればすっきりするであろうに。タカオも何年悩んでおるのか。……と、失礼。そなたが、聖女の娘か」


 なぜだか普通にフレンドリーな会話が成立しているが、初対面である。


(って、あれ。昨日も玉座にいたのもこの人? じゃなかったっけ。でもあの時は言葉が通じなかったのに)


「昨日は楽しませてもらったぞ。聖女でないのに、忽然と姿を現した娘よ。久々に驚くことに出会ったぞ。あの時はこちらの言葉で失礼したな」


 なんでも彼らは日常的には悪魔語なるものを使用しているらしい。人間だと人間語、天界だと神語。今は魔王も日本人である汐に合わせて日本語を用いているという。

 ちなみにこれまで母もラルフも話していたのも日本語だった。二人は日本語を忘れないように日常的に使用しているらしく、特にラルフは父親に習っただけなので、聖女に細かいイントネーションや文法などの指導を受けることもあるとか。なんというご都合主義。


「ええっと、どうも……」


 汐は夢の中の人物に「前に夢で見たよ」と言われてしまったので、妙だなぁと思う。


「我は魔王だ。そなたの名はなんという?」

「汐です」

「母親とはあまり似ておらぬな」

「よく言われます」


(日本人の遺伝子が強かったんですよ……)


「だが、母親以上の力を持っておるようだな。我の目にははっきりと見えるぞ。そなたが背負う、天をつかんほどに大きな業火を……」

「はあ」

「そなたが怒りに我を忘れ、その力を振るうことがないことを祈っておる」

「まぁ、これでも平和主義者なんで、そうそうないと思います」


 容姿ばかりでなく、精神までどっぷりと日本人につかっている汐である。

 母がちょいちょいと肘で汐をつついた。


「汐ちゃん、お不動さんみたいね」


 お不動さん。それは怒りの形相を浮かべて炎を背負った姿で描かれる。別名不動明王。お顔はとてもいかつく、口元から牙が出ていることもしばしば……汐が微妙な顔になっても仕方のないことである。


「母さん……」

「あら、これでも褒めているのよー。悪をくじき、人を助ける仏さまなのよ? 偉いのよ? 汐ちゃんにぴったり! 汐ちゃんはこの世界を救う勇者になるのよ!」

「聖女じゃないの?」

「だって、母さんまだ現役だもの」


 当然でしょ、と言いたげに首を傾げる母に、汐は年云々という文句をつけるのはやめた。


「そもそも今ルンジイには勇者がいないもの。前の勇者は引退しちゃったし、息子のラルフが継ぐって話もあったけど、なぜか立ち消えになっちゃったのよねえ」

「人格の問題だと思う」

「えぇ?」


 そもそも「勇者」なるものが継げるものなのかどうかはともかくとして。ラルフ・フジサキを勇者にしなかったのは正解だと汐は思った。ただ単に、あのセクハラ腹黒騎士を「勇者」というおきれいな呼称で呼びたくないというだけだったりもするが。


「でも、人格だけなら前の勇者も相当ひどかったけれどねえ……」

「あれはルールを守らぬ愚か者であったな。わしの妻にもちょっかいをかけておったと息子に告げられた時には何度消し炭にしても足らんと思ったものぞ。思いあまって呪いをかけてしもうた」

「気持ちはわかるわー。私もタカオにちょっかい出す女がいたらぷちってやっちゃうもの。本当に別れてよかったわぁ」


 くっくっく、と魔王は肩をゆすって笑っていた。


「……まぁ、懐かしい話はこれぐらいにして」


 魔王の眼差しが真剣になる。黄色く濁った目がぎょろりぎょろりと辺りを見回し、それから汐たちを射抜く。


「それで? 我と対戦をして、今回は何を得たいか」

「まずは一年の休戦協定かしら。さらに幻魔を全滅させることができれば、あなたの代では人間界に侵攻しないことを約束していただきたいわ」


 汐の母も、魔王に劣らず本気を感じさせる声音だった。


「逆にできなければ何を支払う?」

「私の魂を好きにしてもいいわよ。確か、奥さんが私を着せ替え人形にしたがっていたでしょ? いくらでもやってあげるわ」

「ほう、一日千着を越える着替えにわざわざ付き合おうというのか。しかし、足りぬな。領土は? 民の命は?」

「あなた自身は欲しくないじゃないの」

「言うてくれるな。悪魔の世界も一枚岩でない。それだけでは他の者が納得せぬのだ」

「うーん……。だったら対戦の条件を変えるわ。現役聖女の私はでない。代わりに娘にやらせるわ」


 急に話題の中心に放り込まれた汐は目を白黒させた。母親が娘を売りやがった。


「母さん、ちょっと、何言っちゃってるの。私やらないよ!?」

「よかろう」

「え、それでいいの!?」


(すんなりオーケーしちゃうのもどうかと思うの、魔王様……!)


 汐はやっぱり納得いかない。大人たちの話し合いだけで終わるかと思っていたのに、無茶ぶりされても困るのだ。


「知っておるかどうかわからぬが、シオ。我と聖女が対戦することは、世界の秩序を守るためのルールであり、悪魔や神にとっては娯楽となっておる。時には面白き趣向も必要とされるのだ。……頑張れ」


(頑張れません……)


「大丈夫よ、汐ちゃん! なんてったって相手は意志のない即席幻魔よ! 頑張れ!」


 汐に拒否権はなかった。母にずるずると引きずられていく。


「いーやーだーっ!」


 彼女の意志は誰も聞いてくれなかった。理不尽。



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