一日目 協力者 2
「ね、東海くん。幽霊の話、一枚噛ませてよ」
突然の申し出だった。
それぞれ胃袋を満たし、食後のコーヒーが運ばれてきてから千里は言った。
「それは、またどうして?」
「興味本位」
真正面だった。なぜ興味がと問い返せばマニアだからと返ってきた。理由として一分の隙もない。
そして遥と同じ、考えなしのノリをひしひしと感じる。食べている間も思ったが、千里は性格的には遥を上回るポテンシャルを持っているようなのだ。それは当然、東海とは水が合わない領域でのものだ。いい顔はできない。
「そういうことなら遠慮してくれ」
「会う方法を知ってる、って言ってもだめ?」
千里は肘をついて顎を乗せ、妖しげに目を光らせる。こちらをペースに引きこもうとする。
だが、東海は至極真面目に調査をするつもりだった。興味だけで引っ掻き回されてはたまらない。
「まだ調査を始めて半日しか経ってないので、行き詰まる前なら助けはいらないな。どの本にも乗ってない方法なら、知りたくはあるけれど」
「本に書いてあるかと言われれば、そうなっちゃうね……」
「では悪いがそういうことで」
そっけなく断った。
コーヒーを口に運ぶ。酸味が強くて少し口には合わなかった。
「待って、兄さん! ……げぷっ、うぷっ」
今まで黙って見ていた遥が口を開いて、そして慌てて両手で口を抑える。東海は慌てて店主にビニール袋を頼むが、遥は手を振って、断じて使わないと示した。確かにこれ以上の醜態は乙女の沽券に関わる。
「言うまでもなく食べ過ぎだよね、あたしもお腹いっぱいだし」
事前に言っとけばよかったね、と千里が呟く。
食い意地を張って食ってあとで後悔するのはよくあることだ。しかし、今回は遥を責められない。出てくるメニューの大半がかなりの質量で、東海たちの胃袋を押し潰しにかかったからだ。
二品も頼んだ遥は、残せばいいと言っても聞かず、もったいないと言ってきっちりと完食した。
だが、後のことを考えてはいなかった。遥の顔はさっきから青くなっているままだ。
「大丈夫、じゃなさそうだな。学生客も多いってのが伏線だとは。ま、大したガッツではあった」
「うぅ、ありがと……うー」
背中をさする東海に感謝するのさえ辛そうだ。
「それで? その待ったには聞き覚えがあるが、どうした」
「うん、できれば、やってみてほしぃ……うぇっ」
「いや、まあ、積極的に断る理由はないが……」
東海は二の足を踏んだ。
内々に調査をやるつもりも特にないが、知らない他人が増えるとトラブルの火種も増える気がして素直に歓迎できない。とはいえ遥が尊敬しているらしい先輩なら人選としては問題はないとも思えてくる。
「あれ、もしかしてお兄さま、ハルにゃんのおかげであとひと押しだったりする?」
「そもそも何をやるかもまだ具体的には決まっていないんだ。だから具体案があるっていうのは確かにありがたいが……」
「んー、じゃあこういうのはどう? 実はもう準備をしてあって、一言言ってもらえればすぐにでも会わせてあげられるって言ったら」
「いや、実のところ俺はそういうことに否定的でな。口ぶりから察するに降霊術かなんかの儀式だろう? やってみようか、とは思っているが、自分の手の届かない範囲で準備が整えられると、どうもな。例え幽霊に会ったとしても、納得ができなくなってしまうような気がしてね」
「おっと鋭い。……ってことは、頭っから信じる人じゃないんだ?」
「そういうこと。実際には証明はかなり難しそうだし、となれば俺の納得が重要な要素になる。だいたい今回の話も、遥が言ったんじゃなきゃ放っといて勉強してるよ」
千里は納得した様子で「そっか」と息を吐いた。
「しっかし、勉強ねー。栄校一の優等生が言うと重みが違うわね……余裕ありそうな人がこつこつやってると同じ受験生として焦っちゃう」
「え! 一の優等生って、兄さんが!?」
何気ない言葉に遥が食いついた。そして急に動いたツケでまた気持ち悪くなっている。
「あれ、ハルにゃん知らないの? あなたのお兄さま、テストが全教科百点満点を取ったなんて噂がまことしやかに流れてるのよ」
「尾ヒレ付きの、だ。いくつかの教科で満点を取っただけさ、それも一年生の頃の話だ。だいたいテストなんてミスもあるし、そうそう百点なんて出るもんか」
やんわり否定をしたが、東海は夏前の模試で既に志望校の国公立にA判定が出ている。だからといって遊び呆けることはできないが、少なくともしゃかりきになる必要はない。そういう意味でなら千里に比べて余裕があるほうではある。
「どっちにしても運動部でロクにべんきょーしてきてないあたしとは大違い。はぁ……」
「誇ることじゃない。本に書いてあることを覚えているだけさ。暗記はコンピューターのほうが得意なんだから、実際のところあまり意味がない。本当に大切なのは、その本を書けるような研究とか成果を出すことだよ」
「はー、すごいね。そんなこと考えたこともなかった。……もしかして研究系?」
「ああ、科学者」
「わあ! じゃあもしかして、幽霊調査なんてのもかなり科学的にやったりとか?」
「形式だけはなぞるつもりだよ。実際は報告書だけだろうけど。肝心なところは機材も知識もないんだからどうしようもないしな」
「なるほど、それであたしが趣味でコツコツ作ってた交霊セット使わないって言ったのね」
「まあ、な」
千里は再度感心するが、東海は内心苦い気持ちだった。
他人が用意した――なんて言い訳にすぎない。本当は調査を茶化されるのではないかと心配しているだけだ。そしてそう思うのは東海自身、これがまともな調査ではないと心のどこかで思っているからある。
過去、超常現象をまともに研究した科学者達は多くいる。まだ科学の光が宗教の仄かな暗闇を照らしだす前には、科学を盲信することを恐れる動きだって当然あったからだ。インチキを暴くだけでなく、検証と推論を繰り返す地味でとほうもない仕事だ。
そして彼らは、後ろ指を指される。頭がおかしくなってしまったのだと。
だが、そんな中にも歴史書に名を残す著名な人間がいた。誰でも知っている賞を持っている人間もいた。自らの名声を捨てることを恐れなかったものたちだ。
純粋な未知の追究。彼らは真に科学者だったといえる。
東海もそれも分かっているのだが、心の動きだけに割り切れないのだ。
(いや、単に頑固なだけか)
大切にしてきたとしても古い概念を捨てられる人間だけが前に進める。
どうすればいいかだけはいつだって分かっていた。
「……なあ、そのセットってのは今日、今からでも使えるのか?」
東海の言葉に千里は一瞬呆然とした。
どこかで見たな、と記憶を辿ると昨日の夜に遥が同じ顔をしていたことに思い至る。東海が言を翻した直後の反応であり、つまりそれは優柔不断の証のようなものだった。
「っ、つつ、使える……けろ……」
どもったところは聞かなかったことにした。
梅雨は終わったが、きっとカエルだってまだいる。街で見かけないのは幽霊と一緒だ。
「使えるけど……あ、放っといたままだったから調整が必要かもしれない」
「その調整ってのは明日には済むのか?」
千里は掛けてある時計を見た。
「うん……今日にでもできるけど、タイミングがちょっとね。そもそもハルにゃんがこんなだし」
座ったまま足を畳んで器用に丸くなっている遥を見る。
今はたぬきの置物ぐらいには邪魔だった。
「俺一人でもいいんだけど」
「あー、できれば人手がいるのよ」
「そっちで補充できない?」
「生憎と同好の士はいなくってね。大学入ったらオカ研作る予定だけど……それにしても気が変わったの?」
東海は頷く。さっきの言葉に納得していた千里は不審げだった。
「考えなおしたんだ。もちろん形式だって大事だけど、そんなことにかまけて無駄に過ごすぐらいなら検証しようって」
なんたって動くしかない。そもそもたった一週間だ。時間の余裕はあんまりない。
「ホント真剣なんだ?」
「まあ、まだ実在してるなんて爪の先ほど信じちゃいないけどな」
まだそこは譲れないと、肩をすくめて返す。
ふと遥を見ると、笑顔の中に満腹の苦しみをブレンドするという複雑な顔をしていた。そんな顔をしていても、遥の伝達力で東海にも何が言いたいかだいたいは伝わった。
(早く信じてって言いたいんだろう?)
会計を済ませて店を出た。
「それじゃ、協力をよろしく頼むよ。……ふむ、興味本位の北見千里さん」
「こちらこそ、というかフルネームですか」
「北見さんが言う"お兄さま"よりは結構なんじゃないか? 他人行儀感あって」
「ちっ、まだ上か……やだなあ、お兄さま。わたしのことは"ちりちゃん"って気さくに読んでくれていいんだよ?」
「あー、じゃあ譲歩して千里さんで」
「ちりちゃん」
なぜか千里は上目遣いに東海を見る。
そこには東海には分からない妙な圧力が込められていた。
「いや、今日が初対面でしょ俺達は。そこまではちょっと……ていうか、チサトなのに愛称チリを強要って色々おかしいでしょう?」
「あふん、フラれた。ハルにゃん慰めてぇー!」
「兄さんは、こういう人、です」
「まあ、そうよね。わたしなんて所詮、そこらの女で、……お兄さまにとっては妹のほうが具合がいいんですよね」
下品すぎるネタに東海は凍りつく。遥は何のことか分かっていない。
「キャー! 禁断の関係、不潔ッ! だがそれがいい……」
勝手に一人で盛り上がっている。試しに白い目を向けてみるが気にする様子は一切ない。
東海は北見千里に関する脳内情報を更新せざるを得ないと結論付ける。
見た目は活発、そして妄想も活発らしい。