10 推しの初舞台
発表会当日。
小さな音楽教室の講堂は、花と拍手で満ちていた。
私は会場三十分前から並び、客席の一番前でクラウスの隣に座っている。
クラウスは「列に並ぶなどあってはならない」なんて言って私が必死で場所取りした席にあとからやってきて悠々と座り、「貴賓席はないのか」なんて言ってるけど、あるわけない。
平民風の服を着せるだけでもあれこれ文句を言って大変だったけど、レイリーディアが公爵令嬢だなんてバレたら騒ぎになるから、合わせてもらわないとね。
並んで座ると、まるでレイリーディアの両親のようで、ちょっと笑えてくる。
「ハンカチが多すぎる」
「だって推しの初舞台だよ!?泣かずにいられるわけないでしょ!一枚あげようか?」
「結構だ」
クラウスはため息をついたが、膝の上では指先がそわそわと動いている。
(いや、あんたも十分緊張してるじゃん…!)
地味なワンピース姿のレイリーディア「リディア」が姿を現した。
観客がざわめく。
まだレッスンを始めたばかりの新人なのに、その立ち姿だけで空気が変わってしまうのだ。
圧倒的スター性と言わずして、何と言おう。
「レイリーディア、立派だ…」
「本当だね。うちの子が一番だよ」
「断じてお前の子ではない」
ピアノが鳴り、レイリーディアの歌が始まった。
その声は、レッスンを始めたときよりもずっと深く、豊かだった。
(ネットもなしにリアルの口コミだけでいい教室を探すのは大変だったけど、妥協しなくて良かった。先生GJ)
なんて余裕ぶっこいてられるのは、最初だけだった。
音響設備も大して整っていない小さな講堂なのに、声は劇場のように響き、観客が息を飲むのがわかる。
高音に差しかかった瞬間、まるで会場全体に光が差し込んだように、空気が澄んだ。
苦しそうな様子は微塵も見せず、観客の…そして私の目を見ながら、あろうことか少し微笑みまで浮かべて歌う。
レイリーディアの声のエネルギーが私の身体に当たって震えを起こし、あとからあとから涙が溢れて止まらない。
(ここがレイリーディアの生きる場所なんだ)
ちらっと横を見ると、クラウスは呆然として動かない。でも目尻が少し赤くなっているのを私は見逃さなかった。
いやしかし、今はクラウスよりレイリーディアの姿を焼きつけなければ。
よそ見してるとかオタク失格も甚だしい。
レイリーディアが満面の笑顔でお辞儀をし、大きな大きな拍手の中を退場して、私はようやくクラウスに話しかける。
「ね、泣いてるでしょ」
「泣いていない」
「自分の顔、見てみなよ。目が真っ赤じゃん」
「うるさい」
クラウスが顔を背ける。
「ね、後悔はしてないでしょ?」
「ああ、するもんか」
私はそっと、クラウスの手を握った。
なんだか、そうしたくなったのだ。
「不審者、何してる」とか言って振り払われるかと思ったけど、クラウスは何も言わなかった。
ねえ、幸せだよね。
ーーー
数日後、レイリーディアが一通の封筒を振り回しながら帰宅した。
国内最高峰の劇場《アルモニア・オペラ座》の紋章。
「スカウト!?しかもアルモニア・オペラ座から!?」
《あなたの才能は真に特別です。ぜひ我が劇場で修行を積み、輝かしいキャリアを始めましょう》
さすが、才能は才能を見極める。
クラウスは無言で手紙を読み、やがてゆっくりと笑った。
「誇らしいよ、レイリーディア」
「お兄様!」
レイリーディアがクラウスに抱き着く。
二人は少し身体を離して、私を見た。
「ミナも来て」
私はレイリーディアとクラウスの間に挟まれて、二人からハグを受ける。
レイリーディアとクラウスが幸せそうで、何だか私もすごく幸せ。
「…私、本当に歌手になるのね」
「そうだよ」
きっと輝かしい未来が待ってる。
ーーー
レイリーディアは卒業まで二ケ月を残して学園を退学し、アルモニア・オペラ座の練習生になって、正式に音楽の道へと進むことになった。
公爵令嬢がオペラ歌手になるために貴族学園を辞めるだなんて、前代未聞らしい。
新聞にも連日取り上げられるほどの大ニュースになったが、クラウスは涼しい顔だ。
「レイリーディアを貶めるやつは、殺すか舌を抜くかすればいいからな」
はい、相変わらず妹以外には鬼。
アルモニア・オペラ座も「平民のリディア」だと思ってスカウトした原石が公爵令嬢だと知って驚いていたが、そこは商魂。
ニュース性を活かして、レイリーディアをアルモニア・オペラ座史上最速の練習生期間を経て舞台に上げ、デビュー公演は大盛況で成功裏に終了した。
もちろんその公演は、貴賓席でばっちり見せていただきました。
怒涛の日々を終えて、私はほっと息をつく。
(レイリーディアが退学したってことは、鬼門である卒業式に出ることもないよね…?もしかして、これで推しの死は回避できた…!?)
レイリーディアが卒業式に出ないなら、帰りに馬車が襲われたり、校舎の壁が崩れて下敷きになることもない。
そうなったら、私がここにいる理由もない。
私は公爵執務室のドアを叩く。
「入れ」
このいかにも高慢な声を聞くのも、今日が最後か。
そう考えると、ちょっと寂しいかも。
クラウスは書類から目を上げた。
「何の用だ」
「クラウス、私はここを出てくよ」




