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第7話(2)全部思い出した

「南雲を更迭すべきだ」


 演習の後、司令部メンバーだけで上がった作戦室。束が開口一番に言ったのがそれだった。


「え……ならさっきはどうして、ああいう判定を? 汐里ちゃん達に自信をつけさせてあげるためじゃなかったの?」

「生憎とあたしは、山本長官みたいにお優しくはねえんでな。泣き喚くだけのガキ相手に、まともに演習すんのが阿呆らしくなっただけだ」


 驚く五十子に吐き捨てるようにそう返すと、束は五十子の座る対面の席に腰を下ろした。


「今日に始まった話じゃねえ。あの泣き虫水雷屋に航空戦を指揮する能力が皆無だってことは、ここにいる全員が承知のはずだ。奴が取り返しのつかねえ失態をしでかす前に、指揮官を代えよう。適任なのは南遣艦隊の小沢さんか、小沢さんが無理なら……井上でも良い」

「宇垣参謀長の口から、井上さんの名前がっ? 参謀長、ひょっとして熱があるんじゃあ……?」


 寿子が目を丸くする。五十子は「あのね、束ちゃん」と身を前に寄せた。


「束ちゃんが心配する気持ちもわかるよ。確かに汐里ちゃんは、航空戦が得意じゃない。でもね、わたしだって最初は、航空戦なんて全然わからなかったんだよ。兵学校はつい最近まで、水面上の二次元で敵艦隊を視認して戦う砲術や水雷術しか教えてなかったよね。だから元から航空戦が得意な子なんていない。すぐに呑み込める子も中にはいるけど、成長の早さは人それぞれだよ」


 五十子の指摘に、束の眉根の皺が深くなる。五十子にそのつもりがなくても、海軍士官の花形だった砲術を専攻しエリートコースを歩んできた束への皮肉に聞こえたのかもしれない。


「汐里ちゃんは、世界で初めてつくられた機動部隊の指揮官に選ばれて、お手本が何もない中手探りで頑張ってくれた。人前ではちょっと頼りなく見えるところもあるけど、わたしは頑張ってきた汐里ちゃんのこと知ってるから、尊重したい。それに汐里ちゃん自身が詳しくなくても、元飛行機乗りの峰ちゃんがついてるから大丈夫だよ」


「……草鹿がついてるから大丈夫? あいつはただの馬鹿だぞ」

「馬鹿じゃないよ、草鹿だよ」

「洒落じゃねえよ!」


 束が机を叩いた。五十子が大きな目を瞬きさせる。


「草鹿の経歴に騙されるな。奴は霞ヶ浦航空隊にいる間、偵察機に2、3度だけ乗って後は『航空哲学』とかいう謎の研究をやってた馬鹿だ。参謀になってからも、剣術の家元の娘だか知らねえが、どうでもいい美学を作戦に持ち込みやがって。真珠湾で一航艦が反復攻撃しなかったのも奴の『攻撃はただ一太刀』とかいうこだわりのせいだし、奴が真珠湾の帰り道ミッドウェーを放置したから、今もミッドウェーの敵基地が健在なんじゃねえか。ここまで勝ってこられたのは搭乗員達が優秀なのと、戦備の整ってない敵を一方的に叩けたからだ。これからは敵も機動部隊を出してくる、ワンサイドゲームにはならない。南雲も草鹿も、馬鹿夫婦は揃って更迭すべきだ」


「……更迭。どうやって?」


 亀子が机に突っ伏したまま眠そうに呟いた。寿子も、戸惑った様子で口を挟む。


「人事権は海軍省にあるんです。人事のことで山本長官に食ってかかるなんて、参謀長本当に熱があるんですかあ? 草鹿×南雲のカップ……コンビは、嶋野大臣のお気に入りらしいですし」


「あたしは冷静だ。てめえらだって、一度は考えたことあるんじゃねえか?」


 束はいつになく張り詰めた表情で、声を落とした。


「一航艦は、建制化された艦隊じゃねえ。空母以外の艦艇はほとんど他の艦隊からの派遣だ。各艦隊司令長官の権限で派遣の艦艇を引き上げれば、一航艦は行動不能になる」


 束の言ったことの意味が、洋平の頭にもじわりと浸透していく。

 連合艦隊は大和など五十子の直率する部隊や、南遣艦隊などを除くと、戦艦中心の第一艦隊から潜水艦を運用する第六艦隊まで6つのナンバーズフリートで構成される。

 1年前編制されたばかりの第一航空艦隊は正規の所属艦が空母だけなので、護衛の高速戦艦や巡洋艦、駆逐艦、さらには補給のための艦艇もナンバーズフリートから借りている。もしこれらを全て取り上げられれば、一航艦は堀を埋められた城も同然だ。


「そうなれば、あの2人は辞職せざるを得ない。海軍省人事局の範疇じゃなくなる。決断してくれ。山本長官が各艦隊の長官に一言、下令すれば済む話だ」


 普段五十子と距離を置いている束がここまで強く意見するのは珍しいと思いつつ、そんなに上手くいくのかとも洋平は思った。束の考えは理論上の域を出ていない。南雲はともかくあの草鹿がそう簡単に辞職するとは思えないし、2人を気に入っているという嶋野が黙って見ているかも怪しい。

 だがそういう指摘を誰かがする前に、五十子が立ち上がって大きな声を出していた。


「汐里ちゃんと峰ちゃんを、無理やり辞めさせるだなんて……そんなの、絶対ダメだよ!」


 束も立ち上がると、声を荒げる。


「だったらこのままで良いってのか! あの馬鹿夫婦がどうなろうが知ったこっちゃないがな、付き合わされる下の人間はどうなる! 無能な指揮のせいで、心中することになるんだぞ!」


 多恵のことだと、洋平は瞬時に気付いた。同時に束が、ここまで必死になる理由も。だが五十子は頑として束の主張を拒む。束は頬を引きつらせて、浮かべたのはまたあの嘲笑だった。


「……つくづく甘いな。頑張ってきた南雲を尊重する? MO作戦の時も、渡辺の交渉結果を尊重するとか言ってたな。それで何か決めたつもりか? 仲良しごっこがしたいなら、女学校にでも行けよ! 前から思ってたが、なんで米内閣下はあんたを連合艦隊司令長官に……っ」


 束は途中ではっとして、自分の喉を手で抑える。我に返ったように、五十子からそっぽを向いた。


「宇垣参謀長、今のは言葉が過ぎます!」

「……あなたに、山本長官の何がわかるの」


 一瞬遅れで、寿子と、それに亀子が割って入った。


「……それと、さっきの演習。青軍は攻撃隊の全部で島を爆撃していたところを、側面から赤軍の空母に攻撃され、反撃できず損害を拡大させた。本番では島の爆撃は攻撃隊の半分で行うこととし、残り半分は敵空母の出現に備え、艦攻は魚雷装備で待機させたい」


 亀子の提案に、五十子は無言でこくりと頷く。


「へっ、また戦力の分散かよ」


 皮肉っぽく呟いた束は、そのまま作戦室を出て行ってしまった。


「さ、参謀長? 待って下さいよお」


 寿子が後を追い、亀子はいびきをかき始める。

 残された五十子は出口の方を暫し眺めてから、首を振って頬を両手でぱんぱん! と叩き、振り向いた時にはいつもの五十子だった。


「あのね、洋平君。呉の街に甘味処見つけたんだけど、もし良かったら気分転換に上陸してみない?」




 2人きりになるのは、随分久しぶりな気がした。

 五十子の背中を見ながら、呉の街を歩く。数歩分の距離をとってしまうのは、有名人の五十子に遠慮して……だけではない。

 一体どんな顔で、どんな話をしたらいいのか。

 五十子が自分を誘った意図がわからないし、考えるのが怖かった。

 そんな洋平にはお構いなしに五十子は立ち止まっては振り向き、明るい笑顔を振りまいてくる。


「最近甘い物控えてたから、すっごく楽しみ! そうだ、帰り二番目に良いところに寄ろうか」


「……?」


「えへへ、二番目に良いところっていうのはね、銭湯のこと。なんたって陸は真水のお湯が使いたい放題だからね! 入湯上陸って言うくらいで。ちなみに一番目に良いところは勿論甘味処だよ!」


 洋平は曖昧な相槌を打つ。

 上陸といえば、海軍には『ネズミ上陸』という制度がある。食糧倉庫を荒らすネズミを艦内から駆除するため、捕まえた乗組員に1匹につき1晩停泊時の上陸許可を出すのだが、家族に会いたくてこっそり差し入れてもらったネズミを「捕まえました」と提出する不正が後を絶たないらしい。帝政葦原中津国の呉に家族も知り合いもいない洋平にとっては、二回目となる上陸に特段の感慨は無かった。

 こういう風に過去や異世界に来た場合、元の世界では洋平が消えたと騒ぎになっているのだろうか? それとも某ネコ型ロボットの大長編のように、帰ったら数分間しか経っていなかった、みたいなオチなのだろうか? 

 洋平は、元の世界に帰ることを考えている自分に気付いた。目に映る街並みや道行く人々の姿が、急に色褪せていく。


「着いたよ、洋平君……洋平君?」


 肩に置かれる白革の手。五十子が心配そうに洋平の顔を覗き込んでいる。景色が精彩を取り戻す。


「ごめん。何?」


「えっとね、お店に着いたよって言ったんだけど……あれ、休業中?」


 五十子が前に立った店の戸には、『覇権交代、東亜が変わる』と大書された戦意高揚ポスターの隣に、小さく『休業中』の貼り紙がしてあった。


「どうしたんだろう、こないだ下見した時は営業してたのに……ごめんくださーい」


 暫くして、店の人間と思しき女性が出てきた。帝都で入った甘味処の店主ほど年配ではなく、何故か工場の作業服のようなものを身に着けている。

 女性は当初、連合艦隊司令長官の来訪に恐縮していたが、「砂糖の配給が滞っているんですか?」と五十子に質問されると小さく首を振った。


「いえ、配給は前から少なかったですけど……街の人から、苦情がありまして」

「苦情?」


 女性は言いにくそうだったが、五十子に根負けして口を開いた。


「その……空襲があって大勢人が亡くなったのに、甘い物なんて不謹慎だと。隣組の皆さんにも迷惑がかかりますし、幸いここを閉めても、海軍工廠でお仕事が貰えることになりましたので」

「そうでしたか……。空襲の件は、本当に申し訳ありません」


 五十子が深々と頭を下げ、後ろで見ている洋平の心を苛んだ。女性が慌てて首を振る。


「いいえそんな! こちらこそせっかくいらして頂いたのに……そういえば今度、ミッドウェーという所で大きな作戦があるそうですね。街中その噂でもちきりで。ご武運をお祈りしています!」


 五十子は女性にもう一度頭を下げ、店を離れた。銭湯に寄ろうという前言に反してそのまま港に戻り、待っていた長官専用の15メートル内火艇にそそくさと乗り込んだ。


「あーあ……。ショックだよ、洋平君」


 五十子が珍しく落ち込んでいる。

 ミッドウェー作戦の核心といえる情報が外部に漏れていることを目の当たりにしたのだから、無理もない。戦艦大和と46センチ主砲のことだけはあたかも御神体か何かのように秘匿しているが、前に五十子が帝都に向かう際も情報がダダ漏れだった。どうも海軍の情報管理にはムラがあるように思えてならない。


「わたしの生きがいが世の中では不謹慎扱いされてるだなんて、悲し過ぎるよ!」

「……」


 突っ込む気力が無かった。それに、あの不謹慎云々も、敵性語と同じでおかしな話だ。


「あれ、洋平君ノリ悪い? 勿論、情報漏洩のことだってちゃんと気にしてるんだからね? 戻ったら亀ちゃんに伝えて作戦に影響ないか検討してもらうのと、みんなによく注意しないと……」


 不意に五十子が黙った。

 長官艇は既に柱島泊地に入り、今は戦艦扶桑と姉妹艦山城の間を通過している。進行方向には大和、その左に長門と陸奥が並ぶ。

 だが五十子が凝視しているのはそちらではない、今しも通過しようという扶桑の、高くて曲がりくねった艦橋だ。上の方に海軍乙女の白い人影がちらほら見えるぐらいで、特に異常は見当たらないが……?


「艇を扶桑に接舷させて!」


 扶桑に乗り移った五十子は、驚き顔で敬礼する将兵を無視して艦橋を駆け上がった。艦橋にエレベーターがあるのは大和型だけだ。洋平は何が起こったのかわからなかったが、とりあえず五十子の後について必死にラッタルを昇った。

 洋平の無気力を吹き飛ばしたのは、ドーリットル空襲の記憶だった。

 あの時と同じだ。

 あの時も五十子は、皆が九六式陸攻だと思っている機を敵だと看破した。驚異的に視力が良いのかそれとも勘が鋭いのかはわからないが、五十子がこうしている以上、この上できっと何かが起きている。


「どうしてだよ刈羽っ! 早まるなっ!」「刈羽さん駄目だよ、ね、そこ危ないよ、戻ろう?」


 ラッタルの終点が近い。息を切らした自分の喘ぎに混じって、聞き覚えのある数人の声が聞こえてくる。

 最上階、主砲方位盤の置かれた第14層には、3人の少女がいた。

 洋平がこの世界で目覚めた翌日に大和で昼食を共にした、五十子と同じ越後出身の海軍乙女達。駆逐艦時雨艦長の木村少佐、戦艦山城砲術長の新発田少佐、そして。

 手摺の無い端に、この艦の通信長の、刈羽少佐がいた。

 3人の中でもクールで理性的だった刈羽の顔は、今は潮風になぶられて髪の毛が貼り付き、血の気が失せている。

 黄泉の国に、半歩ばかり足を踏み入れたような表情。

 ああ、もしかしてこれは――。


「……山本、長官?」


 虚ろだった刈羽の目が、ぎょっとしたように見開かれた。五十子に気付いたのだ。

 彼女の身体が、後ろに傾く。片足が何もない宙を踏み、そのまま、背中から下へ……。

 雷閃の如く、五十子が駆け抜けた。

 落ちようとする寸前の刈羽の右手を掴む。だが、五十子だけでは力が足りない。五十子の身体ごと、重力でみるみる引きずられていく。


「みんな!」


 五十子が叫んだ時には、既に駆けつけた木村と新発田が刈羽の左腕を、そして洋平が五十子の身体を押さえていた。

 少女達の軍帽が、風に飛ばされ舞い落ちていく。

 この下は第4層、それも甲鉄で覆われた司令塔だ。

 人が落ちたら、絶対に助からない。


「「「「せーのっ!」」」」


 全員の力を合わせ、無我夢中で引き上げた。

 気付いた時には皆、荒い息で折り重なっていた。


「刈羽少佐、何があったのか聞かせて」


 いち早く呼吸を整えた五十子が、刈羽に話しかける。手は強く握ったままだ。

 刈羽はまだ虚空を見つめていたが、五十子の声に反応して、小さく首を振った。


「……聞かないで下さい」


 五十子が他の2人に視線で問い質す。木村がおずおずと口を開いた。


「実家から、手紙が届いたみたいなんです。様子がおかしいって聞いて、私達が来たら……」


 木村の説明に五十子は頷いて、刈羽に向き直る。


「刈羽少佐、命令だよ。何があったの」

「……聞けば長官は、私を軽蔑なさいます」


 五十子は無言で刈羽の手を引き寄せる。少女の口から、堪え切れなくなったように言葉が漏れた。


「……一家離散です。地主と高利貸しへの借金が膨らんで、もう次の冬は越せません。妹達を、遊郭に売る他ないそうです。私のお給料ではもう、どうすることも」

「そんな! どうして何も相談してくれなかったんだっ! あたし達、同期じゃないかっ!」


 新発田が声を荒らげた。刈羽は、弱々しく微笑んで首を振る。


「もし相談したら、2人は私にお金を貸そうとするかもしれないでしょう? 新発田さんも木村さんも家に仕送りしてて余裕が無いこと、私知ってるもの」


 その一言で、新発田と木村がはっとして俯いた。


「……戦争が始まって出撃すれば手当が貰えるから、それで何とかなるかもしれないと思っていたの。でも……開戦以来半年、戦艦はずっとここに待機させられたまま。陰口まで叩かれて」

「それはっ、戦略兵器である戦艦は最後の決戦の時まで温存すべきだからだ! 刈羽は同期の中でもトップの成績で扶桑に配属されたんじゃないかっ!」

「……新発田さんだって、本当はわかってるはずよ? 航空主兵の時代に、空母に随伴できない低速戦艦の出番は無いって。兵学校の成績が私達より下で空母配属になった子達は、今や出撃手当で私達とは桁違いの収入があるそうね」


 そこまで言って、刈羽は自嘲気味の笑みを浮かべた。笑いながら、身体が小刻みに痙攣していた。


「お聞きの通りです、長官。私は同期のように強くなれませんでした。嫉妬に慣れて、誇れる海軍乙女としての自分がどんどん遠くなって。結局、家族を守ることもできなくて、私だけがこうして何不自由なく暮らして……こんな醜い私は、もう消えてしまった方が」


 刈羽の声が途中で途切れた。五十子がぎゅっと刈羽を抱き締めていた。


「刈羽少佐は、醜くなんかないよ」


 もう一度ぎゅっとしてから、刈羽の身体を同期達に預けて、立ち上がる。


「ご家族に、もう少し待ってもらうよう手紙を書きなさい。お金のことは、わたしが何とかするよ」

「……っ、長官、いけません! 私、そんなつもりじゃ!」


 慌てて追いすがろうとする刈羽を、同期2人が止める。2人に「頼んだよ」と頷いて、五十子はきびすを返した。




 帰りの艇の中で、五十子は『村の鍛冶屋』を口ずさんだ。

 歌い終えて五十子は、悲しげに微笑む。


「越後は貧しいからね。昔は口べらしに、子どもを鍛冶屋へ奉公に出したんだ。これはその頃の歌。今は、その鍛冶屋も工業化で廃れてしまったから。貧しい家の女の子は、海軍乙女になれなければ遊郭に売られるしかない。だから海軍乙女は、女の子達の憧れなんだよ」


「売られるって……親が子どもを売るってこと?」


「誰も、好き好んで自分の娘を売ったりなんかしないよ。親が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」


 五十子が水饅頭をふるまった時の、刈羽少佐の言葉が頭をよぎる。

 饅頭を5人姉妹で一つしか食べられなかったから、水でふやかして分けて食べたと言っていた。懐かしそうな表情の影に隠されていたものに、洋平は気付くことができなかった。


「前に、五十子さんの故郷は敗戦国だって言ったよね。あれって、どういう意味なの?」


 五十子と同郷という刈羽の家の貧しさと、何か関係があるかもしれないと思って訊ねた。


「ああ、そんなこと言ったっけ。……葦原平定戦争でね、越後は旧幕府側についたんだよ。ブリトン製の近代兵器で武装した新政府軍に勝てるわけないってわかってたのに、幕府への古い恩義を忘れることができなかった。長岡の城下町は、三日三晩燃え続けて灰になったんだって」


 葦原平定戦争。聞いたことがないが、この国で昔あった内戦の類だろう。


「わたしはその戦争を直接経験したわけじゃないけど、戦争で負けた側の苦しさは知ってる。越後は裏葦原って呼ばれて、文明開化から取り残された。わたしの村の人達は力を合わせて頑張ってたけど、ある年の冬を越せなくてね。栄養失調と流行病。十分な食事と西洋の医薬品があれば簡単に治る病で、大勢の人が亡くなるのを見たよ。……海軍乙女を目指してた、わたしのお姉ちゃんもね。読み書きが得意で、優しくて、わたしよりよっぽど海軍乙女に相応しかったのに。代われるなら、わたしが代わってあげたかったよ」


 家族の死を、淡々と口にする五十子。

 もう昔のことだから、気持ちの整理がついているのだろうか。

 それでも「わたしが代わってあげたかった」という言葉は洋平の耳に、胸にずしりと重かった。


「勿論、今は旧幕府も新政府も関係ない、みんな同じ葦原人。けど、戦争で負けた側がどれだけ悲惨な目にあうか、そのことだけは忘れちゃいけない。負け戦は、絶対にやっちゃ駄目なんだよ」

「……それで、五十子さんはヴィンランドとの戦争に反対だったのか」


 言ってから、無神経な発言だったと気付く。五十子は戦争の引き金を引いてしまった自分を責めていた。五十子は目を長官艇の進行方向に向けて、何も言わない。大和の巨体が間近に迫っている。その光景を一緒に眺めながら、洋平が頭の中で今日の出来事を振り返ろうとした瞬間だった。

 それはあまりに唐突だった。洋平の脳内に眠っていた記憶が、現実の五感を押しのけフラッシュバックした。

 洋平は海の中にいる。

 焼けるように熱い鼻と喉。

 次第に重くなっていく手足。

 目の前には、見紛うことなき戦艦大和のシルエット。

 だが、もう頭が回らない。意識が遠退き、身体がゆっくりと下へ沈んでいく。ひどく苦しいけど、もうよくわからない。

 その時だった。誰かが、洋平の腕を強く掴んだのは。

 沈んでいた身体が、海面に引き上げられていく。

 唇に柔らかいものが押し当てられ、新鮮な空気が送り込まれる。


 ――しっかり! もう大丈夫だよ!


 激しい水音と、耳元で叫ぶ誰かの声。


 ……いや、今の洋平は、それが誰の声なのか知っている。

 五十子だ。本当に海に飛び込んで、自分を助けてくれていたんだ。

 感謝とともに、五十子に信用されていないのではと拗ねていたことが恥ずかしくなってくる。だがちょっと待て、とするとあの唇の柔らかい感触は……? 洋平の思考は、さらなるフラッシュバックに押し流された。数珠つなぎの記憶が時間を遡るように現れては、頭の中を暴力的に駆け巡った。




「……洋平君? 洋平君! しっかりして、洋平君!」

 現実の身体が揺さぶられている。記憶の中で聞こえたのと同じ声。洋平は目を開ける。心配そうに覗き込んでいる声の主と、至近距離で目と目が合った。


「うわっ! ……い、五十子さんっ」


 思わず飛び退いて、五十子に不思議そうな顔をされる。艇はいつの間にか大和に着いていた。


「ご、ごめん。ちょっとくらっとしただけだから。多分、寝不足のせいじゃないかと……」

「本当? きっと頭に甘い物が足りていないせいだよ! 直ちに糖分補給の要ありと認む!」

「どうして何でも甘い物に結びつけるかな、五十子さんは……」

「え、だってわたしなんて今、禁糖中だからかな、イライラするし手が震えて」

「それもう砂糖中毒だよ! 禁断症状出ちゃってるよ!」


 久しぶりに五十子に突っ込みを入れながら、洋平自身、身体の震えを悟られまいと懸命だった。

 勿論、糖分が足りていないせいではない。

 五十子の人工呼吸を思い出したから……というのもなくはないが、それは戻った記憶のごく一部に過ぎない。

 全部思い出した。そして全部理解できた。

 束に海に突き落とされた時は何も思い出せなかったのに、今日こうして全てを思い出せた理由も。

 自分が、何者なのかも。


「山本長官、こちらでしたか! 無断で外出されては困ります!」


 軍楽長の岩田雫が駆けてきた。雫は五十子が洋平と一緒にいるのを見て眉をひそめたが、自分が手にした革製の筒を見て要件を思い出した様子だった。彼女は、暗号電報の取次役を兼ねている。


「第四艦隊から、作戦特別緊急電が。司令部の皆様が作戦室でお待ちです」


 電報の内容は、ポートモレスビー攻略に向かっていた艦隊が敵艦上機の襲撃を受け、空母祥鳳が沈没したというものだった。

 その後の続報も、洋平の知る史実と寸分違わぬ展開となった。

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