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深夜の発端 3

「そういえば聞いてなかったが、その幽霊、なんて名前なんだ?」

 ふと、気になったことを東海は聞いた。

「あっ! それは……えーと、匿名ということでどうかひとつヨロシク……」

「なぜ?」

「本人の意向と言いうか。あの子、恥ずかしがり屋なんだよー」

「恥ずかしがり屋、ね……」

 呆れるしかない。

 見知らぬ幽霊の名前を知ったところで何かが変わるわけではないが、遥が本当に恋を取り持つつもりがあるのなら積極的に相手の情報を伝えていく義務があるはずだ。

 何かがちぐはぐだ、と東海は感じていた。

 なぜ重要なことを怠るのか。

 相談の段取りといい、あまりに杜撰だ。思い付きで行動する傾向がある遥の奇行にはある程度の耐性がある東海だったが、今回の相談にはどうにも困惑を隠せない。

 そもそもこれは相談ではないのではないか、何か別の目的があるんじゃないか。そんな考えまで頭に浮かぶ。

 ここに来て東海は話を終わらせる方向に頭を切り替えていた。

 そうしているうちに遥の考えがまとまったらしい。やっぱりこれしかないよね、などと口の中でもごもごと呟いたあと、意を決したように言う。

「調べてほしい」

「調べる?」

「幽霊について」

「幽霊の何について?」

「その、色々なこと。幽霊の話とか、話す方法とか。この子のことを、兄さんに調べてほしいんだ」

「それは、なんだ……幽霊がいるかいないか俺に検証しろと言っているのか?」

 自分の表情が穏やかではなくなっていくのを感じながら聞き返す。

「う、うん……」

「そりゃあひどい話だ。そうは思わないか?」

「え。なんで……」

「なあ、遥。俺はさ、冗談を言ってるんじゃないんだよ。今、俺が忙しい時期だってのは分かるだろう? 正直そう余裕があるわけでもない。受験を控えた夏だし、当然だ」

 苛立っていた。

 遥の調子は分かっていたのだ。適当に流せば良かったのに、疲れと眠気がそれを邪魔した。

「なのにお前は、幽霊についての自由研究をさせようとしている。ほら、やっぱりひどい話だ」

 今まで聞き役に徹していた反動か、辛辣な言葉が次々と溢れてきた。

 遥は顔を青くして凍り付いている。

「信じないと始まらないとお前は言ったが、これじゃあ信じたって何も始まらない。その子には悪いが幽霊なんて信じられないし、恋愛相談を安請け合いして挙句これではさすがに何も応えられないよ」

 話を聞く前に遥に告げた通り、もともと東海はオカルト全般に懐疑的だ。目に見えないものを信じられない人種。幽霊など普段はまともに取り合わない。そして東海がそうであることを遥が知らないわけがない。ここまで話に付き合ってきたのは、この相談が遥にとって真剣なものだと思ったからなのだ。

 だが、蓋を開けてみればこれだ。とても信じる気にはなれない。

(少し、言い過ぎたか)

 怒られたことにしゅんと縮こまる遥を見て、東海の胸に罪悪感が疼く。

 顔を伏せる遥が今どんな気持ちになっているか、その深いところが東海には分からない。

 しばらくの間、黙って言葉を待ったが、遥は何も言うことはなかった。

「おやすみ」

「……待って兄さんっ!」

 部屋に戻ろうとする東海の手を取る。

「話は終わりだよ」

「まだ終わんない! 信じてよ、この子がどうしても伝えたい想いなんだよ! このままじゃ……このままじゃ可哀想で、放っとけないよ……」

 遥は頑固だった。

 俯いて涙目になりながらも、唇を噛み締めて涙がこぼれ落ちないように我慢する。ありったけの力で東海の手を握る。痛いぐらいだったが、それは子どもが母親に縋り付くような必死なものだった。

 運動部に所属しているとはいえ所詮は非力な少女の精一杯だ。力を込めれば振りほどくことは簡単だったはずだ。

 だが、東海には、それが出来ない。

 あの日の映像がフラッシュバックする。

 ――泣きながら項垂れる遥。

 ――声を枯らして必死に叫ぶ東海。

 苦い記憶。どうしようもない過去が甦って、東海の体を縛り付けた。

 しばらく、時計の秒針が進む音だけが東海たちのいる空間を支配していた。


「震えてるの? 兄さん」

 指摘されてハッとなった。

「いや、……なんでもない」

 首を振って残像を払う。

 遥は東海が発した怒りに確かに怯んだ。それでも遥は、それが取り柄とばかりにすぐに立ち直る。

 逆にすっきりしたぐらいの様子で笑顔まで見せて、きっぱりと言い返した。

「聞いて兄さん。もし、あの子が……幽霊が信じられないって言うんなら、わたしを信じてほしいんだ。そうだね、わたしの行動とかわたしの言葉とかを見ていてほしい。そりゃあ自由研究になっちゃうけど、わたしだって付いてるし、それにほら兄さんだって息抜きは必要でしょ? だからさ……。

 兄さん! わたしは幽霊がいるって――わたしの人格をもって証明とします!」

 毅然とした態度だった。

 その宣言に東海は驚いて、そしてふにゃっとなった。

「あー、お前を信じる、なぁ……」

 遥にしてみれば立派な決意表明だったのだろう。しかし、それも時と場合と言うことが違えばの話だ。夜も更けた深夜で、東海を説得しなければならない場面で、わたし人格者ですから信じられるでしょ、というのは残念ながら間抜けだ。

「えぇー!? ひどい兄さん! そこは、他ならないお前の言うことなら信じられる、ってカッコ良く言うとこじゃない!」

「いや、だって、さぁ」

「うぅー!」

 呆れて半眼になる東海に頬をぷくっと膨らませて抗議するが、子供っぽいそういう仕草をするからその人格を信じる気がへなへなと萎えていくのだと遥は気付いていない。

 相変わらずの脳天気さにすっかり毒気を抜かれてしまった東海に急速に眠気が襲ってくる。

 東海は時計に目をやる。もう午前三時だった。そろそろ潮時だ。草木も眠る丑三つ時をすぎてしまったのなら、この辺りで怪談は終わりだろう。

 最後に、東海は目を瞑って考えを巡らせた。

 受験のこと。自分の夢のこと。

 父親と母親のこと。遥のこと。

 そして、幽霊のこと。

「親父にも言ってないんだが、俺はさ、科学者になりたいんだよ」

「兄さん、そうなんだ」

 突然話を変えた東海にも遥は付いて行く。

「なら、確証バイアスなんかに囚われてちゃいけないよな。疑うなら反証を用意しないといけないよな」

「え、あ、うん……」

 何を言ったか、遥が分かってなくても言葉を続ける。

 遥が見ている、感じているという幽霊を信じる気にはなれない。なれないが――

「一週間だ」

 目を開いて東海は言った。

「調査期間は一週間。泣いても笑っても延長はなし。結果が出なくても一緒だ」

 遥は初めは呆然としていたが、東海が何を言ったかに気付いてぱっと笑顔を見せる。小振りな向日葵が急に咲いたかのような可愛げのある笑顔だった。

「きゃー、ありがとーっ! 兄さん!」

 深夜だというのに遥は小躍りしかねない勢いで喜ぶ。

 あまりの浮かれっぷりに、「普通そこまで喜ぶか?」と東海が訝しむが、当の遥はそんなことをまるで気にしない。

「忘れてたけど。調査には遥も同行すること。というかお前もしっかり協力しろよ?」

「分かったー! ……ふっふっふ、すっかり兄さんに信用されちゃったなぁ。どうしよっかなー」

 東海はため息を吐いた。

 この様子ではダメだ。真剣にならねばたった一週間で何ができるというのか。

 それを口にはしない東海だったが、調子に乗っている遥に少し灸を据えておく必要があるだろう。

「繰り返すがお前を信用したわけじゃないからな? あくまで俺は科学者の卵として目の前にある懸案事項を未解決のままにはしておけないというだけであって――」

「にひひひひー、それツンデレだね。兄さん」

 ぐうの音も出なかった。

 その後もしばらく騒いでいたが、さすがに遥も眠かったのだろう。布団に入って数秒もしないうちに眠ってしまった。

 それを見届けてから東海も部屋に戻る。朝日が差すまで数時間しかなかったが、とてもぐっすりと眠ることができた。


 =


 心変わりをしたわけではない。

 幽霊はいない。そう思うことは変わっていない。

 東海は現実的な判断をしたのだ。

 もし、あそこで断ることでしょんぼりと泣きそうな顔を見せられたら、その後はおそらく朝まで一睡もできなかっただろう。

 すると生活リズムが狂って、きっと不健康な毎日を強いられる。

 季節は夏であり、暑さで体力が奪われているところにそんな不摂生をしてしまったらたちまち精神すらやられてしまうに違いない。

 だから、受けたのだ。

 自分の安眠のため。そして科学の健やかなる発展のために調査をすることにしたのだ。

 あの脳天気な妹のためでは断じてない。


 つまり、そういうことなのだ。

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