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第3話(1)お砂糖をかけます、えいっ

 1200時。中央寄り上甲板右舷、司令長官公室。


「士官用浴場で、騒ぎがあったらしいな」


 腕組みをした束が苦虫を噛み潰したような声で呟く。額に絆創膏を貼った洋平をじろりと睨んで、


「またてめえの仕業だな、この覗き魔宇宙人! やっぱりてめえは、そういう破廉恥な目的で地球にやってきたのか。葦原へ来る前にロサンゼルスを襲ったのも、ハリウッドのぼんきゅっぼーんな金髪女が目当てだったんだろ、ええっ?」


 僕は宇宙人じゃないです。後、ロサンゼルス空襲は都市伝説です。洋平はそう言ってみたかったが、話が余計ややこしくなりそうなので黙って頭を垂れることにした。


「はーい参謀長、『ぼんきゅっぼーん』って何のことですかあ?」


 こちらは、書類仕事をどうにか午前中に片付けることに成功したらしい寿子が、挙手して脳天気に質問する。束は鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。


「私達こそ、申し訳ありません」「長官の~大事なお客様だったなんて~」「おっ、男の人だから、てっきり陸軍のスパイかとっ」


 こちらも恐縮しきりなのは、揃ってここ柱島泊地の第一艦隊に勤務しているという、3人の海軍乙女達だ。聞くところによると彼女達は五十子から今日の昼食に招かれたので、せっかくだからと早めに乗艦して入浴していたらしい。

 宇宙人、未来人、海底人の次は陸軍のスパイか。……案外、不審者の称号としては今までで一番まともかもしれない。


「ごめんね、わたしが洋平君にお使いを頼んだの。洋平君が男の子だってこと、うっかり忘れてたよ。てへっ」


 五十子が自分の頭をこつんとやっていると、従兵達が恭しく前菜のスープを運んできた。

 花瓶に花が活けられ、白いテーブルクロスがかかった食卓には、磁器製の飾り皿、それに銀製のスプーン、ナイフ、フォークが各々の席にきちんと並べられていた。ちなみに自室で眠っている亀子の席は、当然だが空席になっている。


「わ~凄い! 本当に洋食が出てくるんだ~ハイカラ~」

「長官室専属のコックさんは、帝都ホテルや郵船の豪華客船で修行したことのあるベテランだって聞いたわ」

「ちょ、長官、あたし達がこんなご馳走食べさせてもらってよろしいんですかっ?」


 3人が料理に目を輝かせている。口に出さないが洋平も感動していた。

 食べ物にそれほど興味もこだわりもない洋平だったが、連合艦隊司令部の食卓には以前から密かに憧れていた。大和の長官公室には専用の調理室が付属していて、ここに集う長官とその幕僚達に供される食事は、軍艦の中とは思えないほど豪華なものだと文献で読んだことがあったのだ。朝夕は漆塗りの御膳で和食。そして何といっても華やかなのがランチで、前菜からデザートまである洋食のフルコースだ。

 ちなみに、これは贅沢をするのが目的ではない。海軍士官は、時に外交官の役割も担う。海外の寄港先で饗宴に出席しても恥をかかぬよう、日頃から西洋式のテーブルマナーを嗜むのが海軍の伝統だった。


「ふふっ、紹介するね。第一水雷戦隊第二七駆逐隊・駆逐艦時雨(しぐれ)の艦長を務める木村(きむら)少佐、第二戦隊・戦艦扶桑通信長の刈羽(かりわ)少佐、同じく第二戦隊・戦艦山城砲術長の新発田(しばた)少佐。3人ともわたしと同じ越後の出身なんだ」

「「「よろしくお願いします!」」」


 のんびりした子が木村、すました感じの子が刈羽、石鹸を投げつけてきたのが新発田、と洋平は記憶した。


「この中で、入隊してから『越後屋、お主も悪よのう』でからかわれたことのある人~」

「「「「はーい」」」」

「えへへ、みんな一緒だね!」


 五十子を中心に、同郷者ネタで盛り上がっている。洋平も、そのネタは未遂ではあるが加害者として身に覚えがある。何故か束も気まずそうな顔をしていた。


「さあ、食べよっか」


 五十子がスプーンをとるとほぼ同時に、スピーカーから音楽が流れ始める。洋平の世界でもお馴染みの軍艦マーチだ。


「これは、ラジオ?」

「ううん、違うよ。昼食の時間になると、艦内放送で軍楽兵の子達が演奏をしてくれるの。大和にはブラスバンド編成の軍楽隊が乗っててね、とっても上手い演奏だから毎日お昼が楽しみなんだ」


 五十子が教えてくれた。こうして、優雅に演奏を聴きながらの昼食会が始まったのだが……。


「今日のメインはビーフシチューかあ。あれえ、これって先週のカレーの残りなんじゃあ?」

「贅沢言うな渡辺参謀! コックが知恵をしぼって限られた食材の中で毎日変化をつけてくれているんだ。大体だな、戦時下で国民が窮している時にこうして毎日飯が食えるだけでも……」

「あー、はいはい。ところで知ってますか未来人さん? ビーフシチューは、私達の大先輩の東郷おばあさまがブリトンから持ち帰ったものなんですよお」

「渡辺てめえ無礼にもほどがあるぞ! 東郷元帥は永遠の12歳だからな! つうか先輩方の年齢を連想させる話題はタブーだ、やめろ!」

「えー、今の参謀長の発言の方が無礼じゃあ」


 目の前で束と寿子が繰り広げるどうでもいい口論のせいで、いまいち優雅さを噛み締められない。というか、この世界の東郷元帥はまだ存命なのか?


「そういえばあ、陸では今シチューは敵性語で不適切だから、牛煮込み汁って呼ぶことになったらしいですねえ。カレーは辛味入り汁かけ飯で、サイダーは噴出水とか。噴出水……ぶはっ」

「うわっ、きたねえ! てめえが噴いてどうすんだよ渡辺!」

「ちょっとみんな、後輩と一緒の時くらいちゃんとお行儀よくしようよ」


 わいわいやっている司令部メンバーに、駆逐艦艦長の木村少佐がおずおずと口を開いた。


「あの~、長官、そのことなんですけど~」

「あっ、ごめんね。わたし達、ご飯は楽しく食べた方がいいかなと思っていつもこんな感じなんだけど、本気を出せばテーブルマナーだってちゃんと……」

「そうじゃなくて~、渡辺中佐のおっしゃった『敵性語』、のことなんです~」


 見ると、3人の少佐達はスプーンを置き、一様に表情を曇らせている。


「長官。あたし達はブリトン式の教育を受けて、装備や指示の用語に鰤語を数多く使ってきました。戦闘の際には、言葉は一瞬で正確に伝わらないと命に関わります。今、民間で強まっている敵性語排斥運動が、海軍にまで広がらないか心配です。兵達に余計な負担をかけたくありません」


 山城砲術長の新発田少佐が切実にそう訴えた。扶桑通信長の刈羽少佐も眉根を寄せる。


「戦闘だけじゃないわ。敵は鰤語で交信しているのに、私達がもし鰤語を勉強してなかったら、せっかく敵信を傍受できても解読できなくなるのよ。敵を知り己を知れば百戦殆うからず。なのに、海軍兵学校にも鰤語教育を止めるよう政治家や市民団体から圧力をかけられてるらしくて……陸の人達は感情論ばかりで、現場のことを何もわかってない」


 「鰤語」と聞いて洋平が頭の中で真っ先に思い浮かべたのは、魚のブリの頭が口をぱくぱくさせて喋っている何ともシュールな絵だったが、当然魚の言語じゃなくてブリトン語の略だろう。


「海軍に鰤語使わない縛りとか、息するなって言ってるに等しいですよねえ。お嫁に行くこと『マリる』とか普通に言っちゃってますし。まあ、私はそもそも海軍乙女が殿方と結婚するとかあり得ないと思ってますけどお」

「渡辺の戯言はさておき、ああいう感情論ってのは理屈じゃねえからな」


 黙ってビーフシチューを口に運んでいた束が、ぽつりと呟いた。


「最近は同盟国のはずのトメニア語やナパロニ語まで、鰤語だと勘違いされて不適切だって叩かれるらしい。そのうち、カタカナを全部禁止にしろって言い出すんじゃねえか」

「あーあ……まあそういう世の中の流れなら、不便ですけど海軍も合わせないといけなくなるのかもしれませんねえ」


 最初は軽い口調で始めた寿子も肩を落として、場の空気が重くなりかけた時。


「えいっ」


 密かに身を乗り出していた五十子が、卓上の粉砂糖を寿子のビーフシチューにふりかけていた。鮮やかな奇襲攻撃だった。


「ちょ、ちょっと、何してるんですかあ長官! 今しがたテーブルマナーがどうとか言ってませんでしたっけえ!」

「ヤスちゃんがさっき話してたビーフシチューの伝来だけど、あれには余録があってね。ブリトン留学から帰ってきた東郷元帥が向こうで食べたビーフシチューを料理人に再現させようとしたんだけど、元帥の話を聞くだけじゃシチューがどんなものかよくわからなかったからとりあえずお砂糖とかお醤油とかでそれっぽく作ってみたら出来上がったのが肉じゃがなんだって。これ豆知識だよ」

「いや、だからってこの場でシチューを肉じゃがに作り変えようとしないで下さいよお!」


 あっけにとられている同郷の3人に、五十子はいたずらっぽく笑ってみせる。


「大丈夫! わたしが連合艦隊司令長官でいる限り、海軍で鰤語を使うのを禁止するなんてことはさせないよ」

「良かった~」「さすがっ、あたし達の長官です!」「長官のご理解があれば心強いです」

「さあ、温かいうちにシチュー食べちゃお! あ、洋平君もシチューにお砂糖かける? 本当に肉じゃがみたいな味になるよ?」

「……い、いや、僕は遠慮しておくよ」


 後になって思えばこの時点で、何故卓上にコース料理と関係のない粉砂糖が置かれているか不審に思うべきだった。

 にしても、そういえば敵性語なんてそんなのもあったっけと、洋平は頭をひねる。洋平の歴史の知識は海戦や海軍や艦艇に偏っていて、そっち方面は正直あまり得意ではなかったが、確か戦時中に国の命令で野球の「ストライク」が「よし」になったとかいうあれだろう。


「でも、本当に大丈夫なの? 敵性語って、法律か何かで決まったことなんだよね」


 気になったので、つい訊いてしまった。五十子は一瞬目を丸くしてから、首を横に振った。


「ううん、違うよ洋平君。いわゆる敵性語の排斥はね、民間の人達が始めた自主規制なの。敵対している国の言葉を使うのは不適切だとか、不謹慎だとか。法的な根拠なんて全くないんだよ」


 意外な答えだった。しかし言われてみれば洋平のいた世界でも、何か事件や事故が起きると類似した出来事が登場するアニメの放送が中止や延期になったりしていたではないか。ああいう規制は、国の法律で定められていたのか。そうではなく、やはり自主規制だった。基準も曖昧で「視聴者から抗議があったので」「現在放送するには相応しくないと判断し」とか、そんな感じだ。向こうの世界にいる時あまり興味を持ったことはなかったが、もしも戻れたら調べてみたいと洋平は思った。


「宴もたけなわだけど、そろそろデザートの時間だね。今日はみんなに水饅頭を御馳走しよう!」


 途中で色々あったが、一同がビーフシチューを食べ終わった頃。五十子の唐突なその宣言に、束と寿子の肩がびくっと震えた。従兵達が、コース料理の最後の皿を運んでくる。


「さ、さあて、私はそろそろ仕事に戻らないとお。それじゃあ皆さん、同郷の方同士、積もる話もあると思いますのでごゆっくり……」


 ぎこちない作り笑いを浮かべて席を立ちかけた寿子の襟筋を、束ががっしと掴んだ。


「おい渡辺、敵前逃亡する気か」

「これは転進ですよお転進! 私はさっきのでもう十分です!」


 どうしたというのだろう。二人の様子がおかしい。それに、水まんじゅう? これまた洋平の聞いたことのない名前だ。


「あ、ひょっとして(くず)まんじゅうのこと?」


 訊ねると、五十子が珍しく怒った様子で眉をつり上げる。


「クズ? ひどいよ! いくら洋平君でも言っていいことと悪いことがあるよ!」

「違う違う、くず粉のゼリーみたいなのであんを包んだ、半透明でつるっとしたやつ。生菓子だと思ってたんだけど、この時代にもあるんだな」

「んー、それはきっと未来のお菓子だね。わたしの水饅頭は、くず粉なんか使わないよ」


 洋平の前に皿が置かれた。皿というかどんぶりだ。

 そして中に入っているのは洋風のデザートではなく、見覚えのある白い饅頭だった。


「わ~、これ私達の地元のお饅頭じゃないですか~?」


 そうだった、五十子は同郷の子達にふるまうために越後名産の酒饅頭をわざわざ取り寄せたんだった。直後に起きた騒ぎのせいですっかり忘れていた。

 しかし、なんでさっきから五十子は、酒饅頭のことを「水饅頭」って呼んでるんだ?


「じゃあ、洋平君ので作り方を教えてあげる。まずは、お饅頭を冷たい水に浸けてふやかします」


 じゃばばっ! 五十子はやおら水差しを傾け、洋平の饅頭が入ったどんぶりに氷水を注ぎ込んだ。


「……え? 饅頭をそのまま食べるんじゃなかったの?」

「やだなあ洋平君、水に浸けるから水饅頭なんだよ?」

「いや、そんなごく当たり前のように言われても……」

「次にお砂糖をかけます。えいっ」


 ばさっ! 五十子は饅頭に、さっきの粉砂糖をぶっかけた。


「そしてかき混ぜます」


 ぐっちゃぐっちゃ。

 水を吸ってふやけた饅頭がぶつ切りにされ、皮とあんが砂糖水とミックスされていく。

 その上から、だめ押しの砂糖投下。

 大さじが何度も砂糖の容器とどんぶりとの間を往復していくのを見て、洋平は絶句した。


「ひえーっ!」

「落ち着け渡辺参謀、平常心だ。弾着観測から次弾弾着までの対変距修正量を暗算するんだ……」


 寿子が何故か金剛型2番艦の名を叫び、束も平静を装っているものの言っていることがおかしい。

 雪のように砂糖が降り積もり、饅頭がもはや原形をとどめなくなったところで狂気の料理教室は実演を終えた。


「はい、出来上がり! これが水饅頭だよ! どうかな、洋平君?」


 ドヤ顔という言葉は、この時代にはまだ存在していないのだろうか。もし無いなら流行らせてやりたいほどの見事なドヤ顔だ。


「すごく……甘そうだね……」

「でしょう! どれどれ……うーん、甘いっ!」


 一口味見して、両目をきゅっと閉じて至福の表情を浮かべる五十子。彼女の辞書では「甘い」=「美味しい」なのだろう。連合艦隊司令長官が重度のシュガラーであることはもはや疑いの余地が無いが、甘いお菓子にさらに砂糖をかけて食べる人を見るのは、地味に人生で初めてだ。

 どうでもいいけど、これってわざわざ越後名産の饅頭を使ってやる必要があったのか? 同郷の後輩3人もこれにはさすがに引いているだろうと視線を向けた洋平は、信じがたい光景を目撃した。


「山本長官も、この食べ方をなさってたなんて~。私の家だけだと思ってました~、感激です~」

「あら、私の家もよ。5人姉妹で一つしか食べられなかったから、こうやって水でふやかして、分けて食べたものだわ」

「木村と刈羽もか? あたしんちもだぞっ! これ、夏に氷室の雪を使って食べるとひんやりしてて美味しいんだよなっ!」


 引いてない? それどころか、みんな喜んで水饅頭を食べている? 恐ろしい、これが秘境エチゴーの平常運転だというのか。それとも……。

 洋平は、目の前の名状しがたい物体にスプーンを差し込んだ。しゃくっという、本来なら饅頭から決してしないはずの効果音がする。半信半疑どころかほぼ確実に味覚崩壊が起こる覚悟でもって、口に入れてみた。


「うっ! ……あれ?」


 初めて食する水饅頭の味は、想像していたのと少し違った。

 氷水のきーんとする冷たさで、思ったより甘さをくどく感じない。振りかけた砂糖と饅頭のあんが、氷水に溶け込んでいる。その甘い水と、水を吸い込んでふやけた皮が予想外に美味しかった。

 というかこの感覚は、洋平が元の世界で普段食べている、コンビニの冷菓に近いのではないか。この時代には、手軽に食べられるジャンクな菓子が存在しない。特に冷たい菓子となると、アイスキャンディーもチューペットも無い。アイスクリームはあったとしても庶民の口には入らないだろう。そう考えると、現代人の価値観で五十子の饅頭の食べ方を変わっていると決めつけるのは、いささか狭量だったかもしれない……


「参謀長のいいとこみてみたい、あそれいっき、いっき!」

「遠慮すんなよ渡辺参謀、シチューだって砂糖入りを食えたんだから大丈夫だって!」


 ……横で約2名みっともない押し付け合いをしている人達がいたが、スピーカーから流れる軍楽演奏の曲目が変わった辺りで中断された。


「あ~、これ、『村の鍛冶屋』です~」


 木村少佐がそう言ってスピーカーを指差した。新たに聞こえてきたのは勇壮な行進曲ではなくて、優しい童謡のような曲だ。打楽器がトンテンカン、トンテンカンとリズムを刻む。

 隣席の刈羽少佐も、しばらく聴き入ってから小さく呟く。


「本当だわ……懐かしいわね」


 洋平は初めて耳にする曲で、束と寿子も聞いたことがなさそうな顔だ。しかし、越後で育った彼女達には、どうやら馴染みのある曲のようだった。


「あたし、歌いますっ」


 新発田少佐が立ち上がり、片手を胸に当てる。吸い込んだ息が、瑞々しい歌声に変わる。


「刀はうたねど大鎌小鎌♪ 馬鍬に作鍬鋤よ鉈よ♪」


 気がつけば途中から木村少佐と刈羽少佐、それに五十子も一緒に口ずさんでいる。

 少女達の合唱が、暫し長官公室に響いた。


「にしても、プライドの高い軍楽長がよく行進曲以外の曲を演奏する気になりましたねえ」


 曲が終わる頃合いで、拍手をしながら寿子が首を傾げる。


「えへへ、賭けに勝ったら何でもわたしの好きな曲を演奏してくれる約束だったんだ」


 そう答えてウインクする五十子を見ていて、洋平は昨日、初めて五十子と会った時のことを思い出した。五十子は軍楽兵の少女達と何かを賭けて、大和を逆立ち一周していた。もしかしてあれは、後輩達をもてなそうと郷里の曲をリクエストするための逆立ちだったのか。饅頭といい、五十子の心遣いにはただただ感心する他ない。


「昨日といえば、こいつは逆立ちしてる山本長官のパン……」

「そう、パン! パンといえば僕の故郷では、遅刻しそうで食パンをくわえて走ってくる女の子とぶつかって仲良くなれるように毎朝曲がり角でお祈りする風習があるよ!」


 何の恨みがあるのか、束が再びあの話を蒸し返そうとしている。つい自分でも謎のでまかせを口走ってしまった。


「……兎が切り株にぶつかってこないか待ちぼうけする昔話みてえだな」

「ふふっ、洋平君の故郷は楽しそうだね。そういえば、わたしもいつだったか朝遅刻しそうになって、お団子をくわえて走ってたら誰かとぶつかりそうになったことあったな。ね、束ちゃん?」


 五十子がしているのは、また「古い話」とやらだろうか。

 束はきまり悪そうに咳払いをすると、山城砲術長の新発田少佐に声をかけた。


「砲術長、どうだ山城は。大砲が多いから退屈しねえだろう」

「はいっ、巷では欠陥艦とかいわれてますが、あたしはやりがいがあって大好きです!」


 新発田少佐の元気いっぱいな返事に、束の無愛想な仮面が僅かに綻んだ。


「そうか。扶桑型はな、葦原が初めて独自に建造した超弩級戦艦だ。建艦能力に劣る葦原が列強に伍するためには、昔も今も個艦で複数の敵艦を圧倒する火力を持つしかねえ。だから無理をしてでも多数の砲を搭載したんだ。葦原海軍のそういう負けん気は、この大和にも通ずる。欠陥艦なんていう奴には好きに言わせておけ。しっかり面倒をみてやれば、艦は必ず実戦で応えてくれるぞ」

「はい! 来たる決戦で艦の全力を出し切れるよう頑張りますっ!」


 新発田少佐を激励する束を、五十子がにこにこしながら見守っている。

 参謀長、やればああやって先輩らしく振る舞えるのか。

 ……もっとも彼女の場合、ただ単に戦艦語りがしたかっただけ、という可能性もあるが。

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