【短編】離縁ですか、不治の病に侵されたのでちょうどよかったです
アイリスは、『氷の女』と呼ばれている。
白い肌とプラチナブロンドの髪、そして氷のような青い瞳という容貌が理由かと言われれば、そうではない。
彼女は生まれてこの方、一度も笑ったことがないのだ。
結婚してからもそれは変わらず、笑顔を見せることはなかった。
そんな彼女に、まともな夫婦関係を築けるはずもなく。夫とは寝室を共にすることはおろか、話をすることも顔を合わせることもないまま、数年の時が過ぎた。
そして、今日。
その結婚生活も、とうとう終わりを迎えることになった。
「離縁してくれ」
アイリスの夫であるマシューは、二十一歳の美しい青年だ。
凛としたアッシュグレーの髪に切れ長の黒い瞳、すらりと長い手足に均整のとれた美しい体躯を持つ若き公爵。
誰よりも美しい彼は社交界でも人気者……とはいかず、年の割に冷静沈着で何事にも動じず、淡々とした無口な性格ゆえか、社交界の貴婦人たちからは遠巻きにされることが多い。
ただし、彼女たちが彼に憧れの眼差しを向けていることはアイリスも知っていた。
だから、離縁を申し渡されてもアイリスは全く驚かなかった。
それどころか、
(ようやく切り出してくださった)
と、ほっと胸をなでおろしたくらいだ。
まったく笑顔を見せない『氷の女』より、もっと素敵な女性と結婚した方がこの人は幸せになれるに違いないのだから。
「承知しました」
アイリスは、即座にそう答えて踵を返した。
さっさと荷物をまとめてこの屋敷を出て行かなければ。新しい奥方を迎え入れるために模様替えをしなければならないだろうから。
「……なぜだ」
ぽつりと、マシューがこぼした。
たった一言。
だが、何を意図した質問だったのかは問い返すまでもなく明白だ。
彼はアイリスが即座に離縁を受け入れた理由を知りたいらしい。
アイリスはピタリと足を止めて、だが振り返ることはせず、淡々と告げた。
「『氷心症』を患いましたので」
マシューがゴクリと息を飲むのが分かった。
それはそうだろう。
発症してから一年で死に至る不治の病なのだから。
「ちょうどよかったのです」
それだけ言って、アイリスは足早に部屋に戻り、すぐに荷造りを始めたのだった。
* * *
病名がはっきりしたのは、つい三日前のことだ。
数週間ほど前から、時折胸が痛むようになった。
はじめは気のせいかと思うほど小さな痛みだったが、日に日に痛みは強くなり、張り裂けるような痛みを感じるようになった。
医師に相談すると、問診と血液検査、そして魔法による透視検査が行われた。
その結果、『氷心症』という診断を受けたのだ。
数千年前に遥か北の山奥にいたとされる、氷の魔女の呪いの残滓による病だ。
呪いを受けた心臓は徐々に解けない氷に蝕まれ、やがて動きを止める。
およそ一万人に一人がかかる珍しい病気だが、この国でも昔から症例がある。
だが、治療法はない。
余命は発症から約一年、徐々に増してゆく痛みと苦しみに耐えられず自死する者も少なくないという。
なんの皮肉か、『氷の女』が氷の名をもつ不治の病に侵されたのだ。
* * *
アイリスが公爵家を後にしたのは、離縁を申し渡された翌日のことだった。
旅立ちに際して執事長から少なくない額の小切手を渡された。国内ならば銀行で簡単に換金できる。国外に出るときには別の通貨に両替する必要があるが、公爵が銀行に渡すための口添え書も準備してくれたので、それほど難しくはないだろうと言われた。
また、執事長はアイリスのために護衛や付き添いのメイドを連れて行っても構わないと言ってくれたが、それは断った。
「残りたった一年の命ですから。必要ありません」
これを聞いた執事長はわずかに涙ぐみ、護衛の代わりにと言って魔力をこめた護符や魔法薬を持たせてくれた。一人旅にはありがたい。
「ご実家には、戻られないのですか?」
その質問には、アイリスは黙って首を横に振った。
実家である侯爵家とはすでに没交渉で、嫁いでから一度も連絡をとっていない。うまく笑顔をつくることができないアイリスは、幼い頃から両親や親戚から疎まれてきた。同じ理由で、友人もいない。
寂しいと思わなかったわけではないが、今となってはこれで良かったのだと思うことにした。
(私が死んでも、悲しむ人は一人もいない)
その事実に、アイリスは心底ほっとしていた。
「それじゃあ」
アイリスは執事長に軽く手を振って、あらかじめ呼んでいた簡素な貸馬車に乗り込んだ。
マシューが見送りに出てくることは、ついぞなかった。
* * *
馬車を乗り継いで数日、アイリスは首都の中央に位置する駅に到着した。
何本ものプラットフォームがあるこの駅は、交通の要衝だ。地方から首都へ来た人々と、これから各地へ旅立っていく人でごった返している。
アイリスは初めての人混みに戸惑いながらも、看板を頼りに乗車券を買い求め、目的のホームへ向かった。
彼女が買った乗車券は、南へ向かう汽車の一等車だ。
『氷心症』は治療することはできないが、症状を和らげる方法が一つだけある。それは、温暖な土地で安静に過ごすことだ。
目的地は南の隣国の観光地。
ホテルにでも滞在してゆったりと過ごすことが、彼女にできる唯一のことだ。
ホームに着くと、そこも人でごった返していた。
アイリスのような貴族階級だけでなく、労働者と思われる人々までごちゃ混ぜになって汽車の到着を待っている。
「あ、っとと、っと!」
ふと、後ろで人の叫び声が聞こえた。
振り返ると、大きな荷物を抱えた年老いた女性がよろめいていた。
「大丈夫ですか」
思わずその腕を掴み、大きな荷物に手を添えて支えた。女性はなんとか転ばずに踏みとどまり、二人はそろってほっと息を吐いた。
「ありがとうございます、奥様」
女性はしわくちゃの顔にさらに皺を寄せて、にこりと微笑んだ。
──奥様。
その呼び方に、少しだけ胸が痛んだ。
(一度も、それらしい務めを果たすことができなかった……)
離縁したことを悔いてはいない。これで良かったと、心から思っている。
だが、後悔が一つもないわけではなかった。
(私だって……)
できることなら、夫の隣で優雅にほほ笑む立派な公爵夫人になりたかった。
だが、上手く笑うことができないのだ。
美しいものを見れば美しいと思うし、楽しいと感じることもある。
それなのに。
どれだけ心を動かされても、表情を動かすことが、どうしてもできない。
(だから、こんな病気になってしまったんだわ)
これはきっと生まれた時から決まっていた運命だったのだ。
だから、受け入れるしかない。
病名を宣告されてから何度も何度も繰り返してきた自問自答を、ここでもまた繰り返した。
無駄なことだ。
(何度繰り返したって、行きつく答えは同じなのに)
アイリスは、無駄な思考を振り払うように頭を振った。
「……お怪我はありませんか?」
アイリスが尋ねると、女性は優しくほほ笑んだ。
「私は大丈夫ですよ。……あなたは?」
逆に問い返されて、アイリスは戸惑った。
「私、ですか?」
「ええ。どこか、苦しそうに見えますよ」
女性の言葉に、また胸がきゅっと痛む。病気による発作ではない。こうして優しくされることに慣れていないのだ。
「大丈夫です」
短く、淡々と答えることしかできなかった。だが、女性の方は気を悪くした様子も見せず、また優しくほほ笑んだ。
「奥様はどちらに行かれるの?」
「南へ」
「いいわねえ。暖かい国に、私も行ってみたいわ」
女性はどうやらアイリスが乗る汽車の反対側のホームから出発する、北へ向かう汽車に乗るらしい。
「北にね、息子の家族が住んでいるの。私もそろそろ生い先短いから、孫の顔を見に行こうと思ってね」
家族思いのいい人だ。
ほどなくして、ホームの両側に汽車が入ってきた。
アイリスが乗る汽車が出発するまでには時間があるので、先に女性を座席まで送ることにした。優しい彼女を一人にするのが心苦しかったし、なんだか離れがたかったのだ。
女性が乗るのは二等車。
客車はコンパートメントと呼ばれる種類で、車内が個室に区切られているのでそれぞれの個室用の扉から乗り込む必要がある。女性が持っている乗車券を確認し、その番号が書かれた扉を開き、荷物を運びこむ。最後に、女性を席に座らせた。
「何から何まで、ありがとう」
「いいえ」
女性はアイリスの手をぎゅっと握りしめた。
そして、
「どうか、諦めないで」
そう告げた。
「え?」
首を傾げるアイリスに、女性が優しくほほ笑みかける。
「あなたは優しい。だから、もっと、自分にも優しくしてあげて……」
言葉の最後は、汽笛の音に遮られて聞こえなかった。
聞き返そうとしたけれど、それはかなわなかった。乗務員が扉を閉めに来たのだ。
出発時刻だ。
バタンと慌ただしい音を立てて扉が閉まる。
窓を挟んだ向こう側から、氷のように透き通った瞳が、アイリスを見つめていた。
二度目の汽笛を合図に、汽車は北へ向かって出発した。
あっという間に遠くなる汽車を見つめながら、アイリスはただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
『もっと、自分にも優しく』
そんなこと、考えたこともなかったのだ。
由緒正しい貴族の家に生まれ、令嬢として厳しい教育を受けながら育ち、親に決められた相手と結婚し、貴族の妻としての務めを果たし、いつか老いて死ぬ。
それが、アイリスに許された人生の全てだった。
それなのに。
不治の病にかかり、夫に離縁され、その義務すら果たせなかった。
残りの人生で許されたことは、唯一症状を緩和させる方法である南の国で安静に過ごすこと。
そう、思っていた。
汽笛が鳴る。
南へ向かう汽車が、まもなく出発する。
早く、自分も乗り込まなければ。
分かっているのに、足が動かなかった。
(……一年で、死ぬ)
それが運命だ。
だけど、
(本当に、それでいいの?)
アイリスの胸が、バクバクと音を立て始めた。
あの人は『もっと、自分に優しく』、そう言ってくれた。
そうだ。
(私にだって、自分に優しくする権利がある)
自分の行きたいところに行く権利が。
自分のやりたいようにする権利が。
(私は、死にたくない……っ!)
アイリスは、手に持っていた乗車券を、ビリビリと破り捨てた──。
* * *
数日後。
アイリスは汽車で行ける最北端の町に来ていた。
元夫が用意してくれた小切手をありがたく使わせてもらって、大慌てで買った毛皮のコートに身を包み、毛糸のマフラーに顔を埋める。
吐く息が白い。
あまりの寒さと胸の痛みに心が折れそうになったが、それでも彼女はさらに北へ向かうために乗合馬車に乗り込んだ。
目的地は、かつて氷の魔女が暮らしていたとされる北の霊山だ。
この病が氷の魔女の呪いなら、その呪いを解けばいい。
アイリスはそう考えたのだ。
荒唐無稽で無謀な話だ。
そもそも彼女には魔法の心得があるわけでもないので、北に向かったところで魔女の呪いを解く方法など知らない。
だが、それでも。
(残り一年、できることは全部やってみよう)
そう、決めたのだ。
だから、まずはひたすら北へ向かう。
霊山の近くまで行けば、魔女の呪いについて知っている魔術師がいるだろうから。
そんなことを考えながら、馬車に揺られること数時間。
森の中で、急に馬車が止まってしまった。
外からは荒々しい馬蹄の音と馬の嘶き、そして複数の男たちの怒声が聞こえてきた。
そして、男の一人がバサッと無作法な音を立てて幌を開いた。
「死にたくなければ、金目のものを出せ!」
世間知らずのアイリスにも何が起こったのかはすぐに分かった。
野盗に襲われているのだ。
「ひぃっ!」
乗客たちが恐怖に悲鳴を上げる。
野盗はそれには構わず乗客たちの顔を一人ずつジトリとながめ、最後にアイリスの顔を見てニタリと下卑た笑いを浮かべた。
「いい毛皮だな、女。こっちへ来い!」
アイリスは言われた通り立ちあがって、馬車を下りた。
他の乗客たちは俯いて震えることしかできないでいる。
それも仕方ないことだ。
アイリスだって、表情はいつも通り全く動かないので冷静に見えているかもしれないが、内心は恐怖と焦りでコートの下にじわりと汗をかいている。
「女、金目の物出せ」
馬車を下りたアイリスは、言われた通り荷物を開いた。
両替した金貨、絹の服、毛皮の手袋、指輪やネックレスなどの装飾品を順に出していく。
最後に取り出したのは、マシューからもらった結婚指輪だった。
精緻な彫刻がはいったプラチナの指輪の中央には、一粒の大きなダイヤモンド。少し青味がかっているそれは、ブルーダイヤモンドと呼ばれる稀少な宝石だ。
アイリスは、他の装飾品と同じようにその指輪を野盗に差し出そうとしたが、思わず手を止めてしまった。
「早くしろ!」
手を止めたアイリスに、野盗がいきり立つ。
この宝石は、マシューがくれた贈り物の中で、唯一アイリス自身が選んだものだ。
結婚式の数か月前に実家にやってきた宝石商が、
『公爵様から、どれでも好きなものをお選びください、と仰せつかっております』
と言って並べて見せてくれた宝石の中に、これがあった。
最初は他の、もっと安価な宝石を選ぶつもりだった。
いくら公爵家とはいえ、財産は無限ではないのだから。結婚指輪に、屋敷の一つも買えてしまうような高価な値段の宝石を選ぶことはないと思った。
ところが、咄嗟にブルーダイヤモンドに目を奪われたアイリスの表情に、目ざとい宝石商はすぐに気づいてしまったのだ。
あれよあれよという間にこの宝石で結婚指輪がつくられ、アイリスのもとに届けられてしまった。
結婚してからも、公爵はアイリスに度々贈り物をしてくれた。
もちろん、夫の義務として、だ。
だが、アイリスの意見を尋ねてくれたのは、この宝石が最初で最後だった。
(……大した思い入れなんかないと思っていたけど)
どうやら、そんなことはなかったらしい。
アイリスは今、この指輪を手放したくないと、そう思っている。
(自分に、優しく……)
あの女性に言われた言葉を、心の中で反芻する。
そうすると、少しだけ強くなれる気がする。
自分の意に沿わないことはしない。
アイリスは、あの時にそう決めたのだ。
「……いやです」
指輪を握りしめ、アイリスは立ち上がった。
そして、野盗たちを真っすぐ見つめる。
「他の物ならすべて差し上げます。ですが、この指輪だけはお渡しできません」
すでに十分すぎるほどの金品を渡している。
それでなんとか手を打ってもらおう。そう考えたのだ。
だが、欲に目がくらんだ野盗たちは納得しなかった。
「うるせえ! 身ぐるみぜんぶ置いていけ!」
男たちがアイリスに迫る。
次々と彼女の毛皮のコートに手をかけ、文字通り身ぐるみをはがしにかかる。
アイリスは、渾身の力でそれに抵抗した。
その時だった。
道の向こうで土煙が上がった。
ドカドカとけたたましい馬蹄の音と共に土煙が近づいてくる。ただの馬ではない。軍馬だ。
野盗たちは慌てて退散しようと動き始めたが、軍馬の群れの方が早かった。
乗っているのは、もちろん軍人。数は三十以上いる。
「捕らえろ!」
その先頭、ひと際立派な黒駒に乗っていたのは……、
マシューだった。
彼の号令で野盗たちが次々と捕えられていく。
あっという間の出来事だった。
* * *
しばらくすると乗合馬車はアイリスを置いて出発し、軍人たちは捕縛した野盗を引っ立てて町へ向かっていった。
最後に残ったのは、所在なげに佇むアイリスと、相変わらず無表情のマシューだけだった。
「……」
「……」
二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
なぜ、こんなところにいるのか。
そう問いただしてみたいけれど、そんなことは許されるのだろうか。
彼との離縁は既に成立していて、今は赤の他人なのに。
「それは……」
最初に口を開いたのは、マシューだった。
彼が指さしたのはアイリスの手の中にある結婚指輪。
それを見たマシューが、へにゃりと泣き笑いを浮かべる。
「まだ、持っていたんだな」
おかしなセリフと表情だ。
(それじゃあ、まるで、嬉しいみたいじゃない)
彼女がその指輪を、まだ持っていたことが。
そんなはずないのに。
彼にとっては、義務で結婚した妻。義務で渡した指輪のはずだ。
ややあって、マシューの手がアイリスの指先に触れた。
毛皮の手袋を野盗に奪われていたアイリスの手は寒さで赤くなっている。それを温めるように、マシューが優しく指先を撫でる。
「……どうして、ここにいらっしゃるのですか?」
とうとう、口に出してしまった。どうしても気になったから。
マシューは特に気を悪くした様子も見せず、そのままアイリスの手を握った。
こんな風に触れ合うのは初めてのことで、アイリスの胸が緊張でドキドキと高鳴った。心なしか、顔も熱いような気がする。
「君が北へ向かったと聞いて」
アイリスは驚きに目を見開いた。
まさか、別れた後の自分の動向を彼が把握しているとは思わなかったのだ。
「心配で」
言いながら、マシューの手に力がこもった。
ぎゅっと強く握られて、冷えていた指先がじんじんと熱くなる。
「でも、私たちは離縁を……」
「それは!」
思わず、といった様子で大きな声を出したマシューは、そのまま口を噤んでしまった。
再び沈黙が落ちる。
カァと、烏が鳴いた。
見上げると、赤く色づき始めた空を一羽の烏が飛んでいくのが見えた。
その遥か向こうに、北の霊山がそびえ立っている。
「俺は、君には相応しくない」
ぽつりと、小さな声がこぼれた。
同時にマシューの背が情けなくしゅんと丸くなる。上背がある彼がそうすると、まるで大きな子供のようだ。
「君の前に立つと緊張して顔がこわばるし、気の利いたことも言えない。贈り物だって何を選んでも君を喜ばせることができなくて……。俺は、夫として、君に何一つしてあげられなかった」
そんな、まさか。
必死に言い募る彼に、アイリスは動揺した。
義務だったはずだ。彼にとっては。ただそれだけだったはずなのに。
これではまるで……。
「君を愛しているのに、俺には君を笑顔にすることすらできない」
いつもは淡々として冷たい声だったのに。
今の彼はどうだろうか。
喉を締め付けるように、切ない声で愛を告げている。
他でもない、アイリスに。
「だから、君を自由にしてあげたくて……」
離縁を言い出したのは、アイリスのためだったのだ。
「君が『氷心症』にかかっているなら、南の国で療養するのが一番だ。だから、あちこちに連絡をとって君が何も心配せず過ごせるように根回ししていたんだ。こっそり護衛も君の側に配置して……」
アイリスは、なるほど、と納得した。
その護衛を通して、彼女の動向を把握していたのだ。
だが、さすがに狭い乗合馬車には同乗できなかったのだろう。だから、彼は軍を率いて追いかけてきたのだ。
「本当なら、このまま君の好きなようにさせてやりたい。だが……」
彼の言いたいことは分かった。
この旅はあまりにも危険だ。
北は中央に比べて治安が悪いし、今はまだ酷い発作は起こっていないが、寒い場所では『氷心症』による痛みは強くなる。
「……一緒に帰ろう」
彼は、心からアイリスのことを心配してくれているのだ。
その気持ちは、痛いほど伝わってきた。
だが、頷くことはできなかった。
「できません」
「どうして……」
「死にたくないからです」
アイリスは迷うことなく答えた。
そして、自分からマシューの手を握る手に力を込めた。そして、驚くマシューの瞳を真っすぐに見つめる。
「北へ行って、氷の魔女の呪いを解く方法を探したいんです」
今度はマシューが驚きに目を見開く。
そして、ふにゃりと、また泣き笑いを浮かべた。
「そうか。……そうか」
マシューはうわごとのようにつぶやきながら、アイリスの身体をぎゅっと抱きしめた。
そして、今度ははっきりとした口調で、
「一緒に行こう」
そう、告げた。
アイリスはその提案に驚きはしたが、嫌だとは思わなかった。
むしろ、嬉しいとさえ思った。
(この人となら……)
魔女の呪いを解くことができるかもしれない。
破れかぶれの無茶な旅が、途端に、希望に満ちた旅路のように感じられたのだ。
「はい」
はっきりと頷いたアイリスに、マシューは満面の笑みを浮かべたのだった。
完
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2024.5.19追記
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