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息を潜める。
肺が新鮮な呼吸を求めるが、気配を押し殺す。
ズズズ。
何かを引きずりながら歩くその足音は、徐々に近づく。
そして、正体が見える。
先程見た、ゴブリンたちとは背丈からして違い、狭い洞窟の中からでは下半身しか見えない。
伸びきった足の毛は、くすんだ灰色の猫の毛のように感じ、腰には短刀を携えている
(コボルト…か)
この森に救う『怪物種』の一体。
『怪物種』としての等級は低く、犬と人のハーフのように見えるが、知能は低く鼻や耳が特段いい訳でもない。
しかし敏捷性は高く、もし村を襲ったのがゴブリンの軍勢ではなくコボルト達であれば俺は逃げきれなかっただろう。
距離は少し離れており、この距離で見つかることはないだろう。
しかし一度見つかってしまえば終わり、そんな危機感が口を抑える手に力を入れる。
物音を立てず、動かない。
何もしなければバレることは無い。
小心者の少年の心が折れかける。
そして、コボルトが引きずる『それ』を見て抑えた口は恐怖で歪む。
茂みで見えていなかったコボルトの右手には、一目でわかるものが握られていた。
足を捕まれ引きづられている黒髪の青年。
顔は容赦なく潰され、目を背けたくなるほどの暴力の痕跡。
引きづられた後には、滲むほどの血が垂れている。
むごい。
もし自分が『怪物種』に捕まっていたらと思うと、恐怖で吐き気を催す。
きっと彼は助からない。
この後を想像もしたくない、生きたまま食われるだろう。
『怪物種』とはモンスターだ。
残虐性は村民にすら知れ渡るほどの生き物。
このまま息を潜め、やり過ごす。
可哀想だが助けてはあげられない。
俺には力がない。
ズズズ
ズズズ
一瞬だったと思う。
いや、数秒だったかもしれない。
パチリと目が合う。
何度殴られたか分からないほど腫れた瞼が開かれたのがわかる。
─やめてくれ。
─何も、言わないでくれ。
─見逃してくれ。
もし、青年が俺に反応を示せばコボルトは俺の存在を気取るだろう。
生者と、死亡予定者。
許せないだろう。
自分は痛めつけられ今から死ぬと分かっているのに。
生き延びた者を見逃すのは。
人間とは、極限の中で仲間を作ろうとする。
それが地獄へレールが敷かれているとしても。
束の間の同乗者が欲しいのだ。
引きづられた少年は口を開こうとして、口を閉じる。
本能を押し殺すように唇を自分の歯できつく縛る。
そして、目を合わせた青年はそのまま引きづられ視界から離れていく。
「ハッハッ、ハッハッハッ」
極度の緊張からか、呼吸を忘れていたのか身体が大量の空気を求める。
助かった。
不理解。
死が身近にあり、カウントダウンが始まってる中で、垣間見えた善意。
独りで死ぬ事を覚悟した沈黙。
助けられた。
見覚えのあるあの黒髪は多分同じ村の者だろう。
あの惨劇から、運良く逃げ出せた末にコボルトに遭遇したのだ。
武器も力も持たない、ただの村民一人で『怪物種』と戦うなど出来るわけないのだ。
森の中で出会えばゲームオーバー。
俺も遭遇すればあぁなっていただろう。
身震い。
自分は助かったという現状と、もし何かを踏み外した先にあった『分岐点』。
また、助かった。
運がいい。
メル爺ちゃんに、ハーベストに、名も知らぬ青年に。
細い綱の上で生き残る。
与えられた、綱の上でまだ生を実感する。
安心感と共に、不理解の感情が込み上げる。
この場に相応しくない、助かった自分に相応しくない感情。
悔しい。
与えられてばかり、救われてばかりで何も返せてない。
けど仕方ないじゃないか。
武器も何も無い。
戦う力のない俺に何ができるって言うんだ。
持っているのはあまりにも未成熟な身一つ。
何も出来ない、じゃない。
ただの村人として、知覚していなかった肥大なプライド。
臆病者が持っていていい代物ではない。
しかしその傲慢な自尊心が、彼を動かす。
救い手では無く、傲慢不遜。
とある貴族に隠された最後の血脈が今、煮え滾る。
(やってやる)
きっとまだそんなに遠くには行ってない。
今自分でできることを最大限思考する。
敵は恐らく一体の『怪物種』。
等級は低い。
メル爺ちゃんが言うには武器さえあれば、村民でも五分五分の戦いができると言うコボルト。
武器を持った一般人並。
化け物ではあるが、どうにかなるかもしれない。
今頼れるのはこの思考力のみ。
(考えろ考えろ、何か、打開策を)
勇気と蛮勇は違う。
救ってこそ意味があるのが命だ。
記憶上、『今』の俺より『前』の俺の方がコージを形成する要素が多く、見落としていた事実。
この何も持ちえない俺に、何かを期待するならそれは魔法かスキルだろう。
が、しかし思い出す。
魔法適正零種。
別に悲観することじゃない。
魔法適正など1つでも持ってるほうが珍しいのだ、村民でも使っているのを見たことあるのはメル爺ちゃんとハーベストさんを含めて数人だ。
もしかしたらもっと居たのかもしれないが、適性があろうとただの村人の魔力量などたかが知れてる。
(モンスターを狩り、魂のレベルを上げればその限りではないけど)
そんな危険を犯すものなどを冒険者というのだ。
そう、魔法は特別なのだ。
項垂れる。
唯一見つけた武器になり得るものが、手に入らぬものだと理解してしまった。
前に進もうとした身体が竦む。
身一つでも挑もうとする勇ましい心とは反対。
自尊心の為進む心と、臆病な本能。
意識だけでは前には進めない。
行動してこその、前進。
ふと、その時妙な光景が映る。
身体から気力とはまた違うナニカが失われて。
自身の後ろ姿が見える。
地を踏みしめ、身体を前に洞窟から飛び出そうとしている。
思考がバグる。
もし今蛮勇と言える行動に移したとして。
なぜ後ろから見えるのか。
自身の手足を見る。
消して幽体離脱した訳では無いと、手を交差して確かめる。
映し出された自身の後ろ姿が洞窟を出た瞬間に霧散する。
(幻覚とも違う、まるで質のいいホログラムを見ている感じだ)
思考を巡らせる。
(幻覚でないとしたら今のは、魔法。けど自身を作成して操作する魔法なんて聞いたことない)
メル爺ちゃんは元々は魔法使いだったらしい。
そんな爺ちゃんから昔、適性を調べる前の頃、魔法学を少し教えて貰っていた。
魔法適性は7種に区分される。
火、水、風、土、神聖、闇、無
それぞれの種別の中に、様々な魔法が枝分かれのように存在する。
そして魔法とは違う奇跡の力。
持つ者は一段階格が違うと言われる。
それを秘技という。
魔法適性よりも数が少なく、後天的に備わる可能性のあるもの。
もし、今の現象がスキルなのだとしたら。
「賭けてみる価値は…あるな」
使えないと思っていた奇跡を直に触れ高揚すると共に、脳は思考を始める。
この秘技の使用方法と、能力。
今全てを知る必要性は無いが、少なくとも今頼れるのはこの未知の力のみ。
洞窟内で様々な試行をし、想定を作っていく。
分身を何度も作り、挙動を確かめる。
使う度、魔力と思われる物が失われていくのを感じるが、まだ苦しくない。
先程の青年はまだ生きているだろうか。
そんな焦りを、押さえつける。
今俺に必要なのは勇気。蛮勇では無い。
勝ち目のない勝負はしない。
救われた命を捨てる気はない。
けど、返せる恩がまだあるのなら返したい。
「少し使いづらいが、コボルト相手ならこの手札で助けられる」
盤外から現れたジョーカー。
逸る気持ちはあるが慎重に洞窟を出る。
心臓が早鐘を打つ。
助けられるという期待か、未だ無意識で怖気付いているのか。
この動悸の理由を定めるつもりはない。
今はただ急ぐ。
もはや執着。
他者の命を天秤にかけ、自覚のないプライドが針を振り切った。
引きづられた血の痕跡を辿り真っ直ぐに追う。
彼としては激痛だろうが、今は彼を救う一助になっていた。
(きっと獲物を横取りされない自身の巣穴に持っていくつもりだろう。)
コボルトの習性上、そこには絶対に群れがいる。
そこに着くまでに絶対に助ける。
この手札じゃ、対多数は無謀。
1on1でしか通じない、ハメ技。
(見つけた)
息はまだある。
洞窟を離れて200メートルも離れていない。
『怪物種』とは言え、基本的なスペックは成人男性を少し上回るくらい。
それが見た目40kgの男性を引き摺っているのだ、足取りも遅くなる。
慎重に距離を縮める。
コボルトは特段五感が優れているとは聞かない。
10m
5m
3m
着々と距離を詰め、シュミレーションをする。
目標はコボルト殺し。
最初は青年の奪還と考えていたが、あの削られようで満足に走れるとは思えない。
だから殺す。
後顧の憂いを無くすため、即殺。
洞窟内での検証の結果、この秘技の特性は
・見た目が瓜二つの俺を一体、三秒間顕現する
・顕現前に頭の中で念じた動きをするが、顕現後に変更は不可
・曖昧に念じると、動きが不自然になり、コケたりする
・殴られたり衝撃を感じれば、普通の人間のように倒れる
・しかし衝撃や痛みが俺に伝わることはない
他にも細かな挙動はあるだろうが、短時間で分かったことはこれらのみ。
残り2m
ほぼ真後ろ。
青年すらまだ気づいていない。
(今)
先程まで感じていた恐怖が消え、目標だけを見据える
平和の世に生まれた臆病者の人格と、今世に刻まれた傲慢な魂の融合。
生死の中で揺れる中、それは歪に溶け合い、今一つになった。
無様に逃げ回り、所々破けたボロ服を来た少年。
しかし、己のプライドを傷付けたその理不尽に今、初めて殺意を向ける。
その秘技の名は『仮想顕現』
この時はまだ知らぬ、これからの相棒の名。
現れた俺の分身は踏み込み、コボルトの顔へダイブした。
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