病気を治すために魔王を倒さなくちゃならない女の子のお話
「よもや……斯様な小娘一人に、我が魔王軍が手玉に取られておったとはな」
ここは断崖絶壁に築かれた城塞、その名もズバリ魔王城。玉座の間にて私を高みから見下ろすこの城の主、つまり「魔王」なる存在は、確かに魔王っぽい風情溢れる格好をした屈強な老人だった。
青黒い肌にらんらんと光る赤い目、ゆらゆら揺れる蝋燭の光を怪しく反射する額の宝玉と、鋭い牙。鋭く先細った長い耳。そしてよく育った野生の山羊のようなねじくれた角を生やしている。
なるほど。これはステレオタイプなまでに典型的な魔王だった。日本人が思い描く一般的な魔王像の最大公約数を取ったらたぶんこんな感じになるだろうな、と言わんばかりの風貌だ。
対する小娘こと私は、衣料量販店のバーゲンで買った安物のロングTシャツにお気に入りの黄色いジャンパーを羽織り、Gパンにスニーカーといういでたちだ。いわゆるボーイッシュなコーディネートである。
顔立ちは典型的なモンゴロイドで、これはこれでステレオタイプな日本人である。顔は、まあ、少しはいい方だという自信もなくはない。
どこまで行っても、休日のショッピングモールをウロウロしてそうな、そんな感じ系女子だ。とはいえここは魔王城なので違和感はバリバリである。ドレスコードも何もあったもんじゃない。
「ええと、まあなんていうかそんな感じです。あのー、別にこっちも魔王さんをどうかしたいわけじゃないので、ここは世転鏡だけ譲っていただければ私も引き下がるんですけど」
まいったなあ、と私は後頭部をがりがりとかく。女子としてはあるまじき行為だが、こんな状況に浸っているとそういう感覚も薄れてきてしまう。とりあえずこちら側からの要求は伝えたので、あとは魔王サイドの返答待ちなのだけれど。
魔王は黙したままクイッと顎をしゃくる。突然私の向かって右手側から、青い甲冑に身を包んだいかにも強そうな騎士が剣を振り上げて襲いかかってきた。身の丈3メートルはあるだろうか。身に纏っている鎧もなんだか高級そうだし、きっと名のある将軍なのだろう。交渉は決裂したようだ。
「これ、正当防衛ですからね」
ヤレヤレと嘆息しながら、言い訳交じりに右手の指をはじく。いわゆる指パッチン、英語で言うならフィンガースナップだ。乾いた音が広々とした玉座の間に響き渡ると、目前まで迫っていた青い騎士はコマ落ちのようにその場から掻き消えていた。
因果消滅魔法である。先ほどの青い棋士が、今より先の時間軸において存在するという因果を抹消した。手軽な上に周囲に被害はほとんど及ばないので、魔王軍との戦いの中では割と重用してきた魔法である。魔力が体から抜けてく感覚が気持ちいい。
「ハイ・ロード・ナイトのゴヴァルト様が……!」
やっぱりさっきのは結構な実力者だったらしい。それを手品のように消してしまったので、魔王国の重鎮たちはざわざわと動揺を始めた。ごめんね、種明かしはできない。私もよくわかってないから。
「鎮まれ」
嗄れ声にしてはよく通る魔王の鶴の一声で、重鎮たちは凍り付いたかのように静かになった。実際凍り付いちゃったのもいるっぽい。いや、あれは元からか。ああいう種族なんだな、うん。
しかしこれがカリスマってやつか、と感心する半面、とても残念だ。魔王は玉座から立ち上がり、黒く禍々しいオーラを立ち込めて死の王杖を手に取った。完全にバトる気だ。
「あー、それが答えなんですね……」
盛大に溜息を吐く。向こうはやる気のようなので、仕方がない。不本意ながら実力行使ということになるだろう。一応こっちも肩を回してやる気をアピールしておくが、本音を言うとすごく面倒くさい。主に事後処理が。
さて、そろそろ読者諸兄も疑問だろう。私はつい最近まで、何の変哲もない、むしろどっちかといえば病弱な部類の女子高生であった。それが何ゆえ、こんなところで魔王なんかと対峙していなければならないのだろうか。
それを説明するには、時間を少しばかりさかのぼらねばならない。
私は、小さい時から虚弱体質のきらいがあった。
運動神経が悪い、というワケではない。そこはむしろ抜群だ。体育の成績で5以外をとったことはないし、スポーツテストだって常に校内最上位。そもそも体を動かすことは大好きだし、あんまり自慢することじゃないけど、喧嘩も強い。年上の男の人とだってサシで渡り合える自信がある。
それだというのに、私はやはり虚弱体質と言わざるを得ない。
というのも、どうも私は原因不明の難病に侵されているらしいのだ。ときおり前触れなくがたんと体調を崩すと、そのままグズグズと1週間ばかり寝込む羽目になる。これまでいくつかの病院をハシゴしてみたけど、どの医者も最後は匙を投げた。
生まれてこのかた16年間、私はそんな奇病と闘い続けている。
そして今、まさに私は闘争の只中にあった。全身を酷い倦怠感がねっとりとつつみ、快復の兆しは見えない。二日前に体調を崩して、以来ずっと病床に臥している。今回のは、いつに増して酷い。
酷いと言えば酷いついでに、私は病床で16歳の誕生日を迎えた。
そのなんと侘しいことか。予定であれば気の置けない友人たちと共に最近話題の映画を見に行こうと画策していたところだったというのに。私は緩慢な動きで携帯電話を閉じた。友人たちから送られてきた見舞いと誕生祝いを兼ねた電子メールの、その文面越しに感じられる微かな体温が、今は唯一の慰めだった。
我が家は父子家庭であり、父は私を養うために働きに出ている。感謝してもしきれない。しかし父と二人暮らしのこの家は、私一人だと空々しいほどに広く寒い。私は微かに掛け布団を引き寄せた。
何日も立て続けにひとり病床に臥せっているというのは、寂しさもさることながら耐え難く退屈だ。体力を根こそぎ持っていかれた体はしきりに休息を訴えて来たが、昨日一昨日とですっかり眠気は使い果たしてしまっている。こうも日が高く上った昼間ともなればなおさらだ。いくらの時間を静かに目を閉じていても、ひどい耳鳴りにまったく眠れる気がしない。かといって寝台から起き上がるのは酷く億劫で、何もする気が起きない。友人たちへのメールも、もう送り返してしまっていた。寝ながらにしてできるような趣味の持ち合わせは、もう何もない。
先ほどもちらりと触れたが、私は父と二人で暮らしている。母はいない。私が1歳だったか2歳だったかの時分にはもう、とっくにこの世を去っていた。だから私には、あまり母の記憶がない。優しい人だった、という淡い印象はあるけれども、それも私の願望と父の語る母の昔話から捏造した記憶であるような気もする。
もし母が記憶どおりの優しい人物で、もし未だ存命であったならば、私に付き添って退屈を紛らわせてくれたりしたのだろうか。なんて益体もないことを考えてしまう。
いっそ、枕元にでも立ってはくれないだろうか。少なくとも、一人でこの空虚な時間を過ごすよりは、万倍はマシだと思える。
「母さんかぁ。どんな人だったんだろう」
ここ数日、ほとんど言葉を話す機会が無かったものだから、しゃがれ気味の声は年頃の娘にしては実に聞き苦しい。かすれ声でつぶやいた独り言はそのまま散り散りとなって消えて、当たり前ながらその問いに答えるものはいなかった。むなしさだけが募った。
「教えてほしい?」
いや、いた。なにものかが、私の問いに答えた。私は数秒の間ぼーっと呆けて、実に16秒後にビクリと体を震わせた。
なんだ、何の声だ。いくら思い返すもこの家に、今は私一人しか人間はいないはずだ。父はまだ帰っていないし、そもそも先ほどの声は父のそれとは全く違う。いまだ幼さの残る、子供の声だった。しかもおそらく、女の子だ。
背中にさあっと寒いものが下りた。病気に起因するものではない、もっと精神的なものだ。何が起きたのかさっぱりわからない。怠さ極まる体をおして、私は掛け布団を跳ね上げて上体を起こそうとした。
「あっ、まって。そんな急に動いちゃダメよ」
という言葉とともに、やんわりと上体に圧を受けた。血の気が引く。私は叫びだしたいのを必死にこらえて、目だけで部屋を見回した。
頭上に目を向けると、少女が私を覗きこんでいた。しかもその少女、うっすらシースルーで頭越しに微かに天井が透けて見えている。さすがに心臓が止まるかと思った。
「おっオバっ! オバッ!? 」
「失敬な、まだまだオバさんってよばれる年じゃありませんよ」
枕元に半透明の少女。紛れもない怪奇現象だ。アンビリバボーだ。声が引きつる。しかし当のシースルーガールは、この状況でなぜそうとったのか不機嫌そうに頬を膨らませた。そうじゃねえ。
「そうじゃなくて! オバケだああああ!!! って驚こうとしたの! ていうかこの状況じゃそれ以外考えらんないでしょ! 大丈夫だよ十分若いから!」
若いというか幼い。いや、私は何を冷静にツッコんでいるんだ。いやいや、そもそも冷静じゃないからツッコミに走っているのか。
ただでさえ疲れているのに、どっと疲れが上乗せされる。シースルーちゃんは「十分若い」というあっからさまなお世辞に見事に釣られてニッコニコしている。怖さ成分は完全に揮発していて、あとはひたすら面倒くささだけが沈殿していた。
「ていうか! あんたナニモノ? 幽霊的な?」
「あ! そんな口利いちゃって! もー、お母さんに向かって『アンタ』なんていうんじゃありませんっ。反抗期? 反抗期なの?」
……何やら聞き捨てならないワードが含まれていたような気がしたが、幻聴だろう。そういえば、金縛りにあっている最中は幻覚を見やすくなるらしい。つまるところこれもそういう類か。なんだバカらしい。正体見たるは枯れ尾花、お父さんお父さん魔王が来るよってか。我ながらアホみたいな幻覚を見たものだ。ヤレヤレ。私は疲れているんだ。さっさと寝てしまおう。
「ま、まってよう! 寝ないでよう! そんなあからさまにママのこと無視しないでよう!」
幻覚はなおも何やら喚き散らしているが、知ったことではない。というか眠れないので、さっさと退散願えないだろうか。少女特有の甲高い声が、非常に耳障りだ。
だいたい、あんなのが母さんであって堪るか。明らかに私よりも年下じゃないか。私は男手ひとつで私をここまで育ててくれた父を尊敬し、敬愛しているが、あんなのを手籠めにしたってんなら父の良識を疑う。ロリコンのレッテルを張らざるを得ない。
「おーきーてー! ねえおーきーてぇー!!」
幻覚は相変わらずわめいているし、心なしか体をゆさゆさと揺すられている気がするが、気のせいだ。私は鉄の意志でそう断じた。
布団を耳まで引っ張り上げて、私は絶対睡眠の構えをとった。3分でカタを付ける。
さーて、まったく眠くないけど気合い入れて寝るぞー!
目が覚めた。すっかり寝入ってしまったようで、カーテンを引きっぱなしの窓からは薄ら青い月光が滲んでいた。しっかりと睡眠をとったはずだが、いまだ体の随所に倦怠感が残る。今回のは本当に厄介だ。
枕元を見る。あのちんちくりんな幻覚は消えていた。ほっと胸をなでおろして、ついでに時計も見る。デジタル時計は午後10時を指し、私の腹時計は空腹を訴えていた。
10時ともなれば、父も帰ってきているだろう。私はまるで力の入らない体に喝を入れて立ち上がると、階下の台所を目指す。この時間なら、父は録りだめていた外国の刑事ドラマを消化しているころだろう。
えっちらおっちら階段を下る。病み上がりどころか絶賛病み中の身にはこれすらも重労働だ。リビングのほうを見れば、たしかに電灯がともっていた。間違いなく父は帰っているようだ。壁伝いにのろのろと歩いて、扉に手をかけたとき、ふと気が付いた。
話し声がする。
片方は間違いなく父だが、もう片方は聞き馴染みのない……ない女性の声だ。細かい内容までは聞き取れないが、二人は実に穏やかな談笑を交わしているらしい。
父にもようやく春が来たのか。そう思うと私は嬉しくなった。いや、この場合は再来か? ともかく、母が死んで10年以上経つというのに、新しい人を見つける兆しが全くなくて私もやきもきしていたところだ。
父は年齢の割には童顔で、娘の私が言うのもなんだがそこそこ、いやかなりのイケメンである。マジで。しかも一部上場の貿易会社の社長である。これもマジだ。つまり私は社長令嬢なのですわ、オーホッホ。いやまあ、それはこの際どうでもいい。
当然、父とお近づきになりたいという女性は過去に数多くいた。私が知ってるだけでも100人はいる。イケメンってのは罪だね。ところが父は、今まで再婚はおろかお付き合いすらしたことが無い。ひとえに亡き母に操をたてているからだ。
美談ではあるだろうが、父のためを思うと、やっぱり新しい奥さんをもらって幸せになってもらいたい。幸い私ももう子供ではない。いや、子供ではあるのだが、少なくとも法律の上ではもう結婚だってできる歳だ。父と継母の生活に私が邪魔だというのなら、喜んでひとり暮らしを始めよう。さすがに生活費は父にたかるにしても、家事に関してはこの十数年でずいぶん鍛えてきた。父が忙しかったり、不在であったりした時は、家事の一切が私の仕事となったからだ。掃除に洗濯、料理その他をひっくるめた家事スキルは、そこいらの女子高生とは比べ物にならないほど高いと自負している。
……いけない、ずいぶんと先走ってしまった。しかしそれだけ、父が家に女の人を連れ込んだ事が嬉しかったのだ。私がお嫁に行ってしまったら、父は一人になってしまう。そんな寂しい思いはさせたくない。ずいぶん先だが、父の老後の面倒を見てくれる人だって必要だという打算的な考えが無いわけではないが。
これは邪魔をしない方がいいな。立ち去ろうと理性が訴えたが、しかし中の様子を窺い知りたいと好奇心は疼きだす。熾烈な決闘のすえ好奇心が勝った。いけないことだと知りつつも、引き戸を細く細く開いて室内を覗く。
まず見えたのは、父の後頭部。そろそろ四十路に差し掛かりつつあるというのに、白髪の一本もない若々しさだ。が、確認したいのは父の後頭部ではない。その対面に座っているであろう女性だ。父は童顔のくせに体格がいいから、お相手の姿をすっぽりと覆い隠してしまっていた。
せっかく覗き見に踏み切ったのだ。このまま引き下がっては面白くない。私は身をよじって、何とか父の向こう側を垣間見ようと試みる。気づかれないように、そろりそろりと戸を開く。
もう少し、もう少し……見えた!
父の対面に座っていたのは、長い髪をストレートに下ろした、いまだあどけなさが残る……というかずいぶんとまあ少女然とした面立ちの、向こう側が若干透けて見える少女だった。
「って、お前かよお!!!」
私は戸をぴしゃりと開いて、全身全霊でツッコミを行い、そのまま気絶した。
気が付くと、ベッドの上だった。さっきのは、夢か何かだったのだろうか。いや、多分そうだ。夢だ。現に今、私はベッドにこうして横たわっている。枕元の時計を見た。半透明の少女越しに、デジタル時計は午前12時を指していた。いつの間にか日付が変わっていたらしい。体の疲れはやはりまだ色濃く残っていて、どうもこれは明日まで持ち越しそうだと思うと嫌になってくる。出席日数が足りなくて留年でもしたらどうしようか。幸い成績は中の上か上の下くらいをふらふらと漂っているから、情状酌量の余地はあるだろうけど……とにかく、一刻も早く体を治すためにも、今日はもう寝てしまおう。
それじゃ、おやすみグンナイ。
「ちょ、ちょっとまってよう! なんでそんなすっごくナチュラルに無視できちゃうの!? わが娘ながら恐ろしいよ!」
耳元でわめかないでほしい。こちとら花の高校生活が掛かってるんだ。さっさと寝かせてほしい。あと私、アンタがお母さんとかこれっぽちも納得できないので考えたくないんです。それじゃおやすみ。
「……意地を張るのもそれくらいにして、母さんの話も聞いてやってくれないか」
すっかりおやすみモードに突入していた私の意識を引き上げたのは、よく聞きなじんだ父の声だった。私はしぶしぶと頭を布団から出す。父は、寝台の横に折り畳みのパイプ椅子を開いてそこに座っていた。
「……ていうかさ、『母さん』ってどういうこと? この」
半透明ガールを顎でしゃくった。
「シースルーのやかましい子が、本当に私の母さんだっていうの?」
向こうが透けてる女の子は、露骨にむっとした顔になって何かまたわめき散らそうとしたようだったが、それは父が制した。
「そうだ」
父は意味深長に答えた。
「それは、その、父さんが今度結婚する女の人だから、結果的に私の母さんになるってこと?」
どんどん逃げ道をふさがれていっている気がする。しかし私には、尋ねることしかできない。
「いいや、違う。彼女は正真正銘、遺伝学的にもお前の産みの母親だ」
コマを埋め尽くすくらいのオノマトペで「ガーン!」と頭をぶん殴られたような気分になった。
私は、こんな不思議生命体から産まれてきたのか。納得しがたい事実が、一切の遠慮なくSANITY値を削り取っていく。正直、知りたくなかった。私の中で構築されていた母親像は、やはり虚構だったのだと突き付けられる。理想の母親像からボロボロとメッキが離れて落ちて、最後にピースサインを決めた半透明少女となるイメージが幻視された。いやいやとばかりに頭を振ってそれを振り払ったら、なんだか更に気持ちが悪くなる。INSANITY、一時的INSANITYだよこれは。
「……父さん、母さんは死んじゃったって言ったじゃん! なんで生きてるのよ! あっ半透明だから死んでるのか!?」
華麗に自己完結が決まって、私は頭を抱えた。シースルー子あらため母が、「大丈夫?」などと言いながら背中をさすってきたが、それを振り払う気力すらなかった。それを見計らったかのように父は口を開いた。
「……お前に大事な話がある。病気のことだ。母さんのことや俺の過去もかかわってくるから、結構な長話になる。聞けそうか?」
「そんないきなり……えぇ? そんなたたみかける? いや、うん。わかった。落ち着いた。聞かせてよ」
父は、普段は陽気で少しおちゃらけた様子の人だ。それがこうして張りつめるほど真面目な雰囲気を纏っているものだから、私も混乱した頭を必死に鎮めながら答えた。
父は昔を懐かしむように一瞬遠くを見るような目をしてから、キリリと表情を引き締めて、真剣な口調で言った。
「昔……俺がまだ、お前ほどの歳だったころ。俺は異世界で勇者をやっていた」
「まって」
……頭が痛い。いや、そのなんていうか、物理的な痛さだけではない。心労とか知恵熱とか、そんなたぐいの精神面からクるやつの比重が思いのほか大きい。父がとつとつと語った昔話は以下に概要をまとめるが、まさに昔話と言っていいほどにファンタスティックで直球オカルトだった。
一言で言うなら荒唐無稽である。
曰く。父は高校2年生の春、家族旅行で乗り込んだ飛行機が空中分解事故を起こした。どうあがいても助かりようのない、そんなとき、父は異世界のとある王国に召喚されたのだという。しかも、勇者として。
当時異世界は戦乱のさなか、世界を我が物にせんと大侵攻に打って出ていた魔王軍との戦いが激化していて、父は人類側の切り札として戦場に立たされたらしい。この時点ですでにぶっ飛んでいる。自分でも何言ってるのかいまいちわかってないんだけどとりあえず続きも聞いてほしい。私の頭を整理する意味も含めて。
さて。父は王国内でも屈指の能力を誇る5人の仲間とともに、魔王軍の侵攻を食い止めるため(そしてあわよくば魔王軍の領土を奪うため)に過酷な最前線を転々とし、戦いに明け暮れていたそうな。
そんな過酷な極限状態の中で、父はパーティのメンバーであった大魔法使いと恋に落ちた。しかもその大魔法使いは父を召喚した王国のお姫さまで……まあ、言わずもがなであるが、それが母だそうだ。つまり私の枕元で父の昔話をうっとりした風に聞いている半透明母さんである。とてもしんじられない。
そんなわけで。父ら勇者御一行は行く先々で局地的な戦況をひっくり返していたのだけど、結局点の戦力でしかない父らの奮戦虚しく、面の強さでもって押し切った魔王軍に王国軍は劣勢に追い込まれたのだそうな。その後3年にわたり勇者一行は戦い続けたのだけど、苛烈な戦いの最中にパーティーメンバーが一人欠け二人欠けして、最後に両親だけが残ったと。そのあたりで王国軍は壊滅、王都は速やかに魔王軍に制圧されたらしい。んで、国王自らが出陣して時間を稼ぐ中、父と母は最後の希望として世界を渡ることになったのだそうな。娘だけでも平和な場所に逃がしてやりたいって言う、王様の親心もあったんだろうな、と父は語る。母の父親ということだから、祖父ということになる。どんな人だったんだろう。
そんなわけで炎に包まれる王城からすんでのところで世界渡りをした二人は、父の元いた世界、つまりこの世界に帰ってきたのだという。
当然だが死んだことになっている父はすでに高校を退学扱いになっていたし、家族は飛行機事故で全員亡くして天涯孤独の身だったから、仕方がないので独学で勉強して大検をとり、短大を出て今の会社を立ち上げたらしい。在学中の学費や生活費は、奨学金を利用したり王国の宝物庫から持ってきた秘宝を質に入れて糊口を凌いでいたらしく、こっちの世界の出来事である分、まだ想像しやすい。父さん、なかなか壮絶な人生を送ってたんだなあ。
ちなみに在学中に母の妊娠が発覚して、立ち上げたばかりの会社で悪戦苦闘している時分に私が生まれたらしい。やることもしっかりやっていたということだろう。
とにかく、そのころはハチャメチャなまでに忙しかったけれど、とても充実して幸福なひと時だったと父はしみじみ語る。
しかし、その幸福も長くは続かなかった。私が生まれて1年ばかりたったころ、突然母が倒れたのだ。
魔力排出障害。
母の元いた世界、父の召喚された世界には、「魔法」というテクノロジーがあった。それは自らの体内を流れる「魔力」というエネルギーを媒介にして、質量保存の法則をまるで無視した現象を顕現させる技術である。扱える魔力の量が大きければ大きいほど、魔法の効果は高まる。
母は、大魔法使いと呼ばれるほどの魔法の使い手だった。必然的に魔力の総量も国内随一と言われるほどには多く、それが災いした。
「魔力」は魔法を使うために重要で、必要不可欠なエネルギーであったが、それと同時に「毒」でもあった。
魔力は何もしなくとも一日に一定量が蓄積していく。それだけを見れば一種の永久機関だが、厄介なことに個のキャパシティを超えても魔力の累加は止まらない。そして、魔力は自然に排出されず、ひたすらたまり続けるのだ。
排出されず、キャパオーバーした分の魔力は「淀む」とされる。この「淀み」が体に様々な悪影響を及ぼし、最悪の場合死に至るのである。とはいえ母の世界では、排出障害で死ぬことはめったにないのだそうだ。
なぜならば、向こうの世界は「魔法」を技術基盤にした社会であるがゆえに、数年も「魔法を使わない」ということがまずありえないからである。つまり淀む前に使いきれるわけだ。
しかし、母の場合はそれが上手くいかなかった。
ご存じのとおり地球では、「魔法」という概念は存在しない。いかな大魔法使いで鳴らした母であれど、地球で魔法を使うことができなかったのである。
ゆえに異世界からやって来た母は、「魔法」が使えないのに「魔力」だけは溜まっていくという歪な状況に置かれた。私を出産したときに魔力を分け与えたおかげで一時は時間を稼げたそうだが、それでも結局間に合わず、母は魔力排出障害を患って倒れた。
このままでは母は死ぬ。それを悟った父と母は、一つのある決断をした。王国の宝物庫から持ち出して、最後まで質に入れなかった、すすけた鏡のような秘宝「世転鏡」を使うという決断だ。
その秘宝は名前の通り、空間と空間を、世界と世界を繋ぐゲートを形成できる道具である。持ち出した他の魔法の道具はこの世界に来てすぐただの芸術品になり下がったが、向こうの世界と繋がりを保っていたおかげか、これだけはかろうじて動かすことができた。父と母の世界渡りに際しても使用されたものだったから、使い方は二人にもわかった。
父と母は、この世界渡りを行う際に通る「狭間世界」に目を付けた。狭間世界は時間の流れが凍結した無明の世界であり、ここに母を安置することで時間的冷凍睡眠を施そうと試みたのである。しかして、その試みは成功した。
こうして母の肉体は狭間空間に封印され、意識だけが世転鏡の外部記憶装置にバックアップされた。外部記憶装置ってなんだよハイテクだな、なんて思ったりもしたが、とにかく母の成長は18歳当時で停止し、今に至る。
要するに、母は死んでいなかったのである。
幼いころの私はよく父に母の所在を尋ねたが、決まって父は「母さんは遠い世界にいるんだよ」と答えていたものだ。成長した私はそれが死のメタファーであると悟っていたのだが、まさかそのままの意味だったとはおそれいった。
……というか、あれで18歳だったのか。幼すぎない?
ていうか、16の時に私を産んだということは、やっぱり父はロリコ……いや、やめよう。誰も得をしない。こんな話は。
そんなわけで一通り、波瀾万丈もいいところな両親の昔話を聞かされたところで、ついに私の病気についての話となったのだが、ここまで説明されればいくら私とはいえ察しはついた。
「わたしも、魔力排出障害ってワケ?」
「その通りだ」
父は沈痛な面持ちで肯定した。私は二の句を継げない。そりゃそうだ。末期がんを告知されたようなものだからだ。このままでは遠からず、私は命を落とすことになる。ということなのだろう。現在進行形で原因不明(解明されたが)の体調不良に苛まされている最中である。妙に真実味があった。
「……一つだけ」
がっくり肩を落とす私を真正面から見据えて、父が口を開いた。私はうつむけていた顔を上げ、父を見る。父の目は、決意の目だった。
「おまえの魔力排出障害を治す方法が、一つだけ、ある。ただこれには多大な、本当に多大な危険を伴う。……でもその方法を聞いたら、お前は迷いなくそれに手を伸ばすだろうな。そういう性格だ。母さんに似てな」
私はなんだかおもばゆい気もちになった。バックアップ母さんがニマニマしているのは少しイラっとしたけども。
父は続けた。
「だから、最後に確かめておきたい。その方法を聞くか?」
「教えてよ」
即答である。
「即答だな」
「即答ね」
両親が声を合わせた。仲のよろしいことで。私はこれでもか、という眼力で父をにらみながら、
「当たり前でしょ。私の生きるか死ぬかが掛かってるんだもん。どんな方法だってやってみる価値はあるよ」
と、決意を表明する。その私の態度に父は鷹揚に頷くと、「決意は固いようだな」と言った。
「いいだろう。おまえの魔力排出障害を治す唯一の方法、それは……」
父はおもむろに、少しだけ勿体つけながら、一語一語かみしめるように言う。
「それは……?」
私は覚えず、ゴクリと喉を鳴らした。固唾をのんで、父の言葉の続きを待つ。
父はカッと目を見開いた。
「魔王の、討伐だ……!!」
「まって」
父の話を要約すると、つまり、世転鏡で母の故郷に乗り込んで、母の故郷を占拠しているであろう魔王軍を相手取ってドンパチやることで、魔力を発散するという案だった。ちなみに母の封印のために15年間連続起動していた世転鏡はかなり限界が近づいており、次に向こうに渡れば確実に壊れて使えなくなるだろうとのことで、まさに片道切符の地獄行脚である。
こっちの世界に帰ってくるには魔王の持ってるはず(ここが不確定要素である)の世転鏡を奪わないといけないそうなので、最終目的が魔王の討伐というわけだ。
そしていい加減に飽きてくるほどまたしても衝撃の事実なのだが、なんでも幼いころから慢性的に魔力排出障害に罹っていた私は、成長に伴って負荷がかかった分魔力総量が向上していたらしく、当時大魔法使いと言われた全盛期の母の百万倍の魔力を行使できるらしい。
百万倍である。ミリオンである。ハンドレットじゃないの。びっくり。
……百万倍ってなんだよインフレすぎだよ。せめて100倍くらいで抑えておけよ。そりゃ辛いわけだわどんだけ淀んでんだろうね私の魔力!
とにかく、それだけの魔力があれば魔王軍相手だって十分立ち回れるだろうというのが父の目算である。
「私、魔法とか全然知らないんだけど」
と、かねてよりの懸念事項を投げかけたら、
「おれだって向こうに行って1か月ほど練習したら超広範囲消滅魔法とか使えるようになったくらいだから、母さんの血を引いてるおまえなら何にも心配いらないだろう」
と根拠の薄い返事を返された。なんだそれは。向こうの世界インフレしすぎてないか。
「そんな大層な魔法が使えたのに父さんたちは負けたんでしょ!」
と噛みつくと、「ごもっともだが、その辺の対策もばっちりだ」と父は胸を張った。
「これをちょっと見てくれないか」
そういって父が表紙にでっかくマル秘が打たれたファイルを手渡してきた。こうも堂々と書いてあったら隠すとき邪魔じゃない? とは思ったが、言っても仕方のないことなので、パラパラとめくって見なかったことにした。
いやアカンでしょコレ。え、いやアカンでしょ。
そのファイルに綴じ込んであったのは、父の会社が秘密裏に扱っているちょっと公にはできない先端から火を噴く鉄の筒のオモチャ()のリストと、お付き合いのあるコレ(ほっぺたを人差し指で撫でるアクション。察しろ)な構成員の方々のリストだった。
公安とかに見つかったら一発で人生ドブに捨てられるレベルの情報である。私は表情筋が死に、背筋が縮み上がる思いをした。
父は語る。
「前回は圧倒的に兵隊が足りなかった。だから今回は、多くの兵隊と、近代的な武器を投入する。大陸の方々とのあれやこれやで職を失った団体にはもう手回し済みだ。二千人くらいは動員できるかな。もはや、魔王軍討伐なんて赤子の手をひねるようなもんだ」
なるほど、一理ある。あるのか……? もうよくわかんなくなった。しかしまあ嬉しそうに語る父の顔を見て、これじゃどっちが悪者かわからないな、と私は大きくため息をついた。
数日後、私は元勇者の父と依然スケスケな大魔法使いに導かれ、千人単位のスネに傷持つ軍団とともに、世転鏡の力で異世界に乗り込んだのだった。
で、今に至る。
私の足元には、スニーカーに頭を踏んずけられた魔王が気を失って転がっている。重鎮の方々はもう抵抗する気力も残ってないみたいね。なんかみんなへなへなと床に座り込んじゃってる。人の形してない系の幹部さんもまあうまいことへたり込んじゃってまあ。
魔王との一大決戦は、なんか回想している間に決着がついてしまった。
腐っても敵国の王様だ。殺すのはまずかろうということでひとまず足蹴にして拘束しているが、社会的な地位は完全に死んだかもしれない。女子高生に踏まれることに喜びを見出すような性癖の持ち主でもない限り、これは屈辱だろう。
ま、その辺は私にとっては知ったことではない。母の故国から奪った世転鏡の片割れさえ頂けば、あとは魔王に代わってこの世界を統治する親分さんに身柄を突き出して帰るだけだ。
結局、2ヶ月で全部のカタがついてしまったことになる。病状の悪化から転校というていで涙ながらに別れた親友たちに、どういう顔をして会いに行けばいいのだろう。異世界名物魔王饅頭でもお土産に買って行ってやろうか。そんなものはないが。
とりあえずこっちでバカスカ魔法を連発したのでもう魔力排出障害を恐れることはないし、それが原因で自粛していた県外旅行なんかもみんなで行ってもいいかもしれない。
すっかり白目をむいて伸びている魔王をしり目に、小説や漫画のような血沸き肉躍る対決というのを一回はしてみたかったな、と。私は少しばかり残念に思った。