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できる限りの跳躍を想像した俺の分身はコボルトの顔にへばりつく。
この秘技にまだ複雑な指示は不可能。
不慣れな俺は、こいつを囮にすることに決めた。
突然の出来事からコボルトは、腕に掴んだ獲物を手放し、新たな獲物に噛みつき手で掴もうとする
しかし塞がれた視界に混乱してか、腕は空を切る。
思わぬ挙動に少しニヤつきながら自身の腕を、コボルトの腰に伸ばす。
目標はコボルトが腰につけた小型のナイフ。
コボルトは性質上、殺した獲物の一部を身につけ自身を誇示し群れを大きくするらしい。
しかし身につけたものを実際に使う頭はなく、ただの装飾品となるのだ。
コボルトの『上位種』であればまた話は変わるが、通常の個体であればまず使わない。
まずこれを奪う。
カチャリ。
カバーから取り出したナイフを力強く握る。
手にした凶器はしっかりと殺傷能力を感じる。
しかし油断はしない。
囮ももう消えるだろう。
腕力の不足は両腕と全身で補う。
足に力を込め、コボルトの心臓部分に短剣を真っ直ぐに突き刺す。
「死ね」
ビクンッ
短剣が刺さったと同時に囮が霧散する。
まるで仕事を完遂したと言わんばかりに。
コボルトは自分の胸下を唖然と見つめ、呆然とする。
信じられないのだろう。
人間という上物を生け捕りにして、捕食者である極みを尽くす。
それだけが脳を支配していたコボルトはまさか自分が殺されるなど考えてはいなかった。
自分が狩られる側だとは微塵も。
目の前に広がる不可思議にコボルトは思考と生命を放棄する。
─瞬間、言い知れぬ感覚が肉体を駆け回る。
「これがレベルアップか、、」
前世は当然として、今世で初めての格の成長。
「あ゛、あぁあ゛」
虫の息だった青年は息絶えた『怪物種』をしっかりと認識し、瞳の際に涙が溜まる。
「あ゛ありがどう゛ございま゛ず、も゛う、じぬがどおもいま゛じだぁ」
決壊。
我慢していた感情が涙と共に溢れている。
引き摺られた背中にはもう服と呼べるものは無く、血が滲みとても痛々しい。
顔も腫れ、記憶上の彼とは似ても似つかない。
九死に一生。
目前まで迫っていた死を回避した彼は、まだ森の中であると理解したのか、流す涙を必死にこらえる。
「無事でよかったな、優男くん。これでさっきの分はチャラな。」
幼く見える俺の容姿とは裏腹な態度。
そして黒髪の青年は心当たりを思い出せないのも相まって、ポカンとしている。
「俺を見逃した分をチャラだって言ってんだ。」
泣きじゃくっていた彼を見て、強い精神をもっているわけではないと理解した。
それなのにあの行動はまるで死地に向かう軍人そのものだった。
やっと意味を理解したのか青年は笑った
「ふふふ笑、僕は見逃したつもりも、もちろん助けたとも思ってないよ。ただ、怯えてた君に助けを求めても、一緒に死んじゃうって思って。それで、僕より非力そうな子を道連れにはできないと思って。それだけだよ。」
─イカれてる。
死ぬのは怖い。
それでも、同伴者を拒み死を受け入れる。
極限の状態で、そんな覚悟が決められるのが人という種であれば。
なんと美しいことかと思った。
自己犠牲とは違う、尊き覚悟の選択。
「けど、強いんだね。僕なんかその短剣持ってても手も足も出なかったのに」
どうやらこの小型のナイフは彼のだったようだ。
「小型の『怪物種』とは違う、コボルトってあんなに強いんだね。僕知らなくて…怖くて…」
また思い出してしまったのだろう。
手の震えが止まっていない。
聞けば、彼は狩人の家系の者らしい。
浅い森に住む小型の『怪物種』であれば、敵ではなかったと言う。
しかし、格が違うコボルトに逃げることすら叶わなかったらしい。
「これからお前はどうする?着いてくるか?」
傍から見たら、とても面白い光景だろう。
逆ならばいざ知らず、幼い方がまるで救い手であるように手を差し伸べているのだから。
青年は、逡巡して迷った顔つきになる。
「連れてって、くれるの…?」
まるで理由を探るようにこちらに顔を向ける。
連れていく価値はある。
俺には秘技があるが、生き残る知識がない。
深くまで踏み込んでしまったこの森で、帰る家も森を抜ける道も、何も分からない八方塞がり。
少しばかりの手札で状況を打破するのは困難を極める。
それに、もう既に仲間意識を持ってしまったこいつを置いていくことは出来ない。
「迷ってしまったこの森で同行者は多い方がいい、だろ?」
納得したのか、俺の手を取り立ち上がる。
(しっかりと立てるところを見ると、背中と顔以外に目立った負傷は無さそうか。)
幸い酷い腫れではあるが流血などはしておらず、緊急性があるものでは無さそうだ。
ガサガサ
それほど遠くない後方の茂みで、気配を感じる。
油断していたつもりは無いが、山場を超えた先にある気の緩みがあったのかもしれない。
同行者に目を合わせ、お互い身をかがめる。
「ゴブリンだ…」
一難去ってまた一難。
距離にしてはそこまで近くないが、何かを探している様子に見える。
ゴブリンもコボルト同様、知能は高くない。
しかし、村を襲ったあのゴブリン達には確かな統率を感じた。
考えられる可能性は上位種。
人にも格があるように、『怪物種』達にも格がある。
その殻を破った存在を上位種という。
その上位種がゴブリン達を支配下に置いているのかもしれない。
心当たりがある。
メル爺ちゃんを襲ったあの巨大な体躯をしたゴブリン。
「まだ気取られてない内に離れるぞ」
「わ、分かった」
コボルトから腰巻型のポーチやナイフカバーを剥ぎ、気配を消す。
先程みたいに不意打ち気味であれば、思考する時間も含めて打倒する可能性はあるだろう。
しかし、既にある程度警戒されているこの状況で不意打ちが成功できるとは思えない。
幼い俺と背中の痛む青年。
俺たちはこの森で弱者であると言えるだろう。
パキッ
ゴブリンを背に進む青年の足に、落ちた小枝が当たる。
二人して視線をゴブリンに向ける。
正確な位置は気付いて居ないようだが、明確に音の位置を探る顔つきをしている。
強ばる顔をした青年に進めと指示をし、静かに足を動かせる。
しかし距離は縮む。
多分気配などを追っているのではなく、音のした方へ向かってきているだけ。
距離はもう少しばかりしかない。
「おい、合図したらできる限り走れ」
肩を叩き、端的に青年に伝える。
もしかしたらこの声すらもう届く距離感にいるのかもしれない。
暗闇で光っている瞳の光が明確にこちらに向いている。
バレた。
脳内で瞬時に三秒の行動コマンドを打ち込み秘技をセットする。
まだ、
まだ、
(今)
貧弱な獲物を見て警戒を解くゴブリン。
その一歩目を踏み出したと同時に、囮を出現させる。
「走れ!」
暗闇の中、青年と共に真っ直ぐ走る。
当然、ゴブリンも俺たちを追おうと迫ろうとするが、さっき居た茂みの中から獲物が出現する。
ゴブリンは、知能が高くない。
だから、目の前にエサが現れたならそれに真っ直ぐ噛み付こうとする。
この秘技は負傷しようが三秒しっかり時間を稼ぐ。
それはコボルト戦で実証済み。
ゴブリンが夜目が聞かないことを祈り、俺たちは死に物狂いで逃げ出した。




