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第7話(1)図上演習

 1942年5月7日から8日にかけて生起する珊瑚海海戦は、洋平のいた世界で歴史の教科書や受験問題に滅多に登場しない、知らなくても差し支えのない知識として切り捨てられた数多の出来事の一つである。

 「真珠湾攻撃を皮切りに緒戦で快進撃を続けたが、ミッドウェー海戦での敗北を契機に守勢に立たされ~」といった具合に1か月後のミッドウェー海戦が必ず取り上げられるのとは対照的だ。

 教育上はそんな扱いの珊瑚海海戦だが、軍事面では史上初の機動部隊同士の決戦として画期的な意味を持つ。人類の長い海戦の歴史で初めて、両軍の艦隊が互いに相手の艦を視界に入れないまま、艦載機による航空攻撃で応酬したのだ。しかしその戦いに、洋平が関わる機会は与えられなかった。あるのは、精神的な居心地の悪さを除けばそれまでとほとんど何も変わらない、柱島泊地に停泊し続ける戦艦大和での日常だった。

 洋平の任官の件は依然宙に浮いたままだったが、海戦に関与できなかったのは何も洋平ばかりではない。

 この世界に来て初めて知ったのは、いったん動き出した作戦について連合艦隊司令部にできることは基本何もないということだった。

 司令部といっても、大画面に戦闘の映像が映し出されたりオペレーターがリアルタイムで現場と交信したりするような司令センターがあるわけでもない。

 部隊への指示を出すのはトラックの第四艦隊司令長官だ。

 一応、連合艦隊司令部には情報の集約・分析によって第四艦隊をバックアップする役目があり、大和は他艦より優れた通信設備を持っていたが、トラックからは多くて1日1~2回、軍楽隊員が取り次いでくれる暗号電報で断片的な情報が入るだけ。他から入ってくる情報も古かったり誤報だったりで、下手をすれば現場をミスリードする恐れがあるのでおいそれとは口出しできない。

 やはり『提督たちの決断』の面白さは、神視点で海戦の様子を見下ろしながら艦隊を直接指揮できるあの戦術フェイズがあったからこそだったのだと痛感する。戦術フェイズが完全委任モードで戦略フェイズのみというのは、「会議シミュレーションゲーム」と揶揄されたシリーズ1作目を上回る糞ゲーぶりだ。

 要するに、退屈なのである。

 艦橋の作戦室は五十子が語っていた通り、お茶を飲んでのんびりしたり遊んだりする場所だった。五十子は将棋やトランプに興じ、時には司令部メンバー以外の少女達も誘って購買の菓子を賭けた輪投げ大会を催したりもした。五十子が揮毫したという壁の『常在戦場』も、書いた本人が率先して遊んでいるので全く戒めとして機能していない。

 亀子は眠り、寿子は書類の山を片付け、束は例の書き物をして、各自思い思いの時間を過ごす(注:寿子は働いている)。

 後世からは、緊張感を欠いた司令部だったと批判されるのかもしれないが、緊張感とはいつまでもは続かず、慣れとともに麻痺するものだ。それは人間の心の防御機能で、逆に「戦争の最中なのに遊んだり笑ったりしたら不謹慎だ」とかしこまっていたら心身がもたない。

 しかし、その退屈な日常も洋平には針の筵だった。この世界でもう、どこにも居場所なんてないように思えていた。

 そんな日々にも、変化の兆しはあった。

 井上成実がMO作戦指揮のためトラックにとんぼ帰りした後も他の艦隊首脳陣は大和に泊まり込み、幹部合宿を続けていた。第二段作戦の発動を目前に控えた作戦研究及び図上演習。その主題は、やはりあのミッドウェー作戦だった。




「ミッドウェー攻略の日をN日とします。まずNマイナス5日までに、第六艦隊は2個潜水戦隊をクェゼリン環礁よりハワイの北方と西方に先遣配置、潜水艦による哨戒網を構築します」


 先日と同じ、大和前部露天甲板に張られた天幕。将官達が机を囲み、寿子のブリーフィングを聞きつつ広げられた地図を注視している。五十子はまだ姿を見せない。洋平は、海戦の話になると気付けば勝手に口が動いてしまっている己のサガを反省し、端の席で口を固く結んで傍聴していた。


「Nマイナス4日、北方海域を管轄する第五艦隊はアリューシャン列島のダッチハーバー基地を爆撃、同時に陸軍によるキスカ島への上陸を開始します。なお第五艦隊は航空戦力を有していないため、角田少将の第四航空戦隊に加わって頂きます」


「アリューシャンだあ? 初耳だねえ、ミッドウェーを攻めるんじゃなかったのかい?」


 空母で敵陣に殴り込むことで有名な猛将、角田斗角四航戦司令官が質問する。


「アリューシャンも陽動で攻めるんですよお。こないだからそう言ってるじゃないですか角田さん」


「するってえとあれかい、馬鹿暑い南方任務が終わったばっかなのに、今度は北の最果てに行けってかい? それも前座の囮になれってかい! かー! 人使いが荒いねえ!」


 斗角は口では文句を垂れつつ、表情は喜色満面だ。溢れる闘争本能を抑えるつもりが全く無い。


「あれえ、角田さんって、こういうハードな任務じゃないと燃えないタイプって聞いてたんですけど……じゃあ、次また空母で艦砲射撃とかしたら、『角田少将は中央でデスクワークをしたがってました』って人事局に異動願いを出しときますねえ」


「ちゅ、中央っ? おいおいそりゃあ殺生だぜ嬢ちゃん! 赤レンガで干物にされるくれえなら、自分は敵さんの砲弾でたたきにされて死にてえよ!」


 慌てふためく斗角を見て、寿子がにやにやしている。猛将の扱いにも慣れてきたようだ。


「じゃあ話を戻しますよお。葦原空母出現の知らせを受けたハワイのヴィンランド機動部隊は、迎撃のためアリューシャンに北上すると思われます。続くNマイナス3日、第一航空艦隊がミッドウェーを爆撃。敵基地を徹底的に破壊した後に、後続の陸軍上陸部隊を支援しつつ前進、ミッドウェーとハワイの中間海域で待機します。アリューシャンに向け北上するヴィンランド機動部隊は、ミッドウェー攻撃の知らせを受け進路を西に変更。あるいはアリューシャンの陽動に釣られず、この時点でまだハワイに留まっておりミッドウェー攻撃の知らせを受けてから出てくる可能性もあります。どちらでも、ハワイの西に配置した潜水艦部隊の網にかかります」


 作戦立案者の亀子は相変わらず睡魔に屈服しているが、寿子の解説はまるで彼女自身が立案者であるかのように端的で淀みない。さすがは司令部の折衝担当、いつも亀子が書くだけ書いて自分ではろくに説明しない計画書を通すため、中央と渡り合ってきただけのことはある。

 だが、斗角が前座ならこちらは真打ちにあたる南雲の様子が、先ほどから何だかおかしい。


「Nマイナス2日、陸軍はアリューシャンのアッツ島に上陸。Nマイナス1日の深夜から、ミッドウェーへの上陸も開始します。敵はこちらの目標がアリューシャンかミッドウェーか混乱するでしょう。敵がそのままアリューシャンに進めば、北に配置した潜水艦部隊が発見します。そしてN日、ミッドウェー攻略完了。この時点で、北にはアリューシャン攻略を終えて南下する第五艦隊、南には第一航空艦隊。そして中央には、退路を断たれ孤立したヴィンランド機動部隊」


 新品の指示棒で寿子が地図をぴしりと叩く。亀子がむくりと顔を上げ、よだれを手の甲でぬぐう。


「つまり。ヴィンランド機動部隊がいったんアリューシャンに北上しその後ミッドウェーに引き返そうと、そのままアリューシャンに北上しようと、遅れてハワイを出てまっすぐミッドウェーに向かおうと、我が軍の挟撃から逃れる術はないということなんですよ」


「……N日は、遅くとも6月7日で」


 寝癖が隆起してサボテンのようになった亀子が、寝言と判別し辛い声でぼそりと補足した。

 中部太平洋から北太平洋まで、世界戦史上空前といえる広大な作戦海域。攻撃目標を一箇所に絞り戦力を集中させるという決戦の定石を敢えて破った、同時多方面作戦だ。それを実現させるため亀子が練り上げた計画は、正に精妙にして巧緻だった。

 艦隊をいくつものグループに細分化した上で、異なる時間・場所から事前に与えた指示通り行動させる。個々の動きが相互に補完し合って全体の作戦成功に向けて収れんしていくよう練りに練られたシナリオは、芸術的ですらあった。行動要領に記されたスケジュールは、まるで鉄道のダイヤグラムのように精密に組まれている。

 だが、それは裏を返せば、作戦が複雑で第三者が全容を理解するのが難しいということでもあり……。


「ええと、Nが攻略完了で、N引く1はミッドウェーに上陸で、N引く2は……あれ? そうだ、わかり易いように魚雷で、N引く酸素魚雷2本は……うえーん、やっぱり覚えられないですぅ!」


 恐れていた通り。作戦の中核を担う一航艦司令長官の頭が真っ先にパンクした。

 傍らで亀子が書いた例の冊子『ミッドウェー作戦ニ於ケル各部隊ノ行動要領』に目を走らせていた草鹿が、白マントを翻して立ち上がる。


「汐里さんは悪くない、やること多過ぎだよ! 軍令部からの命令には、島を攻略するようにとしか書いてなかったはずだ。敵艦隊を陽動でおびき寄せて挟み撃ちにしろだなんて任務、聞いてない!」


 草鹿が上着のポケットから紙片を取り出し、行動要領と並べてばんと置く。


「『大海令第十八号。奉勅、嶋野軍令部総長、山本連合艦隊司令長官ニ命令。一、連合艦隊司令長官ハ陸軍ト協力シAF及ビAO西部要地ヲ攻略スベシ。二、細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ之ヲ指示セシム』……AFはミッドウェー、AOはアリューシャン列島の暗号だとして、大海令のどこをどう読んだら、GF司令部が作ったこの行動要領になるんだ? 命令の拡大解釈じゃないか!」


 いきなり嫌なところを突かれた。

 連合艦隊司令部としてはミッドウェー作戦の目的は言うまでもなくヴィンランド機動部隊の誘出・撃滅で、そのことは軍令部にも当然説明しているが、軍令部は作戦の作法とやらのこだわりで、拠点の攻略という形でしか命令を出してくれない。

 亀子が「反撃ノ為出撃シ来ルコトアルベキ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス」と明記した連合艦隊司令部作成の行動要領はいわば作戦内容を説明するパンフレットに過ぎず、南雲達を動かす法的根拠となるのはあくまで軍令部の命令なのだ。

 とはいえ作戦の目的については前回の会議でも話題になっているので、「聞いてない」とは驚きだが……。寿子は微塵も動揺せず、草鹿に対し即答した。


「その点は戦術指揮を所管する連合艦隊司令長官の裁量の範囲内として、軍令部にも説明してご理解を頂いております。お疑いでしたら、軍令部に直接電話して確かめて下さい」


 従兵に合図して、予めここまで引っ張ってきていた黒電話を草鹿の前にずいと差し出す。


「え? い、いや、山本長官や寿子姫を疑っているわけではないんだけど……」


 案の定、草鹿は勢いを失う。もしここで中央に電話をかけるような真似をすれば、五十子への不信任を宣言するに等しい。今この場に五十子がいないのだから尚更だ。草鹿の言動は軍令部寄りだが、そこまでする覚悟は無いようだった。代わりに草鹿は、眠そうにしている亀子に矛先を変えた。


「しかし、問題が無いわけじゃない。この作戦を考えたのは黒島大佐、キミだろう?」

「……だったら、何」

「真珠湾作戦の時にも言ったと思うけど、キミは一つの作戦にあれこれ詰め込み過ぎてる。第一線で戦う子達のことをわかってない。いいかい、作戦とは皆が読んでわかり易く、命令は単純明快。一太刀で敵を斬り伏せるようなものじゃなきゃならないんだ」

「……可哀想。第一線の将兵でなく、自分達がわからない癖に」

「なにをっ!」


「多恵は、かめかめの考えたこの作戦、やってみたいなって思うの」


 口論の最中に挙手したのは、前回の会議ではほとんど発言しなかった二航戦司令官の多恵だ。


「真珠湾だってやる前はみんな難しい無理~って反対してたけど、特訓して行ったら本番はちゃんとやれたの。それに敵は女の子の練度はまだ低いかもしれないけど、多恵達の持ってない電探を持ってるし、通信技術だって進んでるの。だから多恵達もここで少し無理をして、全力の作戦にしなきゃ倒しきれないって思うな。何よりこの作戦、すっごく面白そうな匂いがするの!」


「……真珠湾の時は、開戦前で訓練する時間があった。だからボクも不本意だったけど同意した。でも今回は違う、本番までに十分な訓練時間が無いじゃないか。これだとミスが起こる可能性が高いし、スケジュールに柔軟性が無いから、どれかひとつがつまずくと全体がこけるよ」


 ミスが起こるリスクを減らすために作戦は単純な方が良い、という草鹿の言い分は確かに一理あった。

 だが先日MO作戦を巡りそれと全く相反する「失敗を前提に作戦を立てるのは邪道」なる主張を展開し、空母祥鳳が危ないという成実や洋平の警告を一蹴したのも草鹿だ。亀子は、やはりあの時狸寝入りで実はしっかり聞いていたようで、容赦なく草鹿の矛盾を指摘した。


「いつもは脳が筋肉でできているような精神論をぶつ癖に、身内の一航艦のことになると、途端に弱音を吐く。人として軸がぶれている。可哀想」


 本人にダブルスタンダードの自覚は無かったのだろう、草鹿の凛々しい顔がみるみる紅潮する。


「……そこまで言うなら、もう反対しないよ。でも、せめて作戦の日程をもう少し後ろにずらしてくれないか。艦載機や部品の補充もしたいし、4月に配属された新人搭乗員の訓練にも時間が欲しい。ベテランの子達だけでも戦力的に不安は無いけど、これだけやることが多いとちょっと……」


「無理。ミッドウェーの攻略日は、6月7日より1日も遅くできない」


 亀子はにべもない。南雲が「あのぅ」とおずおず手を挙げる。


「ごめんなさい、私、難しくてよくわからないんですけど……島の攻略と敵艦隊の挟み撃ち、結局どっちを優先したらいいんでしょう……? 軍令部の命令に島を攻略すべしって書いてあるから、島の攻略の方が優先ってことでいいんですか?」


 亀子は目を閉じ、そんなこと言葉にしないとわからないのかといわんばかりに、


「……自分の頭で考えて」


「うえええん、峰ちゃん、この子怖いよう!」


「キミッ、無礼にもほどがあるぞ!」


 険悪な空気が漂う中、司会の寿子は笑みを引きつらせながら、手をパチンと叩く。


「作戦の説明は以上ですよお。続いては、図上演習に移りましょう!」




 図上演習は、天幕でなく艦内の兵員室を3部屋使って行われることになっていた。

 青軍(葦原軍)と赤軍(ヴィンランド軍)に分かれて戦うため、互いの手の内がわからないよう壁で隔てる必要があるからだ。真ん中の部屋は統監室といって、勝負の判定が行われる。

 海に見立てた大きな台の上に、「兵棋」という軍艦や航空機の形をした駒が並べられていくのを見ながら、『提督たちの決断』の戦術フェイズに似ているなと洋平は思った。案外、この図上演習が民間に広まり娯楽になったのが海戦シミュレーションゲームなのかもしれない。

 そして連合艦隊司令部でゲームといえば、この人だ。


「ふふふ、待ってたよみんな。鉄火場へようこそ!」


 図演会場に移動した一同の前に、五十子が登場する。何故か蝶ネクタイにタキシード姿である。


「青軍大将、汐里ちゃん! 赤軍大将、多恵ちゃん! 審判長は束ちゃん、サイコロ係は斗角ちゃん、そして解説・実況はこのわたし、山本五十子! さあ始めようか、図上演習(デスマッチ)!」

「山本長官、テンション高いわね……」「大のゲーム好きですもんね……」


 参加者達の呟きに同感していた洋平は、サイコロ係に任命された斗角が突然上着を脱ぎ、さらしを巻いただけの上半身を露わにしだすのを見てぎょっとする。ひっくり返した壺でサイコロを隠して、一体何を?


「さあ、丁か半か! どっちも張った張った!」

「わたし丁!」

「おっ、さすが山本長官、景気がいいね! さあ、半方ないか? 半方ないか?」

「よしあたしは半で……じゃねえ! 何サイコロ賭博してんだ角田、長官も真面目に始めてくれよ!」


 ついに束が怒った。「宇垣の旦那がノリツッコミしてらあ」と反省の色が無い博徒を睨み付け、咳払いをしてから、審判長として真面目に仕切り直す。


「これより、ミッドウェー作戦を想定した図上演習を開始する。両軍、礼! 配置につけ!」


 青軍赤軍の参加者が、それぞれ部屋に向かう。去り際、赤軍に選ばれた多恵が束にウインクする。


「多恵は今からヴィンランドさんなの、葦原人のケツを月までふっ飛ばしてやるの!」

「こらぁ誰だ、多恵に下品な悪態教えた奴は!」


 かくして図上演習は始まった。

 先攻青軍、後攻赤軍。

 両軍の部屋からは、審判員として統監室への立ち入りを許された軍楽兵が伝票を交互に運んできて、その伝票に書かれた通りに統監室の兵棋が動かされる。戦況を総覧できるのは統監室だけで、両軍とも索敵をしないと相手の位置はわからない。索敵の成否や被弾・回避などを決めるのは、斗角がその都度振るサイコロなのだが……。


「赤軍哨戒機、索敵成功! 青軍を発見!」

「青軍哨戒機、索敵失敗! 赤軍を発見できず!」

「赤軍、艦爆30・艦攻30による攻撃!」

「青軍、直掩15で迎撃!」

「空母赤城に、命中弾9発! 赤城、沈没!」


 伝票運びの軍楽兵が戻って数秒後、青軍の部屋から特大の悲鳴と泣き声が聞こえてきた。


「うっ、うっ、うええええええん! 赤城がああああ! 私と峰ちゃんの帰るお家があああ!」


 続いてダダダッと廊下を誰かがかけてくる音と激しいノック。統監室に入れるわけにはいかないので束を先頭に皆が廊下に出ると、案の定、青軍副将の草鹿が肩を怒らせ立っている。


「不正行為だ! 審判長、演習のやり直しを要求する!」


「はあ? 不正行為だと?」


 腕組みした束に、草鹿が猛然と食ってかかる。


「そうだ! ボク達青軍は哨戒機を全方位に飛ばして索敵してるのに、赤軍の方は青軍のいる座標に狙ったように集中的に飛ばしてきただろう! 予め青軍がどこにいるか知ってなきゃ、あんなことはできない! 大方、赤軍の誰かがこっそりボク達の部屋の会話を盗み聞きしてるんじゃないか?」


「ひどい言いがかりなの。多恵達はズルなんかしてないの!」


 廊下の反対側から現れたのは、赤軍大将の多恵だ。


「ちなみに南雲さんの泣き声はうるさくて、多恵達の部屋からでも丸聞こえなの!」


「くっ……不正じゃないなら、どうしてボク達のいる方に同時に何機も哨戒を出せたか教えてよ!」


「そんなの匂いでわかるもん! 敵の空母は多分この辺りにいるなって!」


 草鹿は「に、匂い?」と一瞬固まった。が、背後から響く南雲の泣き声ですぐ我に返る。


「いや! 仮に不正が無かったとしても、今の判定は非現実的だ。ヴィンランド軍の搭乗員は練度が低いし、個人主義で決死の覚悟も無いから実戦で9発命中なんて有り得ない。だから赤軍の命中率の計算は、青軍の3分の1ぐらいにしてくれないか。同じ命中率じゃ、猛訓練と決死の覚悟で敵に肉薄できる我が軍の搭乗員に対して失礼だ!」


 ずるいのは草鹿の方だと洋平は思った。都合良く途中でルールを変えていたら、ゲームは成り立たなくなる。

 しかし青軍の部屋からは南雲の大泣きする声が響いていて、草鹿も引き下がりそうにない。

 一同の視線が、審判長の束に集まった。

 暫しの黙考の後、束は苦い声で告げる。


「……角田、今のは3分の1だ。赤城への命中弾は3発とする」


「へえ、いいのかい? じゃ、赤城小破!」


 束の指示を受けて斗角がそう言い直し、台の上で、沈んだ赤城の駒が復活した。

 草鹿が、未だ南雲が泣きじゃくっている青軍の部屋に走って引き返す。


「ふええ……ぐすっ、ひっく、私、もう嫌……ミッドウェー行くのやめる……」


「汐里さん、泣かないで! 間違いだったんだよ。赤城は沈んでないし、実戦でも沈んだりしない!」


 扉を開けてそう叫んだ草鹿の胸に南雲が飛び込むのが見えた。


「峰ちゃんっ……! ごめんね、私の指揮、下手なせいで、いつも峰ちゃんに迷惑かけて……こんな私なんて、魚雷発射管に詰めて射出してもらった方がっ」


「そんなことない! 汐里さんの指揮の下、ボク達は輝かしい戦果をあげてきたじゃないか!」


「うう、ぐすっ……ねえ、峰ちゃん……なんで飛行機は、見えないところから飛んでくるの? 水雷戦なら、敵が目の前にいるのに……私もう、どうしたらいいかわからなくて……」


「もういいんだ汐里さん。ボクがついてる。汐里さんも一航艦も、ボクが守るから!」


 扉が閉まり聞こえた会話はそこまでだったが、洋平は何ともいたたまれない気持ちになった。同様の気分だったのか、首を振って統監室に戻ろうとする束の背中に、多恵が抗議の声を叩きつける。


「たばねえ、どうしてなの? こんな判定、南雲さん達のためにも良くないの!」


「……多恵。今は何も言わずに戻ってくれ」


 束は振り返り、到底納得のいかない様子の多恵に顔を寄せると、耳元で何事かを囁いた。多恵は目を見開いて、悲しげに頷くと赤軍の部屋に引き返す。

 両軍の関係者が廊下から消えたのを見届け、統監室の扉を閉めてから、束は五十子と、それに連合艦隊司令部のメンバーを見回した。


「終わったら作戦室まで来てくれ。話がある」


 その後演習は再開されたが、赤軍が優勢になるたび、草鹿の苦情で何度も中断させられた。まるでリセットとセーブポイントからのやり直しを繰り返すように。結果は当然、青軍の大勝利だった。

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