第5話(4)4月18日、犬吠埼東方沖約700浬
下総・犬吠埼東方沖約700浬。
波濤を蹴立て、輪形陣で西進する17隻の艦隊。その中心を進む空母の1隻が、北西に転針した。
空母の飛行甲板後部。有り得ない物体がそこにあった。
全長16メートル、全幅20メートル超の双発爆撃機。
飛行場でなく航空母艦の甲板に、だ。常識的に考えれば搭載できるサイズではない陸上機が16機、斜交いに並んでいる。
空母は艦首を風上に突き立てた。高さ30フィートの波が艦を揺さぶり、40ノットの風が甲板上にある全てを吹き飛ばそうとする。全身をずぶ濡れにしながら、整備員達が機体を甲板に拘束していた鎖を外していく。
「薬は飲んだか? 新しいゲロ袋は持ったか? よおし気張りなチェリーボーイズ!」
つなぎ姿の金髪少女が風に負けない大声でがなり親指を立てると、機体のハッチを密閉した。
「ミッチェル全機、発艦準備完了」「天候はどうだ?」「昨日まで列島に居座っていたfuckin低気圧は北へ抜けました。飛行に支障ありません!」
艦橋。そばかす顔の女が艦長席に身を沈めていた。毛先がハネた褐色の髪、耳には大ぶりのピアス。チューインガムを噛む音をくちゃくちゃ立てながら、スピーカーから流れる演説に耳を傾ける。
〈第16任務部隊司令官フレンダ・ハルゼイよりドーリットル隊の男達へ! サンフランシスコからここまで半月の航海、よくぞラ・メール症状に耐え抜いたわ! 貴方達は既に英雄よ!〉
「ハルゼイのお嬢、今日は一段と声がデカイっすねえ。耳がガバガバになりそうっす」
部下の1人が肩をすくめ、艦長席を振り返る。艦長は返事の代わりにガムをぷーっと膨らませた。
〈あの忌まわしいパールハーバーの悪夢から4ヶ月。私達は屈辱に耐え、苦渋を舐め続けてきた。そして今日! ようやく卑怯なサルどもに対し反撃の狼煙を上げる時が来たの。4月18日は、ヴィンランド合衆国のみならず全人類にとって記念すべき日になるわ。ドーリットル隊は、栄光とともに歴史にその名を刻むのよ!〉
「ミッチャーの姉御はスピーチ(笑)しないんすか? こちとら15日間もイカ臭い陸軍機の運び屋やらされてムラムラしてるんすよ。姉御も一発カマしてやって下さい」
いっぱいに膨らませたチューインガムがパチンと弾け、艦長は大儀そうに背もたれから身を起こした。士官服の袖を荒く切り裂いた肩先には、とぐろを巻く蛇のタトゥーが彫り込まれている。
「ガラじゃないさ。んなことよりレーダーから目ぇ離すんじゃないよ。カリブじゃないんだからね」
「へーい」
〈誇り高い自由の戦士達よ! 自分達は安全だと思い込んでいる愚劣なサルどもの頭上に、今こそ正義の鉄槌を振り下ろしなさい! God bless Vinland !(ヴィンランドに神の祝福を!)〉
〈God bless Vinland ! God bless Vinland !〉
勇ましい演説の締め括り。スピーカーから聞こえる大合唱に、CV-8ホーネット艦長、メイベル・ミッチャーは薄ら笑いを浮かべた。
「……神の祝福ねえ」
艦橋のガラスをビリビリと震わせ、1機目が重い機体を持ち上げ発艦していく。それを見守る女の眼差しは、軽薄な口調とは裏腹にひどく暗かった。
「この糞ったれた世界に、神なんていやしないよ」
爆撃機は西へ旋回する。その先に、700万人の市民が暮らす東洋一の大都市が広がっていた。




