重曹を舐めるⅠ
「どうしたの」
驚いた私は、隠れていたことを忘れて顔を出した。店の中にいたのは、団長シゲヤスと副団長ヘイジ。おそらく、この世で最も敵に回したくない2人の視線が突然現れた私に注がれる。
しかし、そんな2人すら私の視界に入ることはなかった。
「あれ、アイ・・」
なんでもない、そんな風を装っているが明らかに様子が違う。
泣いている。
蒼の目から流れる涙が頬を濡らている。これまで、何度も心が折れるような現実を目の当たりにし、その度にしょうがないと一瞬で切り捨てていた朴念仁が流す涙に、私は激しく狼狽した。
「アイ、どうしてここにいる」
蒼に近寄ろうと前にでたところで、ヘイジが間に割って入る。
「・・お父さん。そこをどいて」
「それよりも先に、言うべきことがあるんじゃないか」
ヘイジの言葉に感情的だった頭が急に冷静さを取り戻す。厳しい父の表情は皆が恐る副団長の形相で、私の次の言葉を待っている。その怒りも当然で、おそらくヘイジはつい先ほどまで私の捜索のためにコロニーの外に出ていた。それは、副団長としての責任を投げ出すことでもあり、当然迷惑はヘイジだけでなくコロニー全体に及んでいる。
シゲヤスは口を挟むつもりはないようで、お茶を啜っている。ヘイジの肩口から見える蒼も涙を拭い、いつも通りの彼に戻っていた。
「本当にごめんなさい。お父さんにまた迷惑をかけてしまいました」
この街を出た時点で、帰る場所のことなど考えが至らなかった。まさか、あの父が追いかけてくるなど思いもよらず、二週間遭遇することなく今に至る。
「自分の立場を理解しているなら、こんな身勝手が許されないことはわかるな。兵長を任されていながら、それを放棄したんだ」
私の行いのどこからが間違っていたのかを、順番に教え諭してくれる。父の怒り方はいつも正しく、反論できる余地はない。いつも、いくつになっても親子の会話は上から下へ流れる清流のように、静かで付け入る隙がない。
なにも言うことができず黙っていると険悪な空気を察してか、一番余裕のなさそうな蒼が口を開く。
「鈴村くんとりあえず、お説教はあとにしない?朝ごはん食べてないからお腹減ってるんだ」
「・・店長」
自分の考えと行動にはっきりとした自信を持つ父が他人の言葉に耳を貸すことはほとんどない。しかし、旧友らしいとだけ聞いていた蒼の気分的な発言に、ヘイジは明らかに戸惑っているようだった。私が絶対に変えられないと思いこんでいた流れが、明らかに変わった。
「なにを作る?必要なものがあれば俺が調達しよう」
「大丈夫。あるもので作るから」
「ん?たしか冷蔵庫に大したものはなかったと思うが」
首を傾げるシゲヤスに対し、蒼は言葉ではなく能力をもって説明した。
「調味《シーズニング》」
蒼の手が優しく光り、白い砂のような結晶が出現した。差し出されたそれをひとつまみ手に取ると、シゲヤスはそれを口に入れた。
「甘い。これは砂糖か」
「そう。そして、もう一つ。こっちは舐めちゃダメだよ」
いつの間に出したのか、茶紙に包まれた白い粉がもう片方の手に収まっている。
「なるほどそれが店長のベレスの能力ですか」
「便利だろ」
自慢げに話す蒼。本人にその木があるのかは知らないが、私には必死に取り繕っているように見えた。