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第4話(4)そんな立派な勲章を貰えるようなこと、わたしは何もしてないよ

「わたしが今日の勝負を通して一番伝えたかったのはね、簡単に釣れそうなアジでもいざ釣ってみると色々奥が深いってことなんだよ。航空機だってこの戦争が始まるまでは軽視されてたよね、何事も先入観を持たないのが大事なんだよ!」

「教訓が回りくどすぎて多分誰にも伝わってないよ、それ」


 釣り大会を終え、洋平達は艦橋のエレベーターに乗っていた。賭けの意義をドヤ顔で語る五十子に、洋平は懐疑の眼差しを向ける。


「大丈夫! わたしはみんなを信じてるから!」

「あのさあ……。じゃあ、賭けに負けた時は僕をどうするつもりだったの?」

「え、やだな洋平君。わたしが岩田軍楽長に出した条件覚えてる? 洋平君を大和から降ろすとしか言ってないんだから、連合艦隊司令部ごと他の艦に移っちゃえば……」

「えっ、五十子さんもその屁理屈で通すつもりだったの? なんかイメージ崩れるんですけど!」

「『も』って言うなよ、あたしは長官の平常運転をトレースしただけだぜ」


 束がぼそりと呟く。五十子はえっへんと胸を張って、


「卑怯って洋平君、一体どこの誰に話しかけているか判っているのかな? 海外でカジノを出禁になったり、開戦劈頭に真珠湾を奇襲したりしちゃう女だよ? 気付くのが遅いよ!」


 威張るなと言いたくなるが、このいたずらっぽさが山本五十子の魅力なのだ。

 だが、そんなことで苦笑していられたのは作戦室に着くまでだった。エレベーターを降りた途端、先に作戦室に上がっていた寿子の張り詰めた声が響いてきた。


「そこをどうか! どうかお考え直し頂けないでしょうか!」


 いつものようにふわふわしていない。一同が部屋に入ると、寿子は黒電話の受話器を握ったまま声を張り上げていた。


「ヴィンランドは着実に戦力を回復させて、本格的な反攻の機会を窺がってるんですよ! それなのに我が軍は……いえ、ですからそういうことでは! ……はい……はい……。わかりました。では、そのように山本長官に申し伝えます。……失礼致します」


 寿子はガチャンと受話器を置いて、少しずり落ちていた頭のカチューシャを指で直した。それから振り返って初めてこちらに気付き、しまったという顔になる。


「ヤスちゃん……今の電話、軍令部から?」


 五十子が心配そうに歩み寄って訊ねた。大和の繋留ブイと呉軍港との間には海底ケーブルが敷かれており、そこから帝都と直接有線で電話ができるようになっている。


「はは、こりゃお見苦しいところお見せしちゃいましたねえ」


 無理に普段通りの口調に戻す寿子の背中に、五十子はそっと手を当てる。


「ヤスちゃん」

「……そうです、軍令部から先に示した美豪分断の方針に沿って作業するようにと釘を刺されてしまいました。黒島参謀のミッドウェー作戦計画がどこかから漏れたみたいで。軍令部の方針に沿わない作戦立案も意見具申も一切認めないと」


「……認めない理由は?」


 亀子が苛立たしげに訊く。


「なんでも陸軍が、欧州戦線でのトメニアの勝利を期してルーシ連邦に侵攻する準備をしているから太平洋方面でのこれ以上の攻勢に反対だそうで。総理官邸からも、4月末に衆議院の解散総選挙があってその後も重要な地方選挙がいくつかあるから、当面は決戦を避けて現状維持に徹して欲しいという話があったとか。だから軍令部としては年内いっぱい、美豪分断による南方防御とインド洋の通商破壊以外は何もやらないつもりだそうです」


 苦しげにそう告げて、寿子は舷窓に視線をそらした。

 眼下の甲板では、釣り大会の参加者達が釣れた魚や購買の軽食でささやかな宴会を催している。耳を澄ませば、少女達の笑い声に混じって軍楽隊が吹奏するクラリネットの音色が聞こえてくる。ついさっきまで洋平達もあの喧騒の中にいたのに、今はどこか遠く感じられた。


「そっか。ごめんねヤスちゃん、いつも嫌な役目をさせちゃって」

「謝るのは私です、力不足で……あ、良いニュースもありますよお。嶋野海軍大臣兼軍令部総長より、山本長官に帝都へお戻り頂きたいと」

「嶋野さんが? 一体何だろう?」


 五十子が怪訝そうな顔をする。寿子は背筋を伸ばした。


「はい。長官に勲一等加綬の旭光大綬章と、功二級金鵄勲章が授与されるとのことです。おめでとうございます」


 五十子を囲む、洋平以外の参謀全員が姿勢を正す。洋平だけついてこれない。


「そんなに凄い勲章なんですか?」


 小声で束に訊くと、「んなことも知らねえのか」と睨んだ後に教えてくれた。


「ああ、すげえよ。特に後者はな。旭光大綬章は政治家や華族にも授与されるが、金鵄勲章は戦場で抜群の武功のあった者のみに授与される。葦原軍人にとって最高の名誉だ」


「海軍乙女で金鵄勲章を授与されたのは、私の知る限り東郷元帥と米内大将だけです。それもお二人とも成人なさってからで、未成年での受章は前例が無いと思います」


 寿子が補足する。当の五十子は、困ったように微笑んだ。


「そんな立派な勲章を貰えるようなこと、わたしは何もしてないよ」


 机の上に出しっ放しの、葦原の勢力範囲が色鉛筆で描かれた地図に五十子は目を落とす。


「勲章をもらうとしたらそれは前線で、わたしの命令で命を懸けて戦ってくれてる子達みんなだよ。ねえヤスちゃん、受章対象をわたしじゃなくて、『連合艦隊』にしてもらうことってできないのかな」

「それは無理です。勲章は個人しか受章できません」

「そっか。じゃあ要らないや」

「嶋野大臣は、辞退をお許しにならないでしょう」

「いいよ、わたしが直接電話して断るから」


 いつか寿子が言っていた通り、五十子はこんな時とても強情だ。それをよくわかっているはずの戦務参謀は、しかし目を伏せて首を振った。


「山本長官が授与されるのは功二級ですが、嶋野大臣には同時に功一級が授与されるそうです。金鵄勲章は名誉もさることながら、終身年金を下賜されます。嶋野大臣は、ご自分だけが受章すると妬まれるので、山本長官と一緒に受章して目立たないようにしたいとお考えのようです」


 今にも黒電話を掴もうとしていた、五十子の手が止まる。束が無言で天井を仰いだ。洋平は、寿子の言ったことの意味がしばらく理解できなかった。


「……俗物。可哀想」


 亀子が吐き捨てるようにそう言って、洋平も遅れて怒りがこみ上げてくる。

 なんだよ、それ。五十子をなんだと思っているんだ。

 勲章のことだけじゃない。

 選挙だの、トメニア勝利に期待だの、自国の存亡がかかった戦争をしているという危機感が欠片も感じられない。

 保身に汲々として、嫌な役は五十子に押し付けているだけじゃないか。


「五十子さん。その嶋野とかいうのが、ミッドウェー作戦を妨害する海軍中央の親玉なの?」


 洋平の口をついて出た言葉に、美しい彫像のように静止していた五十子のリボンが微かに揺れる。


「お、おい。軍令部総長を呼び捨てにする奴があるか」

「ついでに言うと、未来人さんの任官を決める海軍省のトップでもありますよお」

「僕の任官はこの際置いておいて。ミッドウェー作戦は、五十子さんにとって譲れない信念だよね?」


 束と寿子の注意を気にせず重ねて問うと、リボンは今度こそ大きく縦に動いた。


「だったら、行ってその親玉と戦うべきだ。そいつがくれる勲章なんて、五十子さんにとっては名誉どころか不名誉だと思う。けど、見方を変えればこれはチャンスだよ」

「……名誉は要らないけど、不名誉なら喜んで被るよ」

「なら上等だ。それと、帝都には僕も連れて行って欲しい」

「洋平君を?」

「交渉のカードにすればいい。五十子さんの受章も、僕の存在も」


 前に、黒島亀子が独断で洋平の帝都行きを画策して未遂に終わったことがあったが、帝都に行くという発想自体はそれ以降も洋平の頭の片隅にあった。その時のことを思い出したのだろう、寿子が洋平と亀子を交互に睨む。


「いけません未来人さん! 未来人さんにとって、この大和の艦内が世界で一番安全な場所なんですよ? ……黒島参謀、さてはまた未来人さんを誘惑したでしょう!」

「私は、山本長官に恩返しがしたいと言っただけ」

「あーやっぱり誘惑してる! しかも長官を理由にするなんて!」


 寿子が完全に誤解してしまっている。洋平は苦笑いして首を振った。


「これは僕自身の意思だよ。それに大和の中だけじゃなく、僕が今いる世界がどんなところなのかこの目で確かめたい。……どうかな?」


 洋平が承認を求めて視線を向けた先、五十子はしばしの沈黙の後、ふっと微笑んだ。


「……そういえば洋平君は、元の世界で修学旅行の途中だったんだっけ。こっちの世界に来てからまだ、大和の中しか案内してあげてないね」

「長官!」

「大丈夫だよヤスちゃん。洋平君の身の安全は、このわたしが責任をもつ。一緒に帝都へ行こう。帝都かあ……」


 五十子の微笑に、懐かしそうな寂しそうな、複雑な色が混じった。


「赤レンガに行くのは、久しぶりだな」

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