リンドウの花Ⅲ
一緒に働かないか。
そんなにおかしな台詞でもないが、俺は自分の口から出た言葉に笑いを堪えきれなかった。
「なに笑ってるの」
「いや、なんでもない。やっぱり、親子なんだなって思っただけだよ」
意識したわけでもなく、自然にでた誘いだった。それがあまりにも自然で、自分でもアイの母親である諏訪かなえにまったくおなじやりとりをしていたことに気が付かなかった。
「似てないよ。お母さんはすごい人だった。私なんかじゃ、お母さんみたいにはなれない」
「へえ・・」
謙遜ではない。おそらく、本気でそう思い込んでいる。
アイの顔をよくみると、確かに俺の目が節穴だったことがよくわかる。肌の色や瞳の色はべレス化の影響で全く違っているが、アイの顔立ちは高校生の頃の諏訪にそっくりだった。
「なんですか」
この冷ややかな態度も、今思えば出会った頃の諏訪と重なる部分がある。高校生の自分では親の言うことを聞いておくしかないと、思春期らしい愚痴を叩いていた姿はもはや懐かしい。
「なあ、どうだ。店、やらないか?」
「・・そんなに私、料理上手くないですけど」
「いやいや、初めからこれだけできれば十分だって」
正直、センスはあると思う。比較対象が俺自信になってしまい申し訳ないが、俺は一度やってできるような器用な人間ではないため、それなりに努力が必要になる。ほとんど厨房に立ったこともないのに、見事な照り焼きを作ってみせたアイならばすぐに俺の持っているレシピくらいなら作れるようになるだろう。
しかし、これは流石に格好が悪いのでアイには黙っておく。シゲヤスとヘイジさえ黙っていればアイにもれ伝わることはないだろう。
「昔、お父さんとお母さんが一緒に働いていたのがこの茜屋。・・そういえば」
何かを思い出したのか、アイが厨房からフロアに出てくる。調理に使ったのか、前掛けをして長い髪の毛は後ろで結い上げている。
アイが足を止めたのは玄関に一番近い4人掛けのテーブル席。その少し前の床にしゃがみ込み、1人でなにか納得したように顔を綻ばせる。
「なるほど。これをやったぽんこつが誰だかよくわかった」
「なにをみてるんだ?」
気になって覗き込むと、アイの目の前にあったそれをみて俺は思わず苦い顔をした。
そこにあったのは、5センチほどの幅焦げ跡。明らかに不自然かつ目立つ位置にあるというのに、俺はそれに気づいていなかった。
「昔、まだお母さんが生きてた頃。確か、お店が完成したとき。最後の仕上げといって、あつあつに熱した鉄のフライパンをここに落としたの。あの時はなにやってるんだろって、驚いたけど、ようやくお母さんが言ってたことがわかった」
「なんて言ってたんだ?」
なんとなく内容は理解できる。アイのいたずら心に満ちた顔を見れば、それがどれだけ滑稽な話として伝わっているのかがわかってしまう。
「オーダーミスで出す料理を間違えたぽんこつ店長が、自分で出した鉄板ハンバーグを素手で掴んで床にぶちまけた。これ、川﨑が犯人でしょ」
「正解。俺がそのポンコツ店長だよ」
「やっぱり」
忘れようはずがない。なんせ、それはこの世界に飛ばされた日のランチタイムの出来事。アイやシゲヤスたちからすればかなり昔の話なのだろうが、俺にとってはまだ癒えていないショックな出来事だった。
「どうせなら、これは直してほしかったな」
築数年しか経っていないと言うのに、床にこんな大きな傷をつけてしまったのは流石にショックだった。おかげで仕事の進みがわるく、帰宅時間が日を跨いでしまうことになったのだ。
「でも、お母さんがこれは店長がここにいた証だからって。川﨑、あんなすごい人たちに慕われて、ほんとうにすごいよ」
「それは違うな。俺はあの3人がいなければ、1日たりとも営業できないと断言できる」
これは紛れもない本心だった。茜屋がこの場所に立っていたことは、心の底から嬉しかった。しかし、またこの店で一からやっていく自信は俺にはなかったのだ。シゲヤスとヘイジなら手伝ってくれると言ってくれるかも知れないが、2人には2人の仕事がある。
そんなとき、アイが現れた。
「アイとなら、また店ができるかもって思えた。理由はよくわかんない」
わからないが確信はある。おそらく、この街で俺にできることなんてこれくらいしかない。アイにばかり迷惑をかけていることは理解しつつも、それでもアイとならこの町でも茜屋を開店させることができると、そう思った。
「とりあえず、俺はやっぱりここで店をやる。待ってるからな」
「・・わかった。考えておく」