抜きのヨネ
チユの朝は早い。
起きてすぐ、診療所の前の道を掃き、街路樹の落ち葉を集め、清掃する。
「チユちゃん、朝からご苦労様」
ジョギングをするおじさん。
「チユちゃん、もうすぐ焼けるから取りに来なさい」
パン屋のお姉さん。
「はい! ありがとうございます!」
チユは丸い目を大きく開いて溌剌と返事をする。
チユはお向かいのパン屋さんの前の落ち葉もホウキで掃き、綺麗にする。
誰に頼まれることでもない。チユの心がそうさせるのだ。
――
治療院にコーヒーとパンの香りが立ち上る。
チユは淹れたてのコーヒーにミルクを入れ、ジャムをつけたパンを食べる。
そして、差し入れでもらった卵があったので、チユはこれをゆで卵にした。
チユはその卵の殻むきに失敗し、白身が殻の内側に引っ付く。チユは行儀が悪いと思いつつ、殻を舐めるように白身を剥がして食べた。
そうして朝の食事をしていると、診療所の扉の外で誰かが倒れる音がした。
チユは覗き見る。倒れた人が扉の外にいる。
「大丈夫ですか!」
チユは駆け寄り、すぐに抱き起こす。
倒れていた人は高齢の女性だった。
「イタタタ。ぎっくり腰かね。ちょっと早足で歩いただけなのにねえ」
「お婆さん、ここは診療所です。安心してください。ベッドに運びますね」
チユはお婆さんを抱え、治療室のベッドまで運ぶ。
治療室の壁は頑丈な石造りで、外から水を引いたホースと、シャワー、太い排水溝が備わっている。
お婆さんをベッドに横たえたチユは、ぴっちりとした白衣に着替える。顔にはしっかりとしたマスクとゴーグルをつけている。
「お婆さん、私は治癒術師のチユです。腰、治します」
そう言うと、チユはお婆さんの衣類を全て器用に脱がせた。
「え? あ? どうして? やだ、なんで裸に?」
「えっと、ちょっと汚れますから」
チユは静かに答える。そして、両手に力を込める。
「少し、腰を触りますね」
チユはベッドの上で横向けに寝た老婆の腰に手を当てた。
腰に当てたチユの手が激しく光り、老婆の回復力が極限まで高められる。
そして、あたりが真っ白に輝く。
バルバルバルバルバリィ。
何かが膨らみ、剥がれていく音。
「お婆さん、気分はどうですか?」
チユの足元には大量の汚物である老婆の垢。それがうず高く積まれている。
老婆の輝く皮膚がシャキリと動いた。その腹斜筋と大胸筋が光を照り返す。
「ああ、すごい! こんなに体が動くなんて、何十年ぶりのことだろう!」
老婆、いや、マッチョ老婆はベッドに立ち上がり、マッチョポーズを決めた。
「具合が良くなったようでよかったです。これからも食事と睡眠には気をつけて……」
その時、診療所の玄関から誰かが駆け込んでくる音がした。
「『抜きのヨネ』今日こそはお前をスリの罪で逮捕してやる!」
二人の衛兵が治療室に駆け込んできた。
「あの、ここは治療室なので、静かにしていただけませんか」
チユは二人の衛兵を止めようと前に出る。
衛兵はチユを突き飛ばし、ベッドの上のマッチョ老婆、ヨネを見上げた。
「ケヘエ! 今のアタシは逃げないよ。やってやる!」
そう言うと、ヨネは素早く身を翻し、衛兵たちの前に降り立った。そして、二人の頭部を握ると、自らの両手に力を込める。ヨネの前腕の屈筋が膨れ上がり、爆発的な圧力が生まれる。
「ぎゃ!」
衛兵たち二人は、眼窩から血を流し、動かなくなった。
「いいねえ、実にいいねえ」
ヨネは小麦色の筋肉を輝かせながら、倒れたチユに歩み寄った。
「この体、実にいいよ。せっかくだ。もっと強くしちゃくれないかい?」
ヨネはチユの首を掴み、片手で持ち上げた。
「だ、ダメです。できません……」
ヨネはもう一方の手を石壁に叩きつけた。
「ダメじゃないんだよ。やるんだよ」
ヨネは、まだ輝きの残るチユの手を自らの腹横筋に押し当てた。
ヨネの筋肉が踊り、激しく盛り上がる。
「これだよ。これ! さっきの快感、たまんないねえ」
ヨネはチユの手を握って離さない。
「くくく、これで私はもっと仕事ができるように……うぐっ、ぐふっ」
ヨネの身体中の筋肉が四方八方に伸縮し始めた。ヨネはチユから手を離し、チユは尻餅をつく。
「やだ、アタシは、なんで、こんな……キテハアッ!」
バチンッ!
ヨネの体が内側から弾け、赤い霧になった。周囲に皮膚や骨が飛び散る。
チユはヨネがいた空間を黙って見つめる。ゴーグルには血の塊がこびりついている。
腰痛完治。
チユはバルブを操作し、シャワーで治療室を流す。
いろいろなものが排水溝に流れていく。
そして、気を取り直して倒れている衛兵たちをベッドに乗せ、その頭に手を当てた。
チユの手が激しく光り、衛兵たちの回復力が極限まで高められる。
そして、あたりが真っ白に輝く。
モリモリモリモリバズん。
潰れた頭が風船のように膨らみ、血色を取り戻す。
おまけに体も膨張し、僧帽筋と広背筋が隆起する。
「あのー。もう、大丈夫ですか? 大丈夫だと思うんですけど」
衛兵たちは顔を見合わせる。
「うん。ありがとう。大丈夫だ。鎧が少しキツイけど」
「よかった。診療代は受付にお願いします」
チユは患者たちに笑顔を向けた。
――
改めて、チユは診療所の前に看板を立てる。
『膝の痛み、腰痛、切り傷、その他なんでも治療いたします』
「これでよし。今日も頑張ろう」
チユは診療所の中に戻ろうとする。
「頼もう。ここは腕の良い診療所と聞いたのだが」
チユは振り返る。そこには二本差しのサムライがいた。顔に真新しい眼帯をはめている。
「拙者の目を見ていただきたい」
チユはサムライの姿をしばらく見つめる。
「はい、どうぞ。今から診療しますね」
チユとサムライは診療所の中に入っていった。
街路では、子供が百メートル五秒フラットの速度で駆け回っていた。




