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終着駅  作者: リンダ
7/21

一時帰宅




層一の闘病が公表されて、全国のスキーファンや、ライバルであり良き仲間でもあるスキージャンパーたちから、励ましのメールやLINEが次々に届くようになった。中でも、一番の親友である喜多見海斗から、ビデオ通話が届いた。


「よう、層一、大丈夫か? 今オレ、地元戻ってトレーニングしてっからさ。また一緒に、試合出ような」


「海ちゃん、久しぶり。今、何とか抗がん剤治療頑張ってるとこ。もう、抗がん剤でスキンヘッドになってまったわ。これ、雪が見舞いに持ってきてくれた帽子とウィッグ。なかなかセンスいいっしょ」


「おいおい、のろけかよ。お前ほんと幸せもんだわ。あんな気ぃつかえて、きれいな彼女、なかなかおらんぞ」


「んだな。本当、雪には感謝しとる。ありがたいと思っとる」


「それで、お前、メンタルのほうは大丈夫なんけ?」


「正直、けっこうきついわ。体力的にも気持ち的にもな」


「精神科の先生はなんて言ってた?」


「愛しい人に会えないのが一番の問題なら、感染対策ちゃんとしてくれれば面会できるように、病院に掛け合ってくれるってさ」


「よかったな。それで雪さんにも会えたら、だいぶ気も休まるかもしんねえな」


「うん。また現場復帰できるように、頑張るしかないな」


「んだな。お前と話せてよかったわ。また連絡すっから」


「ありがとうな。来年のオリンピック、絶対出場権とれよ」


「サンキュー。お前と一緒にまた行こうぜ」


「じゃ、そろそろ切るわ」


そう言って通話を終えた頃、執刀医と主治医、そして院長が病室にやって来て、面会の許可が正式に下りたことが伝えられた。


「上川さん、面会の許可が出ましたよ。面会場所は面談室で、制限時間は15分。週に一回、今はそれが限度ですが……どうしますか?」


「ありがとうございます。それだけでも十分、力になります」


「それでは、また必要な時はお声かけください」


「ありがとうございます」


そのあと、層一は雪と両親にLINEで面会可能になったことを知らせた。


「そうちゃん、面会できるようになったんだって? ほんと良かった〜。一時帰宅のあと、会えなくて寂しかったんだよ」


「ごめんな、雪。心配ばっかりかけて」


「そうちゃんが謝らんでもええよ。じゃ、明後日お見舞いに行くね」


「わかった。看護師さんにも伝えとくわ」


「うん、気をつけてね」


両親にも連絡を済ませたあと、層一は抗がん剤の副作用で重くなった体を休めるため、眠りについた。


夕方、目が覚めるとちょうど夕食の時間だった。


「上川さん、体調どうですか? ご飯、少しでも食べられそうですか?」


「はい……ちょっとだけ、食べられそうです」


「少しでも食べて、体力つけていきましょうね。私たちも全力でサポートしますから」


「ありがとうございます」


ベッドをゆっくりと起こし、痩せた腕を伸ばして箸を取ると、ゆっくりと口にご飯を運んだ。かみしめるごとに、病院食の素朴な味が沁みてくる。みそ汁には柔らかく煮込まれた大根がとろりと溶けていて、久しぶりに「食べた」と感じた。完食には至らなかったが、何も口にできなかった朝に比べると、ずいぶんと気持ちも体も軽くなったようだった。


そして迎えた、7月2日。旭川にも短い夏が訪れ、緑が鮮やかに映える日。面会時刻の13時、昼食を少しだけ食べてから、車椅子で面談室に向かう。扉を開けると、そこに雪が立っていた。


「そうちゃん……久しぶりに会えた……よかったぁ」


「雪、来てくれてありがとう。お店のほうはどう?」


「うん、夏の観光シーズンでね、お客さんいっぱい来てくれてて、大忙し」


「そっかぁ。俺も早く退院して、雪の店、手伝いたいし、また試合も出たいな」


「うん。そうちゃんに店に来てもらいたいし、お客さんもびっくりするかもよ。サインも写真もたくさんあるし」


「親父とお袋、元気しとる?」


「うん。時々顔出してくれてるよ。コーヒーとケーキのセット、いつも楽しんでる」


「そっかぁ……また会えたらええなぁ。あれ? ちょっと日焼けしたんじゃない?」


「うん、かもね。店で使う野菜、畑で育ててるから、私も手伝ってるの」


「でも、気をつけないと、しみになるぞ」


「UVケアはちゃんとしてるけど、日差し強くて汗びっしょりなりながら頑張ってるよ」


「頑張りすぎんなよ。退院しても、雪が倒れてたらデートできんからな」


「大丈夫。ちゃんと寝てるし、元気だから」


「あ……もう時間か。また会えるの楽しみにしとる」


「うん、また来るね」


「気をつけて帰れよ」


そうして雪を見送ると、心の奥にふわりと温かいものが灯った。


面会が定期的に許可されるようになり、雪やその家族、層一の両親も時折顔を見せてくれた。そして迎えたお盆前の検査。その結果を聞くため、主治医との面談が行われた。


「上川さん。前回の検査結果ですが、腫瘍は完全に消えたわけではありません。でも、かなり小さくなっています。状態も安定してきていますので、お盆期間中、一時帰宅されますか?」


「え? 本当に……帰ってもいいんですか?」


「ええ。ただし、無理をしないという条件付きで、1週間程度の外泊が可能と判断しました。ご家族と水入らずの時間を過ごして、心身ともにリフレッシュしてみてください」


「ありがとうございます。すぐに家族と雪に連絡します」


こうして、層一の一時帰宅が決まった。




一時帰宅の初日。夏の日差しが穏やかに降り注ぐ午前、雪が車で病院まで迎えに来てくれた。


「そうちゃん、おかえり。……ほんと、よく頑張ったね。えらかったよ」


「ただいま。……雪、ありがとな。親父もお袋も、ほんと心配かけて……。さ、帰ろうか」


病院の前には両親の姿もあった。母は少し涙ぐんだ目で層一を見つめ、父は無言のまま、そっと背中に手を添えた。


「層一。今のお前にとって一番大事なのは、身体をちゃんと治すこと。わしらのことは気にせんでええから、しっかりな」


「そうよ、層一。焦ることないから、少しずつ元気になりなさい」


「ありがとう、二人とも……。俺、頑張るよ」


「そうちゃん、シートベルト締めた? じゃあ、出発するよ」


「うん。頼んます」


病院の駐車場を出て、旭川市街を抜けると、進行方向には雄大な大雪山の稜線が浮かび上がってきた。山頂にはもう雪はないが、空気は澄みきっていて、石狩川のせせらぎが沿道を静かに彩る。


そのまま車は上川駅近くのカフェ《雪》へと向かった。木の香りに包まれた店内には、雪の両親が笑顔で迎えてくれた。


「そうちゃん、おかえり。ほんと、よう帰ってきてくれたね。今日はゆっくりしてってね」


「ただいま。ありがとうございます。やっぱ、ここに来ると落ち着きます……。ここのドリップコーヒー、やっぱりおいしいんだよなぁ」


「まあ、そう言ってもらえると嬉しいわ。まずは腹ごしらえしてってね。今日の野菜、朝採れのラディッシュとレタス、それと茄子もあるよ。雪が畑で頑張って収穫してきたの」


テーブルには、さっぱりしたラディッシュのマリネ、ポテトサラダ、コーンスープ、そして層一の好きな焼きナスが並んだ。ひと口ずつ、ゆっくりと噛みしめながら食べていくたびに、心も身体も、少しずつ満たされていくのを感じる。


その時、厨房から雪の父・康夫が顔を出した。


「そうちゃん、おかえり。無理しねえで、ゆっくり食べれ」


「ありがとうございます。すっごく美味しいです」


「いつまで帰ってこれるん?」


「17日までです。その後、病院に戻って経過観察をして、問題なければ、退院になるって言われました」


「そうかぁ……あともうひとふんばりだな。退院して体力戻れば、またジャンプ台にも立てるべさ」


「はい。俺、まだ北京オリンピックの夢、諦めてないんで」


「そうちゃんなら、きっとできる。信じてるからね」


夕方になり、カフェを後にして実家に戻った。


「層一、今日は温泉でも行く? それとも家でゆっくりするかい?」


「今日は……久しぶりに家に帰ってきたから、家でのんびりしたいな」


「そう。じゃあ今からご飯支度するから、その間にお風呂でも入ってきなさいな」


「ありがとう。今日の晩ご飯は?」


「スタミナつけてもらおうと思って、ジンギスカンにしたよ。層一の好物でしょう?」


「サンキュ。じゃあ、風呂が沸くまで自分の部屋でちょっと横になってるわ」


「わかった。無理せんでね」


懐かしい部屋の扉を開けた瞬間、ふっと心が緩んだ。学生時代の写真、メダル、仲間と撮った試合後の笑顔……。目に映るものすべてが、帰ってきた実感を与えてくれる。


湯に浸かり、身体の芯まで温まると、風呂上がりにはおいしいジンギスカンが待っていた。にんにくの効いたタレと、しっかり炒めた玉ねぎの香ばしさが、食欲をそそる。


「うまい……。これ、元気出るわ」


「よかった。たくさん食べて、体力つけてね」


夕食のあと、層一は再び自室に戻り、ベッドに横になった。ほんの少しの帰宅が、こんなにも心に栄養を与えてくれるのかと、しみじみと思った。


外からは、虫の声が聞こえてくる。久しぶりに聞く、夏の上川の夜。


――雪、ありがとう。俺、絶対治って、またジャンプ台に立つからな。


心の中で静かに誓いながら、層一は深い眠りに落ちていった。



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