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母の影Ⅱ

「森に逃げられたら仕留めきれない。前に回って」

 猛進する桃毛の行手を阻むように回り込む。数倍はサイズに差のあるあるボアは速度を弱めることなく突っ込んでくる。その額にしっかりと狙いを定め、まるで一本の糸で繋がれたように、同一線上ぴたりと刃を添える。

 ヘビーボア。皮膚の色は煤けた桃色をしているので遠目では豚にしか見えなかったが、この距離まで迫ると旧世界に存在したイノシシがさらの巨大化したような、まさに怪物だ。

「川﨑!」

 急かすようなアイの声が聞こえるが、俺はそれをあえて聞き流す。

 おそらく狙いを外せば、いくら体が丈夫になったとはいえ無事では済まないだろう。しかし、俺は「それでいい」と思っている。

 一歩で詰められる間合いに入った瞬間、地に足がめり込むほど力を込める。飛び上がった体はボアの体毛を掠めるほどぎりぎりの高さを滑っていく。ボアの頭部を躱し、無防備な頸部がようやく手の届く位置に迫った。

「俺の勝ちだ」

 半月と銘を刻んだ包丁が弧を描く。狙いすまされた包丁は確かな手応えを残し煌めく。頸部を切断されたボアは体の神経を絶たれ、刹那の断末魔と共にその命を終えた。

「おう、アイ!獲れたぞ!」

 ほとんどイメージ通りに体が動き、俺の方は無傷で狩りを成功させることができた。あとは、血抜きをして皮まで剥いでおけば、夜には食べられるようになるだろう。

「なんであんな危なっかしいやり方をするの。サードの力なら正面からじゃなくても手足を削ぐなりやりようはあったでしょう」

 冷ややかな声が頭上から浴びせられ、そこでようやくアイが怒っているらしいことに気がついた。

「旧世界の豚と同じ体の構造なら、捨てるところはないからな。できるだけ打ち身がないように急所だけを狙う。上手くいってよかった」

「そうじゃなくて、もう少し安全な戦い方はできないの。一歩間違えば自分がやられかねない戦い方はやめて」

「たしかに、まだ死ぬわけにはいかないけど、こいつは命がけで戦ってるのにそれはフェアじゃないよ」

「フェア?」

 おかしなものを見るような目でアイが俺を見る。

「生きるための戦いに、安全なんてないよ。軍隊的な戦い方をしてきたアイには理解し難いかもしれないけれど、命の重さに違いなんてないよ」

 食べられる覚悟なんてできているはずもないが、こいつになら命を奪われたとしても文句は言えない。極端な考え方なのかもしれないが、命がそんなに重いものでもないことは痛いほど理解している。

 人の命だけが重いわけはない。

「本当に、お母さんに似てる」

「お母さん?」

「なんでもできるのに、人も動物もまるで同じみたいに」

 どこか納得のいかない様子のアイ。アイの言うお母さんの話はどこかで聞いたことのある話だと思ったが、その人物が諏訪カナエであることに気がつき頬が緩んだ。

「諏訪さんらしいね。真面目というか、そうとうトラウマだったんだろうな」

 おそらくその価値観が芽生えたのは、俺とカナエがいった食品講習でのニワトリの加工が原因だろう。かなりショッキングな絵面ではあるが、あれほど見事な気絶をする人間を俺は後にも先にも彼女以外に見たことがない。

「スワサン?」

「ああ、苗字は呼ばないんだったね。君のお母さん、カナエさんはたぶん、俺が言ったことを覚えててくれたんだな・・だから、アイも食べるつもりのない獣を殺さなかったんだろ?」

 ふっと頬を撫でるくらいの風が吹いた。同時に、姿を消したアイを探そうとするが、それを遮るような轟音が蒼天の草原に響いた。

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