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想い出はいつも若く

作者: 万卜人
掲載日:2026/01/15

想い出はいつも若く


 春ーー


 その娘は一面の花畑にスカートを広げて腰を下ろし、無心に花を摘み、花束を作り続けていた。

 春の日差しに輝く金髪、薄桃色の肌は血色がよく、空の青さを映したかのような瞳にはやさしさが溢れていた。

 かすかな足音に娘は顔をあげる。

 彼女の目の前に、一人の男が立ち尽くしていた。逆光で顔の表情は読めないが、微動だにせずどうやら娘の様子を熱心に観察しているようだった。

 娘はすこしだけ眉を寄せ、男を見上げいたずらっぽい表情を浮かべた。

 男ははじめて口を開き、娘に声をかけた。

「ご気分はいかがですか?」

 男の問いかけに、娘は輝くような微笑を浮かべた。

「とても気分がいいですわ!」

 そうですか……、と男は口の形だけ動かし、一人納得するかのようにうなずいた。

「その花束……」

 と、男は娘の手元の花束を指さした。

「どなたに贈るつもりでしょうか?」

 男の質問に、娘ははじめて自分の作り上げた花束に目をやった。まるでそれまで、自分が花束を無心に作っていたのを知らずにいたようであった。

「贈る相手……」

 ぽつりとつぶやき、娘の表情にかすかな狼狽が浮かんだ。

「判りません」

 娘はゆっくりと顔を左右に動かした。

「あたし……あたし、だれかに上げるつもりだったのかしら?」

 真剣な表情になって、つぶやいた。

「違うのですか?」

 男はやや前かがみになって、娘に質問を重ねた。口調にはそれまでにない真剣さがにじんでいた。まるで娘の返答が重大な問題をはらんでいるかのようだった。

 娘は無言で何かを必死に思い出しているようであったが、ふいに顔をあげ、ふたたび先ほどの輝くような微笑を浮かべた。

「きっとあなたに差し上げるつもりだったのよ!」

 娘はぱっと立ち上がると、男の前に進み出て、花束を差し出した。

「受け取ってくださいません?」

 のろのろと男は両手をのばし、娘の花束を受け取った。

「ありがとう……」

 男の声には感謝の念はふくまれておらず、苦々し気な響きだけがあった。

 しかし娘にはそんなことは気にしていないようで、ふたたびスカートのすそをふわりと広げ腰を下ろすと、もうひとつの花束を作り始めていた。

 男の存在など、もう彼女の念頭には消え去っているかのようだった。

 細い指先が丹念に動き、花束を作っていく。

 かすかなハミングが聞こえる。

 そのメロディは、数十年前に流行った恋人を待ち続ける内容のものだった。


 彼女は焦りを感じていた。

 有名大学医学部を首席で卒業、その後研究生活に入り、数々の発見と新薬開発で業績を残した彼女にとって残された課題は自身の年齢との戦いであった。

 すでに人生の半分を過ぎ、かつての美しさは去りつつあるのを自覚していた。

 黒髪に散見される白髪、額やほほ、くっきりとした口元の皺に、彼女は残酷な年齢の罠を自覚していた。

 若いころ、彼女のまわりにはつねに無数の求婚者がまとわりついていた。それらの求婚者たちの群れをあしらいつつ、彼女は研究の道を突き進んでいたのである。

 もう若くはないわ……。

 鏡の向こうで不機嫌に自分を見返す自分の表情を見つめ、彼女は自答していた。

 結局、この年齢になるまで彼女は独身を貫いていた。

 結婚生活に憧れるより、研究生活における未知への探求が、恋愛など不要と思っていたのである。

 あと数年しかない……。

 彼女は自分の研究生活のピークが終わることを自覚していた。どんなに才能があり、熱意があっても、ある年齢以上になると研究者は画期的な発見とか、理論構築など不可能になる。その壁がすぐ手間に迫っていることを、彼女は感じていた。

 今のうち、最後の研究テーマを進めるべきだ……!

 その研究テーマとはーー。

 若返り、つまり細胞の再活性化であった。


 彼女はその研究に一心不乱に突き進んだ。

 周囲はその無謀さに忠告をし、諦めるよう説得したが、彼女は一切受け入れることを拒否した。

 研究には膨大な予算と、時間を必要とした。

 寝る間も惜しみ、彼女は一日中研究室にこもり自身のテーマを追い続けた。

 十年、そして次の十年、さらに十年が過ぎ去った。

 そしてついに、彼女は勝利をつかんでいた!

 ひと瓶のわずかな液体が、彼女の研究の成果であった。

 彼女は液体を手に持ち、鏡に向かい合った。

 鏡の向こうの自分は、豊かだった黒髪は完全に白髪に変わり、落ちくぼんだ眼窩から充血した両目が狂気じみた光をらんらんとはなっていた。

これで若さを取り戻せる……。

 研究が成功したことを、彼女は誰にもあかさないでいた。

 勝利は自分だけのものだったからである。

 彼女はぐいっと液体を飲み干した。

 かーっ、と熱い刺激がのどを通りすぎる。

 しばらくは何も起きなかった。

 失敗だったのか?

 眉を寄せた彼女だったが、しだいに体の奥底から、ほんのりと熱いものがこみ上げてきた。

 全身に力がよみがえってくる。

 曲がった背骨がぐいっとまっすぐに伸び、しばらく感じたことのない新鮮な感動が全身を支配した。

 成功だ!

 彼女は歓喜に打ち震えた。

 数日後、真っ白だった髪の一本に、一筋の金線を見出した。

 数週間、数か月がすぎ、彼女の白髪にはみるみる金色の髪の毛が増え始めた。

 そして肌にも張りが戻り、みずみずしい若さがあらわれつつあった。

 たったひと月で、彼女は十歳も若返っていたのである。


 彼女の変化に、遠ざかっていた研究仲間たちは驚愕した。

 そしてついに彼女が若返りの秘密を解き明かしたことを知ったのだった。

「素晴らしい成果です! あなたの研究は、人類を救います!」

 称賛の声に、彼女は得意満面であった。

「どうかその研究成果を、ご教授願いますか?」

 もちろん、と彼女は答えた。

 この研究は彼女の研究生活の頂点であり、これから世界中が彼女を称賛するであろうことは疑いがなかった。

 ゼミが開催され、無数の研究者が彼女の講演を受けようと集まっていた。

 いっぱいの期待を受け、彼女は口を開いた。

「わたしの研究ですが……」

 すると彼女は眉を寄せた。

 そのまま聴衆を前に、一切の動きを止めた。

 言葉が出てこない……。

 ざわざわと聴衆の間から不審のざわめきが広がった。

 どうしたのだろう?

 なぜ彼女は研究成果を発表しない?

 独り占めにするつもりなのだろうか?

 いや、そうではなかった。

 彼女には一言も、自身の研究について話すことが不可能だったからだった。

 なんと彼女は、自身の研究について、一切の記憶がなかったのである!


「彼女の様子は変わりはないですか?」

「そうだね。あれからずっと、あの調子だ」

「体調は?」

「すこぶる健康。すべての数値が理想的だ。多分、あらゆる人間の中で、彼女ほど健康な女性は世界中探してもいないはずだよ」

 観察室のとなりで、二人の研究者が語り合っていた。

 観察室にはおおきなマジック・ミラーが設置され、二人の姿はその部屋からは観ることができないはずだった。

 寝台と簡易トイレのみが設置された殺風景な部屋。部屋の壁には被験者があばれたりして、体を打ち付ける危険を排除するため、やわらかなマット状の保護具が一面に取り付けられている。

 が、そこに幽閉されている人物にはその危険はまったくなかった。

 彼女はじつにこの部屋の生活に満足をしていたからである。

 見事な金髪と、真っ青なブルーの瞳。薄桃色の肌は輝くような健康を示していた。

「しかし今の彼女を、かつての同じ人間とは思えませんね。以前は黒い髪に、黒い瞳の持ち主でした」

「多分、薬の副作用だろう。DNAサンプルを採って比較したが、完全に以前の彼女と一致したよ」

 部屋の真ん中で座り込む彼女は、簡素な病院着で、なめらかな床の上で両手を複雑に動かし、何かの作業を一心に続けていた。その手の動きはありもしない野の花を摘み、丁寧に束ねて花束を作っているようだった。

 若い方の研究者はたまりかねたように、もう一人に訴えかけた。

「やはり記憶は戻らないのですか? あの薬のレシピは、彼女だけが知っていたのでしょう?」

 問いかけられた研究者は苦々し気に答えた。

「その通りだ。彼女の残した研究資料をどんなに分析しても、あの薬の再現は不可能だった。おそらく、肝心な手順や材料の配合は秘密にしていたのだろう」

「再びもとに戻るのでしょうか?」

 相手はゆっくりと顔を左右に動かした。

「そうは思えない。薬の結果、彼女は17歳当時に若返った。全身の細胞が若返ったのだ。そして脳細胞も例外ではなかった。彼女の脳細胞は17歳当時に戻っている。つまり学究生活にはいる以前の状態なのだよ。さらに薬の影響で、毎日、毎時間、彼女の細胞は若返りを続けている。一日老化しても、翌日には前日の若さに戻っている。つまり彼女は永遠に17才のまま、生き続けるのだ!」

 若い研究者は驚きの表情を浮かべた。

「つまり不死、ということですか?」

「そう……。致命的な事故にあわなければ、そしてこの部屋で過ごしているかぎり、彼女は永遠に生き続けるだろう。前日の記憶は翌日には消えて、まっさらな状態で目覚める。それが毎日続くのだ」

「なんという運命……」

 呆然と二人の研究者は観察室の彼女を見つめていた。

 部屋の真ん中、座り込む彼女は、幸せな笑みを浮かべていた。

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