第2話 灰色の日常
(花嫁…?月巫女…?この人は、何を言っているの…?数時間前まで、私はただ会社の歯車として、灰色の毎日を送っていただけなのに…)
男の金色の瞳に見つめられながら、私の頭の中は混乱の渦に陥っていた。現実感が薄れ、まるで夢の中にいるような感覚だ。
つい先ほどまでの出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け抜ける。
朝から晩まで続く単調な事務作業、山積みの書類、鳴り止まない電話、上司の理不尽な叱責。二十八歳になった今でも、私は誰からも必要とされない、取り替えのきく存在でしかなかった。友人といえば、学生時代からの親友である彩香くらい。恋人はおろか、まともな出会いすらない。
そんな私に、最近奇妙な変化が起きていた。
音が異常に鮮明に聞こえるようになったのだ。隣のビルで話している人の会話、数階下を走る車のエンジン音、同僚の小さなため息まで、まるでそのすぐ近くにいるかのように聞こえてしまう。匂いも同様だった。通りすがりの人の香水の種類、コンビニ弁当の具材、時には人の体臭まで、鼻を突くほど強烈に感じられる。
夜になると、理由もなく胸の奥が疼くような感覚に襲われた。何かを、激しく求めているような、焦燥感にも似た感情。満月の夜は特にひどく、眠ることもできずに窓辺に立ち、月を見上げている自分がいた。
医者に診てもらっても「ストレスでしょう」の一言で片付けられる。確かに、仕事のストレスは相当なものだった。しかし、これはそんな単純な話ではないような気がしていた。
そんな折、久しぶりに祖母の家を訪れた時のことだった。
「あらあら、凛ちゃん…あなた、最近おかしな体調不良はない?」
祖母は私の顔を見るなり、心配そうな表情を浮かべた。
「どうしてそんなことを…?」
「血は争えないものね。あなたにも、ついにその時が来たのかもしれない」
祖母は意味深なことを呟くと、古い木箱から一枚の古い写真を取り出した。そこには、驚くほど私に似た女性が写っていた。
「これは、あなたの曾祖母。この人も、月の影響を強く受ける血筋だった。私たちの一族には、代々不思議な力を持つ女性が生まれるの。でも、現代ではその力は眠ったまま…普通の人間として生きていくものなのよ」
「力って…何の話をしているの?」
「いつか分かる時が来るわ。その時は、自分の心に正直になりなさい。無理に抗わないで」
祖母の言葉は謎めいていて、その時は半分聞き流していた。しかし今、この男の前に立っている私は、祖母の言葉の意味を理解し始めていた。
私の中に眠っていた何かが、この男によって目覚めようとしているのだ。
「月巫女」という言葉が、なぜか懐かしく、そして恐ろしく感じられた。まるで、遠い記憶の奥底に封印されていた何かが、音を立てて崩れ落ちていくかのように。
(私は…私は一体何者なの…?)
男は、私の混乱した表情を見て、満足そうに微笑んだ。その笑みは、まるで長年探し続けていた宝物をついに手に入れた者の、歓喜に満ちた表情だった。
第2話、お楽しみいただけましたでしょうか。
彼女が抱えていた孤独と「普通」への渇望が、この後の運命にどう影響していくのか…。
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次回、ついに謎の男が行動を開始します。親友・彩香の前で、凛は…!