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夜明けⅡ

 気付いた時には、蒼は全裸のまま脱衣所に横たえられていた。腰には大きめのタオルがかけられており、その部分だけは隠されている。傍にはうちわを片手に顔を赤くしたアイが座っていた。異世界には似合わない制服姿も、今は素朴な色のワンピース姿に変わっている。濡れた髪を布で結い上げ、熱っぽい表情には色気すら感じさせられる。

 どれくらいそうしていたのかはわからないが、どうしてこうなったのかはうっすらと覚えていた。

「なんでお前まで飛び込んできた」

 カエデが我慢できなくなって浴場に乱入した直後、ガラス戸を開けたアイはなにを思ったのか、着ていた制服を脱ぎ去った。浴場内には湯気が立ち込めており、2人の肌はほとんど見えなかったが、意識が途絶える瞬間に見えたアイの膝の質感だけははっきりと記憶している。

「制服を濡らしたくなかったし・・」

 そこで言葉は途切れる。カエデと同じ子供のような言い訳に、蒼は目を瞑るしかなかった。相手はまだ、確かに子供なのだから、ここは大目に見るしかない。

「なにも、見えてないよね」

 湯で熱った顔をさらに真っ赤にし、アイが問う。それに対し、蒼はアイが持ってきてくれた着替えにそれを通し、正直に答える。

「見えたのは真っ白な・・」

 何かは見えた、という意味の言い出しにアイが顔を強ばらせる。

「膝」

「バカ」

 ばしっと、うちわで顔を叩かれた。安心したのか、そのままうちわを蒼に渡しアイは出口の方に向かっていってしまう。むくりと起き上がり、蒼もふらつきながらもアイを追いかけた。

 そういえば、あの制服ってどこで手に入れたんだろう。

 着替えてしまったアイに、ついに聞きそびれてしまった質問を飲み込む。いまは、待たせているであろうシゲヤスたちのもとに急ぐ。


 講堂に戻った蒼は、その光景をなんと表現したらいいかわからず、顔を引き攣らせた。

 1時間前に訪れた時には、裁判所の体を装っていた場所が、まるで金曜日の居酒屋のような騒がしい場所に変貌していた。厳格な雰囲気はどこに片付けてしまったのか、ものの配置や顔ぶれはほとんどかわらないのに雰囲気はまるで様変わりしている。中心となっているのはシゲヤスだが、その周りでジョッキを片手に乱痴気騒ぎを起こしているのは確かに、蒼たち3人の処遇を決める場にいたものたちだった。

「何やってんの?」

 半眼で呆れる蒼を前に、すでに出来上がってしまったシゲヤスが陽気に答える。

「酒は貴重なものだからな。日を選んで飲むものだが、今日ほど相応しい日はねえだろ」

 豪快に笑う団長に周りのものたちも頷く。

「あんたの能力本物なんだな」

 シゲヤスの隣で上半身裸になっていた男に声をかけられる。たしか、ジュンイチの隣に座っていた、厳格な面持ちが印象に残っている。

 しかし、目の前にいる彼は、厳格などとは無縁の存在。奔放という言葉が似つかわしい野生児のような印象が彼の本性なのだろう。

 誇示するような大胸筋がひくひくと動いているのに見入っていた蒼は、横から飛び込んだ女性に不意を突かれた。

「リンドウさん?」

 現れたのは、酒が入っているのかほんのり頬を紅潮させたリンドウ。脇腹にしがみついたリンドウは目を潤ませて蒼の顔をまっすぐに見つめている。冷ややかで凛とした印象のリンドウの思いがけない表情に、つられて顔が熱を帯びる。

「ありがとうございます。蒼さんのおかげで・・私は」

 後半は迫り上がってくる感情で言葉になっていなかった。瞳には大粒の涙が溜まり、今にも決壊しそうだ。悲しみでも、怒りでもなく、本来の自分を取り戻すことができる喜び。

「見事なもんだ。流石に俺には効果がなかったが、腕を上げたな」

「へへ・・そりゃどうも」

 べレス化にも個人差があるのだろうか。アイがいうには、見た目の変化には段階があるという。最強と言われる団長が相手では効果がなかったとしても不思議はなさそうだ。

「本当にありがとうございます」

 今度は堪えきれなくて零れてしまった涙を拭いながら、満面の笑みを浮かべたリンドウ。

 泣いて笑って、忙しないリンドウにシゲヤスも隣の上裸の男も穏やかな表情をしている。まだ蒼にとっては実感のわかない幻想も、彼らにとってはすでに根ざした現実として存在している。

 むしろ、この瞬間に蒼の中でもそれが本当の意味で現実なのだと理解させられた。

 講堂内にいる人たちの表情に悲壮感などかけらもない。これが、蒼の力が彼らの中の現実に亀裂を入れた瞬間だったのだ。

 希望というには及ばないが、お釈迦様が垂らす蜘蛛の糸よりははるかに太い紐のようなもの。

「よっしゃぁ!主役が来たところで、もう一回乾杯しようや」

 湿っぽくなった雰囲気をもう1人いた、こちらはパンツ一丁というさらに男らしい格好のタフガイがジョッキを掲げる。蒼も泡立ちの良いビールらしいものが注がれたジョッキを受け取る。

「蒼くん」

「ん?えっと、ジュンイチさんでしたよね」

「うん。それより、1つ忠告を」

 その言葉を遮るように、兄貴たちの雄叫びが場を制圧する。

 ジュンイチは何かを伝えたかったようだが、それを聞く前に乾杯の音頭は始まってしまう。

「杯を乾すと書いて」

「乾杯!!」

 絶叫にも近い乾杯に、すでに酔っ払っていたものたちも呼応する。それを察していたのか、未成年とジュンイチの姿がいつの間にか近くにはない。

 その瞬間、ジュンイチが何を警告してくれようとしていたのかを理解したが、あまりにも遅すぎた。


「賑やかだね」

 目の前で行われている乱痴気騒ぎからいち早く離脱していたリンドウとアイ。

「初めて見ました。カイさんとケイゴさんっていつもあんな感じではないですよね」

 あまりにもイメージとは違う2人の豪快さに、見知った顔のアイも眉を顰める。

「今は落ち着いてるけど、元はあんな感じだよ」

「ちょっと幻滅しました」

 小さい頃から頼りになるお兄さんたちというイメージを持っていたアイにとって、目の前で行われているカイたちの騒ぎは目を覆いたくなるものがある。

「2人とも、いつも気を張ってるから・・私も久しぶりにあんな楽しそうな2人をみたよ」

 お酒が入っているリンドウもいつもよりも少しだけ陽気に見える。しかし、それは当然のことのようにも思える。

「おめでとうございます。リンドウさん完全に人に戻れたんですよね」

「うん。ありがとう」

 リンドウの赤い頬が緩む。アイから見て年上のお姉さんであるリンドウは、誰よりも慕う人だった。だから、リンドウの涙は、アイにとっても衝撃的だった。

「3歳の頃から、人の心が読める能力のせいで、聞こえないで良いものが聞こえてた。嬉しいことばかりじゃなくて、悲しいとか怖いとかの感情がずっと聞こえてきて、たぶんおじいちゃんがいなかったら、誰の役にも立てず家に引きこもってたと思う」

「リンドウさん・・」

 いつも冷静で誰よりも信頼していたリンドウから漏れる、初めて聞く弱音。リンドウの顔は酒のせいだけではなく、完全にべレスの魔力が抜け暖かな色を取り戻している。

 これが、本来の彼女の姿だ。

「ごめんね。私1人だけ」

「いえ、私も嬉しいです。リンドウさん」

「・・それなんだけど。私の名前、本当はリンドウじゃないの」

「・・?」

 自然と首が傾く。何を言われたのかわからず、返す言葉にも詰まってしまう」

「私の大事な人たちがつけてくれた、大切な名前。いつか、生まれた時と同じ姿に戻れるまで隠してたの。それは、私だけじゃない」

 元の姿を取り戻したリンドウは、凛として美しい。

 アイにはそんな見た目にわかる変化しか察知できず、結局、リンドウが何を言っているのかその続きを聞いても理解できなかった。


 蒼は意識が途絶える瞬間、聞き覚えのある名前が耳に届き、必死に覚醒しようと目を開いた。

 それは、とても信じられない名前であると同時に、蒼の中でずっと疑問だった謎を解く重要な鍵である予感。しかし、アルコールの強力な力で、蒼の意識は深い闇に引き摺り込まれていった。

 


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