月輪
托鉢僧が108回目の鈴を鳴らす前に俺が奴を殺すか自分を殺すか決める事が世界最大の問題の様な気がしてきた。
奴を殺してから死ぬのは問題が無いが、死んでから殺せない事は確実だ。
立川駅に毎週現れる托鉢僧と地縛霊、どっちが迷惑なのかを考え始めた途端に鈴の音が俺の思考を遮った。
あの鈴はいつから鳴っているのだろうか。
あの托鉢僧はいつからあの鈴を鳴らしているのだろうか。
川の終わりを見に行った事がある。
夜通し自転車で走って河口までたどり着いたが、数百メートル手前で自転車がパンクしたので押して歩いた。
河口が見えた瞬間に俺は川の始まりを見た事が無いと言う事実に思い当たり、歩くのを止めそうになった。
物事の終わりは目にしても始まりを目にする事は少ない。
仮に見ていたとしてもそれを始まりだと認識する事は少ない。
だから夢がどうやって始まるのかを知っているひとはいない。
映画や舞台が始まる時の様に緞帳が開く訳でもないし、テレビやゲームの様にスイッチを入れたりする訳でもない。
そして夢は終りも曖昧だ。
本を閉じる様に終わる事もないし、CDやレコードの様に終わる訳でもない。
目覚めはあくまで睡眠の終わりであって夢の終わりではない。
キンコンカンコン。
寂しさや疲れを溶かした色の空。殺したくなる様な夕暮れの赤。
夕方五時に鳴るあのチャイムは昼の終わりを告げているのか夜の始まりを告げているのか、そんな事を考えた。
梅雨は春の終わりと告げているのだろうか、夏の始まりを告げているのだろうか。
その両方なのだとしたらあのチャイムもきっと両方なんだろう。
ベンチに腰を下ろす。影は長く伸びる。後悔よりも長く、希望よりは短く。
ひとびとが俺の影を踏みながら目の前を通り過ぎていく。
チリン。湿った鈴の音が響く。
コンビニのホットスナックを食べながら歩く男子学生。お前のモラトリアムをくれ。
若さをすり減らしながら歩くOL。お前の無謬性をくれ。
金色の時計をしたストライプスーツの男が行く。お前の自信をくれ。
俺は缶コーヒーを握り潰そうとしてその力が残っていない事に気づいた。
チリン。
さようなら、それは終りの言葉ではない。
再び会うまでの遠い約束になり得るかは分からないが、とにかく終わりの言葉ではない。
こんにちは、はじめまして。
それは始まりの言葉だけれど、本当の始まりはもっと前にあるんだろう。
そもそも多くの関係性は明確な終わりを迎える事が出来ない。
曖昧なまま消えていく。
砂糖やクリームがコーヒーに溶けていくように。雪や灰が雨に流されていくように。
コーヒーを飲みながら血管を拡張させて煙草を吸いながら血管を収縮させる。
短い希望だとか胡蝶の夢だとかとりあえずそういったものだけれど形があるものは終りが明確だ。
飲み切ればそれが終わりだし、フィルターまで火種が届けばそれが終わりだ。
店には閉店時間があってそれが終わりだし、最終電車が行ってしまえばそれがその日の終わりだ。
明確な終わりだ。
ピピー。
ホイッスルが鳴った気がする。
もしかしたら生活の悲鳴かも知れない。
誰の?もしかしたら俺のかもしれないしそうじゃないかも知れない。
タイムアップ。終了。ノーサイド。
明確だったらそれが曖昧に溶けていく。線が消える。越えるものが無くなる。
負けを認めない限り負けじゃないと言うのであれば、終わりを認めない限りその読点やピリオドが打たれないと言う話になるはずだけれど、それは実際のところ偏執狂の戯言に過ぎない。
つまり彼女はある日のある瞬間、突然にして俺に対する興味を失った訳だ。
まるで最初からそこに存在しなかったかのように。
ひゅるるるる。
いま吹いている風が何月の風なのかわからない。
俺は季節の無い街に生まれたから季節を教えて欲しいと言ったけれど、結局彼女からは春の事を少しだけ教わっただけで終わった。
それも春が終わりかけた頃の話だ。
それは腐りかけた春なのか、未熟な夏なのか俺には判断がつかない。
教わっていないからだし、もしかしたら春だとかには終わりは無いのかも知れない。
だからこの缶コーヒーを飲み終わったら死のうと思う。
俺の最後の120円だ。
それを使って買った缶コーヒーは正真正銘、俺の最後の資産だ。
貯金も残っていないし、部屋も家財道具を全て処分した。
何もない。着ている服はこれっきりだ。
本当に何も残っていない。スマートフォンも無いし、この先の約束も無い。
「やっぱり、行くのね」
座っているベンチの後ろ、コンクリートに足元を固められた窒息寸前の木の影から陰鬱な声が聞こえる。
「あぁ、決まっているんだ」
俺は見もせずに答えた。
そう。もう決まっているんだ。
誰にも興味を持たれないひとりの男の人生の終わりがいまから始まる。
終わりが始まると言うのもおかしな話だが、ひとりの男が死ぬ、たったそれだけの話だ。
運が良ければ何分かはSNSの話題になって、そうして忘れられていく。
忘れると言う行為は一斉に起こるのではなく、徐々に薄れていく事で達成される。
色んなものが薄れていく。
けど無くならない。
いくら半分にし続けたところで永延にゼロにはならないように。
チリン。
あの鈴の色はどんな色だったろうか。
金色か、銀色か。
それとも少し錆びが浮いて茶色が混ざっていただろうか?
誰もそんな事は気にもしていないし覚えてもいないだろう。
別に誰の記憶に残らなくてもいい。覚えられているなんてのはごめんだ。
ひとは生きていると色んな物事の終わりに接する。
だから終わりを明確に捉えられる様な錯覚に陥っているけれどそれは間違いだ。
誰も終わりを明確には捉えられない。ドラマや漫画、小説の様な終わりは人生のどこにも訪れない。それは続いているからだ。
祖父母が死んだ時もそうだったし、高校の友人が死んだ時もそうだった。
彼らは静かに終わっていったけれども彼らはその終りを捉えられなかったし俺たちも彼らの終わりを捉える事は出来なかった。
彼らは終りに迎えられた。
俺たちはその終わった終わりを見送るのが精一杯だった。
「手に入らないものが好きなんでしょう?」
影が俺に話しかける。
「いや、そういう訳じゃない」と言った返事が聞こえているかはわからない。
人生は後悔の連続だ。後悔の無い人生こそ後悔の連続だろう。救いがあるとすれば死ねる言う事だし、死ねば全てが終わると言う事だ。
その終わりを知覚できない事だけが少し寂しいけれど。
チリン。風が鈴の音を湾曲させる。
終わりを先延ばしにする方法はある。誰かが太宰治に銀色の着物を送ったように。
太宰治に銀色の着物を送った人間は彼の終わりに興味があったんだろう。
太宰治は夏まで生きようと思ったようだ。
俺にも銀色の着物を送ってくれる人がいたら夏まで生きたのかも知れないが、終わりは終りだ。
それが少し先延ばしになったところで何が好転する訳でもない。
いや、俺はきっといくつもの銀色の着物を破いてきた。俺が送った銀色の着物もきっと破かれてしまったんだろう。
浮かれていたのかも知れない。
彼女のためのいくつかの銀色をした着物。
遠い約束?
どうだろうな。それはさようならと言う羽目になる。どっちみちこの先に道は無いようだけど。
そもそも最初からそんな道は無かったんだろう。防波堤を歩いているようなものだ。
チリン。チリン。
あれは何回目の鈴だ?いま吹いている風はなんの風だ?
もう少し他の季節を知りたかったがもう遅いんだろう。
俺に銀色の着物を送るような人間はもうどこにもいないし俺には戻る部屋も無い。
手の中の缶コーヒーだけが最期のそれだ。
飲み終えたら俺は本当に何も持たなくなるし、その温度を失ったらきっと迎えが来る。
そいつの色がどんなかはわからないけれど。
俺は缶コーヒー持って立ち上がり歩道の端まで歩く。細く枯れ枝のような足が震える。
何十年経ったのかは分からない。
俺は結局のところ最初から最後までひとりきりだ。
いや、最後と言うのは今から始まるのでどうかは分からないけれど。
「行こうか」
振り向いて影に言う。
影は黙って頷く。
それが彼女なのか彼女の幻影なのかは分からないけれど今の俺には関係がないし、どうでもいいことだ。
その影には始まりも無いし終わりもない。
俺と言う形はもう少しでなくなる。それは終りと言うことだ。
チリン。
鈴の音が聞こえた気がした。それは俺の悲鳴だったかも知れない。
手の中にある缶コーヒーは残り少ない。
飲みながら渡って飲み込む前に轢かれて死ねたら良いなと思った。
けれど実際には飲む前に俺は轢かれてしまったし、目の前に広がるこぼれた缶コーヒーの色は血とそう変わらないなと思った。
それは夜だからかも知れない。
一緒にいたはずの影は不気味な形に変わって、死んだあとの始まりを微笑んでいた。
チリン。
チリン。
チリン。




