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終着駅  作者: リンダ
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恵の夢

幼児用の小さなジャンプ台の上で、恵はおっかなびっくりしていた。

両手を少し広げてバランスをとりながら、ゆっくりと体を前に傾ける。


「がんばれ、がんばれ……」


雪はそばで息を呑んで見守っていた。


恵の小さな足がジャンプ台の傾斜を滑り始める。

スーッと雪面を滑る音が静かに響いた。


そのとき、スタッフの男性が近づいてきて、静かに声をかける。


「上川恵ちゃんかい?ひょっとして、層一さんの娘さんだべか?」


雪は少し驚いて、小さくうなずいた。


「そうですよ。そうちゃんの娘です」


スタッフは恵の滑りをじっと見つめながら、どこか懐かしそうに呟いた。


「そうちゃんがまだ小さかったころを思い出すわ……。あの時もな、ああして怖がりながらも、一歩一歩、前に進んでたんだよ」


恵はまだ不安げに身体を震わせている。

ジャンプ台の先端にさしかかり、目をぱちぱちさせながらも、勇気を振り絞って滑り降りていく。


スキー板が雪面を切る音。風が頬を撫でる感触。

着地の瞬間、わずかに膝を曲げてバランスを取った。


「おっ、よくやったな!」


スタッフの声が思わず漏れた。


雪もそばでほっと胸をなでおろしながら、思わず目頭が熱くなった。


〈雪・心の声〉

そうちゃん……あの子にちゃんとあんたの心、受け継がれてる。

怖くても、前に進む力。

あんたも、あの頃そうだったよね。


スタッフは雪に向き直り、静かに語りかけた。


「お母さんも、強い味方だね。そうちゃんも、あんたのこと、きっと安心して見てるべ」


雪は涙をこらえながら、空を見上げた。


「そうだね。あの空の上から、ずっと見守ってくれてるんだよね」


雪の声は風に溶けて、白い雪原に静かに響いた。


恵が幼児用ジャンプ台を滑り降りてきて、着地に成功すると、満面の笑みで雪の元へと駆け寄った。


「やったよ~!」

その小さな声は寒空に明るく響いた。


雪はほっと息をつきながら優しく尋ねた。

「こわくなかったかい?」


恵は照れたように笑い、少しだけ肩をすくめて言った。

「ちょっとだけこわかったけど、お父さんが見てくれてるから、ぜんぜん大丈夫だったべさ!」


雪は恵の言葉に胸が熱くなり、静かに頷いた。


〈雪・ナレーション〉

「やっぱりな、この子にはそうちゃんのジャンプにかける思いがぎゅっと詰まってるんだわ。

怖くても、何度も前に進んでいったそうちゃんの魂が、ちゃんとこの小さな体に息づいてる。

この瞬間から、あの子のジャンプ人生が始まったんだと思うと、胸が熱くなるんだわ。」


その時、そばで見守っていたスタッフの一人が目を細めながらぽつりと言った。


「上川恵ちゃんかい?ひょっとして、層一さんの娘さんかい?」


雪がうなずくと、スタッフは続けた。


「そうちゃんがまだ小さかった頃を思い出すよ……あの時もな、怖くて足が震えてたけど、それでも前に進んでた。

あの子は強かった。あの強さが今もちゃんとここにいるんだな」


見守っていた他の保護者や参加者たちも、温かい視線を送ったり、小さく拍手をしたりして、恵を励ました。


「かわいいなあ」「がんばってるね」「きっとすごい選手になるわ」


そんな声がちらほらと聞こえ、冬の冷たい空気が少しだけやわらいだように感じられた。


雪はふと空を見上げて、静かにそうちゃんに話しかけた。


「そうちゃん、あの子、ちゃんとあんたの魂を受け継いでる。これからずっと見守っててくれよな」


雪の声は優しく、確かな決意が込められていた。


暗くなって、恵がゆっくりと布団から起きてきた。

雪は台所の明かりをほんのり灯しながら、そっと声をかける。


「恵、疲れたべか?晩ごはん、食べるんかい?」


「うん!」

恵はまだ眠そうな目をこすりながらも、元気よく答えた。


雪はにっこり笑って、


「そしたら、あったまってから食べよな」


と言いながら、浴室の準備を始めた。湯船にお湯がたまると、ほのかな湯気があたりを包み込む。


やわらかい灯りのなか、二人は一緒にお風呂に浸かった。

雪がゆっくりと話しかける。


「今日はほんと、よくがんばったなあ」


恵は小さな手でお湯をパシャパシャはじきながら、


「うん、ちょっとこわかったけどさ。でもお父さんが見てくれてる気がしたんだ」


胸を張って答えた。


「わたし、オリンピックに出て、そしたらお父さんみたいに活躍したいんだ」


その言葉に雪は胸がいっぱいになり、静かに頷いた。


お風呂を上がり、ふたりはあたたかいパジャマに着替えて、食卓へ。


テーブルには湯気の立つコーンポタージュ、シャキシャキのキャベツとキュウリの野菜サラダ、ほくほくのジャガイモのバター炒め、そしてジューシーな煮込みハンバーグが並ぶ。


「さあ、恵、いっぱい食べて、明日も元気に跳べるようにならんとな」


恵はにこにこしながらお皿に手を伸ばし、もりもり食べ始めた。


雪はそんな恵の背中を見つめつつ、


〈心の声〉

そうちゃんの願い、あの子にちゃんと受け継がれてる。

これからもずっと、あの子の力になるべさ。


そう思いながら、静かな夜はゆっくり更けていった。



そんな恵の夢が、ゆっくりと動き出した冬の物語。


翌朝、外はしんしんと雪が降りしきり、白い世界が広がっていた。

冷たい風が頬を撫で、足元にはふかふかの雪が積もっている。


雪は厚手のコートの襟をぎゅっと立てて、恵の小さな手をしっかり握りながら歩いた。


「今日も、ずいぶん寒いべなぁ」


雪がぽつりと言うと、恵は顔を上げて元気に答えた。


「んだねぇ!でも、幼稚園は楽しいから、がんばるべ!」


雪と恵は雪が積もる道を歩き、霜で白くなった木々の間を抜けて幼稚園の園舎へと向かう。


入口の前で恵は、ぱっと笑顔になり、


「お母さん、いってきます!」


元気いっぱいに手を振って中に入っていった。


雪はその後ろ姿をじっと見つめ、胸の中がほんわか温かくなるのを感じた。


そしてゆっくりと仕事場の「カフェ雪」へと足を向ける。


扉を開けると、冷たい空気の外とは違い、店内にはほのかな暖かさとコーヒーの香りが満ちていた。


雪はカウンターに立ち、まっすぐに並んだカップや器具を整えながら、


「今日も一日、がんばるべな」


と自分に言い聞かせるように呟いた。


窓の外の雪は変わらずしんしんと降り続け、街の静けさに包まれている。


雪の日々はこうして、またゆっくりと続いていくのだった。


カフェ雪の暖かな空気に包まれた店内。

雪がいつものように開店準備を終え、静かに一息ついたところだった。


そんな時、扉が開いて、冷たい冬の空気とともに元気な声が響いた。


「おはようございます!ただいま帰ってきましたよ〜!」


振り返ると、そこにはワールドカップの遠征から帰ったばかりの喜多見海斗が、厚手のジャンパーを羽織り、少し疲れた顔ながらも満面の笑みを浮かべて立っていた。


「海斗くん、ほんとにおかえりなさい!遠征はどうだったべ?」


雪は笑顔で迎えながら、コーヒーの準備をしつつ話しかけた。


海斗は肩の荷が下りたように深く息を吐き、


「いや〜、やっぱり世界は厳しいっすけど、いろんな経験ができて勉強になりました。これからもっとがんばらんとね」


雪はその言葉に目を細め、


「んだね、海斗くんのこと、みんな応援してるんだべさ」


店内に、ほのかな温かさがさらに満ちていった。


カフェ雪のカウンターに腰かけた海斗に、雪はスマホを取り出し、画面を彼に向けた。


「これ、恵がジャンプの体験会に行ったときの動画だわ。初めてジャンプ台から滑ってった時の様子さ」


海斗は興味深そうにスマホの画面に視線を落とした。

画面の中で、まだ小さな恵が幼児用ジャンプスーツに身を包み、恐る恐るジャンプ台の斜面を滑り降りている。


足元はまだおぼつかなく、ゆっくりと滑っていくけれど、時折見せる表情は真剣そのものだ。


海斗はしばらくその映像をじっと見つめた後、目を細めてにっこりと微笑んだ。


「かわいいなあ、本当に。最初はちょっとこわそうだったけど、しっかり滑れてるじゃん。いいセンスしてるべさ」


雪も自然と微笑み返し、優しく言った。


「うん。そうちゃんの血がしっかり流れてるって感じだべな。あの子の中に、そうちゃんの思いがぎゅっと詰まってるような気がするんだわ」


海斗は画面から目を離し、雪の方を見つめて静かに言った。


「お母さんも、恵ちゃんのこと大事に思ってるのがひしひし伝わってくる。そういう愛情が、あの子の強さに繋がるんだろうな」


雪は小さくうなずき、胸の内に熱いものを感じていた。


店内には、コーヒーの香りと二人の静かな会話だけが心地よく流れていた。


カフェ雪の温かな灯りの中、海斗はゆっくりと淹れたてのコーヒーを口に運んだ。

苦味と香りがふわりと広がり、冷えた体がじんわりと温まっていく。


目の前には、雪が心を込めて作ったモンブランがそっと置かれている。

栗の甘みとクリームの柔らかさが絶妙に調和したその一皿を、海斗は小さなスプーンで丁寧にすくいながら味わった。


「やっぱりな、雪ちゃんの顔が見られてほんとに嬉しいわ」


ふと顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべて雪に話しかける。


「なかなか帰ってこれなかったけど、こうして来れてよかったべ」


雪はそんな海斗を見て、ほっとしたように笑った。


「うん、いつでも待ってるよ。疲れたら、ここでゆっくりしていきなさい」


海斗は頷きながら、


「また来るからな。今度はもっとゆっくり、いっぱい話そべ」


と、約束するように言った。


店の外はしんしんと雪が降り続き、白い世界を静かに包んでいる。


海斗は立ち上がり、コートを羽織ってから雪に向き直った。


「気をつけて帰れよ。雪ちゃんも風邪引かんようにな」


雪も笑顔で答える。


「ありがとね。海斗くんも気をつけて」


扉を開けて外に出ると、冷たい冬の空気が二人を包み込む。


海斗は振り返り、小さく手を振った。


「じゃあな。またな!」


その声が雪の耳に遠ざかりながら、ゆっくりと静かな午後が過ぎていった。





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