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第10話(4)こんな時、フレンダなら

 ミッドウェー北北東沖。

 第16任務部隊旗艦エンタープライズに敵艦隊発見の報がもたらされた時、レナ・スプルアンスは艦長のマーレ大佐とともに食卓を囲んで、朝食のトーストに何を塗ろうか思案している最中だった。前任者フレンダ・ハルゼイが残していった果物ジャムは大量かつ種類が豊富過ぎて、パールハーバーからここまでの航海で未だにコンプリートしきれていなかったのだ。


「……アカギ、ですか?」

「はっ! 基地所属のPBY飛行艇が、哨戒中に発見したとの通報が。コンゴウ型戦艦以下数隻の護衛を伴い、本艦隊の西方約130浬をミッドウェーに向け進撃している模様です!」


 マーレ艦長がナプキンで口を拭うと、急いで艦橋へ駆け上がっていく。

 レナは色とりどりのジャムの瓶と手元のトーストを見比べてコンマ数秒悩んだが、結局何も塗らないままトーストを口にくわえて艦長の後を追った。

 艦橋に上がると既に参謀達が集まり、海図上に定規と鉛筆で報告のあった敵艦隊の位置を書き込んでいるところだった。

 灰色がかった短髪の少女が、鋭い目で真っ先にレナを捉えて敬礼してくる。航空群司令のクリス・マクラスキー少佐だ。


「申し訳ありません司令官。許可は頂いていませんが、格納庫のデヴァステイター14機に魚雷の装着を指示しておきました。間もなく発艦可能になります」


 抑揚の無い声。だが出航前の一件で、彼女への苦手意識は消えていた。レナは笑って首を振る。


「いいえクリス、よくやってくれました。作業が終わった機体はすぐに飛行甲板に上げて下さい」

「イエス・マム」


 寡黙な航空士官の表情が、ほのかに闘志の色を帯びた。

 レナはアームチェアに腰を下ろし、トーストを平らげつつ無線電話の受話器をとる。


「ヨークタウンを呼び出して下さい。フレッチャー少将につないで。至急、最優先です」


 この海域に到着してから、無線で連絡を取り合うのは2日ぶりだった。

 ジェニファー・フレッチャー率いる第17任務部隊は、現在第16任務部隊の西およそ25マイルに布陣し、互いの姿は目視では確認できない。だがコリンズ社製ダブルスーパーヘテロダイン回路の無線機は、遠く離れた空母ヨークタウンに座乗するジェニファーの声をクリアに伝えてくれた。


〈……攻撃隊を出すか判断するには、敵情が不足しているわ〉


 受話器を通して耳に響くやや硬めの声に、レナはいつも神経質そうな同僚の顔を思い浮かべる。


〈暗号解読による情報では、ミッドウェーに現れる敵空母の数は4隻のはずよね。位置を特定できたのはまだ1隻だけ。基地航空隊からの続報を待つべきよ〉

「足の遅い飛行艇が、ゼロファイターのいる葦原機動部隊を相手に危険を冒して持ち帰った情報です。ただ待っていても、これ以上の情報が入るという保証は……」

〈貴女達は珊瑚海海戦を経験していないから、わからないのかもしれないけれど〉


 ジェニファーは有無を言わさない頑なな口調で、レナの進言を拒んだ。


〈あの海戦の初日、私達は敵の軽空母を主力と誤認し攻撃隊を発進させてしまった。軽空母は囮で、敵の主力は離れたところにいたのよ。運よくその時は敵もこちらの給油艦(ネオショー)を空母と誤認したから助かったの。全ての敵空母の所在を確認できるまで、迂闊に攻撃隊を出すべきではないわ〉


 レナの脳裏を、セシリア・ニミッツの言葉がよぎる。

 珊瑚海海戦とミッドウェー攻略計画から明らかになった、葦原のワンパターンな戦術の型。

 戦力の分散、陽動、そして挟撃と包囲の意図――


「……ですが、珊瑚海海戦の軽空母とアカギとでは違います。葦原海軍にとって、アカギはただの空母じゃありません。開戦以来連戦連勝してきたナグモ機動部隊の旗艦(フラッグシップ)、いわば象徴です。それを囮に使うとは……私には思えません」

〈本当にアカギなら、ね〉


 電話の向こうで、ジェニファーが溜め息をつく音がした。


〈索敵機が報告してくる艦型や艦種が間違っていることは決して珍しくないのよ。レナ、やっぱり貴女にはまだ、航空戦の指揮は早かったようね〉

「ジェニファーさん……」

〈これだけは覚えておいて。空母対空母戦闘の苦しさは、経験した者にしかわからない。私は珊瑚海でレキシントンとかけがえのない部下達を失った。……あの提督にとって私達が捨て駒に過ぎないってことはわかってる。勝利に貢献できるならそれで構わない。だけど、犬死にだけはお断りよ〉


 電話が切られる。

 レナは正面を睨み、左肩に垂らした三つ編みの髪をぎゅっと握った。強いストレスを感じている時の彼女の癖だった。

 ここは先任であるジェニファーの判断を尊重して堪えるところだ。

 しかしセシリアが評していた通り、ジェニファー・フレッチャーは慎重過ぎる。戦訓も大事だが、先制攻撃のチャンスを逃しては何のための待ち伏せか。

 それに、戦訓といえば。


「……クリス、一つ教えて下さい。私が読んだ過去の海戦のレポートでは、葦原は軽空母はともかくとして正規空母はいつも集団運用しているように思えるのですが、間違っていますか?」


 傍らに立つクリス・マクラスキーに訊ねる。

 クリスは静かに、しかし即座に返事をくれた。


「肯定です。葦原海軍は対空・対水上レーダーを実装しておらず無線技術も未発達なため、指揮と護衛を容易にすべく正規空母は必ず近距離で密集させ、輪形陣で囲みます。例外はありません」

「ということは、他の3空母も近くにいるのに見落としたか、あるいは敵はこちらに空母を1隻しか投入していないということになりますね……」


 暗号解読が間違っていた? 

 または敵が作戦内容を直前で変更して、参加空母の数を減らした? 

 まさかとは思うが、ミッドウェーの攻略にはアカギ1隻で十分だとでも判断したのか。

 それとも目的は攻略でなく一撃離脱? 

 実はミッドウェーの方が陽動で、セシリアの読みが外れたのか。


「こんな時、フレンダなら……」


 思わず口をついて出た迷いの言葉に、レナははっとして首を振る。


「すみません、失言でした」


「フレンダ様は、難しいことはお考えになりません」


 意外なところから応えがあった。

 顔を上げると、双眼鏡で前方を監視していた艦長のマーレ大佐が振り返って、懐かしさ混じりの苦笑を浮かべていた。


「命令されることはいつも一つ、『見敵必殺(サーチ・アンド・デストロイ)』ですから」


 クリスが無言で頷く。

 確かにフレンダらしい。レナも苦笑しかけた時、新たな報告が届けられた。


「ミッドウェー基地より入電、先程の敵艦隊より接近する多数の機影をレーダーにて捕捉! 基地航空隊はこれより全機離陸、うち雷爆撃機隊は敵艦隊の攻撃に向かい、戦闘機隊は基地上空で敵機を迎え撃つとのことです!」


 読み上げられた電文に、レナは息を呑んだ。基地航空隊の悲壮な覚悟を知ったからだ。

 戦力の温存をはかるなら、雷爆撃機隊と戦闘機隊を分けたりはしない。

 彼女達がやろうとしているのは、文字通りの挺身だ。

 敵の航空戦力を少しでも長く基地上空に足止めし、敵空母の注意をミッドウェー基地だけに向けさせるため。

 全ては、レナ達の攻撃を成功させるため。


「重ねて入電! 基地司令のシマード大佐より、島への援軍は無用! ただ勝利を、と……」

「もう一度、フレッチャー少将につないで下さいっ!」


 レナは叫び、受話器を掴み取った。

 呼び出しから1分以上経って電話に出たジェニファーの声は、先程とは違って明らかに動揺していた。


〈何度も言わせないでよ。敵空母残り3隻がどこにいるかはっきりするまで……〉

「他の3隻も一緒に行動しているか、1隻しかいないかです」


  ジェニファーを途中で遮って、レナはそう断言した。


「ニミッツ提督は、私達にお命じになりました。敵空母は1隻1隻、確実に止めを刺せと。敵空母の位置は既に判明しています。4隻だろうと1隻だろうと、やるべきことに変わりはないはずです」


 ――見敵必殺。押し黙るジェニファーに、レナは畳み掛ける。


「提督が出撃前、発艦時間を短縮する訓練を繰り返しやらせたのは何のためだったと思いますか? 航空戦はスピードが命だということを、私達に教えたかったからではないのですか?」

〈……あの提督に、現場の何がわかるっていうの!〉


 受話器の先で、押し殺した怒りが爆ぜた。

 だが、ジェニファーが続けて何か言おうと息を吸い込む間隙に、レナは言葉を滑り込ませる。


「ではジェニファーさんは、ミッドウェー基地を見殺しにするつもりですか」

〈……っ!〉

「今の基地からの電文は、そちらにも届いてますよね。このまま私達が動かなければ、基地航空隊の犠牲は無駄になります。それこそ犬死にです」


 再び沈黙が降りる。

 数秒間、レナは息を詰めて返答を待つ。果たして。


〈……良いわ。攻撃隊を出しましょう〉

「ありがとうございます」

〈いいえ。……貴女も、ハルゼイ中将に見込まれただけはあるってことね〉

「え……」

〈せいぜい、メイベル・ミッチャーに手柄を盗まれないよう気を付けなさい〉


 皮肉めいた声。通話はそれで終わりだった。


「フレッチャー少将からGOサイン出ました! ホーネットへ発光信号、ミッチャー艦長に攻撃命令! 目標は敵空母アカギです!」


 色々な思いに蓋をして、まずは僚艦であるホーネットに指示を伝えてから、レナはクリスを呼ぶ。


「発艦準備はどのように進めていますか」

「は、先程申し上げた通り、時間のかかる雷撃隊の発艦準備を優先させました。雷撃隊を上げ次第、爆撃機隊、戦闘機隊の順に飛行甲板へ上げて、全機発艦となります」


 飛行甲板では、魚雷を装着し終えたTBDデヴァステイターがエレベーターから現れては、整備員達に押されて後方に並べられていた。

 艦載機の発艦時の並び順には決まりがあり、重たい魚雷を抱いた雷撃機は長い滑走距離が必要なため一番後ろ。

 クリスが言っているのは、これから雷撃機の前に爆撃機、さらに戦闘機を並べてから発艦するという、教科書通りの手順だが……。


「準備のできた隊から、ばらばらでいいので発艦させて下さい」


 艦長が驚いて口を開きかけるのを手で制し、鷹のようなクリスの目に視線を合わせレナは続ける。


「全機揃って発艦が定石なのは私も知っています。けれど、今はその時間が惜しいんです。こちらに発見されたことは敵も気付いているでしょう、いつまでも同じ場所にいるとは思えません」


 それに、基地航空隊による攻撃と間隔が空き過ぎても駄目だ。

 例え戦力の逐次投入になっても、敵に休む時間を与えないことの方が今は重要だとレナは判断した。

 聞き終えたクリスは、瞬き一つせずに頷いた。


「イエス・マム。VT-6、直ちに発艦せよ!」


 号令一下、14機の雷撃隊が飛び立っていく。続いて爆撃機隊が発艦準備に入った。

 レナはアームチェアに身を沈め、長い息を吐いた。

 遅効性の毒のように、自分への嫌悪感がこみ上げてくる。

 ジェニファーがセシリアの命令に反感を抱いていることはわかっていた。わかった上で挑発したのだ。

 基地を犠牲にしてでも敵空母を沈めろというセシリアの命令を実行するために、基地を守りたいというジェニファーの気持ちを利用した。

 しかも、ジェニファーにそれを見透かされた。最悪だ。

 それにジェニファーが最後に言ったこと、あれはどういう意味だろう。メイベル・ミッチャーに手柄を盗まれないようにって……。


「スプルアンス司令官、ホーネットの様子が妙です」


 マーレ艦長の声で、我に返る。いけない、今は自分がこの部隊の司令官なのだ。


「ホーネットがどうしました?」


 席を立って、艦長から双眼鏡を借りる。

 共に第16任務部隊を構成する空母ホーネットは、エンタープライズの視界内を航行している。

 僚艦にレンズを向けたレナは、自分の目を疑った。


「……どういうこと」


 飛行甲板に、動きと呼べるものが全く無い。

 1機の艦載機も1人の整備員の姿も見えない。

 ホーネットに攻撃命令を出して既に何分も経つ。艦長のメイベルは、発艦の速さは自分のところが一番だといつも自慢していたのに。


「どうも、発艦準備をしていないようなのですが……」


 マーレ艦長が言い難そうに語尾を濁した。レナは流石に苛立ちを隠せなくなる。


「それは見ればわかります。ホーネットへ直ちに発光信号! 再度、速やかな攻撃隊発艦の命令と、それに遅延の理由も問い質して下さい!」


 司令官からの督促に対するホーネットの返答は、あっけないほど早かった。


「ホーネットより返信、我エレベーター不調、繰り返す、我エレベーター不調。以上です!」


 レナはますます困惑する。エレベーターが不調? 馬鹿な、3基あるエレベーターが3基とも動かなくなったというのか。よりにもよって、このタイミングで――


「……ねえ、これってもしかして、キルボーナス狙いじゃ」「え……キルボーナスのためにここまでやる?」「だって、あのミッチャー少将だし……」


 レナの背後で、エンタープライズの士官数人が何やらひそひそ話を始める。

 囁かれる言葉の中に聞き慣れない単語があるのが気になって、レナは思わず振り向いた。


「すみません、キルボーナスって何ですか」


 少女達は、何故か気まずそうな目で顔を見合わせる。代わりに、マーレ艦長が口を開く。


「……空母航空群で、敵主力艦の撃沈認定を獲得した隊の所属空母に出される報奨金のことです」


 レナは絶句した。

 脳裏にジェニファーの警告と、メイベルの浮かべる薄ら笑いとが交互に浮かぶ。


「敵に空母が1隻しかいないって聞いた時点で、わざと遅れて発艦させれば自分とこの隊がキルボーナス獲れるって考えたんじゃ」「先に行くと、直掩のゼロファイターの餌食にされるから」「汚い、さすがミッチャー少将汚い」「あの女、フレンダ様がいないからって私達のこと舐めてるのよ!」


 ひそひそ話の域だった艦橋内のざわめきは、声高な非難へと変わっていく。反比例して、レナの視線は足元に落ちていく。

 何か言わなくては。本当にエレベーターが動かなくて困っているのかもしれない、仲間を疑うのは良くない……駄目だ、舌がぴくりとも動かない。

 セシリア・ニミッツに代表されるように、戦時のヴィンランド海軍は成果主義が徹底している。それが、こんな形で裏目に出ようとは。


「私、聞いたことがある。ミッチャー少将って、アナポリス時代に窃盗をしたのがばれて停学処分になったんだよね。それで1年ダブったって」「あ、それ私も先輩から聞いた」「それで部下もあんな不良ばっかし集まってるんだ。あそこガラ悪過ぎだよね、同じネイビーガールだと思われたくない」「タトゥー入れたりピアスしたり男といやらしいことしたり酒とか煙草とか平気で」「あんな海賊みたいな連中に、手柄をみすみす渡せないわ!」「そうよそうよ! 葦原の正規空母を初めて沈める栄光は、このエンタープライズにこそ……」


 金属がひしゃげる打撃音が、全員を黙らせた。

 レナは顔を上げる。

 クリス・マクラスキーが扉のところに立って、いつもの無表情のまま、拳を壁に打ち付けていた。

 だがレナを驚かせたのは、そのことではなかった。

 さっきまで士官服姿だったクリスが、今はパイロットスーツを着用している。


「クリス? その恰好……」

「司令官。私に爆撃機隊を率いる許可を頂けますか」


 クリスは短くそう告げて、飛行甲板を指差す。

 ブルーグレイで塗装された機体が、エレベーターで上昇してきていた。

 SBDドーントレス。

 500ポンド爆弾を懸吊した、急降下爆撃機。


「……あれに乗って? 航空群司令の貴女が、自ら出撃するのですか?」

「はい。ホーネットが抜けた分だけ、我々のミッションは困難になりますから」


 だから、直接指揮を執るというのか。

 レナの中で、期待と不安がせめぎ合う。

 航空戦に慣れていない自分には、経験豊富な補佐役が不可欠だ。クリスには傍にいて必要な時に助言をして欲しい。

 だが、クリスの顔を見てレナは言葉を呑み込んだ。

 一見いつも通りの無機質な表情の奥に、凄烈な何かを感じたからだ。

 それは、彼女と同じウイングマーク保持者であるメイベル・ミッチャーが、薄ら笑いの仮面の下に隠しているものと似通っていた。

 野性の獣の、乾いたプライド。


「……許可します。健闘を」


「敵空母を仕留めて戻ります」


 短いやり取り。敬礼し、振り返ることなく艦橋を去るクリスの背中を、レナは見送った。

 エンタープライズからは最終的に、57機が発艦した。

 ヨークタウンからは35機、ミッドウェー基地からは54機。合計146機の攻撃隊が、それぞれ異なる時間とルートで、通報のあった座標を目指す。

 標的は、敵空母アカギ。

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