面談
一時帰宅が終わって、また病院に戻った層一。抗がん剤治療が始まったが、吐き気とかの副作用がきつくて、食欲がどんどん落ちて、見る見るうちに体がやせ細っていった。食べ物が受けつけられないため、点滴しながらの入院生活が続く。
そんな中でも、雪とのライン電話だけは欠かさなかった。
「そうちゃん、今日の具合はどう?ご飯食べられそうかい?」
「ごめん、吐き気が強すぎて、食欲わかんわ。まじでしんどい」
「そっかぁ。でもな、ここで諦めたら、そうちゃんの夢も叶わんくなるべさ。そうちゃんなら絶対大丈夫。わたしはそう信じてる」
「わかっとる。わかっとるけど、なんで俺がこんなしんどい目に遭わなきゃならんのか…まじで代わってもらえたらなぁ」
「わたしだって、そうちゃんが辛そうにしてるの見ると、代わってあげたくなるわ」
「もういいわ。そんなきれいごとなんか聞きとうない」
「そうちゃん…」
「俺、今日はもう寝る」
そう言って電話をガチャッと切ってしまった。スマホを手にした雪は
「そうちゃん…私どうしたらいいの…?」
答えのない答えを探して、泣き崩れた。層一も、思い通りにならない体への苛立ちと、抗がん剤の副作用から来る不安で、つい雪にきつく当たってしまったことを悔やんでいた。
「俺、雪にひどいこと言ってしまった…。あんなに心配してくれてたのに…」
かけ直そうと思ったけど、もう消灯時間で電話できなかった。
「また明日、雪に電話して謝ろう」
そう思って、その日は眠りについた。
翌朝、巡回の看護師がやってきた時を見計らって、
「看護師さん、すみません。ちょっと不安で、悩みを聞いてもらってもいいですか?」
「はい、どうされましたか?」
「いや、昨日、いつも着替え持ってきてくれたり話聞いてくれてる雪にきつく当たってしまって…。思い通りにならない自分の体や抗がん剤の副作用で精神的に不安で、心配してくれてる雪にきつい言葉を言ってしまって…。俺、どうしたらいいんでしょうか」
「雪さん?層一さんの恋人さんですか?」
「はい…。私にとって大事な恋人です」
「そうですか。宗一さんの辛い気持ちや不安は、がん患者なら誰しも抱えやすいものです。つらい気持ちやしんどさは吐き出さないと心身によくないですからね。精神科のケアを受けてみませんか?」
「はい。病気と向き合うためにも、精神的なケアが必要だと思います」
「じゃあ、予約入れますね」
「ありがとうございます」
看護師は部屋を去った。
8時になって雪に電話しにロビーへ。
数回のコールのあと、雪が電話に出た。
「雪?昨日はごめん。俺、不安とか焦りで思うようにいかん自分の体にイライラして、雪にきつく当たってしまった」
「私こそごめんね。今一番辛いのは層一だって分かってる。それでも早く良くなってほしくて…。で、今日は具合どんな感じ?」
「昨日よりは吐き気も治まって、気分少し楽になったわ」
「そっか。それじゃ今日はご飯食べられそう?」
「うん、何とか頑張って食べてみる」
「わかった。でも無理せんようにな」
「うん。じゃ、切るね」
精神科受診の日が来た。層一の不安、辛い副作用、アスリートとして復帰できるかの心配、置いていかれる不安、雪との幸せな毎日を夢見ていたのに思うようにならない体への苛立ち。すべて相談した。
精神科の先生は真剣に話を聞いてくれた。
「上川さん。焦りや不安は誰でも抱えやすいものです。まずは体を治すことが第一ですが、大切な恋人の雪さんとの面会も重要です。少しでも一緒にいられれば、新たな希望が湧くと思います。病院側に掛け合ってみましょうか?」
「でも今はコロナが猛威を振るっていて、大丈夫でしょうか?」
「感染対策は万全にして検査や消毒も徹底すれば、おそらく大丈夫でしょう」
「そうですか。私も雪に会いたいですし、少しでも一緒にいられたら嬉しいです」
「では、掛け合ってみますね」
「ありがとうございます」
しばらくして雪との面会許可が下りた。層一は闘病中であることをスキー連盟を通して公表した。
「私、上川層一は脳腫瘍を発症し、現在闘病中です。物が二重に見え、頭痛に悩まされ検査を受けた結果、視床下部に腫瘍が見つかり切除手術を受けました。今は放射線治療と抗がん剤治療を受けています。強い副作用と食欲不振が続いておりますが、懸命に治療に励んでいます。
期待してくれた皆様には申し訳ない気持ちです。オリンピックを目前に控え、非常に心苦しいですが、必ず病を克服し復活します。その時までお待ちいただければ幸いです。2021年6月30日 上川層一」
こうして日本中に闘病の事実が知られ、励ましのメールが届くようになった。それが層一の新たなモチベーションとなった。