第4話(1)男子ダメ絶対!
女子。女子。女子。
甲板を埋め尽くす2000人以上の女子の群れ。
白い制服と漆黒の髪との、鮮烈なコントラスト。
4月13日月曜日、当直を除いた戦艦大和の総員が前甲板に集まっていた。さらに在泊する他艦からも押し寄せた海軍乙女達が、甲板に乗りきれず海上の内火艇やカッターボートに鈴なりになっている。
「――というわけでえ、既にご存知の人もいると思いますけど、新しく皆さんの仲間になった未来……じゃなくて源葉洋平さんです! わからないことが色々あると思いますから、優しく教えてあげて下さいねえ」
洋平を隣に立たせた朝礼台。いつも通り緊張感の乏しい声で渡辺寿子はそう締めくくった。残念ながら、内容はほとんど洋平の耳を右から左に抜けていったが。
……これはもしや、この世界特有の処刑方法か何かだろうか?
「視線が痛い」という言い回しは単なる比喩だと思っていたけど、これだけの人数の女子の視線を一点に結集させると、何らかの物理的な破壊力が生まれてもおかしくない気がする。
それも、浴びせられる視線に友好的なものがほとんど皆無なのだからなおさらだ。
「悪く思わないで下さいよお、みんなに誤解のないようちゃんと説明しろって言ったのは未来人さんなんですからねえ」
スピーチを終えた寿子が半笑いで囁きかけてきた。完全に他人事である。
確かに、寿子のデタラメな説明で生じた誤解を解いて欲しいとは思った。だけど、こんな全校集会みたいなので晒し者にされるなんて聞いてない。
「どういうことですか、渡辺中佐っ!」
その寿子の名を叫ぶ、聞き覚えのある声がした。
最前列を押しのけて現れたのは、あの堅物な岩田雫を筆頭に軍楽隊のメンバー。朝礼前から甲板で練習していたらしく全員フル装備、前衛にクラリネットなど木管部隊、後衛にトランペットなど金管部隊が並んで、寿子と洋平を睨め上げている。
「やっぱり男だったんじゃないですか! 特務で男装というのは嘘だったんですね!」
ああ、この人達だったっけ、寿子に騙されていたのは。悪いのは全て寿子なので、こっちまで睨むのはやめて欲しい。
「う、嘘じゃないですよお。『特務で男装』じゃなくて、『特務参謀』です。男装は参謀と発音が似てますし、多分聞き間違えじゃあないですかあ?」
そのあまりに苦しい言い訳が、彼女達の不信不満に引火、盛大に誘爆した。
「納得できません! 男子禁制の伝統はどうなるんですか!」
「そうよ、男は陸軍でしょ? 私達海軍の敵じゃん!」
「渡辺中佐、見損ないました! 中佐はこっちサイドだって信じてたのに、まさか裏切る気ですか! 男を艦に乗せるだなんて破廉恥です!」
最後の台詞を放ったのは雫である。ん、こっちサイド?
「……軍楽長、私を疑う今の発言は聞き捨てならないですねえ。防空指揮所へ行きましょう」
そして何故かキレてしまった寿子が物騒な得物を取り出す。あれはまさか、旧海軍の黒歴史……。
「精神注入棒じゃないか! せっかくこの世界の海軍は体罰が無くていいなって感心してたのに!」
「ちょっと未来人さん、やめて下さい女の子が大勢いる前で注入棒だなんて。殿方のとは違うんですから何も注入できませんよお」
「えっ、なんで僕がおかしなこと言ったみたいな流れになってるの? ていうかその棒何に使うつもりなの?」
「さあ覚悟はいいですか軍楽長! 乙女と乙女の愛の理想郷、乙女共栄圏の建設こそが私の不動の信念であるということを、その身体にじっくり実技で」
「渡辺の戯言はさておきだな、」
危ないスイッチが入っていた寿子を、束がいつもの一言で黙らせてくれた。雫はといえば、難を逃れたというのに残念そうだ。この硬派な軍楽長、寿子と同じ趣味なのか。もう嫌だ、この艦隊。
束は好き勝手に野次を飛ばす少女の群れを苦々しげに睨みながら、
「これもう、規律が乱れてるってレベルじゃねえぞ。仮にも連合艦隊旗艦なんだ。引き締めろ、高柳艦長」
朝礼台の隅っこに立っている大人しそうな子、どうやら彼女が大和の艦長らしい。牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけた猫背の艦長は、束の叱咤にびくっと肩を震わせた。
「そ、そんな、無理です参謀長。私、同期の中で砲術の成績が一番だったって理由だけで大和の艦長にさせられたんです。大勢の前で喋るのは、その、ちょっと苦手で」
ちなみに人前におけるメンタルでは、洋平も高柳艦長をとやかく言えるレベルではない。
「情けねえな、それでも鉄砲屋か! ……で、どうすんだ長官?」
そうだ、五十子はどこへいったんだろう? ここへは一緒に来てくれたはずなのだが。
「しゅぴー……二式大艇の燃料補給は、伊一二一型を改造して、フレンチフリゲート……しゅぴー」
「亀ちゃん、ここで寝ないで! ……もう、困ったなあ」
振り返ると、寝落ちした先任参謀の頭を膝に乗せて、司令長官はその介抱にかかりきりだった。もうこの際、亀子はずっと自室に篭らせておけばいいんじゃないか? 参謀の仕事も、眠りながらやってくれてるみたいだし。
収拾する者がいない中で、抗議の声は軍楽隊メンバーから徐々に海軍乙女達全体へ拡大していく。
「反対です! 男子ダメ絶対!」
「ケダモノー! 乙女の神聖なくろがねの城から出て行けー!」
「どうしても乗艦したいなら、モロッコへ行って武装解除してきなさいよ!」
「渡辺中佐は『のらしろ』だとブル×のら派ですか、のら×ブル派ですかー?」
もう無茶苦茶だ。どさくさに紛れて変なこと訊いてる子もいるし。
しかしこの世界の成り立ちを考えれば、むしろこれが自然な反応なのだろう。連合艦隊司令部のメンバーが、たまたま奇特な方々だったというだけで……。
「……たく、面倒臭えな」
不意に、その奇特なメンバーのうちの一人の手が洋平の襟首をぐいっと掴んだ。
「てめえらの言いたいことは、よくわかった」
背後から、束の低い声が響く。普段に増して不機嫌そうで、マイクも使っていないのにそれだけで甲板が静まり返る。束はそのまま洋平を引きずって、朝礼台をガタガタ下りていく。モーセが紅海を渡る時みたいに、甲板の人混みが左右に割れる。
「うわっ、ちょっと痛い、痛いって……あの、束さん?」
洋平の呼びかけに答える代わりに、甲板端の舷梯のところまできて立ち止まった束は、少女の群れに向かって声を張り上げた。
「てめえらの言う通り、確かに男子禁制の伝統は大事だ。だから、あたしは今からこいつを海に叩き込むことにする」
海軍乙女達は束の唐突な宣告にきょとんとして、直後に意味するところを理解し血相を変えた。
「ま、待って下さい参謀長! 男子にそんなことをしたら死んでしまいます!」
「そうですよ、いくらなんでも海は洒落になんないですって!」
雫も追いかけてきた。これまで神経質そうに眉根を寄せた顔しか見たことがなかったが、今ははっきりと動揺が見て取れる。
「参謀長、私達は何もそこまでして欲しいとは……」
「どうして止める、軍楽長。男が艦に乗ってると破廉恥なんだろ?」
「だからって何も、殺すことは! よく知りませんけど、薬を沢山飲んでいるか生まれつき鈍いかで艦上にいるのが平気なだけですよね、その人? 海に落ちたらラ・メール症状が急激に悪化して5分ともたないですよ!」
束は何も答えない。竹串をくわえた口が不敵な弧を描き、尖った犬歯が覗く。
洋平は、ちらりと朝礼台の方を見た。五十子は膝枕している亀子の寝癖頭を撫でながら、越後の民謡っぽい子守唄を歌っている。ついに起こすのを諦めたか。というかひょっとして、この状況に気付いてない?
「源葉参謀、着衣水泳の心得はあるか」
舷梯を下りながら、洋平だけに聞こえる声で束が耳打ちしてきた。
「って、愚問だったな。てめえは既に一度やってるもんな」
「あのー、できるできないの前に、僕の意思を確かめるとかそういうのは……」
「悪いがあたしは、長官みたいに優しくねえんだ。5分浮いてたら助けてやる」
束の意図はおおよそ察しはついていたが、できれば本当にやるのは止めて欲しい。
「参謀長、言葉が過ぎたのはお詫びします! だから、こ、殺さないで!」
雫が泣きそうな声でそう叫んだのと、束が舷梯から力任せに洋平をぶん投げたのは、ほぼ同時だった。
ギャラリーから悲鳴が上がる。
洋平は喫水線に向けて真っ逆さまに落ちていく。
4月の瀬戸内海は、温かそうに見えてまだ冷たかった。




