リンドウの花Ⅳ
「今日は遅いからもう帰る。返事は、明日でもいい?」
「ああ、いい返事を期待してる」
手を振って見送る蒼は、大通りに出る角に差し掛かってもこちらに向かって大きく手を振っている。私はそれに胸のあたりまで上げた手をひらひらと小さく振って返した。
すでに日が落ち、人気のなくなった通りはしんと静まり返っている。こんな時間に店を開けていたところで、誰も買い物になど来ないだろうけれど、なんとなく寂しさを覚える。
今頃、街の人々は家族や友と食事をとっている時間だ。それが普通であり、この街での日常。
蒼がやろうとしていることは、お父さんやお母さんが暮らした世界での普通なのかも知れないが、この街で本当にそれが実現できるのだろうかと、正直疑ってしまう。
私はどうしたいんだろう・・。
いままでの常識に照らし合わせれば、当然なしに決まっている。恩人であったとしても、兵団の人間としての責務を二度も放り出すことはできないし、それが許されることだとは思えない。
けれどもし、それらのしがらみを考えず、思ったままに行動するとしたら私は一体どうするだろう。
お母さんならどうすることを願うだろうか。
ふと、母との最後の会話が思い出される。
いつもならその光景がちらついただけでも涙が出そうになるが、ある言葉がひっかかり急に顔が熱くなる。
そんなんじゃない!
大きく頭を振って否定するが、もちろんそれに応える人はいない。
掠れる声で母が私にかけた最後の言葉。いっそ忘れてしまえれば、楽なのだろうが母のことを思い出すと伝線するようにすべての記憶が想起される。
ずっと、まるで呪いのようについて回った言葉の相手が、あの人なのかもしれないと思うと、急に胸を締め付けられるような痛みが襲ってきた。
あの人の側にいたら、私もお母さんや団長のように、守れる力を手に入れられるのだろうか。
「ただいま戻りました」
兵団に戻ると、そこにはリンドウの姿があり、ちょうど彼女もどこかから帰ってきたところだったらしい。
「おかえりなさい」
「リンドウさんも今帰ったんですね」
「ええ、なかなか目当てのお花が見つからなくて、東の商店まで足を伸ばして来たの」
「それは大変でしたね」
東の商店はここから4キロほど行った街の極東部にある小さな商店街のこと。お昼は私たちと茜屋にいたから、それから出かけたことになり、こんな時間になってしまうのも納得だ。
「どんなお花なんですか」
リンドウの抱えた花束が気になり、そっと顔を近づけてみる。そこには、藍色の鈴のような可愛らしい花があり、華やかさにかけるものの、妙に惹きつけられる美しさがある。
「この花はね、青竜胆っていって私が一番好きな花なの」
「へえ、リンドウってお花の名前だったんですね
「そうね。意味は少し違うけれど、だからかしら愛着があるの。明日、蒼くんのところに行って生けてこようと思うの」
「いいですね。これで少しはあの店も華やかになります」
玄関あたりに置いたほうが目立っていいだろうかと考えていると、不思議そうにリンドウが首を傾けていた。
そして、ふっと笑いかけられる。
「よほど、気に入ったのね」
「はい。とっても綺麗なお花です」
「そうじゃなくて、蒼くんのこと。アイちゃん、戻って来てから楽しそうだから、きっと蒼くんの影響ね」
「なにを言ってるんですか。いつも通りです」
平静を保ちつつも、自分だけは顔が熱くなる感覚を確かに感じている。
「それじゃ、また明日。おやすみなさい」
「あ、ちょっと待って。これ、持ってって」
差し出されたのは、花束から分けられた1束の竜胆の花。まだ開いていない蕾ばかりだがこれはこれで、小さな鈴のようで可愛らしい。
「いいんですか?」
「ええ、花瓶に入れて飾っておけばそのうち咲くから、大切にしてね」
「ありがとうございました。もちろん、大切に育てます」
「おやすみなさい」