第三話「朝の営み」
本日三話目!
盛りのついた小鳥のさえずりが冷たい空気を払っていく爽やかな朝。
厳しいながらもほんわかと優しさを織り混ぜる雰囲気の中、墓地のあばら家ではすでに朝の営みが始まっていた。
カチャカチャと食器や調理用具を扱う音が良い刺激となったのか、心地よさそうな寝息を立てていた少女はゆっくりと目を覚ます。
ベットから上半身だけを起こす幼女は、ぐぐぐっと体を伸ばしながら大あくびをした。
落ちてきそうなまぶたをこしこしと擦る幼女は、不思議そうに辺りを見回す。見慣れないあばら家に少し混乱した様子の幼女へ、ふいに「おはよう」と挨拶がかかった。
「君が墓守が珍しく保護したって子か。ぐっすりだったね」
「……あんた、誰」
テーブルについている墓守のよりも一回りも小さく細い短金髪の男は、ニヨニヨと趣味の悪そうな顔で笑う。キッと目つきを険しくする幼女は自分の肩を抱いて一歩下がった。
警戒心を強くする幼女に男は茶色いスーツの襟を正して、「墓守の友人さ!」と胸を張る。警戒心をますます強くする幼女の心情を代弁したかのように、男の頭へガツっ!とお玉が叩きつけられた。
「臭いことを言うな、小役人。出世街道のはずれは楽しいか?」
「痛いじゃないか墓守! それに僕はこれでも課長だ! 部下だっているぞ!」
「解雇候補が集められてるだけだろ。人事廃棄課課長さん?」
涙目で頭を押さえる男へ、灰ジャケット姿の墓守の口調は心なしが砕けて聴こえる。役人と呼ばれた男は何かを守ろうと声を荒上げるが、墓守の冷静かつ鋭い突っ込みに目じりにためる涙が多くなった。
ぽかんとだらしなく口を開けて眺めるだけの幼女に、墓守は「裏で顔でも洗ってこい」と白いタオルを渡す。
ふらふらと眠たそうにあばら家から出ていく幼女を作り笑顔で見送った役人は、不機嫌そうな顔で墓守を見た。
「墓守、僕が何度ここへ足を運んだと思っているんだい? とうに友人と言っても差し支えないほどここへは来ているつもりだ」
「最初入り口に来るのも嫌がった奴に友人と名乗られるのは腹が立つんだよ。将来有望なやつなら別だがな」
「僕もまだ有望だ! 臨命墓管理課も今ではエリート課なんだよ! こき使っていいところじゃない!」
ぎゃあぎゃあとうるさい役人と鼻で笑う墓守の会話は井戸のある裏手にまで聴こえてくる。
「はぁ……」と重い溜息をついた幼女は、井戸のそばに置いてあった大きな桶の水で軽く顔と髪をすすぐ。自慢の姉に手入れしてもらっていた金髪はその透明さを取り戻して、桶の水はすっかり黒ずんだ。
黒ずんだ水を砂利敷きに流す幼女は、ごしごしと頭を拭きながらあばら家の中へと戻ってくる。先ほどまでうるさかった役人は、頭に大きなたんこぶを作ってテーブルに突っ伏していた。
「戻ってきたか、さっさと座れ」
寸胴鍋をかき混ぜている墓守は、幼女の方をちらりと一瞥するだけですぐ目の前の作業へ戻ってしまう。少しさびしげな顔をする幼女は、半ば飛び乗るように椅子につく。
墓守はそのタイミングに合わせて、昨晩も食べたポトフと新鮮なサラダをテーブルに出した。
ほんのりとワインビネガーが香るソースがかかったサラダを取ろうとぐぐっと手を伸ばす幼女。しかし、あと少しで届こうというところでぼふっと視界が白く埋まってしまう。そしてすぐに背もたれの方へ体を引き戻された。
「もっとちゃんと拭け。暴れるなよ」
同時に聞こえてくる墓守の優しい言葉。幼女が首にかけていた白いタオルでわしゃわしゃと金髪を拭く墓守に、幼女は少しだけ嬉しそうな顔をした。
ぼさっと膨らんだ金髪を白タオルでそっと撫でつける墓守は、サラダにフォークとスプーンを添えて幼女の前まで引っ張ってくる。
ごくりと生唾を飲んだ幼女は、フォークとスプーンを素早くつかみ取るとサラダを口いっぱいに頬張った。
「どうだ、うまいか?」
「うん! ふぉいふぃ!」
「そうか、ならよかった」
固い口元をふっと緩ませる墓守に、幼女はぱあっと笑顔を咲かせる。墓守は優しげに微笑むと、幼女の頭をぽんぽんと撫でた。そして上機嫌そうに何かの歌を口ずさみながら、キッチンからさらにいくつか皿とお代わりようのポトフ鍋を持ってきてテーブルに並べる。
墓守もどこからか同じような椅子を持ってテーブルについた。
「いい加減起きやがれ」
「ぐへっ! ――っは!? ……僕は何をしていたんだ? ま、まさか墓守とベットで――」
「被害妄想甚だしいな、小男」
役人にも三度目のお玉が叩きつけられて強制的にその眠りを覚まされる。冗談でもきついことを垂れ流す役人の口は、四度目のお玉によって閉じらされた。
赤くなったおでこを押さえてプルプルと震える役人を尻目に、墓守は昨晩と同じポトフを味わう。よく見ると、墓守と役人の目の下には濃い隈ができていた。
幼女は濃い隈を作る事でもあったのかと疑問に首を傾げる。姉のことはどうすればいいかと墓守をじっと見る幼女のもとへ、ポトフがぐいっと押しやられて来た。
「何考え込んでるんだ? こいつも食え」
「う、うん」
とびぬけた美形でもないが整った墓守の顔をじろじろと眺めていた幼女は顔を赤くして視線をそらす。なぜか恥ずかしそうな幼女に首をかしげる墓守だが、すぐに食事に戻った。
特に会話もない朝食。とても消化に悪そうな風景の中、盛る小鳥のさえずりはありがたい。じっと何かを聞き取るように目を細めながら食事をする墓守に話しかけることなど、幼女と役人には到底無理だった。
気まずい思いをする中、動かしたスプーンはこつんとスープ皿の底を打つ。何だか逃げ道をふさがれたような気分になる幼女が恐る恐る役人や墓守の方を見ると、墓守や役人もちょうど食べ終わったところだった。
食器をあらかた持って椅子から離れていく墓守。「食った食った」と満足げな役人は大あくびをした。
「おい、小男。今日は何しに来た。何もないなら俺はいつものようにする」
そんな役人へ墓守は気だるそうな顔で問いかけた。どこか面倒そうな顔をする墓守へ、役人は「待ってました!」とでも言いたそうな嬉しそうな顔をする。
墓守の予想を体現したかのようにニマニマと嗤う役人は、両手を組んでテーブルに両肘をついた。
「もちろん、仕事の話だ。業務連絡以外でここに来る趣味など僕は持ち合わせていないのだよ? ワトソン君」
「あんたの助手になった覚えはない。何をすればそこまでおかしくなれるんだ」
口元を隠すようなしぐさで真剣さを演出してみせる役人だが、興味のなさそうな墓守にはまるで取り合ってもらえない。お代わり用のポトフ鍋を取りに来た墓守に「頭でも打ったか?」と言われる始末だ。
どこか張り合いのなさそうな顔でいじける役人を見て、幼女は思わずくすりと笑う。
不機嫌そうにむすっとむくれる役人は、喉まで込みあがってきた文句を生唾と一緒に飲み込んだ。
「……はぁ、いつもみたいな話だよ。『死にかけてるから止めを刺してくれ』ってな。今回はけが人らしい。何でも若い女性が岩場から誤って転落したらしいんだが、判断が難しいからって何もかも丸投げされた」
頬杖をつく役人はつまらなさそうな顔で最低限のことだけを述べていく。その連絡に目を丸くする幼女は、ダン!とテーブルの上へ駆け上がって役人の胸ぐらを掴んだ
「女の人の特徴は何!? 名前はなんていうの!?」
「ち、長身で髪が長い、らしい。髪、は栗色で、く、苦しい……」
「……それって、本当?」
鬼気迫る幼女は役人を問い詰めて、掴んだ胸ぐらを容赦なく締め上げる。鋭く睨み付けられた役人は、息苦しそうにしながらその要求に答えた。幼女の鬼のような問いかけにも、必死に頷いて返す。
顔を真っ赤にしてしきりに頷く役人を見た幼女からはすぅっと力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。ぜえぜえと息も絶え絶えな役人は、そんな幼女を不思議そうな顔で見た。
「は、墓守。この子、何なんだ」
「詳しいことは知らないが、その若い女性ってのはこいつの姉らしいな」
「…そ、そうか」
申し訳なさそうな様子で俯きがちになる役人。成人男性に食ってかかった幼女もその覇気をすっかりなくして、悲嘆にくれたようにへたり込み俯いたままぶつぶつと何か呟いている。
墓守は気まずい沈黙の痛みをため息一つつくだけで吐いて捨てた。
「それで、その女性はいつ来るんだ?」
「収容先が隔離病棟だったから、た、たぶんもうすぐ――」
「っ! 本当っ!?」
あくまで冷静な墓守に対し、かっと血を上らせる幼女。
先ほどの迫力を取り戻して再びつかみかかる幼女に、役人は再び縮こまる。苦しそうにしながらもしきりに頷いた。
目いっぱいまぶたを開いて「信じられない」とでも言いたげな顔をする幼女は、役人を解放して墓守の方を睨む。
自分だけ食後のコーヒーを味わっていた墓守は役人とは違い、まるで動じなかった。
「分かった。報酬はちゃんと準備してあるんだろうな?」
「あ、ああ、ここに持ってる」
まるで他人事のように振る舞う墓守に、役人は懐から貨幣が入った革袋を取り出してテーブルに置く。墓守は、はっと気を取り戻した幼女が中を確認しようとする前に素早く革袋をつかみ取った。
墓守は革袋の中を軽く揺らして中身を確認すると「ふん」と鼻を鳴らして、その革袋をキッチンの横の棚にしまう。その報酬だと言いたげに、役人へすっかり冷めてしまったブラックコーヒーを出した。
「いつもより報酬が少ないようだが、まあいいだろう。もうすぐ来るんだな?」
「そうだけど……温かいものに変えてもらえないかな?」
「ご注文はチップを出してからお願いいたしますクソチビ」
「っな!? ちょっとストレートすぎないかい!?」
やる気のない顔をする墓守と不満げな役人。二人の不謹慎とも言える何気ないやり取りは、テーブルの上にへたり込んだままの幼女をまたいだ形となった。
まるで無視されている幼女はその小さな肩を小さく震わせている。目敏い墓守がちらりとそちらを見やると、幼女は震える手で昨晩と同じように乳白色のブローチを両手で墓守に差し出していた。
「おね、がい……お姉ちゃん、殺さないで……わたし、な、何でもする、から……」
俯いた幼女の震える声。役人も空気を読んでぐっと口を固く結ぶ。本来哀憫するべき立場の墓守もすっと口を閉じて、じっと何かを見定めるように幼女を見た。
ビクッと居心地悪そうにする幼女がゆっくりと顔を上げると、墓守はブローチを持つ幼女の両手をそっと片手で包み込む。
(やった! これでお姉ちゃんは死ななくて済むんだ!)
そう思いぱあっと笑顔の花を咲かせる幼女。しかし墓守はニコリともせず、包み込んだ幼女の両手をそっと押し返した。
「……え?」と咲いた笑顔を急速に枯らしていく幼女に、墓守は無表情に近い笑顔を向けた。
「悪いが、俺はあくまで墓守だ。殺すときは殺す。それが誰であっても」
「たとえ想い人であっても」と言う言葉を飲み込む墓守の表情にはすっとカゲが差す。一人気まずそうにコーヒーをすすっていた役人は、その場の空気にピシッとヒビが入るのを肌で感じた。
幼女はぐっと何かをこらえるように俯く。墓守が自分を落ち着けるように「ふん」と鼻を鳴らすと、幼女はいきなり顔を上げる。
怒りと悔しさでくしゃっと歪んだ幼女の目じりにはキラリと光るものがあった。
「人でなし! 悪魔! どうせ殺すことしかできないんだわ!」
幼女はキッと墓守を睨み付けて悲痛に叫ぶ。何か続けて言おうとするも言葉が出ず、ぎゅっとブローチを握りしめてテーブルから飛び降りる。盛大に転んでしまうも、すぐに立ち上がってあばら家から飛び出していった。
茫然とする役人と、あきれたように落ち込むようにため息をつく墓守。どうしようもない空気の中、墓守はせっかくしまった貨幣入り革袋をテーブルに出した。
「悪いが、こいつはもらえそうにないな。悪魔に銀貨は毒だ」
布巾も一緒に置いておく墓守はそう言って壁に立てかけてあった大鎌を肩に担ぎ上げる。濃い隈を作った顔で大あくびをする墓守に、同じように疲れた顔をした役人は茶化すように笑う。
真新しい布巾でこぼれたコーヒーを拭き取る役人は、それを受け取るどころか何かの包みをつけて墓守につき返した。
「こいつは査定料金みたいなものだから問題ないし、なんならチップと迷惑料もつけておこう。墓守が悪魔なら僕はとっくに魅入られているだろうな」
返すどころか増えてしまったそれに苦笑いをする墓守が謎の包みを開けると、中には猪肉の燻製が入っている。そのすぐそばには銀貨が一枚置かれていた。
「……余計なお世話だ」と口元を緩ませる墓守は、貨幣をすべて革袋に放り込んで一度しまった棚の中へ収める。あばら家から出ていこうとする墓守は引き戸のあたりで立ち止まり、あばら家の中をぐるりと見回す。
何かを懐かしむような墓守に、役人はニヤニヤと笑った。
「お前も人間だったんだな、墓守。お兄ちゃん感動しちゃうな」
「黙れ歩く面倒事。お前が絡むとろくなことがない。年中無休で尽くしてもらわないと釣り合わないな」
からかうように笑う役人に、墓守は小ばかにするようにため息をつく。あばら家の引き戸を閉めて墓地の砂利道を歩く墓守に、役人も続いた。
お互いの尻を追いかける情けない小鳥のカップルがやけにうるさい。
墓守は暗い気分を振り払うように少し忙しそうに歩く。役人は相変わらずニヤニヤと笑っていた。
「ふうん、出て行けとは言わないんだな。さすが墓守」
「……うるせぇ、先行くぞ」
「あぁ! ちょっと待ってくれないか墓守!」
照れくさそうな墓守は、昨晩のように墓石の上へ勢いよく飛び乗る。あっという間に向こうの方まで行ってしまう墓守を、役人は必死に走って追いかけた。