2時間目
「先生は服だけじゃなくて心もボロボロだ!」
うぅ……と五組の担任諸星統は肩を落としました。
「え、なんか俺まずいこと聞いちゃったかな?」
「いや、みんながそう思ってたやろうから逆にありがたいんじゃない?」
相変わらず頬杖を突きながらみちるが言いました。彼女がそう言うのも無理はなく、諸星はスーツの上着を羽織りきれてもいないし、カッターもズボンに入りきれていないし、おまけに上下のあちこちにファンデーションやら口紅やらが点々と付いていました。
「女は怖ぇーよー……」
諸星がぽつりと呟きます。
「こんな朝っぱらから何があったというのだ!」
「テンションおかしいぞテンション」
みちるが隆也に突っ込みました。そしてその謎は割とすぐ解けそうです。
「はじめまして皆さん」
「おう、すまん六神、すっかり忘れていた。みんな、紹介しよう。今日翠園若学院に転入してきた、六神だ」
諸星はスーツの裾をぴしっとして、黒板に転入生の名前を書き始めました。
「皆さんはじめまして。今日から翠園若学院に通うことになった、六神怜です。よろしく」
そして怜は穏やかな美顔をにこっと微笑ませました。
「きゃー王子様ー!」
きれいに並べられた机をなぎ倒して、幾人もの女子が我先にと教壇へ駆け寄ります。
「うわー!ちょっと待ってぇ!ちゅーきちゅーきっ!」
諸星はピースした手をクロスさせて叫びましたが、時既に遅し、女子の群れに埋もれてしまいました。
「なるほど、だから先生の服がぼろぼろだったんだね!」
隆也がウインクをしながら言いました。何故ウインクをしたのかはわかりません。
「それで五組に着くまでに各組の女子に絡まれて遅刻したって訳か、ほうほう」
みちるも半目で頷いています。何故半目なのかはわかりません。
「そして、原因はあいつにあるということか」
かおるが本に目を落としながらそう言いました。
「原因?」
みちるがかおるを振り返りました。
「……ほう」
かおるの視線の先、みちるの後席に座っている桃の目は、女子に群がられている怜を間抜けな顔で見つめているのでした。
「なるほどね!ピーチちゃんはあの二枚目王子にフォーリンラブってことか!」
隆也が舌をペロッと出しながら言いました。何になりたいんだ君は。
「よっしゃ!潔く謝りにいくぞ!」
お昼休憩。クラスのみんなはちらほらと席を立ち始め、それぞれ思い思いの場所で昼食を取ろうとしています。
「昼休みになるまであちこち探したけどなかったんや!きっと誰か親切な人が拾ってくれてるに違いない!そうさ、そうなんだ!」
秋蘭は富士山級のテンションで自分を洗脳します。
「なっ、美稀もそう思うよな!」
「あぁ、愛しのマイダーリン。あなたは何故ロミオなの?ってゆうかロミオなの?わっつゆわねーむ?」
対する美稀はエベレスト級のテンションで妄想にふけっています。
「はぁ……またそれかよ。今回は一体誰に恋したの?」
秋蘭が溜息をついたその時でした。
「あぁ、いたいた!」
「あぁ、さっきの誰かさん!」
隣で顎が抜けている美稀をよそに、秋蘭はまるで旧友と会った様子で怜に親しげに手を振りました。それを見た怜は、軽やかな足取りで秋蘭の元に駆け寄りました。
三組の後方ドア付近で揃って並ぶ、純二枚目王子と三枚目王子のツーショットは、クラス中の女子を虜にしているように思えました。ただ一人を除いては。
「どうしたん誰かさん、あたしに用事ですかい?」
「うん、そうなんだ。これはきっと君が落としたものだろうと思って」
うん?と呟く秋蘭に、怜は一冊の教科書を差し出しました。
「また会えて良かった。君は初めて話した同級生だから」
少し照れながら肩をすくめて怜が言いました。そしてその教科書を見ながら秋蘭が叫びます。
「うおぉぉ!あたしも誰かさんに会えて良かったよ!そうかぁ、あの時に落としたんやなぁ~わざわざありがとう!いやぁ、恩にきります!」
「やっぱり君のだったんだね!ところで、ボクは誰かさんじゃなくて怜だよ、六神怜」
怜は後ろ髪をいじりながら困った顔をしています。秋蘭は思わず謝りました。
「あぁ、ごめんごめん。六神ね、六神。あたしは」
「黒崎さんだよね?黒崎桃さん」
は?――秋蘭に差し出された教科書の右下には、小さく『黒崎桃』の字がありました。
「桃ちゃん……って呼んでもいいかな?」
「あ……あの、あたしは桃ではないんです。桃はあたしがその教科書を借りた五組の子で……」
「え?あぁ、そうなんだ、ごめんっ」
秋蘭は怜から教科書を受け取りました。
「あたしは加々美秋蘭。秋蘭でいいよ」
「あ……秋蘭ごめんね名前間違えちゃって、あぁ、そうだ!ボク五組に転入したんだっ、黒崎さんに教科書返しとくよっ」
怜は素早く秋蘭から教科書を取り上げ、踵を返して教室から出て行きました。が、すぐ戻ってきてドアの前で、
「まっまた来るね!」
とだけ言い残して、また夏風のように爽やかに走って行きました。
「お……おう、またな」
秋蘭は片手を挙げたまま、呆然と立ち尽くしていました。
「まっ、これで一件落着やね!よしっ、食堂行ってネタ合わせや美稀!」
ん?美稀?――秋蘭は辺りを見回します。そして教壇の方を見て眉根を寄せました。
「何してんねん」
教壇からこちらの様子を窺っていたのは、くるくる眼鏡に付け鼻と鼻髭が一緒になった小道具を装着した黒い人影でした。
「影ではない。あいむのっとしゃどう」
美稀という名の影がそう言いました。