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終着駅  作者: リンダ
11/21

発病後、初の試合

 


スタンドに雪が座るのを見届けたあと、層一は控室のドアをくぐった。層一の発病後の復帰初戦。雪とともに試合会場に着いた


 静まり返った空間に、スキーブーツの音だけが響く。吐く息が白くなり、冬の空気の硬さが肌を刺す。けれど、今日ばかりはその冷たさがむしろ心地よい。


 着替えを終え、ゼッケンを胸に、最後のストレッチをしながら層一は思う。


 ――長かったなぁ。


 病気がわかったとき、もうジャンプなんてできんのじゃないかと思った。体のこともそうだが、心がついていかなかった。医者に「脳腫瘍です」って言われたとき、耳の奥がしーんとして、そのあとから何も聞こえんようになった。


 それでも――帰ってこれた。


 扉の外、K点のスタンドには、雪がいる。真っ白な息を吐きながら、じっとこっちを見つめているに違いない。


 あの子は、いつも変わらん。俺が黙り込んでも、どれだけ気持ちが沈んでても、まっすぐにいてくれた。


「なまら怖いべや……」


 誰にも聞かれないよう、小さくそう呟く。


 だけど怖いのは、試合そのものじゃない。ここに戻ってきて、もし自分のジャンプが、もう前みたく飛べなかったら――。期待に応えられなかったら。


 そんな思いを振り払うように、手袋をきゅっと締め直す。


 一方、スタンドでは雪が厚手のマフラーに顔をうずめていた。


 上川を発ってから、ここまでずっと一緒に来た。眠たそうに目をこすってた層一の横顔も、旭川でサインを頼まれて照れくさそうに笑っていたときの笑顔も、全部、目に焼き付いている。


「……そうちゃん、大丈夫だべか」


 誰にも聞こえないようにそうつぶやいて、手袋の中の手をぎゅっと握った。


 あの病気と向き合って、ようここまで戻ってきた。リハビリで思うように動かん体を、何度も悔しがって、でもあきらめんかった。


 ――ほんと、負けずぎらいなんだから。


 それでも今日は、もし途中で「無理だ」って思ったら、どうか自分の体をいちばんにしてほしい。たとえ今日のジャンプが思うようにいかんかったとしても、層一が無事でいてくれるなら、それでええ。


 アナウンスが響く。


「ゼッケン17番、上川層一選手――」


 静寂のなかに、拍手が起きる。


 層一はスタート台に向かいながら、静かに目を閉じた。


 雪の声が、遠くから聞こえたような気がした。


「そうちゃん、いってこい!」


 ――ああ、聞こえた。


 その瞬間、層一の中で何かが切り替わる。


 心が、ふっと澄みわたった。


 いくぞ。ここが、俺の帰ってきた場所だ。


そして、いよいよ順番が回ってきた。久しぶりに味わうこの緊張感。風は向かい風1.0m、視界は良好。スタートのブザーが鳴る。


――滑走開始。


踏切のタイミングを合わせ、テイクオフ。K点は90m。


観客席では、雪の心が大きく揺れていた。緊張、不安、そして、ここまで共に病と闘ってきた日々の記憶――それらが渦を巻いていた。


滑走が始まった瞬間、頭に浮かんだのは、ただ一つ。


「とにかく、無事に着地して戻ってきてほしい」


そして、自然と声が出る。


「そうちゃん、頑張れ~!」


その一言に、雪のすべての思いを込めた。層一がテイクオフする瞬間を絶対に見逃すまいと、目を見開き、祈るように見守る。


結果は――85メートル。K点には届かず。一回目の順位は、60人中31位。決勝進出には、あと一つ順位を上げなければならない。


「大丈夫。そうちゃんは諦めたりしない」


そう信じて、雪は層一のもとへ駆け寄った。


「いやぁ、残念。K点越えたかったんやけどなぁ」


「でも、ブランクを乗り越えてのこの順位だよ? 思ったより、飛距離も出てたと思う」


「ありがとう。2回目にはもっといいジャンプをして、決勝に行けるよう頑張るから」


「うん、その意気。その調子でいこう。そうちゃんなら絶対にできる。私は、信じてる」


「それじゃ、また後でな」


「うん、頑張れ~!」


雪の声援に背を押され、層一は再び競技の場へ向かう。11月の北海道の冷たい空気をものともせず、雪は震える身体で熱い声援を送り続けた。


やがて、アナウンスが響く。


「ゼッケン番号17番、上川層一選手」


二回目のジャンプ。今度は追い風。ジャンプ競技では不利な条件。背中から風に押されるような感覚になり、飛距離が伸びにくくなる。それでも層一は、自分にできることを全力でやろうと心に決め、滑走を始める。


――結果は82メートル50。ウィンドファクターを加味しても、順位を上げるのは難しい。


着地を終え、雪のもとへ向かう。


「うーん、やっぱり決勝には届きそうもないな。雪には、決勝で飛ぶ姿を見せたかったんやけどなぁ」


「何言ってんの。決勝には行けなかったかもしれないけど、私にとっては一番のHEROだったよ。かっこよかった。あんなに病気と闘って、ここまで戻ってきたんだもん。また次、目指せばいいだけの話じゃん」


「ありがとうな……あれ? なんで俺、泣いてんやろ?」


「今までの思いが、あふれてきてるんだよ。私もね、そうちゃんがジャンプしてる姿を、また見られて本当に嬉しかった」


そう話しているうちに、最終順位が発表された。層一は33位。決勝進出はならなかったが、競技に復帰できた喜び、雪にその姿を見せられた安心感、そしてK点越えと決勝進出が叶わなかった悔しさ――そのすべてが胸に込み上げていた。


そこへ、盟友・海斗からLINEが届く。


「層一、復帰戦お疲れ様。お前が無事に戻ってきて、本当に嬉しかった。オリンピック、まだチャンスある。お互い頑張ろうぜ」


海斗は年明けの代表発表を前に、海外遠征で優勝1回、3位1回と結果を残していた。一方、層一も病状の回復を前提に、ワールドカップの出場登録を済ませており、11月末に行われるノルウェー・リレハンメル、フィンランド・ヘルシンキ、アメリカ・ソルトレークシティの試合に照準を定め、トレーニングを積んでいた。


あとはただ――再び病魔が層一を襲わないことを、祈るばかりだった。





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