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第三章

第三章

〈一〉

 翌日、慎二は早めに弁当を食べ、昼前に家を出た。行き先は宗一のところだ。

〈本日、臨時休業〉

 ──なんで!?

 無情な貼り紙に、慎二は愕然とした。ドアを叩いてみたり裏にまわって中をのぞいてみたりしたが、人の気配はまったくない。

 玄関の前に座りこむ。今日も風は強く、庇の下にいると涼しさを感じる。焼けつくアスファルトの上を歩く者はいなかった。

 慎二は通り魔事件について調べる気でいた。犯人をつかまえ、警察へ突きだしてやることまで考えている。無謀とは思わなかった。明子がおびえずに暮らすためなら、なんでもしたい。慎二は本気だった。

 その証拠に、あれだけさけていた竹刀を、竹刀袋に入れて持ち歩いている。通り魔と対峙したときのための護身用だ。守るだけではない。これ一本で、相手を叩き伏せる自信もあった。

 ただ、動きだす前に、本当に明子が被害者なのか確認しておきたかった。調べるのも、必要とあらば竹刀を抜くのも、あくまで明子のためだからだ。

 そして、明子のことをなにか知っているとしたら、明子の脚をみている宗一以外には考えられない。だから真っ先に宗一のもとを訪れたのだが……

 ──仕方ない、現場に行こう。

 慎二は立ちあがり坂道をくだった。コンビニのある角を曲がり、公園までやってきた。

 母の話によると、被害者はここで通り魔と遭遇し、逃げる途中で刺されたのだという。

 あたりを見まわすが、人気はない。慎二は公園の隣の家に向かった。

 呼び鈴を押すと、しばらく経ってから腰の曲がった老婆が現れた。なにかご用で、と見た目よりしっかりとした声が返ってきた。

「このあたりで通り魔が現れたって聞いたんですけど、その、なにか……」

 あまりに直球すぎる言い方に、慎二は腰砕けになりそうだった。ひょっとすると、自分は調査の能力値が低いんじゃないだろうか。

 老婆はじろじろと慎二を見つめ、

「なにか知ってるか、てことかい? そう言われてもねえ。私も二階から見てただけだから、たいしたことは知らないよ。救急車が来てたのは見えたけど」

「見たんですか!? 誰が刺されたんです? 犯人は!?」

 老婆のまなざしに疑惑の色が強まる。

「あんた、中学生だね。そんなこと訊いてどうするんだい」

「う……」

「少年犯罪って増えてるらしいからね。まさか……」

「ち、ちがっ!」

 あわててかぶりを振ったとき、「飯島君?」と背後から声をかけられ、慎二の足は地面から二センチほど浮いた。

 明子が立っていた。杖に日傘という昨日と同じ姿だが、私服ではなくセーラー服だった。膝を隠す長めのスカートが風に揺れている。

「どうしたの?」

「べ、別になんでも!」

 失礼しましたと老婆に頭をさげ、明子の背中を押して家からはなれた。

 なにしてたの、という明子の問いに、

「学級新聞を作るんで、そのための取材です!」

とこたえた──こたえてから、頭をかかえた。

 ──どうしてあのおばあさんにこれが言えなかった! ごまかせたら、話を聞けたかもしれないのに!

「学級新聞かぁ。私がいたころはそんなの作らなかったな」

 懐かしそうに明子は言った。

「ああいうのって小学生の課題だと思ってたから……大丈夫?」

 苦渋の表情を浮かべる慎二を、明子は心配そうに見おろしている。はい、と力なくこたえ、

「城田さんはなにしてるんですか」

「演劇部のミーティングに出るから、学校に行くところ。朝も稽古があったんだけど、私はけがで稽古できないから。本当は手伝えることもあるんだけど、みんな休んでろって言うし」

 でもミーティングぐらい出たいじゃない、と明子は笑った。

 清水高校は一駅隣の町にある。トップクラスの進学校なので、慎二の中学校からはこの三年間で三人しか進学していない。そのひとりが明子なのだから頭がさがる。

「じゃあね。暑いから気をつけて」

 去っていく明子を見て、慎二の胸の中に奇妙な感覚がわいた。

 ──なんだろう。学校に行くだけなのに、もの凄く緊張してる気がする。

 友達に会えるのだからうれしいはずなのに、思いつめているようにすら見えた。ほうっておいてはいけない気がして、慎二は思わず「城田さんっ」と強い口調で呼んだ。

「俺もついていっていいですか」

 予想外の申し出だったのか、明子は振り返り、黙りこんだ。

「実は学級新聞のネタに困ってたんです。清水高校って、うちから行った人少ないじゃないですか。だから、記事になるかなって」

 明子は眉根を寄せた。明らかに困っている。

「城田さんにインタビューとかさせてくださいよ。卒業生はこんなに頑張ってるって書きますから。今日はスマホもあるから写真も」

「写真はやめて!」

 突きはなすようなもの言いに、慎二は息を呑んだ。

 明子はため息をつき、「いいよ、ついてきても」と言った。

「でも、私のことは書かないで。書くなら、学校のこととか演劇部のこととかにして。卒業生へのインタビューなら、演劇部の北橋……先輩にして。彼も同じ中学の出身だから」

「は、はい、わかりました」

 今、なんで言いよどんだんだろうと思いながら、明子について歩いた。明子はちらと慎二を見て、

「ところで、それ、なに?」

と竹刀袋を指さした。竹刀が入ってますとこたえると、

「剣道部はいいの?」

「……休業中なんで」

 そっか、と明子は言った。

「私も休業中。いろんなこと片づけるまでは」

「いろんなことって?」

 明子はかすかに微笑むだけだった。


 清水高校は広い敷地に、歴史を感じさせる古い校舎がいくつも建っている。校舎の裏には大きめのプレハブが並んでいて、一部のクラブはそこを部室としている。演劇部もそのひとつだ。ちなみにプレハブといっても造りはしっかりしていて、冷暖房も完備されている。

 部室のドアを開けると、「明子!」「城田さん!」という声がいっせいにわいた。

 男子八人、女子十二人という、結構な大所帯だ。女子生徒が次々と集まってきて、「大丈夫なの?」「無理しなくていいのよ」と口々にしゃべりだす。

 大丈夫だからと明子はこたえ、部室を見まわした。

「貴理恵ちゃんは?」

 女子生徒たちは顔を見合わせ、かぶりを振った。そう、と明子がつぶやくと、

「城田」

 威厳を感じさせる声が響いた。縁なし眼鏡をかけた細身の男子生徒が、明子を見ている。表情に乏しく、なにを考えているのかつかみづらい。

「本当に大丈夫なのか?」

 明子は口もとを結び、うなずいた。男子生徒もうなずき返す。

 慎二は首を傾げた。この男子生徒と、どこかで会った気がするのだ。

「そっちの子は?」

と顎で慎二を指した。

「後輩の飯島慎二君です」

 実は、と明子が簡単に説明をしているあいだ、慎二はじっと男子生徒を見つめていた。

 ──会ったことがあるというか、こんな雰囲気の人におぼえがあるというか……

「剣道か」

 男子生徒は軽くうなずいた。

「ただで取材をさせるのももったいない。今、アクション担当の者がひとり欠けている。ミーティングのあとの稽古を手伝ってもらおうか」

「それって、俺が舞台でなにかやるってことですか?」

「剣で決闘する場面の相手役をしてもらいたい」

 慎二は黙りこんだ。剣とかかわることは必要最低限にとどめたかった。剣道を……仲井のことを思いだしてしまうからだ。

「できないのか」

 男子生徒は無表情に言った。

「まさか防具一式がないと、人と対峙することすらできないわけではあるまい」

 失礼なもの言いにむっとするより早く、慎二は彼の正体に気がついた。

 ──「ジェイムズ」だ! この人、ジェイムズにそっくりだ!

 こんなことってあるんだと呆然としていると、

「北橋君!」

 明子の鋭い声が飛んだ。北橋と呼ばれた男子生徒はわずかに目を見張り、

「……すまない。失礼なことを言った」

と頭をさげた。表情がほとんど変わらないところは、やはりジェイムズだ。

 明子はインタビューするならこの人にしろと言っていた。いや無理、と慎二は心中でかぶりを振った。「サブロー」なら丁々発止とわたりあえるかもしれないが。

 その後、ミーティングがはじまり、慎二は部室の隅で一年生の男子と並んで座った。部長の北橋は話をどんどん進めていく。

 すいません、と慎二は隣の一年生に小声でたずねた。

「城田さんのけがって、どういうものなんですか。みんな知ってるってことは、部活で──」

 しっ、と一年生は人さし指を立て、

「──通り魔らしいよ」

と、聞こえるか聞こえないかの小さな声で告げた。

 やっぱりと思う一方で、絶望的な気分になる。願うならば、杞憂であってほしかった。

「あの事件のせいで、うちは有望な役者を二人も失ったんだ」

「二人?」

「さっきひとり欠けたって言ってただろ。梶先輩がずっと部活に来てないんだ」

 梶貴理恵は明子と同じ二年生で、ともに同じ中学校から進学した友達同士だ。明子は貴理恵といるときに通り魔と遭遇し、刺されたらしい。それを目の当たりにしたショックで、貴理恵は半ば引きこもりのようになってしまったという噂だ。

「梶さんていう人がいっしょにいた、ていうのは本当なんですか」

「だから、ただの噂。確認したわけじゃない。城田先輩はたしかにいつも梶先輩といっしょに帰ってる。でも、あの日はテスト休み期間だったんだ。いっしょにいたかどうかまではわからない。事件以降、梶先輩が一度も顔を見せていないから、そういう噂が立ってるだけで。城田先輩に確かめていいことでもないしな」

 慎二が小声でうなると、

「じゃあ、飯島君に手伝ってもらうということで」

「ああ。彼が嫌じゃなければ、だが」

 飯島君、と明子が呼んだ。

「午後から体育館で稽古なんだけど、つきあってくれる? 実際に体験したことを記事にするのもいいと思うし」

「俺はかまいません」

「北橋先輩は無愛想だけど、別に飯島君のことを悪く思ってるわけじゃないから。多少の失礼には目をつぶってあげてね」

「城田」

 北橋はわずかに渋面を作ったが、やはり表情に乏しい。部員たちのあいだから笑い声があがる。

 慎二は首を傾げた。

 ──北橋「先輩」……なのか?


「へえ、剣って結構しなるんですね」

 慎二は小道具の両刃の剣を軽く振った。竹刀よりもはるかに柔軟性がある。その方が動かしたときスピード感が出るんだと北橋は言った。

 演目は北欧の物語を下敷きとした英雄譚だ。だから西洋風の両刃剣をわたされた。

「台詞は棒読みでかまわないので、さっき言ったとおりに剣をまじえてくれ。あと、君の目線でおかしなところがあったら、遠慮なく言ってくれ」

「わかりました」

 慎二が演じるのは、ブリュンヒルトという女傑であった。グンターという王に求婚を迫られるも、「私より弱い男のもとへ行くつもりはない」と突っぱね、様々な勝負をするらしい。

 慎二は体育館の舞台にあがり、剣を右手に、台本を左手にしゃべりはじめた。

「えー……グンター王よ、軽はずみな求婚などをしたことをこ、後悔させてあげましょう。あな、あなたはこの地で、名誉だけでな、なく命まで失うことで、しょう」

 観客席で明子が口を押さえて笑っている。

 グンター役の生徒と何度か剣をまじえ、北橋や演出係と相談しながら、立ち位置を変えたり動きに手を加えたりした。

「やはり、毎日竹刀を振っている者の動きはちがうな」

 北橋は無表情で慎二をほめた。

 小一時間ほど剣を振りまわしたあと、北橋が少し打ち合わせをするから休んでいてくれと言った。慎二は体育館の外に出て、冷たい風に当たることにした。

 ──身体動かすのひさしぶりな気がする。

 思ったほど体力が落ちていなくてよかったと安堵し、なにげなくあたりを見まわした。

 校舎の陰からこちらを見ている少女と目があった。

 見る者にきつい印象を与える容貌ではあったが、美人の部類に入るだろう。

 少女は目を見開き、姿を隠してしまった。

 慎二は首を傾げた。体育館をうかがっていたのだろうか。今、中で活動しているのは演劇部だけだ。関係者だろうか。

「飯島君、ちょっといいかな。北橋先輩が意見を聞きたいって」

 明子の声に、慎二は考えを打ち切って中に戻った。


「あああ、疲れたぁ!」

 正門を出てから肩と首をまわしていると、隣で明子が笑った。

「ごめんね、こんな時間までつきあわせて」

 こんな時間といっても、まだ午後四時前だ。おそくなるのはまずいからと、北橋が明子を先に帰らせたのだ。明子がいないのに慎二を引きとめるわけにもいかず、二人はいっしょに帰ることになった。

「役者って難しいですね。台詞読むだけであんなに疲れるとは思いませんでした」

「でもアクションの方は北橋君凄く評価してたよ。彼はとても強い剣士なんじゃないかって」

 そりゃあまあ、と慎二は胸を張った。

「自慢じゃないけど、全国大会少年の部でベスト8まで残りました」

「凄い! 本当に強いのね!」

 そうですよ、と慎二は鼻から息を吐いた。

「それなのに、どうしてシンジに日本刀を持たせなかったの?」

 浮かんでいた笑みが引っこんだ。

「そんなに強いなら、日本刀を持ったキャラクターの方が想像しやすいし、動かしやすかったんじゃない?」

「それは……」

 言いよどんでいると、明子のスマートフォンが鳴った。通話に出ると、「お世話になってます。……え、明日?」と言った。

「私は大丈夫ですけど……あ、飯島君いますので、代わります」

 明子は慎二にスマートフォンをわたした。相手は宗一だった。

『どうして君が城田さんといっしょにいるんだ』

「いや、ちょっと……それより、なに?」

『明日、セッションの続きをしようと思って。予定が合えば、だけど』

「いいよ、ひまだから」

『ひまなのか』

「文句あんのかよ」

『お母さんが心配していたよ。部活に出なくなったって』

 慎二は舌打ちした。

『あのけがは慎二のせいじゃない。だから……』

「わかってる」

 明子に背を向け、口を尖らせる。

「それより、三郎さんはいいの?」

『大丈夫、本人もやる気だから』

「わかった、じゃあ参加する」

 スマートフォンを返すと、明子は空に向かって拳を振りあげた。

「明日は〈トーキョーNEO〉に行って、あの事件解決しちゃおうね」

 おーっ! と意気軒昂な明子に、すっかりハマってるなあ、と慎二は苦笑した。


 翌日、土曜日の午前診察が終わってから、慎二たちは宗一のもとに集まった。

 豪三郎は元気そうだった。二日前の異様なテンションはなりをひそめ、落ちついている。やはり酒の飲みすぎだったのだろう。

「ジャーン!」

 明子が鞄から自慢げに取りだしたのは『トーキョーNEO 基本ルール』と書かれた本だった。今朝、書店で買ってきたらしい。

「ルールはもう完璧ですよ。フィクサーが……つまりアキがどういう能力を持っているのかも、きっちり把握しました。世界観もばっちり。〈トーキョーNEO〉のスイーツのお店まで把握しましたよ」

「そいつは頼もしいな」

 豪三郎が言った。

 準備はいいかな、と宗一がたずねた。

「状況をおさらいしよう。君たち三人はそれぞれの理由で、ユウヤ・タナカを殺した犯人を捜すことになった。頑張ってくれ」

「つっても、俺は調査も考えるのも苦手なんだよなあ。用心棒ってそういうキャラクターだし」

「調査なら俺の仕事だ」

 豪三郎は宗一に向きなおった。

「GM、俺は〈ブラッドハウンド〉の本部に行く。あいつら、きっとなにか情報を隠している。そいつを暴いてやる」

 次いで明子を見て、

「悪いが、ちょいとやってもらいことがあるんだが……」

 豪三郎が内容を伝えると、「それもフィクサーの能力でできますね」と明子がこたえた。

 きびきびと指示を出す豪三郎は、二日前とはまるで別人だった。飲んだくれのおっさんではなく、できるビジネスマンという様子だ。

「することは決まったね? じゃあ、サブローが〈ブラッドハウンド〉の本部へやってきたところからセッションを再開しよう」


 × × ×


 〈トーキョーNEO〉の一等地に、無駄に巨大な本部を置いているのが〈ブラッドハウンド〉である。高いビルは街を睥睨し、人々を威圧しているかのようだ。

 ──お前らの敵は市民じゃねえだろうが。

 胸が悪くなるような本部を見あげてから、サブローは中に入った。探偵の身分証を見せると、受付嬢は困ったような顔をしたが、名前を確認すると青くなり、

「あなたが来たとき、私はここにいなかったことにしてください」

と言って、人目をさけるように受付からはなれてしまった。

 廊下を歩いていると、捜査官が何人か振り返った。中にはサブローが探偵であることに気づき、射抜くようなまなざしを向けてくる者もいた。

 サブローは奥の部屋のドアを、ノックもせずに開けた。

 短い悲鳴が聞こえ、あわただしい音が響いた。女が部屋を飛びだし、取り残された男が乱れたYシャツを整え、ネクタイを締めなおしている。

 サブローの片眉がぴくりとはねた。

「なんだね君は。ノックもなしに入ってくるとは」

 男はなんとか威厳を取り繕い、サブローをにらんだ。

「部長殿、真昼間から女とイチャついているようでは、〈ブラッドハウンド〉全体の士気にかかわりますな」

「貴様には関係ない! とっとと出ていけ! さもないと──」

「彼女はうちの秘書だ」

 部長はあんぐりと口を開けた。サブローはにやりと笑い、

「別にかまやしないさ。ミス・ローリングは俺の恋人でもなんでもない。誰となにをしようが自由だ。しかし、〈ブラッドハウンド〉の部長が、探偵風情の秘書に手を出したとなると……これは沽券にかかわりますなあ」

「な、なにが言いたい?」

 血相を変える部長の姿に、サブローは腹をかかえて笑いたくなった。

 この日この時間に、部長がミス・ローリングと会う約束をしていることをサブローはつかんでいた。

 だが、アキが受付に手をまわしてくれなければ、部長の部屋へ入ることはできなかっただろう。

「ユウヤ・タナカの件について、知っていることを話してもらおう。ジェイムズ・グロウは話そうとしなかったが、隠していることがあるのだろう?」

「貴様はタナカを殺した犯人を捜せばいい! 黙って仕事をしろ!」

 バン! とデスクを叩くと、部長は息を呑んで青ざめた。力なく椅子に座り、サブローを見あげる。

「猟犬同士、仲よくしようぜ」

 サブローの目は笑っていなかった。


 おお、と慎二は歓声をあげた。

「三郎さん恰好いい!」

「ハードボイルドってこういうのを言うんですね!」

 慎二と明子はそろってほめそやしたが、豪三郎は静かなものだった。表情のない顔を宗一に向け、

「GM、調査で判定した方がいいか?」

「そうだな。部長がサブローの言うとおり情報を吐くかどうか、判定してくれ」

 サブローが振ったサイコロは、両方とも6を上にしてとまった。また歓声があがった。

「文句の言いようのない出目だな」

 宗一はあきれながら部長が口を割ったと告げ、以下の情報を与えた。

 ユウヤ・タナカの事件は、ただの殺人事件ではない。その裏に、「ジョン・ネガット」という男の姿が見え隠れしている。

 ジョンはアメリカでフィクサーとして活動していたが、最近になって〈トーキョーNEO〉に活動の場を移している。〈ブラッドハウンド〉はその理由をある程度までつかんでいた。

「ジョンにはテロリストの疑惑がかかっているんだ。それも、〈トーキョーNEO〉を標的とした、ね。準備が整ったからこの街へ移ってきたのではないかと〈ブラッドハウンド〉はにらんでいる」

「入国拒否しろよ、そんな奴」

「証拠が不十分で、入国を拒否することができなかったんだ。相手もフィクサーだから、裏から手もまわしたんだろうね」

「無能め。さっさと俺に情報をわたしてくれれば、調査もあっという間だったのに」

 きつい言葉を豪三郎は重ねた。

 ──あ、なんかわかったかも。

 慎二には、ジェイムズがなぜ詳細を伏せたのかわかった気がした。

 探偵も民間人である以上、もしテロリスト容疑のある男が入国したと知ったら、パニックを起こすかもしれないとジェイムズは考えたのだ。治安維持のための情報は、できるだけもらしたくない……ジェイムズも〈ブラッドハウンド〉もそう考えているのだろう。

 ふむ、と豪三郎は顎を引いた。

「あくまでテロリスト“疑惑”なんだな。ならば、ジョンがテロリストかどうか暴いて、猟犬どもの鼻をあかしてやる」

 ちょっと待って、と明子が言った。

「サブローの仕事って、タナカさんを殺した犯人を捜すことですよね? ジョンはテロリストであり、タナカさん殺害の犯人でもあるってことですか?」

「さあな。しかし、つながっている可能性はある。ジョンを追っていけば、タナカ殺害犯と出くわすことがあるかもしれない。

 はっきりしてるのは、ユウヤ・タナカとジョン・ネガットのあいだになんらかの関係があることだけだ。被害者と殺人犯の関係か、あるいはそれ以外のなにかか。ひょっとしたら、タナカとジョンは同じテロリストだったのかもしれない……」

「うわー、こんがらがってきた!」

 慎二は頭をかかえた。

 恰好いいキャラクターを作ったり、即興演劇みたいなことをするだけのゲームかと思ったら、このTRPGという遊び、想像以上に頭を使う。エアコンがきいていなかったら、とっくに頭が沸騰していただろう。

 はたと、明子は宗一にたずねた。

「タナカさんの友達って、誰かいますか?」

「……というと?」

 宗一は笑顔で訊き返した。笑顔にかたさがある。

「会社の同僚でも、学生時代の友達でも、誰でもいいんです。タナカさんと一番仲のよかった人って、誰ですか?」

「どうしてそういう発想に行きついたのか、訊いてもいい?」

「いえ……なんとなく、です」

 明子は自信がなさそうにこたえた。

 タナカとジョンのあいだに関係があるかもしれないという情報から、テロリスト疑惑にまで話が発展しているというのに、いきなり「友達」というのは、話がずれすぎているように慎二は感じた。

 ところが、

「……いるよ、仲のいい人」

と宗一はあきらめたように告げた。

「早川重工の同僚で、タケシ・シバタという男と仲がよかった。彼は今でも普通に仕事をしているんだけど……」

「けど?」

 慎二たちの視線が宗一に集まる。

「タナカが殺された翌日、シバタは会社を休んでいる。そして、タナカが殺された時間のアリバイがないんだ」


〈二〉


 × × ×


 タケシ・シバタはユウヤ・タナカと同時期に早川重工に就職した。のちに同じ部署に配属されることとなる。

 うまが合ったのか、二人は社内だけではなくプライベートでもいっしょにいることが多かった。シバタがタナカの悩みを聞いてアドバイスをしたり、遊びに連れていったりする姿を目撃した者も多いという。

 退社時間が同じときは、いっしょに飲んで帰るのが常だったようだが……

「──そのシバタが、タナカの殺された夜だけはいっしょにいなかった。だけでなく、その夜のアリバイもない、と」

 サブローの事務所のソファーに腰かけ、アキはつぶやいた。目の前には、サブローが集めたシバタに関するデータがホログラムで並んでいる。

「早川重工がかかえる企業警察は、シバタにも事情聴取をしたらしい」

 サブローが言った。

「が、形だけの聴取にとどまっている。まあ、平社員がひとり死んだところで、早川重工は痛くもかゆくもない。多少怪しいところがあっても、まあ放置だろうな。こんなもん調べるよか、もっと金になる事件を捜査した方がいいしな」

 ひどい話だな、とシンジは言った。追加料金の払えない人間は、たとえ社員であってもこの程度のあつかいを受ける。

「タナカには親や兄弟、親戚はなく、困る人間は誰もいないというわけだ」

 はっはっ、とサブローは笑って見せたが、すぐにため息に変わった。考えていることは同じらしい。

「常に優位に立ってたのは、シバタの方なのね」

 ホログラムを指で動かしながら、アキは言った。どういうことだとシンジはたずねた。

「タナカとシバタは同僚だったけど、同等ではなかったということ。アドバイスをするのはいつもシバタで、遊びに連れていくのもシバタ。叱るのも、仕事を教えるのも、みんなシバタ。常にシバタがタナカの上に立ってるのよ。そりゃあ、もめるわよね」

 手を振ってデータを閉じると、アキはそれきり黙ってしまった。シンジとサブローは顔を見合わせた。

 ──もめるってどういうことだ? 殺されたのはタナカの方なんだぞ。

 今の話では、シバタには動機がない。シバタは優秀で、タナカはいつもそのあとをついてまわっている。タナカがシバタをうとましく思い、犯行におよんだというのならわかる。しかし、実際はその逆だ。

 アキは無造作に立ちあがり、「ジョン・ネガットに会ってくる」と言った。

「会ってくるって……居場所、わかるのか?」

「同業者だもの、情報は逐一入ってくるわ」

 ちょっと待て、と言ったのはサブローだった。

「ジョン・ネガットは俺の受けた依頼と無関係じゃない。人の仕事を取るな」

「そんな気はないわ。私が手に入れた情報は、みんなあんたにあげる」

 アキは虚ろとも言えるまなざしをサブローに向けた。

「その代わり、タナカについてもう少し調べてくれない?」

「調べるって、なにをだ」

「たぶん、タナカには異動の辞令が出ていたと思う。それをたしかめて」

 サブローの文句も聞かず、アキはヘルメットをつかんでシンジにわたした。

「悪いけど、護衛お願い」

 シンジとアキは外に出た。アキは予備のヘルメットを取りだし、バイクにまたがった。

「ジョン・ネガットはどこにいるんだ?」

「埠頭よ。私のかわいい〈右腕(ライトハンド)〉ちゃんが見張ってるわ」

 バイクは〈トーキョーNEO〉の街を走りだした。派手なホログラムを広げる大型トラックの脇をすり抜け、ノロノロと安全運転に精を出すロボットタクシーを追いこす。バイクはメーターが振りきれそうになるほどのスピードで疾走していた。

「スピード出しすぎだ!」

と言ってもアキは聞かない。ただ前を向き、走ることに専念している。

「なあ、なんで急にタナカの交友関係を調べようと思ったんだ?」

「そんなの、捜査の基本じゃない」

「そうじゃなくて、どうしてタナカと“仲のいい人物”なんだ? 恨まれてるとか、そっち方面じゃないのか」

 アキは黙ったまま、思いきり車体を倒した。ぐん、と身体が引っ張られ、バイクは最高速度で角を曲がった。

 やがて、バイクは埠頭に到着した。

 ヘルメットを取ってシンジがあたりを見まわすと、突然、アキは片手をあげた。


「休憩がほしいです。いいですか?」

 片手をあげ、明子は三人に頼んだ。いいよ、と宗一がこたえると、

「ちょっと外の空気を吸ってきます」

 杖をついて出ていってしまった。

「私たちも少し休もう」

と、宗一は台所から冷たい麦茶を持ってきた。

「──おじさん」

 慎二は思いきって訊いてみた。

「城田さんの様子、少し変じゃなかった?」

「そう? アキをうまく演じているだけだと思ったけれど」

「それだけじゃないと思う」

「じゃあ、今日はちょっと気分が優れないんだろう」

「……あのことと関係、ある?」

 宗一はゆるんだ口もとをきつく結び、ちらりと豪三郎を見やった。豪三郎は窓の外に顔を向けたまま、黙ってグラスに口をつけている。

 宗一はテーブルに身を乗りだし、「城田さんから聞いたのか」と小声で問うた。城田さんの後輩から聞いたとこたえると、宗一はため息をついた。

「そのことについては触れないでくれ。彼女のためにも」

「女の過去を探ろうなんて無粋だぞ、慎二君」

 慎二はぎょっとした。豪三郎は空になったグラスを置き、

「嬢ちゃん、通り魔の被害者なんだろ。うすうすかんづいてはいた。確証を持ったのは、今だが」

「その話、絶対に彼女の前や外でするな」

 強い口調で宗一は言った。慎二と豪三郎はうなずいたが、

「城田さん、来たときは凄く機嫌よかったよね。ルールブック見せてはしゃいでたし。なのに、どうして急に……」

「プレイヤーとキャラクターは別人だ」

 宗一は慎二のキャラクターシートに指を置いた。

「たとえば、中学生の慎二と用心棒のシンジは同一人物じゃない。あくまで、慎二がシンジを動かしているにすぎない」

「そんなの当たり前じゃん」

「しかし、今の城田さんはアキとの距離が近くなっている。たぶん、ゲーム中に出てきた“なにか”が、彼女の心を大きく揺さぶったのだろう」

「つまり、ゲームにのめりこみすぎてるってこと?」

「感情移入しすぎている、とも言うな。それ自体は別にたいしたことじゃない。普通なら」

「どういうことだよ。はっきり言ってくれ」

「城田さんは心に大きな傷を負っている。精神的に普通の状態じゃないんだ」

 慎二はハッとなった。

「通り魔に襲われた恐怖から、家に引きこもってしまってもおかしくはない。心療内科の医師からも、無理をしないように言われているらしい」

 現場にいあわせたという梶貴理恵も引きこもっている。傍で見ていた彼女ですら、大変なショックを受けたのだ。被害者である明子が受けた恐怖は想像を絶する。

「だというのに、彼女は昨日、学校に行っている。痛みだってまだ残っているはずなのに。お母さんの話では、昼間も外を歩いているらしい。

 そんな無理をしていい、いや、できる状態じゃないんだ。身体的にも、精神的にも。いったいなぜ、彼女はそこまでするのか……」

「ひょっとして、おじさんは城田さんの足だけじゃなくて」

「カウンセラーの真似事をしている。三駅先の心療内科よりも、私と話したいと彼女が言うからだ。

 しかし、私では彼女を救えないんだ。身体は治せても、彼女が受けた心の傷までは取り除いてやれない」

 どうして私を頼るんだ──宗一はつらそうに顔を歪ませた。おじのこんな表情を、慎二ははじめて見た。

「宗ちゃんは救えるよ」

 椅子を揺らしながら、豪三郎は言った。

「だって、俺を救ってくれているじゃないか」

「それは……」

 慎二が豪三郎を見やると、おもむろに手を出した。触ってみろと言われ、そっと触れてみた。

 冷たい。掌が氷みたいだ。

「症状が重くなると、末梢神経の血のめぐりが悪くなるそうだ。ひどいときは、頭に血がまわらなくなってぶっ倒れる」

 豪三郎は恥じるように笑った。

「パニック障害なんだよ、俺は」


 パニック障害は精神疾患の一種だ。突然激しい不安感や恐怖感に襲われ、動悸やめまい、吐き気、ひどいときには失神といった身体の症状が現れる。

 豪三郎は約十年間、この病気と闘っていた。症状は重く、うつも併発しているらしい。

「動けなくなるんだ」

 くやしそうに豪三郎は言った。

「動きたいとき、動かなければならないときに、寝こんでしまう。どうしようもない役立たずだ」

「そんな風に自分を責めるな、豪三郎」

 宗一が厳しい口調でたしなめると、豪三郎は

「ああ、それだ。その名前だ。慎二君、“豪”という字からどんな言葉を連想する?」

「豪快とか豪傑とか……」

 は、と豪三郎は自嘲するように笑った。

「俺とはあまりにかけはなれた言葉だ。どうしてこんな名前をつけたんだろうな」

「三郎さん……」

「もうひとつ問題だ。俺の仕事はなんだと思う?」

「建築とか、力仕事的な……」

「無職だ」

 豪三郎はまた笑った。泣きそうな声だった。

「この前、クビになったところだ。役に立たない奴はいらないとさ」

「落ちつけ」

 宗一が椅子から立ちあがると、「どうしてだ」と豪三郎はぽつりと言った。

「どうして、嬢ちゃんはあんなに動けるんだ。身体にも心にも大きな傷を負っているはずなのに」

 くやしさのようなものを豪三郎は言葉の端々ににじませた。

「俺はな、自分が情けなくてたまらない。いっそ死んじまった方が楽だと思うぐらいだ。俺なんかいなくなったって誰も困らない、てな。企業警察に見捨てられたタナカと同じだ」

 慎二はなんと言えばいいかわからなかった。

 豪三郎が自分のことを「三郎」と呼ばせる理由──それは自分の実体と名前があまりにかけはなれているからだ。

 軽口を叩き、馬鹿なことを言って豪快に笑う彼の姿は、カモフラージュにすぎない。正体は、以前明子が言っていたように、生真面目で──小心なのだろう。

 はじめて会った日のハイテンションは、豪三郎なりに自分を奮い立たせようとした結果なのだ。だが、無理はそうそうできるものではない。あの日セッションを中断したあと、豪三郎は宗一にクビになったことを打ち明けたにちがいない。

「カウンセリングも受けてるが、正直、ここで宗ちゃんに話を聞いてもらってる方がよっぽど救われてる気になる。嬢ちゃんだってきっと、そう思ってここに来てるんだ」

「私はなにも」

「包容力があるんだよ。俺が女だったら、もうころっといってるな」

 ゲラゲラと豪三郎は笑った。その姿を間近で見ながら、

 ──信じられない。

と慎二は思った。

 こんなに身体が大きくて強そうな人が、心に病気をかかえているなんて。

 宗一は腰をおろし、「──今日はここまでにしよう」と言った。

「これ以上続けると、お前も城田さんも無理をすることになる」

「無理なんかしてないさ」

「ここに座ってゲームをしていること自体、お前には負担になってるんだ。テンションがあがって、反動が来たらどうする。今すぐ帰って寝てろ」

 それはちがう、と豪三郎は言いきった。

「ここでTRPGをすることが、俺にとってはなによりの薬なんだ。益体もないことに悩んだり、馬鹿なことを言って笑ったり、サイコロの目に一喜一憂したり──そういうのが、俺にとっては大切なんだ。言っただろ、俺は宗ちゃんに救われてるって」

 宗一は口をつぐみ、目を落とした。テーブルにはサイコロと、今日のセッションのシナリオが置いてある。

「いや、やっぱりやめよう」

 かぶりを振り、宗一は強い口調で言った。

「このシナリオには、城田さんを刺激するなにかがふくまれている。もし、それが彼女を傷つけることになったら……。だから、中止する」

 そう言われると、慎二も豪三郎もなにも言えなかった。

 しかし、

「なにを中止するんですか?」

 ノックもせずに入ってきた明子がたずねた。

「先生、まさかまたセッションをとめるとか言いませんよね?」

「それは」

「私、やめたくありません」

 明子の瞳には強い意志が宿っていた。

「この事件、私が解決します。ううん、私が解決しないといけないんです」

 杖をつきながら背筋を伸ばし、明子は宗一を見すえた。

 慎二は目をしばたたき、両手でこすった。

 ウェーブのかかった長い髪にライダースーツ──倫理も道徳もない、金だけがすべてを支配する超巨大都市でたくましく生きる、フィクサー・アキの姿を、見たような気がした。


〈三〉


 × × ×


 埠頭には番号が振られた大きな倉庫がいくつも並んでいる。そのひとつに、高校生ぐらいの少年が張りついていた。少年はアキに気づくと、頭をさげた。

「奴は?」

「中です。中心街からタクシーでここへ。中にはほかに仲間もいます。武装していますので、お気をつけて」

「わかったわ、ありがとう。あとは私たちが引き受けるから」

「俺もいっしょに行かせてください」

 だーめ、とあやすようにアキは言った。

「仕事とはいえ、あなたをこれ以上危険な目にあわせたら、彼女に怒られちゃう」

「アキさんのもとでこの世界のこと学びたいんです。俺はこっちの世界で生きていくしかないんです」

「だったら、今回は引きなさい。これ以上は邪魔にしかならないわ」

 にらまれ、少年は息を呑んだ。アキはすぐに笑顔になり、

「ご苦労様。あとはトラックで待機してて」

「……はい」

 うつむき、去ろうとする少年の手を、アキはつかんだ。頭に手をまわし、耳もとでささやく。

「あなたにはまだまだ教えたいことがあるし、してもらわないといけないこともある。身を危険にさらすことは、最小限にとどめなさい。あなたがひとりで仕事をはじめても、それは変わらない。彼女を泣かせたくないでしょう?」

 少年は息をつき、はい、とはっきりこたえた。

「ありがとう。私がこの街で働けるのは、あなたのおかげよ」

 少年が去ったあと、「たいした〈右腕〉だな」とシンジは言った。

「あんな若いうちから、こんな世界にかかわらなくてもいいのにな」

「人にはそれぞれ事情ってものがあるのよ。裏社会に足を踏み入れなければならない事情が」

「ちがいない」

 シンジは声をあげずに笑い、すぐに真顔になった。

 腰の二挺のハンドガンはいつでも抜ける。機械化された両腕は当然防弾仕様。コートには特殊繊維が編みこまれ、戦車の砲弾にも耐えることができる。皮膚は、生身と見わけのつかない薄い金属で覆われていた。たとえ頭を撃たれても、即死することはない。

 ──死ななければ、十分だ。

 生きていれば守ることができる。それが用心棒の仕事だ。

 シンジは倉庫脇のドアをゆっくりと開き、先行した。火薬とオイルのにおいが鼻をつく。

 積まれたコンテナの陰から陰へ移動し、声のする方へ近づいていく。倉庫の中ほどに開けた空間があり、十数名の男たちが集まっていた。

「あれがジョン・ネガットか」

 男たちの真ん中にいる太った中年男を顎で指す。

 アキはうなずくと、シンジの前に出た。

「はーい、みなさん。ちょっと失礼しまーす」

 男たちの反応は緩慢だった。にやにやと笑いながらアキに視線を向ける。

 〈右腕〉の尾行は、とっくにバレていた。シンジもアキも、彼の仕事が不十分であることはすでにわかっている。プロに対し、彼はあまりに未熟だった。

 アキは彼に経験を積ませるために、ジョンの尾行を命じた。アキたちの仕事は彼の「尻拭い」も兼ねている。

「あなたがミスター・ネガットね」

 腰に手を当て、一片も臆することなくアキは言った。

「アメリカからの同業者を歓迎したいところだけど、私になんのあいさつもなしだなんて、海の向こうのフィクサーはみんなあなたみたいに無礼なのかしら」

「いやいや、申しわけない」

 ジョンはへらへらと笑いながら、アキに近づいてきた。

「こちらもいろいろとたてこんでおりましてなあ。しかし、あなたのような美しいお嬢さんが同業者だと知っていたなら、早めにごあいさつしておけばよかったと後悔しています」

 アキはにっこりと笑い、

「なめたこと言うとけがするわよ、ミスター・ネガット。私を、虫も殺せないただのお嬢さんだと思って?」

「あなたもここへ足を踏み入れた以上、ただではすまないことぐらい理解しているのでしょうな、ミス・シロタ」

 シンジは油断なく周囲に視線を走らせた。ジョンの仲間がかまえているサブマシンガンは、〈トーキョーNEO〉でもなかなか手に入らない一品ばかりだ。コンテナの中には、おそらく武器だけでなく爆薬や化学兵器もつまっているにちがいない。

 ──こいつ、やっぱりテロを。

 どれだけ退廃的な街であろうと、〈トーキョーNEO〉は俺たちの街だという自負がある。それを壊そうとするなら、容赦はしない。

 しかしアキは、

「別にあなたがなにをしようと興味はないわ。この街を壊したいなら勝手にすればいいし、私も邪魔しない。〈ブラッドハウンド〉に密告する気もないから」

「おい!」

 シンジはアキの腕をつかんだ。アキは金属の指を見やり、「私の腕を砕くつもり?」と涼しげに返した。

「ユウヤ・タナカという男を知ってる?」

「知らんな」

「でもタケシ・シバタは知ってるでしょう?」

「……なんの話だ」

 アキは薄く笑った。

「〈トーキョーNEO〉壊滅を目論むテロリストが、どうしてただの会社員にかかわっているのかしら」

「つまらぬ話だ」

「そのつまらない話を聞きに来たの。さあ、話しなさい」

 仲間たちの銃口がアキをとらえた。

「生意気な口を叩くな」

 ジョンは歯を剥いた。

「俺は貴様のような生意気な小娘が嫌いだ」

「奇遇ね。私もあなたのようなデブは大嫌いよ」

 ジョンの眉間に青筋が立った。

「やれ!」

 命じるより速く、男たちの手からサブマシンガンが吹き飛んだ。

 シンジが抜きはなった二挺の大口径ハンドガンが、男たちをとらえている。サブマシンガンだけを手から吹き飛ばしたのは、シンジの速撃ちが起こした神業である。

「あのね、これはお願いしているわけじゃないの」

 かたまっているジョンに対し、アキは笑顔を崩さない。

「──命令してるのよ」


 最初の一撃で、勝負は決していた。

 仲間たちは恐怖におののきながら逃走し、残されたジョンは茫然自失という体で、床に膝をついている。シンジたちが近づくと、「ひぃっ」と情けない悲鳴をあげた。

「これがテロリスト? バッカみたい」

 アキはあきれた様子でホログラムを中空に浮かべた。通話の相手は〈右腕(ライトハンド)〉だ。

「トラックをまわしてちょうだい。お金になりそうなものがいっぱいあるから。今晩はごちそうよ」

 どうやらアキは、ここにある武器・火薬類をすべて自分のものにし、売りさばくつもりらしい。

 ──おそろしい奴。

 思っても口には出さなかった。勝者が総取りするのが、〈トーキョーNEO〉のやり方だ。敗者にはなにひとつ残らない。

「サブローには連絡しないのか」

「あとで。まだこいつから肝心なことを訊いてない」

 アキはおびえるジョンを見おろし、

「あんたとシバタはどういう関係? タナカを殺したのはあんたたちなの?」

「ち、ちがう! 俺は関係ない! 殺したのはシバタだ!」

「どうしてシバタがタナカを殺すのよ。理由は」

「知るか! 俺がシバタに近づいたのは、り、利用できると思ったからだ!」

「そこんところ、詳しく」

 ジョンの声は震えていて、まともに聞きとることができない。だが、トラックが来るまでに聞きだした話によれば──


 ジョンは〈トーキョーNEO〉でのテロを計画していた。しかし、〈ブラッドハウンド〉はすでにテロ計画が進行していることをつかみ、関係者と思しき人間をリストアップしていた。その中にジョンもふくまれていたため、計画を思いどおりに進めることができずにいた。

 困りはてて下町を歩いていたとき、ジョンはシバタがタナカを殺害する瞬間に出くわした。

「俺が殺害現場にいたことを、〈ブラッドハウンド〉はすぐにつかむだろう。俺はシバタにフィクサーだと明かし、お前の犯行をもみ消す代わりに協力しろと迫ったんだ」

「企業警察に手をまわしたってわけね。あんな単純な事件、追加料金なんか出さなくても初動捜査であっさり解決すると思ってたのよ。で、シバタをテロリストの仲間にしたの?」

「奴はただのスケープゴートだ。俺に捜査の手が伸びてきたとき、奴を〈ブラッドハウンド〉の前にぶらさげてやるつもりだった。『こいつが本物のテロリストだ』ってな。もちろん、ありとあらゆる場所にシバタがかかわった痕跡を残している。

 アメリカと比べれば、ニッポンの警察は無能だ。メンツにばかりこだわる。見当ちがいのところを捜査していたと気づけば、失態を隠そうとして大混乱だ。当然、こっちのマークは甘くなる。そのあいだに計画を進めるつもりだった」

 アキはジョンの顔面を蹴倒し、ため息をついた。

 コールがあった。サブローからだ。

 アキはちらりと倉庫の扉に目をやった。トラックのエンジン音が近づいてくる。

『そっちはどうだ』

「あと三十分待って。それで片づく。そっちの首尾は?」

『お前の言ったとおりだ。たしかに、タナカには異動の辞令が出ていた。その異動先なんだが……』

 サブローの話を聞き、アキはホログラムを消した。

 扉が左右にゆっくりと開き、日がさしこんでくる。夕日は水平線に接しようとしていた。

 畜生|(Damn)! とジョンはうめいた。

「おぼえていろ。俺はこの街を絶対に許さない。こんな欲望にまみれた街がこの世にあっていいはずがない!」

 アキはジョンを見おろし、指を三本立てた。

「ミスター・ネガット、あんたの敗因は三つ。

 ひとつ目は、一般市民を直接利用しようとしたこと。私たちのような裏の人間は、直接表の人間を食い物にしちゃいけないの。彼らにはたいてい、横のつながり──家族や友達がいる。だから、すぐに不審に思われる」

 アキは指を折り、

「二つ目は〈ブラッドハウンド〉を甘く見たこと。彼らはメンツなんか気にしないしパニックも起こさない。テロリストを殺せるなら、犬畜生とでも手を組む。大昔の警察とはちがうのよ」

 そして、最後の指をジョンに突きつけた。

「三つ目──あんたは〈トーキョーNEO〉を敵にまわした。これが、最大の敗因よ」

 金がすべてを支配し、ありとあらゆる悪徳と欲望が大手を振って歩く、巨大なディストピア。それは地上に現れた地獄にほかならない。

 そして、地獄には悪魔が棲みついているのだ。


「これからどうする?」

 コンテナを運んでいくフォークリフトを横目に、シンジはたずねた。

 アキの表情は暗い。先ほどまでとは別人だ。おもむろに海に近づいていったので、シンジもあとに続いた。

 強い潮の香りが鼻をつく。海水で錆びるような両腕ではないが、シンジはなんとなく腕をさすった。

「ある女の子がいたの。私とは似ても似つかない、大人しい子」

「なんの話だ」

 いいから聞いて、とアキは言った。

「その娘は強い劣等感をいだいていたの。見た目もパッとしないし、太めだし、勉強もあまりできない。まわりには素敵な女の子がいっぱいいて、いつも自分と比べて落ちこんでた。

 でも、彼女にはとても仲のいい友達ができた。その子はいろんなことを教えてくれたわ。どうやって自分をきれいに見せるか、リバウンドしないダイエット方法、勉強の仕方──友達は女の子を叱咤激励しながら、素敵な女の子になれるよう力を貸してくれたの」

「いい友達だな」

 そうね、とアキは水平線を見つめた。

「女の子は一生懸命頑張った。劣等感なんて、海の向こうに投げ捨てるぐらいの勢いで。二人は町でも有数の進学校に進学して、同じ演劇部に入った」

「え……」

「私とは似ても似つかない、ある女の子の話。でもね、それが間違いのもとだったのよ。

 女の子は努力なんかすべきじゃなかった。

 自分というものをわきまえて、大人しくしていればよかった。そうすれば、いつまでも友達でいられたのに」

 アキは振り返った。

「とりとめのない話をしちゃったわね。もうすぐ積みこみが終わるから、サブローに連絡しましょ」


「GM、サブローに連絡しておきます。……お手洗い、お借りします」

 明子が部屋を出ていったあと、豪三郎は驚いたな、とつぶやいた。

「今の、嬢ちゃんのことか」

「そうだな。あんな話ははじめて聞いた」

「ロールプレイの効用ってやつか」

「なんですか、それ?」

 慎二がたずねると、豪三郎はサブローのキャラクターシートを手に取った。

「ロールプレイ──“役割を演じる”というのは、TRPGにおいて二つの意味がある。

 ひとつは、ゲーム上の役割を演じること。シンジは前に出て敵と戦い、サブローとアキは調査と根まわしをするのが、ゲーム上の役割だ。能力に応じた役割分担とも言うな。

 もうひとつは、その人格を演じること。慎二君はシンジとして台詞を言うとき、自然とシンジの口調で話している。演劇のように、シンジという役になりきって演技をしているわけだ。

 さっき、俺がした話、おぼえてるか?」

「三郎さんの病気の話?」

「そうだ。俺は話の流れで話しちまったが、普通は言えない。嬢ちゃんにだって言えないことがあった。しかし──」

 豪三郎はキャラクターシートの表面を慎二に向け、シートで自分の顔を隠した。

「こうやってあいだに『別の人格』をはさむことで、自分の前に防壁を作ることができる。『これは私じゃなくてアキが言っていること』と嬢ちゃんが思うことで、今まで言えなかったことがすんなり出てきたというわけだ」

「それがロールプレイの効用……」

 慎二はセッション中、普段の生活では絶対口にしない乱暴な言葉を使うことがある。それはシンジというキャラクターを演じるためで、「これはシンジの台詞だから、演技だから」と思っているからできることだ。

 ロールプレイという一種の言いわけを手に入れたことで、普段とはちがう自分になっていたのだ。

「宗ちゃん、気づいたか?」

 宗一はうなずき、

「セッションをやめるわけにはいかなくなったな」

「嬢ちゃんが『答え』を出すまではな」

 慎二もうなずいた。

 アキの言う「女の子」が明子のことなら、「仲のいい友達」と「間違い」がなにを指すのか、おのずと見えてくる。

「慎二君」

と豪三郎は言った。

「なぜ、アキを通して嬢ちゃんがあんな話をしたか、わかるな」

 慎二はうなずき、宗一を見た。

「シンジはアキを連れて〈Fate〉のマスター──ススム・タギツのもとへ行きます。サブローには、シバタをつかまえて連れてきてもらいます」

 ──そうだ、今こそ“すべて”を解決するんだ。

 すべて……それはゲームの中のことだけではない。

 慎二は両の拳を握りしめた。両腕は機械化されたかのように重く、かたく感じられた。



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