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第5話(3)正直に言うと、君にはこの戦争に口を出して欲しくないわ

「嶋野大臣は十中八九、親授式が済めばミッドウェー作戦を却下する心算です。こちらも搦め手から攻めましょう。美豪分断作戦に従うふりをして、その前段にミッドウェー作戦を組み込むんです」


 ホテルに戻るや、寿子はベッドに地図を広げて計画書の練り直しを始めた。


「目的は表向き島の占領に絞ります。ミッドウェーに飛行場を設けて哨戒圏を東に2000浬拡大すれば、ハワイの美太平洋艦隊の動向を察知し易くなり、美豪分断に有利に働くと説明するんです。ミッドウェー・アリューシャン攻略後、連合艦隊はそのまま太平洋を南下、トラック諸島に泊地を移して美豪分断作戦を本格化させる。ちょっとした寄り道、これなら選考通るかもです」


「待って寿子さん。そのスケジュールだとハワイ攻略ができなくなるんじゃないか?」


「これは政治ですよお未来人さん。嶋野大臣ご執心の美豪分断作戦を真正面から否定してたら彼女の顔が立ちませんから、とりあえず向こうが飲める落としどころを。それに、私達がミッドウェーで敵の機動部隊を壊滅させられれば、中央を取り巻く空気も否応なしに変わります。作戦目標にしたって、決定権は軍令部にあっても実戦の指揮は私達が執るわけですから。書類上は島の攻略が目的ですっていう体にしても、出撃しちゃえばこっちのもんです」


「なるほど……凄いな寿子さん。僕には思いつかなかった」


 名を捨て実を取るというわけか。亀子に隠れて目立たないが、彼女も伊達に参謀をしていない。


「はは、今日はお二人に任せて黙ってましたけど、中央との折衝は本来私の仕事ですからねえ。まあ、三下の発想ですよ」


 地図から目を上げて、戦務参謀は笑う。自嘲するような笑い方に、洋平は少しむっとした。


「はかりごとに参加すると書いて参謀だろ。1人で三下にならずに、僕も混ぜてよ」

「お、嬉しいこと言ってくれますねえ。でも、今日の長官や未来人さんみたいな直球勝負も、個人的には嫌いじゃないですよお」


 ベッドに女の子座りした寿子がちょこんと首を傾けた。その仕草に洋平は急に気まずさを覚える。


「いや、あれはただ無我夢中で……それより寿子さん。僕、当たり前のように女子の部屋に入っちゃってるけど、これってまずくないかな?」


 ここは五十子と寿子のツインベッドルームで、洋平は本来別部屋だ。寿子はにやりとして、


「今更ですねえ。大和では少佐達の入浴を覗いたり黒島参謀の部屋に入ったりしてたくせに」

「あ、あれは全部五十子さんが……」


「ふう、お風呂気持ち良かった~。ヤスちゃんと洋平君も入りなよ」


「アウトーッ!」


 バスタオルを巻いただけのあられもない格好でごく普通に登場した連合艦隊司令長官に、思わず叫んでしまった。

 姿が見えないと思ったら、風呂に入っていたのか!


「ん? だって2人には左手の怪我見られちゃったからね、もう隠す必要も無いかなって」

「いや! その理屈はおかしい! 怪我以外にも隠すものはある……はず……」


 濡れた前髪から垂れる水滴が肩から鎖骨にかけたラインを伝って、小ぶりだが形の良い胸の谷間へ吸い込まれている。洋平の視線も、気がつくと勝手に同じ場所へと吸い寄せられている。理性を総動員して視線を五十子から引き剥がそうとしたところで、


「こういう時は、とりあえず殿方を殴っとくのがお約束っ!」


 寿子のパンチを頂き、「ごふうっ」とドアまで吹き飛ばされた。


「よ、洋平君? こらヤスちゃん! わたしが司令長官でいる限り連合艦隊で暴力は許さないよ!」

「いや……今のは、寿子さんが多分、正しい……頼む、服を……着てくれ……」


 今際の際のように呟いていた洋平の背中のドアが、不意に外側からノックされた。


「? ルームサービスは頼んでないですし、さては山本長官のおっかけですかねえ」


 ドアに近付いて魚眼レンズを覗き込んだ寿子が、目を細める。


「……伊藤さん」

「えっ、静ちゃんなの?」


 上着をひっかけていた五十子が、ボタンを留めるのももどかしく扉を開け放つ。そこに立っていた長身の痩せた少女の顔は、洋平も見覚えがあった。

 つい数時間前、赤レンガで洋平達を大臣室に案内した海軍乙女だ。名前が何だったか思い出せないでいると、寿子が小声で教えてくれた。


「伊藤静中将。今は軍令部次長ですが、宇垣参謀長の前任の連合艦隊参謀長だった方です。その前は海軍省勤務で、山本長官が海軍次官だった頃からの側近の1人でした。それなのに……」


 口調がどこか辛辣だ。普段の寿子らしくない。五十子の方は「静ちゃん!」と両手を広げた。


「山本長官……!」


 走ってきたのか頬を上気させた伊藤静は、感情の無いロボット同然だった数時間前とはまるで別人だ。服も第一種軍装からワンピースに着替えている。

 私服姿の静を、寿子は半眼で睨め付けた。


「……伊藤さん、よくここに来られましたねえ」

「え? ええ、山本長官がここに泊まっておられるって聞いて」

「そうじゃなくて、さっきのあれは無いんじゃないかって話です。さすがの私も引くレベルですよ」


 静が赤レンガで五十子に話しかけられても聞こえないふりをしたり、散々無愛想に振る舞ったりしたことに対してだろう。

 寿子の怒りに気付いて、静の顔は青ざめた。


「しっ、仕方がないじゃないですか。赤レンガの中では、ああするしか。私達山本派は監視されているんです。ここへ来る間だって、尾行されてるかもしれないって思って、怖くて!」

「静ちゃん、落ち着いて。とにかく中に入ろう」


 五十子が震える静の肩に手を回し、ホテルの廊下にさっと視線を走らせてから扉を閉める。




「……海軍大臣と軍令部総長の兼任は、前から縦割りの弊害が指摘されていた省部の組織再編を戦時下の今こそ一気に推し進め、意思決定の迅速化と業務の効率化をはかろうというものでした。でも実態は嶋野さんが独裁者になるための方便で、肝心の組織再編は全く進んでいないのが現状です。不満を抑えるために嶋野さんは総理と、その後ろ盾の陸軍に急接近しています。嶋野さんにとっては戦争の拡大・長期化も、自分の権力を強化する手段に過ぎないんでしょう」


 ソファに座ってもなお震えていた静がようやく話し出したのは、数分経ってからのことだった。


「このままでは海軍はいずれ陸軍に吸収合併されてしまいます。そうなる前にこの戦争を終わらせようと、私達は外務省の吉田さん達と密かに接触しているんです」


 どうやら、静も目的は五十子と同じ早期講和にあるようだ。しかし、静に対して五十子が何か言うより先に、眉をひそめた寿子が割って入った。


「外務省? あそこの人達のせいで、山本長官が真珠湾攻撃の後どれほど辛い思いをされたかわかってるんですか。その禊も済ませてない外務官僚を信用するだなんて」


 外務省の怠慢で宣戦布告が遅れたのは有名な話だ。こちらの世界でも同じ不祥事があったらしい。


「吉田さんだけじゃありません! 前総理の近衛公、それに政友会総裁だった鴨山先生の協力も取り付けています。陸軍の専横を快く思っていない重臣達を動かし、聖上に三国同盟離脱と対美鰤講和を上奏するのが私達の終戦工作です。これで、国民に人気のある山本長官も加わって下されば」


 今度も、寿子が途中で遮った。


「待って下さい。怪しい陰謀に私達の山本長官を勝手に巻き込まないでもらえますか。近衛公爵に鴨山? 口だけは達者な政治家ばかりよく揃えたもんですね。憲兵隊辺りにひと睨みされれば尻尾を巻いて逃げ出す手合いばっかりじゃないですか。少なくとも、人前で長官に知らない人のふりをするような、今の伊藤さん達のことは信用できませんね」


 赤レンガの空気は思い出すだけで、直接の被害者でない洋平の胸を刺す。

 加害者の一員になることを強いられた静にも、痛みはあったのだろうか。静の瞳の端から、溜まっていた涙が零れ落ちた。


「……渡辺中佐は、嶋野さんの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんです。中央で表立って嶋野さんに反抗した子は、みんな予備役か僻地送りにされた。もう耐えられません、こんなの海軍じゃない! 山本長官が次官だった頃の、輝いていた赤レンガはどこへ行ってしまったの!」


 後半は半ば慟哭だった。顔を覆って嗚咽する静に、寿子がやり過ぎたかという顔をする。静を責めてもどうにもならないことは、本当は寿子にもわかっていたはずだ。前に、束が昔五十子を裏切ったことがあるという話をした時、寿子の口調に束への非難めいたものは無かった。

 五十子が、静の背中を優しくさする。「ごめんね、辛かったね」と。


「あのね静ちゃん、一つ頼みがあるの。みつ先輩が、米内元総理がどこにいるか教えて」

「……お会いにならない方がいいです。あの方は、すっかり変わってしまわれました」

「それでもね、どうしても会いたいの。お願い」




 夜の外出は五十子達の私服を拝める貴重な機会だったが、さっきの会話の後ではあまり楽しい気分にはなれなかった。

 洋平も、寿子が用意した背広とカンカン帽子で市民の雑踏に溶け込む。

 伊藤静が教えてくれた場所は赤レンガのある官庁街とは一転、ギラギラしたネオンサインが埋め尽くす繁華街だった。通りには仕事帰りのサラリーマンや客引き達が溢れ、戦時下とは思えない賑わいだ。


「麗人座会館、期間限定・指名料無料、新人女給入りました……って何これ、キャバクラ?」

「しっ、『カフェー』ですよお。未来人さんは近寄っちゃ駄目です」


 目についた店の看板を読んでいたら、寿子に腕を引っ張られた。


「えっ、カフェなのこれ? カフェってお茶とかコーヒーを飲む……」

「違いますよお! 未来には無いんですか? 女給とお客の殿方が擬似恋愛をするところです!」

「なんだ、やっぱりキャバクラじゃないか……」


 そんな会話をしながら、淫靡で退廃的な雰囲気の漂う夜の街を歩く。こんなところに元首相がいるのか? と疑わしく思っていると、前を歩いていた五十子が立ち止まって一軒の店を指差した。


「あれだね、見つけた」


 洋平の見間違いでなければ、「執事倶楽部」という看板がかけられた怪しい店だ。今その玄関が開き、「行ってらっしゃいませお嬢様」の声とともに、1人の女性が千鳥足で出てきたところだった。


「ひっく、もう一軒! もう一軒だけだからぁ!」


 うわあ酔っ払いが喚いてる、目を合わせないようにしようと洋平が思ったのも束の間。


「困ります閣下!」

「もうこんな時間です、お立場をお考え下さい!」


 酔っ払い女が、いかつい陸軍服姿の大男2人に両側を囲まれている。ん、閣下?


「お久しぶりです、みつ先輩」


 五十子は、女の前に進み出てそう声をかけた。


「おい何だ貴様、そこをどけ!」

「憲兵隊だぞ! 痛い目にあいたいのか!」


 陸軍服2人が五十子を邪険に遠ざけようとする。酔っ払い女はふらりと顔を上げて、焦点の定まらない目でこちらを見ると唐突に「うぷっ」と口を押さえ、


「……ごめんなさぁい、ちょっとお花を摘みに」


 店と店の間の路地に消えていく。たちまちゲロゲロという汚い嘔吐音が響いてきて、洋平は耳を覆いたくなった。さすがに呆然としている陸軍憲兵達に五十子は一歩距離を詰める。


「わたしは米内閣下と親しい者です」


 その凛とした口調に訝しげな顔をした憲兵の片割れが、五十子の頭の一点に目を見開いた。


「お、おい、見ろ! あのリボンの髪飾り!」

「やっ……山本五十子海軍大将! 失礼致しましたっ!」


 2人の憲兵は慌てて敬礼する。五十子は鮮やかに答礼して、


「ご苦労様。ここは私に任せて、今夜は引き取ってもらえるかな」

「は、ですが我々には護衛の任務が」


 路地裏から響く嘔吐の音が一際大きくなった。


「ご婦人に恥をかかせるつもり?」


 五十子が若干高圧的に言うと、憲兵2人はカクカク頷いて足早に去って行った。軍服に屈強な図体は繁華街では目立つ。男達が完全に見えなくなるまで見届けてから五十子は路地裏に声をかけた。


「もう出てきても大丈夫ですよ」

「……やっぱり、いそちゃんは騙せないかぁ」


 けろりとした声でそう言って現れた女に、洋平は目を疑った。先ほどまでの醜態が幻覚だったかのような美女がそこに立っていた。


「連中を追っ払ってくれたのは助かったわぁ。何が護衛よぉ、監視のくせに」


 長い黒髪をさらりとかき上げる。五十子が可笑しそうに言う。


「変わりない様子で安心しました、みつ先輩」

「いそちゃんも、思ったより元気そうで良かったわぁ」


 短いがそれ故に、この2人の関係の深さがうかがえるやり取り。


「……寿子さん、この方は、ひょっとして」


 小声で寿子に問いかけると、幾分か緊張した応えが返ってくる。


「米内光姫閣下ですよお。海軍大臣と総理大臣を歴任され聖上の信任も厚い、海軍乙女の重鎮です」


 洋平達のひそひそ話が聞こえたのだろう。彼女はこちらを振り向いて、ほんのり朱を帯びた顔にあでやかな笑みを浮かべた。ついでに、振り向いた弾みで胸がたぷんと揺れる。さっきの泥酔は演技だろうが、ほろ酔い程度には酔っている様子で仕草の一つ一つがなまめかしい。後、胸が大きい。


「あらぁ、貴女は渡辺寿子さんね。『乙女共栄圏』ってサークル名でのらしろ本を出してるでしょう? 私あれの大ファンなのぉ、新刊楽しみにしてるわよぉ」

「ひえっ! あ、ありがとうございます閣下!」

「それで、君は源葉洋平君。未来から来た参謀さんねぇ。予備役の私も噂は耳にしているわぁ」

「は、はい。光栄です」


 この人が五十子が会いたがっていた先輩か、気さくで良い人そうだ。後、胸が大きい。連合艦隊司令部の女性陣は亀子を除き皆なかなかだと思うが、彼女のは規格外だ。もし海軍乙女の排水量が軍縮条約の対象になるとしたら一発アウト間違いなし、って何を考えているんだ僕は!


「……それで。ここの場所は伊藤さんから聞いたのかしらぁ? こんな酔っ払いおばさんのことなんかもう放っておいて欲しいのに。困ったものねぇ」


 光姫の声に不意に暗い自嘲が混じり、洋平ははっとする。五十子が首を横に振る。


「いいえ。みつ先輩は今も、立派な海軍乙女です」


 この2人の間にも、過去に何かがあったのだろうか。わからないが、五十子が光姫に何を期待しているかはおおよそ察しがついた。

 終戦工作。

 静が持ちかけてきた話はいかにも失敗しそうなフラグが漂っていて危なげだったが、首相経験者の光姫なら重臣と呼ばれる人達にも顔が利くはずだ。


「……美鰤に和平を持ちかけられるとしたら、シンガポール陥落が最後のチャンスだったわ」

「チャンスならまた作ります。詳しくはまだ言えませんが」

「もう一度ハワイを攻めるんでしょう? わかるわよ、いそちゃんの立場だと他に手はないもの」


 光姫は細い顎を上に向けて、酒の酔いを身体から追い出すようにふうっと長い溜め息をつく。


「いそちゃんは4月で19歳、成人まで後1年だったわね。『自分が始めた戦争は、自分が海軍乙女でいられる内に終わらせたい』。そんな風に考えているのなら、はっきり言っておくわ。この戦争を始めた責任はいそちゃんには無いし、いそちゃんが焦ってもどうにもならないこともあるの。見て」


 光姫は、おもむろに上を指差した。

 初めて聞く五十子の年齢に気を取られていた洋平は、少し遅れて光姫の指先を目で追って、連戦連勝を祝う提灯や垂れ幕、横断幕の類が繁華街のそこかしこに飾られていることに気付く。

 街灯だけでなく、さっきのキャバクラっぽい店の上にさえ。


「長い不景気に苦しんだ後の戦争よ。憎い美鰤を圧倒して破竹の快進撃を続ける貴女達に大衆は酔いしれているの。新聞もラジオもこのまま戦えばもっと勝てると報道している今、ここで戦争を終わらせたいなんて本気で言い出す勇気が、偉い人達にあると思う?」


 五十子は黙って聞いている。難しい国内事情を突き付けられたわけだが、洋平が覚えたのは反感だった。伊藤静はあれでも、戦争を終わらせるため自分に出来ることをしようとしていた。この人は過去に何があったか知らないが、現状打破を諦めて酒に逃げているようにさえ思える。


「米内さんだって元首相なんですよね。今の言い方はちょっと無責任じゃないですか」

「待って下さい未来人さん! 米内閣下は、三国同盟や開戦を阻止しようと最後まで尽力を!」


 寿子が止めるが後の祭りだった。光姫の口元に冷たい微笑が浮かぶ。


「源葉君。正直に言うと、君にはこの戦争に口を出して欲しくないわ。いそちゃんには悪いけど連合艦隊の参謀も辞めて、戦争が終わるまでどこかで大人しくしていてくれないかしら」

「どうしてですか。やっぱり、僕が未来から来たなんて信じられないですか?」


 意外にも光姫は首を振った。


「いそちゃんが君を未来人だと言うのなら信じるわ。でも、未来人の源葉君は未来のことをどれだけ知っているのかしら。例えば私がこれから大昔にタイムスリップするとするわね。私は学校の勉強はいまいちで、今思い出せるのは『白紙に戻す藤原京』とか『良い国作ろう大化の改新』ぐらい。技術みたいなものが身に付いてれば別だけど生憎そういうのも無いから、未来人といっても右も左もわからない人になっちゃうと思うんだけど。その点、源葉君はどうかしら?」


 その語呂合わせ、年号と全然合ってない気がするんですけど……。


「僕は元の世界で海戦オタク、いえ海戦好きで、この戦争で起こる海戦の日付と内容を、一通り覚えています。艦艇や航空機のスペックも知ってますし、艦隊運用のこともある程度わかります」


「他には? 明日から一年後までの全国のお天気を365日そらで言える?」


「……天気? それ知ってないと駄目なことですか」


 質問の意味が、洋平にはよくわからない。光姫の口元から笑みが消える。


「うぬぼれないで。未来人が一人いれば勝てるほど、戦争は甘くないの。それどころか有害だわ」


「なっ!」


 洋平は言い返そうとして、光姫の静かな凄みに気圧され硬直した。嶋野などとは比較にならない。この人を見誤ったのは、これでもう二度目だ。五十子がそこで沈黙を破った。


「わたしには、洋平君が必要です。みつ先輩も必要です」


 短くそう言って柔らかく微笑む後輩に、光姫も気勢をそがれた様子で矛を収めた。


「……今日は、少し飲み過ぎたみたい。眠くなってきたわ」


「家まで送ります、みつ先輩」


 五十子の申し出に、光姫は何故か悲しげに微笑む。


「まだ先輩と呼んでくれるのね。貴女や成実ちゃんを裏切って、のうのうと生きている私を」


「わたしたちがあの日に交わした約束は、まだ終わっていません」


「……市電もまだ動いてるし、一人で帰れるわ。それじゃあね。甘い物ばかり食べちゃ駄目よぉ」


「はい。先輩も、お酒はほどほどにして下さい」


 五十子の返事に微苦笑し、最後に洋平を一瞥して、米内光姫は言葉とは裏腹にしっかりした足取りで去って行った。この街の常連らしく、通りの客引き達と親しげに挨拶を交わしながら人混みの中へ消えていく。

 なんだろう、あの人は。最初は酔っ払いで、次は優しい年上お姉さん系で、しかしどこか暗い影があって、最後に言われたことは釈然としない。

 未来人が有害? まるで何か不吉な予言をされたような胸騒ぎがしたが、その時の洋平の心中は、とらえどころのない光姫に対する疑念と反感の方が上回っていた。

 帽子のつばに、水滴が落ちる。

 顔を上げると、曇った夜空からぽつぽつと雨粒が降ってきたところだった。


「低気圧が来てるらしいね。本降りになる前に、わたしたちも帰ろう」


 五十子はそう言った後で、どこか寂しそうに付け足す。


「……散っちゃうね、桜」

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