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少女と白刃の共鳴

 庭園の陽が薄くなり、噴水の霧が光をほどいた。


 少女はふんわりと柔らかな微笑みを保ったまま、ゆっくりと腰へ手を伸ばす。指先がドレスの縫い取りを撫で、絹の面がさらりと音を立てた。腰の脇に隠された柄にそっと触れると、刺繍が淡くきらめく。呼気は深く、肩は落ち着いているのに、裾の影だけがかすかに揺れている。


 遠巻きの人垣に、ざわめきが走った。


「でもさ、あの子が持ってる剣ってたしか……」


「ああ、桃色の……なんだか、おもちゃみたいな剣だったよな?」


「そんなものじゃ、意味なんてないんじゃないの……?」


「心があるなんてねぇ。ありえないでしょ……」


 失望と困惑が混じる息が広がり、期待の色が翳った。


 少女の指先が柄を確かめた瞬間、ためらいの影は生まれない。静かな抜き音が空を裂き、刃が陽を掬い上げる。白い閃きが庭園の緑を撫で、空気は一拍、澄んだ。


 掲げられたのは純白の剣だった。目が吸い寄せられ、音が遠のく。誰かの吐息だけが細く残っている。


「も、桃色じゃない。白いぞ……!」


 声がほどけた。


「それに……あの形、聖剣とまったく同じじゃないか?」


「何だよ、そいつはどういうことだ……?」


「でもよ……あれには刃が無いよな?」


「そうそう、聖剣の方は尖っているぞ」


 驚きと問いが波紋になって広がっていく。


 刃先の白は反射で終わらなかった。ぬくもりと気高さが同居し、意思を灯しているかのように脈打っている。鳥の羽音が遠くで一度だけ鳴り、庭園は束の間、洗われたような静けさに沈んだ。


 少女は一歩、芝の柔らかさを確かめるように進み、剣を空へ軽く振った。力ではなく、澄んだ軌跡。細い風が庭園を渡り、花芯が揺れて香が薄く立つ。


「どうぞ、わたしの剣をよく御覧になってください」


 声は低く澄み、耳の奥へ静かに沈んでいく。翡翠色の瞳が民をなぞり、正面の男で止まった。視線の底に、舞台の上から客席を掌握する演者の呼吸がある。


「これが、わたしと共にある剣です。この中には、明確な人格と意思を持つ存在が宿っています。そして、いつだってそばに寄り添って、わたしを支えてくれている。そうです。『彼女』はとても素敵な、わたしにとってかけがえのない人なのです――そんなものだと、わたしが言えばあなたは信じますか?」


 男の顎がわずかに強張った。握る柄へ血が集まり、革の鳴る音が短く混ざる。


「ふん、意思だと? 剣が語るだと? まだ世迷言を申すか」


 低く吐き捨てる。けれど声の芯は硬く、余裕を保とうとしている。


「確かに外目は聖剣に瓜二つ。だが所詮、儀式を乱すためにこしらえた贋作であろう。何をほざこうとも、聖剣は既にこの私を選んでいる。何人たりとも否定はできぬ――ましてや、妄言吐きの小娘如きに、口を挟む筋はない」


 末尾だけが、わずかに荒い。


 少女の視線がすっと細くなった。剣が胸の前で静かに上がり、声は波立たない。唇の端に浮かぶ微笑は崩さないまま――足裏は石畳に縫い止められたように動かなかった。


 男が一歩、石を叩いた。重い足音が根を打つように響く。噴水の落ち口がその震えに合わせて乱れ、霧がほどけた。表情は険しいが、まだ形を保っている。


「聖剣は王家の権威の象徴。すべてを裁き、選び抜く神聖なる力を持つ――その真価を、この場で示してみせよう」


 言い切りの尾が庭園に残り、湿った空気が硬く締まる。遠巻きの人垣が一斉に息を飲み込み、鎧の継ぎ目がどこかで小さく鳴って止んだ。言葉だけで場を押さえつけたつもりの、低い自信が混じっている。


 少女は微動だにしない。純白の剣を前へ差し出し、声を落ち着けた。ドレスの裾が飛沫を受け、淡い光を一筋だけ返している。


「剣が真に選ぶのは、力ではなく――心の奥に宿るたったひとつの願い。その証を、この場でお見せいたします」


 同じ言葉が、別の意味で置き直される。示すのは勝ち誇りではなく、条件だと告げるように。噴水の水音がひと息だけ遠のき、代わりに芝の湿りが匂い立った。


 男は眉をひそめ、すぐに構え直した。握った柄へ血が集まり、革が短く鳴る。命じるように問う声が低く落ちた。


「ならばこの場にいるすべての者に示して見せるがいい」


 言葉の形は同じでも、ここだけは押しつけになる。観衆の前で、示す責を少女へ投げ返す仕草だった。人垣の端で誰かが身じろぎし、石畳が擦れる音が薄く走る。


 少女は目を伏せ、ひとつ深い息をした。睫毛が淡い影を落とし、開いた瞳に濁りはない。噴水の霧が頬へ冷たく触れても、肩は落ち着いたままだった。


「示す必要があるのならば――この剣とわたしが響き合うすべてを、お見せします。剣の中の、大切で……愛しい彼女のためにも」


 丁寧な言葉の端が、噴水の水音を一度だけ細くした。必要だと口にしたのは誰だったか。人垣のざわめきが引き結ばれ、花弁が一枚だけ音もなく落ちた。


「愛しい彼女だと? お前はその剣に恋でもしているとでもいうのか? 笑わせる」


 嘲りの言葉は吐かれたが、笑い声は続かなかった。乾いた息がひとつ、石に落ちて消える。


「恋? そんな言葉一つで片付けられるほど、わたしと彼女の絆は軽くありませんよ……。わたしと彼女は、魂と魂で結ばれた――『ふたつでひとつのツバサ』なのだから」


「くだらぬな。では参る……」


 嘲笑を作ろうとした声が、半拍だけ遅れて崩れた。少女は動かない。剣が身の前でわずかに角度を変え、巫女の儀のような静けさが庭園へ染み出していく。


「ええ、いつでもどうぞ」


 穏やかな声の底に芯がある。刃が淡く息をし、風がふたたび庭園を撫でた。若緑色の房がふわりと浮いて戻る。


「視界の切り替え、頼むわね」


 囁きは刃へ。剣身がぐっと明度を上げ、光条が天へ細く伸びた。人垣のどこかで驚きが漏れ、場の空気がもう一段澄む。


 柄に添えた掌がいったん静まり、刃が微かに震えた。光粒が生まれ、袖の上でひとつ弾けて消えた。


 聞こえない声が胸の内に触れ、唇がかすかに動く。微笑みがひと雫だけ柔らかくなり、開いた瞳から迷いが抜けていく。


 光が濃くなり、粒子が周囲を漂い始めた。空気はやわらかく巻き、庭園の匂いが薄まっていく。


「この光、まやかしか? ……貴様、一体何をするつもりだ?」


 男の声が裂いた。語尾が跳ね上がっている。先ほどまでの荘重な口ぶりに、初めて隙間が空いた。


 少女は振り向かず、剣を高く掲げる。動きは淀みなく、意志だけが静かに強い。


 白銀の明滅が場を満たし、二つの影だけが鮮やかに浮いた。周囲が一歩退く気配が走り、異界の舞台のように縁取られていく。言葉が抜け落ち、胸の奥で響く何かに圧されるように、皆が立ちつくす。


「これは〈場裏〉――わたしという器に集った精霊子たちが形を持ったものです」


 穏やかな声が耳の芯まで届く。


「少しだけ薄層に縮め、間を置いて重ならぬよう配しました」


 刃先が軽く揺れ、微光がふわりと応じた。


「これらは、わたしとこの剣が作り出したもの。わたしと彼女の共鳴が、こうした形となったのです」


 言葉が光に混じり、空間へ染み渡っていく。庭園の空気がかつてない透明さで満たされた。


「あなたはこれを見て、どう思われますか?」


 問いは柔らかく、真正面だ。丁寧なのに、逃げ道を塞いでいる。


「あなたが知る既存の魔術で、果たしてこのようなことが可能でしょうか?」


 微粒の光が穏やかに揺れ、少女を中心に小さな宇宙が立ちのぼる。


「これは魔術の理から外れた――もっと別の力です。この世界に遍く存在する精霊子を集める、器としてのわたし。そして、それを制御し安定化させる彼女との共同作業……」


 剣へ向ける視線に、敬意と信頼が滲んだ。


「茉凛がこう言っています。これが『わたしたちの絆の証明だ』と」


 言葉が落ちた。男の呼吸がひとつ、浅く詰まる。額に薄い汗が浮いていた。群衆の感嘆と畏れが交じる眼差しの中、それを見られていることが、彼の背中をさらに灼いている。


「ふざけるなよ……わけのわからぬことをずらずらと……」


 低い唸り。足が一歩、前へ。石が軋んだ。声が上擦り始めている。荘重は剥がれ、地の怒りが露わになっていた。


「そんなまやかしで、この私を欺けると思うな!」


 叫びが庭園を裂いた。群衆の肩が揺れる。


 少女は動かない。柄を包む指は細いが、力は揺れていない。翡翠色の瞳が真っ直ぐに相手を捉え、光粒が輪郭を縁取っている。


「まやかしかどうかは、すぐにわかります。どうぞお試しになって」


 声は穏やかで、丁寧で、どこまでも礼を欠かない。それが返って、男の顔の血色を変えた。


「貴様は魔術師なのであろう? どうせ、その剣は所詮見てくれだけのなまくら。魔導兵装の類に相違ない。すぐにでも真っ二つにして、叩き伏せてくれるわ!」


 もう形式の衣は残っていなかった。憤怒が歪み、刃が閃く。ためらいのない突進。空気が裂け、鋭い線が一直線に走る。悲鳴が重なった。


「やめてーっ!」


「やめろ!」


 恐怖の声がいくつも弾け、息を呑む音が追いかける。瞬きすら惜しまれていた。


 それでも、少女の眼差しに怯えはない。光粒が薄衣のように身を包み、若緑色の髪が風に遊ぶ。握る刃がひと呼吸、明るさを増した。迫る刃先の線を、圧倒的な静けさが呑み込んでいく。

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