彼方の空色Ⅱ
彼方の空が赤く染まる。乾いた目に朝の光は痛いほど染み込み、思わず顔をしかめた。
昨日からほとんど睡眠をとっていないというのに、今もまだ眠りに落ちることができない。まさか、2日続けてこんなところで夜を明かすことになるとは予想しなかった。
寝床を強引に奪われ、兵団の部屋を借りようとここまで来たというのに、結局カエデの言葉が気になって眠ることができなかった。
「そんなわけないよ」
この世界に神という存在がいると聞いたこと自体にさして驚きはしなかった。それを有り得ないと言い出したらキリがない。人知を超えた神がいるくらいでちょうど納得できる世界だとさえ言えるだろう。
だったら死んだ人間を生き返らせることも、現実としてありえるだろうか。
「なんだ、珍しく落ち込んでるのか?」
不意に声をかけられたが、疲れのせいか驚く気力もなかった。
「おはよう、吉野さんは相変わらず朝早いね」
「人を年寄り扱いするな」
「今はもうちゃんと後期高齢者でしょ」
80を過ぎても老人ではないと言うのは流石に無理があると言いたいところだが実際これほど快活に動く人間を老人というのもおかしな気がする。
80年という時間は流石に途方もなさ過ぎて、これから先そんなに生きるのかと思うと少し億劫な気分になる。
「俺は茜の分まで生きるから、160までは生きないとなあ」
「そんなのはもう高齢者でも老人でもなく、化け物だ」
「化け物に半分なってるようなものじゃない?」
「・・そうかもな」
言葉にした瞬間に後悔した。茜のことを思い出し、感傷的になっていたにしてもさすがに今の発言はラインを超えている。普段、シゲヤスに甘え過ぎていた癖が、度を超えてしまった。
シゲヤスは怒鳴るでもなく、ただ静かにそう呟いた。
「ごめん。そんなつもりじゃ」
「いい。むしろ、お前は落ち着き過ぎてたくらいだ。腹に穴が開いても死なないものなんて、化け物に決まってる」
シゲヤスが一歩前に出る。俺と並ぶ形で椅子に腰掛け、まるで子供を相手にするように頭の上に手を置いた。
「なあ、蒼。なんで、リンがあんなにベレスの力を失って喜んだかわかるか」
「なんとなくなら」
「あいつの力は、これからの街のためにもまだ必要だった。それでも、なんの力もないただの人間に戻ることをこの街の人間皆が望んでいる。旧世界での名を封じ、音のみを残したのは今の自分が本来の自分ではないということを忘れないためだ」
「だから、蛍ちゃんのことリンって呼んでるんだ」
「ああ、本当はすぐにでも名前を呼んでやりたいが、人間に戻る方法が確定していないままでは、公表もできない」
たしかに、混乱は避けられないだろう。誰もが望んでいることなのに、叶えてあげられないのは残念だが、社会の基盤としてベレスの力は根付き過ぎている。
「お前、茜屋をまたはじめたいんだろ」
「本当は迷ってたんだ。吉野さんも鈴村くんも命がけで戦ってるのに、俺だけ呑気にまた料理なんてしていいのかなって」
「馬鹿野郎。お前が外にでてなんの役に立つんだ。お前がいるべき場所は、煤けた戦場なんかじゃない。血の匂いなんて知らないほうがいいに決まってる」
髪をぐしゃぐしゃとかき回され、眠っていなかったせいで疲労の溜まった頭がぐらぐらと揺れる。
それでも、まるで本当の親のように優しい顔をしたシゲヤスを見ると不思議と不安は霧散していくような気がする。
「がんばれよ。蒼」
「うん。ありがとう」
登ってきた太陽の日が目を鋭く刺す。薄れていく意識のなか、赤と青の絵の具を混ぜたような空が彼方まで広がっているのが見えた。