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終着駅  作者: リンダ
12/21

白馬の空、雪の声

 試合が終わって、結果は33位。決勝には残れんかった。


「……悔しいな」


 そうつぶやいた層一の横顔を見て、雪はそっと手を伸ばした。


「そうちゃん。あたしは、決勝行けんでも、無事に戻ってきてくれたことが、なにより嬉しいよ。怪我もなかったし……それだけで、充分だべさ」


「……雪」


「次の試合も、出るんだべ?」


「うん。まずは国内の大会でちゃんと上位に入って、筋力つけて……それでワールドカップ出れるくらいにならんとな。帰ったらまた、トレーニングせんばな」


「うん……そうちゃんなら、絶対、大丈夫だよ」


「ありがとな……ほんと、雪のおかげだ」


 夜の21時過ぎ。試合後の夕食は済ませていたので、帰宅してすぐ風呂をわかす。


「雪、風呂わいたぞ。一緒、入るべか?」


「うん……一緒に入ろう」


 湯気の立ちこめる風呂場。服を脱ぎながら、雪の細い背中がふと目に入る。白く透き通るような肌――まるで本当に、雪のようだと思った。


 湯船に並んで浸かり、層一は彼女の肩をそっと抱き寄せた。


「……筋肉、ついてきたなぁ。トレーニング、頑張ってる証拠だわ」


「いや、まだまだだな。とくに背筋。空中でのバランス、なんかフワフワしてたっしょ。もっと鍛えねば」


「そうかい……でも、あたしは、そんなそうちゃんの姿見てるだけで、十分、嬉しいよ。ビッグジャンプ、期待してるからね」


「……雪……」


 ふと、湯船の中で唇を重ねた。最初はそっと、確かめるように。やがて、ふたりの心と体が、深く、ゆっくりと重なってゆく。


 ⸻


 翌朝。ジムで汗を流していると、スマホが鳴る。深井監督からだった。


「層一、次の白馬の大会、出るよね? もし上位に入ったら、カナダでのワールドカップ、出場させてもらえるかもしれない。オリンピックのポイントにもなるし、強化指定にもまた戻れるって」


「ぜひ、出してください!」


「で、次の通院はいつ?」


「12月1日です」


「じゃあ白馬がその前のラストやな。体に問題なければ、そのまま世界大会、行ける」


「……わかりました。全力で挑みます!」


 電話を切ってすぐ、雪のもとへ駆け寄った。


「雪……! 次の白馬で上位に入れたら、ワールドカップ、カナダ行けるって!」


「……ほんとに? すごいね、そうちゃん……!」


 雪の瞳が潤んで笑った。層一は、その手をしっかり握った。


「ぜってぇ、行くからな。今度は、世界で戦ってくる」


 ⸻


 また、次の試合に向けたトレーニングと、踏切の時のフォームなどの入念にチェックを行ったり、自分のワールドカップでの優勝シーンを見返して、イメージトレーニングをしたり、時にはチームスタッフによるアドバイスを受けたりしながら、懸命に体を作り、いよいよ白馬に向かう日がやってきた。遠方である為、雪は北海道で、テレビ中継での観戦となった。

 家を出る前、雪は不安でいっぱいだった。

「とにかく無事に帰ってきてほしい。病気が再発しなかったらいいんだけど…」

「じゃあな、雪、行ってくるぜ。雪を絶対オリンピックに連れて行くからな」

「うん。そうちゃんなら大丈夫。オリンピックに行けるのを楽しみにしてるからね」

「ありがとうな」

 そういって、雪の体温が感じられるくらい、ぎゅっと抱きしめて、旭川に向かった。

 旭川空港から、今度は羽田行の航空機に乗る。

「雪、今旭川空港。頑張ってくるからな」

「行ってらっしゃい。私はテレビで応援するからね」

「おう」

 やがて旭川を離陸して、雪の大地を飛び立って、一路南に進路をとった。そして、羽田について、今度は新宿に向かう。新宿からはあずさに乗って、松本に向かい、松本からはチームスタッフが用意したバスに乗って、白馬の宿舎に到着。ホテルについて、雪に連絡を入れる。

「無事に着いたから。明後日の試合に備えて、今日は早めに寝るわ」

「うん。わかった。体には十分気をつけてね。そうちゃんが活躍できることを祈ってる」

「うん。今から夕食。こっちは山菜料理がメインで出るみたい」

「そう、しっかり体を休めてね」

 連絡が終わった後、深井監督が部屋を訪ねてきた。

「層一、体はどんな感じ?痛みとかない?」

「今のところ大丈夫です。特に痛みとかないですね」

「そう、よかった。でも、何か少しでも異変を感じたら、すぐにでも言ってね。とにかく無理だけはしないようにね」

「はい。ありがとうございます」

 そのあと、出場する選手のうち、日本人選手が部屋を訪ねてきた。やはり層一の健康を築かっての訪問であった。皆でオリンピックを目指そうと、健闘を誓い合った。


 そして、試合当日。ゼッケンを受け取り、ジャンプスーツに身を包んで、出番を待つ。層一は今回もシード選手ではないため、前半部分での出場となった。今回は白馬村ジャンプ競技場で行われる。


 白馬村ジャンプ競技場。

 K点90m、ヒルサイズ98m。最大斜度36.5度。観客席には多くの声援が響いている。


 テレビ中継のアナウンサーの声が画面から流れてきた。


「さあ、次は注目のジャンパー、ゼッケン35番、上川層一選手です! 病を乗り越えた復活ジャンプ、どうか成功してほしい!」


 テレビの前の雪は、両手をぎゅっと握って祈っていた。


「そうちゃん、いける。信じてるよ…!」


 スタートゲートに座る層一。ゴーグル越しに遠く下の観客席を見据える。

 追い風は0.5m、視界良好。集中する。ブザーが鳴った。


「ピィーーーー!」


 層一の身体が一気に前傾し、滑走路へと飛び出す。風を切る音。

 加速、加速、さらに加速。踏切台が迫る。


「いまだ!」


 鋭く踏み切った。ふわっと浮き上がる。空中姿勢に入る。両腕を広げ、スキーをV字に保つ。


 アナウンサーが叫ぶ。


「さあどうだ!? 層一、空中でしっかりバランスを取っている! 着地地点は——K点を超えるか…?」


 観客のどよめきが聞こえた瞬間、層一の身体がふわりと着地した。


「着地成功! 飛距離は……95メートル! K点を超えてきました!」


 雪がテレビの前で両手を口に当て、目を潤ませた。


「やったぁ……! そうちゃん、飛んだ……! 本当に、飛んだんだ……!」


 祖父母も涙ぐみながら言葉をかける。


「層いち……よくやったべや。ほんとに、頑張ったなぁ」

「まさか、あの病気からこんな風に飛べるなんてねぇ……雪ちゃん、ほんとよかったねぇ」


 雪は涙が止まらないまま、震える声で答えた。


「うん……うん……。ほんとに……よがった……。そうちゃん、ありがとぉ……!」


 —


 1回目は14位で通過。2回目のジャンプは風向きが変わりやすく、選手たちが苦戦する中で出番が回ってくる。


「さあ、2回目。層一選手、ジャンプ台に座りました……おっと、風が向かい風に変わりましたね。これはチャンスかもしれません!」


 層一は目を閉じて深呼吸した。

(雪、見ててくれよ。俺、もっと高く飛ぶから)


 ブザーが鳴った。今度はさらに力強く踏み切る。風に乗った。空中でスキー板をしっかりと開き、バランスを保つ。


 実況が声を上げる。


「高い、高い! 空中姿勢も安定している! 着地はどうだ!?」


 層一はぐっと踏ん張りながら、スムーズにテレマーク姿勢で着地。


「着地成功〜! なんと、99メートル! ヒルサイズ越えのビッグジャンプです!」


 雪は声にならない叫びをあげた。


「そうちゃん……! すごい……すごいよ……! ほんとに、ほんとに……!」


 涙が滝のように頬を伝い、何度も何度もテレビ画面に向かってうなずいた。


「やったべや、層一!」

「もう、誇らしいよ……わたしの孫、最高だわ……!」


 —


 試合終了後。電話が鳴る。


「雪、やったぞ……俺、決勝進出した……!」


「うん……うん……本当に……よがった……。そうちゃん、ほんとによがったぁ……!」


 喜びが溢れて、言葉が続かない。層一もまた、電話口で声を詰まらせた。


「じいちゃん! 見てくれたか?」


「おう! よーやったな、層いち。お前、すげぇぞ」


「ばあちゃんもありがとう。俺、ほんとに……今できること、全部やった」


 —


 そして層一は、日本人選手中3位の成績で、次のワールドカップ・カルガリー大会への出場権を手にした。


 白馬の空に跳んだ勇姿を胸に刻みながら、愛しい雪の待つ北の大地へ、静かに帰路についたのだった。



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