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初恋はレモンよりもかぼす味Ⅲ

 蒼たちと鉢合わせしないように一番に階段を降りたアイ。未成年のアイは酒を口にすることなく床に着くことができたため、この時間でもひどい眠気に襲われるようなことはなかった。

 しかし、頭の中にはある思考がずっと居座っており、不明瞭なままだ。

 それは、いままでに経験したことのない感情のようで、どこかで感じたことのある苦痛にも似ている。

 再燃しそうだった感情を、ばしゃばしゃと冷水を顔に浴びせて打ち払う。何度も夢に出てきた。一度でもみたくなかったものが、少しでも記憶が薄れるたびに鮮やかに蘇ってくる。綺麗に洗い終わってしまった顔をさらに執拗に洗い流す。

 うまれたときから周りとは違う見た目で、大好きな母が産んでくれた顔なのに好きにはなれなかった。今、鏡に写っているのは、子供の頃より少しは大人に近づいた、生まれてから毎日毎日飽きるほどみた黒髪の少女。艶のある自慢の黒髪には枝毛一つなく、母とおなじ美しさを保っている

 そういえば昨日はちょうど17の誕生日だった。年を重ねるごとに、自分の姿におぼろげな母の記憶が重なることが多くなった気がする。

 アイは大きく息を吸い込み、もう一度冷水を自分の顔に叩きつけた。


「あら、おはよう。昨日はよく眠れた?」

「おはようございます。丸太のうえとはやっぱり寝心地が違います」

「・・大変だったわね。もう、こんなことしちゃだめよ」

 リンドウの言葉には、幼い子を諭すように優しく囁いた。アイ自身馬鹿なことをしたと思っている。なんの当てもなくコロニーを飛び出して、ようやく17歳になろうかという子供が生き抜いていける訳が無い。

 そんな簡単な勘定ができないほどに、その時の私は追い詰められていた。

「ま、今ここにいるんだから、もうこの話は終わり。あ、でも、ヘイジさんがあれっきり帰ってこないから、そっちの迷子もそろそろ探さないとね」

「お父さんが?」

「うん。いつも怖い顔だけど、あんなに必死なヘイジさんは初めてみたわ」

 リンドウは軽い口調で話しているが、私は今にも飛び出しそうな足を理性で押さえつけるのでやっとだった。自分のせいでお父さんに迷惑をかけている。そう思うだけでも胃が締め付けられるような感覚に襲われる。

「大丈夫。あの人なら虎でもクマでも負けないわ」

 リンドウにはお父さんが負けるところなど想像もできないという様子だ。それも当然で、私の父ヘイジは兵団の副団長の地位にあり、シゲヤスの次点として街の人間の精神的支柱になっている。

 そんな父が責任を放り出してまで私を探しに出ている。不意にでた意外な話に、口元が緩む。しかし、すぐにきゅっと口を結ぶ。

「おはようございます」

 私の心中などまったく知らない間の抜けた声が投げかけられる。9時を過ぎているというのに、起き抜けのだらしない格好をした蒼が、眠そうに目をこすっている。

「あなた、なにその格好。だらしない」

 昨夜、アイが渡した服はたった一晩でよれよれになり、何があったのか背中には穴まで開いている。100歩譲って、これが宴での騒ぎが原因だとしても、髪も整えずに人の前に立つなどあり得ない話だ。

「やあ、アイ。悪いけど水場に案内してほしい」

 私は返事すら億劫で、蒼の襟首を掴んだ。暴れる蒼を無視し、私は彼を引きずるようにして部屋を出た。


「お前ら、なにやっとるんだ」

 通りかかったシゲヤスは呆れたような顔をしていた。アイは屋外にある水飲み場まで案内してくれたのだが、なにを思ったのか、バケツにためた水を思い切り俺の顔に浴びせかけた。

 一発で目は覚めたのだが、それでもアイは手を止めることはなかった。寝癖のついた頭が落ち着いたのはよかったが、服までぐっしょりと濡れてしまった。

 しかし、目が覚めるとだんだん腹も立ってきてやり返しているうちに、いつの間にかお互いに頭から足までずぶ濡れになっていた。途中からは濡れることに不快さは無くなっていたので、俺もアイもおかしなテンションになって、笑いながら水を叩きつけていた。

「まったく、アイまでこの馬鹿に影響されおって」

「なっ・・そんなことは」

 アイは言葉を返そうとしたが、自分の姿を見て押し黙ってしまった。2人とも、土砂降りのなか遊んだ子供のようで、26にもなって叱られる姿はどうみても大人ではなかった。

 俺は、笑て誤魔化すことしかできず、それをみてシゲヤスも大きなため息をついた。

「さっさと着替えてこい。出かけるぞ」

「出かけるって、今日は食材集めに外に出るつもりだったんだけど」

 水を吸って重くなったシャツを脱ぎ、水を絞り出す。アイも長い髪に滴る水を払う。水も滴るなんとやらというが、初めてそれが適合する光景がそこにはあった。

「なに」

「なんでも」

 喧嘩したばかりの相手を突然褒めるのは、流石に不自然だ。ふいと視線を逸らし、改めてシゲヤスのほうを向いた。

「お前に見せたいものがある。時間はかからん」

「見せたいもの?」

 にやりと笑うシゲヤスがあまりに不気味で、なにかを企んでいることは明白だった。

「お前が世界で一番大切にしているものだ」

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