夜明けⅢ
薄ぼんやりとした意識の中で、何度も反芻する聞き慣れた声。
「おーい、大丈夫か」
乱雑な叩きで微睡の底から引き上げられる。
「・・頭が痛い」
「あれだけ飲めば当然だろう」
体を起こそうとするが、まるで鉛のように体が重く四肢の神経がまるで感じられない。喉元から這い上がってくる不快感を堪えるだけで精一杯だ。
ビールのアルコール度数は4から5パーセントと酒類の中でもそれほど度数の高い酒ではない。酒に弱い方でもないと思っていたが、まさか意識が不明瞭になるまで飲むとは思わなかった。近くには蒼を煽り続けた兄貴たちも転がっている。
照明が落ち暗くなった行動ないには酒瓶や転がった酔っぱらいで惨憺たるものだった。その中に、アイやリンドウの姿がなかったのは幸いだろうか。
「吉野さんはなんでそんなに平気そうなの」
記憶は曖昧ではあるが、シゲヤスもかなりの量の酒を飲んでいたはずだ。シゲヤスが飲んでいた酒、どぶろくは清酒と同じくらいの度数で、何杯も飲むような酒ではない。
「仮にも団長があの程度の酒に呑まれるわけねえだろ。いい歳して飲める酒の量もわからねえか」
「うう、頭に響く」
重低音の小言が、煩悩を砕く除夜の鐘のように鈍く蒼の頭を打ち付ける。覚醒し切らない頭で考えていたのは、店の仕事のことは未だ頭から離れなかった。
寝起きの習性でスマホの画面で時間を確認する。眩いブルーライトが目を差し、目を細めて画面を覗き込む。幸いなことに、まだ時刻は6時前。
起き抜けの頭でシゲヤスに対し蒼は、平然とこんなことをいった。
「今日の予約昼からだっけ?」
4月4日火曜日。無意識のうちに頭の中の予約帳を確認するが、平日に朝から仕込みが必要なほどの予約は滅多にないはずだ。
シゲヤスは一瞬、過去を懐かしむような渋い顔をした。
「・・ちょっとついて来い」
寝ぼけている蒼の返事も待たず、シゲヤスは蒼の首根っこをつまみあげる。そのまま、抵抗できない蒼は部屋の外に連れ出された。
頭が痛い。酒による頭痛は内側からではなく、赤く腫れた後頭部からのものだ。曲がり角で思い切りぶつけたところが、じんじんと脈打っている。おかげで目は覚めたが、こんな目覚めが心地いいはずがない。
目はすっかり覚めてしまい、いつの間にかふらついていた足にも地面の感覚が戻っている。
シゲヤスはというとまったく酔いを感じさせない足取りで、どんどん階段を登っていく。薄暗い階段は足元も悪く、年が倍以上違う蒼はついていくだけでもやっとだ。
「若いのに、だらしないな」
「吉野さんが若すぎるんだ」
階段を登り切ると、そこは絶景というに相応しい展望が広がっていた。
天空のコロニーというだけあって、ここからは1日がかりで通ってきた森も、その先に広がる広大な大海さえも一望できた。それは、切れていた息すら飲んでしまうほどの、まさに絶景。
「どうだ。この世界に来て」
どうだ。と言われても、俺には全くなにを問われているのかわからない。
「楽しいよ。みんな優しいし、料理も工夫すれば続けられるんじゃないかな」
「・・少し長い話になるから、座れ」
妙に深刻な面持ちのシゲヤス。俺は、なにごとかと問い返したくなる感情を押し殺し、ベンチに腰を下ろした。
「蒼。お前がこの世界に来たのは今日だと言っていたな」
「うん。そうだけど」
俺は、昨晩謎の地震のような揺れと、目を開けていられないほどの光で気を失い、気がついた時にはこの世界の森に横たわっていた。こんなめちゃくちゃな話でも、異世界転生という予備知識があったから、俺はこの状況を飲み込むことができた。
「俺にとっては、もう20年以上前の話になる」
シゲヤスの語る内容に、俺はただ耳を傾けていた。