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1話

初投稿です。閲覧して頂ければ幸いです。

ひんやりとした車内から一歩踏み出すと、全身が熱気に覆い尽くされる。




鎌倉の夏というものは、何か他とは違う特別なものを感じることが出来る。

古い歴史を保つこの土地は、多くの思惑や想いを吸収しているに違いない。幾多の歴史を重ねて、すっかり日本を代表するような観光名所となったこの街は、四季折々の顔を我々に楽しませてくれていたわけだが、昨今の日本に於いては季節が夏・冬、端的に言い換えればあつい・つめたいと言う、まるでスーパー銭湯に置かれた給水器のように二択しか存在しないかのようになっていた。

例え古都だろうが何だろうが、環境はそんなもの関係ない訳で、地球温暖化の嘆かわしい影響をもろに受けている訳である。




うだうだと暑さに悲鳴をあげてあれこれ考えつつ、湿った空気の漂うホームを歩いていき、東口の無人改札を出るとそこかしこから蝉の鳴き声が耳の中へと入ってくる。

制服姿の学生、犬を連れた住民、ガイドマップを持った外国人などが線路沿いの路地を真っ直ぐに進んでゆく。

その列に従うかのように、日傘を鞄から取り出して頭上を照らす太陽へと向けた。

円覚寺から出てくる観光客などが、大勢踏切で待っていたりそこを切り抜けるように郵便配達のバイクがけたたましく走ってゆく。最近はインバウンドとやらで、連日観光客だらけになっているのだが、これも鎌倉駅に比べたらマシなものなのだろう。なんせあちらが本丸なのだから。買い物などは当然あちらへと出向かなければならないのだが、とにかく人の多さには辟易してしまう。まあもっとも、電車一本で大船や横浜方面へと行けるのでもっぱら買い物や遊びに行くのは当然そっち側へとなる。



さて、こうして観光客に追随する形で道を進んでゆくのだが、一本路地を入ってしまうと喧騒とは無縁の、木々のざわめきと土の匂いが漂う、閑静な住宅街や林が共存する別世界となる。

新興住宅が増えたとは言え、まだまだ昔からの家が軒を連ねるこの場所を自分は気に入っている。 


私、森野浩也はそんな北鎌倉の外れに暮らしている。元々横浜で暮らしていたのだが、数年前にある行政機関の職員に転職し、働き出してからこの土地へと越してきた。何故鎌倉なのか、と言うと単純にこの風情に惹かれたから、という他ならない。

通勤自体も電車で一本、乗り換えを挟んだとて3.40分もあれば職場のある田浦へと着いてしまう。海辺にある人も疎らな庁舎内で日々業務をこなしながら、静かなこの町に足を着く。そんな穏やかな生活を楽しんでいた。

私の自宅は駅から徒歩15分ほどにある。

路地を数本挟んで細い坂道を登り、丁度山の裏に面しているような古びたアパート「緑ヶ丘荘」の203号室が自分の部屋である。

築四十年を超えるこのアパートは、コンクリートの外壁に苔がうっすらと這い、名前も外観もどこか時代から取り残されたような佇まいを持っていた。


住民はと言うと1階に住む大家と3週間前から入院している201号室の鈴木という80代の年配の男性以外居ないので、現在は実質自分1人というなんとも寂しげなものであった。

そんなアパートの隣には、鬱蒼とした森、いや林というべきものが広がっている。その奥に、ひっそりと空き家が佇んでいる。古い瓦屋根の二階建てで、壁一面を蔦が覆い、窓ガラスは黒ずみ、庭は雑草に埋もれている。正面の門に至っては施錠もされておらず、ポストには大量のチラシが詰め込まれていた。


長年に渡って誰も住んでいないという話も地元の集まりで聞いたことがある。このアパートに越してきて早数年、隣の空き家は常にその退廃とした様子を見せていた。

丁度その空き家を円で囲むように路地が面してあり、その先は林と、いつ崩れるかも判断出来ぬような年中湿った山の斜面が黒がりを広げている。

最も、アパートより先の道は使ったことがない。人気はなく、街路灯や防犯灯などもない。防犯対策中と威嚇するような文字で書かれた古臭い看板が寂しげに電柱に寄りかかっているぐらいである。

最初は気味の悪いものだと思っていたが、住めば都と言うべきか、いつしか気にもとめなくなっていた。


───────────────────────


息を切らしながら、坂道を上がりアパートを見据える。丁度門の辺りを、大家である蛯名さんが箒で掃いているのが見えた。



「あぁ、お疲れ様です。暑いでしょう。」


「どうも、おかえりなさい。あなたこそ汗だくじゃないの。」


「まあ、日傘を使えば多少はいいもんですよ。なんせ直射日光は遮れるんですから。」


「男の人も普通に使わなきゃこんな暑さ、やってられないもんねぇ。」


「ははは、異常気象ってなやつですね。⋯⋯あぁ、そうそうこの間は町内会の清掃、すみませんでした。突然出勤なんて言われたものですから。あの暑い中⋯⋯。」


「良いの、大丈夫だから。お役所とは言っても大変ねぇ。」


「これ、この前のお詫びと言ってはなんですが⋯⋯。」


「⋯⋯あら、いいのに。悪いね。」


「なかなか美味しいものですから。冷やして食べるのがおすすめ、と店員さん言ってました。」


「ありがたく頂くわね。」



蛯名さんはこのアパートの大家であり、年齢は七十歳を過ぎたあたりで、いつも薄い花柄のエプロンを身につけ、穏やかな笑みを浮かべていた。色々とお世話になっている人でもあり、この前のように突然の自体で町内会の集まりに参加出来ないという時も助けてくれるなんとも奇特な人である。

お詫び、という事で買った和菓子の詰め合わせを手渡し階段を上がろうとした時にあっ、と呼び止められた。


「そう言えば、今週また集まりがあるらしいんだけど⋯⋯。」


「今週ですか?まあ、週末なら大丈夫ですよ。」


「それがね、今度はそこの道⋯⋯とその家の事らしいのよ。」


「家⋯⋯⋯ですか?」


「私もねぇ、何十年と此処に住んできてるけどやっぱり物騒だと思うのよ。ほら、あの裏手の道もそうだしこの辺も。」


「あぁ、まあ防犯灯とか一切ないですもんね。誰も通らないから⋯⋯⋯。」


「あの家も、早く取り壊してほしいもんねぇ。不気味だし。」


「⋯⋯⋯そうですね。もう雑草が門を抜けてますもんね。」 




昼間も不気味だが、夜になると木々の奥に佇むその家のは、悪い意味で強烈な存在感を放っていた。窓から見える黒々とした山の輪郭と、その中に沈むように立つ家のシルエット。僅かな月明かりに照らされると、まるでそこだけが時間が止まっているかのように見えた。



「あそこは、いつから人が居なくなったとか知ってますか?」


「あれ?もう10年以上経つんじゃないのかしら?」


「はぁ、もうそんなにですか。」


「確かねぇ、そこの地主の息子夫婦が住んでた記憶はあるのよ。ただ、住んでた時は滅多に顔は見せないし、町内会の集まりも殆ど出ないのよ。挨拶してもぶっきらぼうで、意地悪な家族だったね。毎日喧嘩か何か知らないけど煩かったね。」


「あぁ⋯⋯⋯。」


「だからここらの古い人は、あんまり関わりたくないって感じなのよ。変な噂も一時期あってね。迷惑な一家がいつしか引っ越して万々歳と思ったら今度はあんな空き家残して⋯⋯迷惑ったらありゃしない。」


忌々しそうに、頭を振って箒を再度掃き出した蛯名さんに軽く会釈して、階段を再度上がった。



部屋に入ると、サウナのような湿気が立ち込めている。

急いで窓を開けて換気しつつ、冷蔵庫から缶ジュースを取り出してグイッ、と一気飲みした。

ふぅ、と一息ついてから買ってきた食材などを冷蔵庫に入れてから、エアコンを入れると少しずつ火照った身体を冷気が冷やしていってくれる。

暫く汗を引かせてから、軋む押し入れをガタガタと開けて枕を取り出す。

寝転がってからスマホを取り出して、1週間の天気を調べ始めた。


「うわ、毎日あっついなぁ⋯⋯⋯。」


空虚な独り言が殺風景な部屋へと消えてゆく。連日のように体温以上の気温が並ぶその様に、嫌気がさしてくるのも致し方あるまい。

とは言いつつも、冬になると蜩の声や夏独特の雰囲気や匂いが恋しくなる。丁度良い半々を味わえたら良いのだが⋯⋯。心地よいエアコンの風と、暑さで消耗した体力を補うかのように、眠気が襲ってきてしまいすっかりと眠りこけてしまったのだった。




───────────────────────



さて、その日はいつもより遅い帰宅だった。8月も半ばを過ぎ、学生達の夏休みも終わりを見せる頃である。

残業を終え、電車に揺られて駅に着くと午後20時を回っていた。空は濃紺に染まり、駅前のほんの小さな商店や店はすでに営業時間外となっていた。

改札を出ると、生暖かい風が頬を撫でた。いつもなら、駅から線路沿いをまっすぐに進み、途中で細い坂道に入ってアパートへと向かう。だが、この日はなぜかふと違う道を歩いてみようと思った。

何故か、と言われると明日が土曜日、そう今日は華金と呼ばれる金曜日だからである。まるで答えになってもいないのだが、ようは平日だと寄り道したりする気力はないのだが、翌日が休みであれば多少夜更かししたり、何かいつもと変わった事をしたくなるような性格とでも言うのだろうか。

とにかく、いつもとは違う道を通って帰路に着こうという何気ない発想に過ぎない。思えばそう、この何ていう事のない行動から、あの恐怖に巻き込まれた訳である。



改札から反対方向の住宅街を進むと、少し離れた場所に、切通がある。少し前までは崩落の危険があるとして通行止めとなっていたが、県土木事務所と地元の保存団体が保存整備を行った事により、再度通行できるようになったのだ。その切通を抜けて、だだっ広い屋敷の隣にある小道、そう地元民しか使わないような舗装も中途半端な細い道を進むと、森を反時計回りに迂回する形でアパートの裏手に出る。

途中までは街灯もあるのだが、最後の民家を過ぎると両側には雑木林が広がり、夜風に揺れる葉の音が耳に響く。時折、カサカサと何かが動く音が聞こえるが、たぶん狸や小動物だろう。この辺りは野生動物も多い。


じゃり、じゃりと小石と砂粒の混じった音、時たま隣の山に面した崖から湧き出て道へと流れ出る水を踏みつける音が静寂に響く。

アパートまで数十メートルしかないのだろうが、これは確かに防犯的に見てみれば、宜しくはないだろう。


少し歩くと、木々の切れ目から、あの空き家が見えた。黒いシルエットのみ⋯⋯のはずだが、


「あれ⋯⋯?」



足を止めた。あの1階、窓のひとつに、ぼんやりとした明かりが灯っている。オレンジがかった、頼りない光だ。まるで古い裸電球が揺れているような、不規則な明滅を繰り返している。



「人がいるのか?」


いや、まさか。あの家は10年以上空き家だと、蛯名さんも言っていた。

⋯⋯まさか空き巣か? それとも、誰かが勝手に住み着いている? だが、こんな夜更けに、わざわざあの廃屋に忍び込む理由が思いつかない。こんな場所に忍び込むのはリスクが高すぎるのでは?

近づいて確かめてみようかと思ったが、すぐにその考えを打ち消した。軽率な行動は避けるべきだ。そもそも、ただの錯覚かもしれない。もしかしたらアパート側の光が、窓ガラスに反射しているだけかもしれない。

それでも、胸の奥に小さな違和感が引っかかった。スマホを取り出し、時刻を確認する。今は20時27分。

急いで帰って、ビールでも呷ろう。そんな背後で、森の葉がカサリと鳴った。腹の底を冷やして急いで振り返ったが、誰もいない。ただの風だろう。







アパートに戻ると、ワイシャツやスラックスなどを脱ぎ捨てて、風呂場へと入る。

全身は汗でびしょびしょになっている。やはり、いつもの道で帰れば良かったな。


シャワーを浴び、冷蔵庫から缶ビールを手に取った。どうせこんな場所からは誰も見えないだろうと、腰にタオルを巻いたまま窓際の小さなテーブルに腰かけて、飲みながらふと外を見た。

住宅街の方面は、チラホラと明かりが灯っている。至る所で虫が鳴いていた。駅の方角からは、列車の走行音が聞こえる。腰を上げて、テレビのリモコンを手に取り、電源を入れようとした時、はっ、と気づいた。

丁度台所の窓の向こうに、あの林が広がっている。そして、その奥に空き家が見えるのだが⋯⋯。



「⋯⋯⋯あれ。」



リモコンを持った手が、ぴたりと止まった。明かりが灯っている。さっきと同じ、オレンジがかった、頼りない光だ。距離があるため、はっきりとは見えないが、確かに一階の窓から漏れている。そっと、近づき僅かに換気程度で開けていた窓を全て開いてあの方角に目を凝らす。



「やっぱり、気のせいじゃない⋯⋯。」



明かりは微妙に揺れているように見える。電灯を揺らしているような⋯⋯不規則な揺らぎだ。だが、電気も通っていないはずの家に、誰が灯すというのか。



一瞬、蛯名さんの言葉が頭をよぎった。「変な噂があった」と。噂話に過ぎない、そうただの噂話。

自分にそう言い聞かせ、ビールを一気に飲み干した。だが、胸のざわめきと得体の知れない気持ち悪さが収まらない。窓の外をもう一度見ると、明かりはまだそこにあった。いや、さっきより少し強くなっている気がする。



「いやいや、まさか⋯⋯。」



急いで窓を閉める。心臓が速く鼓動しているのに気づいた。疲れているんだ、きっとそうだ。慣れない道を歩いたせいで、頭が妙なことを考えているだけだ。テレビの電源を付けて、バラエティ番組の騒がしい声が室内に響く。芸能人のやりとりに簡単な笑い声を上げていたのだが、頭の中にはあの明かりの揺らぎが深く焼きついていた。

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