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リンドウの花Ⅱ

「疲れた」

 みんなが帰った店内は、営業終了後のように静まり返っている。加えて土日の営業が終わった後のような疲労感が俺の体には残っていた。

「まあ、娘が可愛いのはわかるけどさ」

 シゲヤスもヘイジも、今まで見たことがない形相でずっと俺を睨んでいた。居心地の悪さは当然だが、権力も戦闘能力も兼ね備えた歳上に凄まれると流石に萎縮してしまう。

 シゲヤスの孫だった蛍が大人になっていたのには驚いた。しかし、だからといっていきなり恋愛対象としてみるかと言われればそんなことは決してない。思春期の高校生ではあるまいし、親ばかにも限度がある。

 ついでのように、シゲヤスが帰り際に言い残した言葉を思い出す。

「この店はお前のものだ。好きにしろ」

「好きにしろっていわれてもねえ」

 この世界の流通がどうなっているのかはまだわからないが、少なくとも飽食というわけではなさそうだ。大通りの散策で飲食関係の店だけがほとんど見当たらなかった。あったのはパン屋や八百屋くらいで、食堂やレストランをまだ見かけていない。

「食材か、そもそも需要がないのか・・」

 机に突っ伏したまま、ようやくのように先行きの不透明さに若干の不安が覆いかぶさってくる。

 そういえば、店を始めてすぐの頃も同じような不安に駆られたことがあったような。たしか、あの時は・・。

 ぼふっ。

 突然、視界が真っ暗になる。なにかを頭に被せられたようで、布のようなものが手に触れる。

「なんだ。起きてたんだ」

 頭からかけられていたブランケットを取ると、そこには帰ったはずのアイの姿があった。

 よく見てみると、そのブランケットは仮眠用に座敷に置いてあったもので、妙な安心感がある。既視感のある光景に混乱していると、アイが手に持っていた袋を机の上に置く。

 中には、野菜一式と鶏肉のような肉の塊が少し入っていた。

「厨房お借りしますね」

「アイが料理するのか?」

「・・あなたほどではないですけど、器具さえあれば多少はできます」

 アイは許可を待つことなく厨房に入っていく。入るのは初めてではないのか、迷うこともなく調理の準備を済ませていく。

 スムーズな動きから料理の経験はほどほどあるのだろうということは理解できる。しかし、なにか一歩引いたようなアイの態度が気になり、厨房に立つ彼女から視線を外すことができない。

「なんで突然敬語なの」

「お父さんがが敬語なのに、私が粗暴な言葉遣いはできません」

「気持ち悪」

「なんですって?」

 アイの手に包丁が握られていることを忘れて口が滑ってしまった。彼女と刃物の組み合わせの恐ろしさは、十分目の当たりにしている。両手を上げて降参の意を示し、どうにかアイの怒りを鎮める。

「いいよ。俺が許すから。命の恩人に敬語で話されるなんてなんかむず痒いし」

「わかった。なら、2人の時は今までどおり話す」

「そうしてくれ」

 2人の時はという言葉に身の危険を感じないでもないが、とりあえずは考えないようにしておこう。

「川﨑、手の火傷の具合はどう」

「おかげさまで」

 冷やすのが若干遅れてしまったせいで、少し膨れている。それでも、アイが持ってきてくれた氷のおかげで痛みはほとんどない。

「ありがとな」

「それはどうも」

 アイは表情を変えることもなく、調理を進めていく。なんとなく、野菜と肉の炒め物を作っているらしいことはわかるのだが、得体の知れない肉のせいで味が気になって仕方がない。

「川﨑、昨日たべたあれ出して」

「あれ?」

「黒いやつ」

「ああ、醤油のことか」

 俺はさっと醤油を作り出し、カウンター越しにアイに手渡す。

 アイが醤油をフライパンに一周垂らすと、香ばしい香りがぶわっと広がり、急に空腹感を覚える。

「いつもは、塩と胡椒で味付けするけど、たぶん醤油と砂糖の方がこのお肉に合うと思う」

 目の前のフライパンの上には、きれいな照りの肉がジュクジュクと音を立てて踊っている。口に入れるまでもなく、それが美味いことはわかる。

「お待たせ」

 皿に乗って差し出されたそれを、いただきますを言うが早いか口に放り込む。予想していたよりもジューシーな肉の食感に驚かされ、甘辛いタレと肉の組み合わせに、胃が歓喜しているようだった。

 慣れ親しんだ味のようだが、肉の焼き加減や調味料の配合は完璧と言ってもいい。

「アイ」

「俺と一緒に、茜屋で働かないか」


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