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卵焼きⅢ

 あまりに予想外の出来事に蒼の理解はまったく追いついていなかった。

 卵焼きについてリンドウと楽しげに会話してしたはずが、乱入したリュウゲンによって突如雲行きが怪しくなった。蒼としては寝耳に水で、リュウゲンが声を発すまでその存在に気づいていなかったのだ。怒り狂う理由もわからぬままに蹂躙されるかに思われた刹那、蒼の頭と拳の間に差し込まれる白銀の羽。

 拳を弾かれたリュウゲン。頭よりも巨大な拳をその小さな体躯で受け流すカエデ。その顔には少しの歪みもなく、涼しい顔をしている。

「カエデ・・?」

「間抜けな顔」

 カエデはちらりと蒼の顔をみると小さく嘆息した。その表情からは呆れ以外の感情は何も伝わってこない。

「貴様どうやってここに」

 蒼もそのことが気になっていた。カエデはアイと共に講堂にいたはずで、加えて丈夫な黒鉄の枷に繋がれていた。しかし、今はその黒鉄は腕にはまった部分だけが残り、まるで籠手のような役目を果たしている。

「敵になることが確定した以上、教えるつもりはない」

 淡々と告げるカエデ。その口調には、コロニーに入った時のような柔らかさはない。敵と判断した相手を見定め、どう対処するか選択しているように見える。

「そうか。もう隠す気はないらしいな」

 対するリュウゲンも眼光を強める。先ほどまで、リンドウとの間にあった和やかな雰囲気はかけらもない。すでに、敵と理解したもの同士、一触即発という状況だ。

「逃げます。いい加減、その腑抜けた顔はどうにかならない?」

「逃げる?ここからどうやって逃げるっていうんだ」

 できれば戦闘は避けたい。しかし、リュウゲンと話し合おうにも相手にはその気がなさそうだ。そうなると、択は自ずと絞られてくるが、それも簡単なものではない。入口は1つで、そこにはリュウゲンの巨躯ががっちりと守っている。

「あと10秒くらいで私の能力を使う。外に出れたら、なんとかなる」

「カエデの能力?」

 カエデが能力を使っているらしい状況には何度か遭遇しているが、それが一体どういう性質のものなのかは知らない。しかし、誰にも気づかれることなく厨房に侵入して見せたカエデを、今は信じるしかない。

「なるほど、あんたの能力は瞬間移動、そんなとこか・・」

 壁の向こうから声がした。騒ぎに誰かが駆けつけたのだろう。しかし、その声は聞き覚えがある、誰かの声に似ているような気がする。

「・・あと少しなのに」

 カエデが焦りの声を漏らす。10秒という短い時間が、途方もなく長く感じる。声の人物が入口の向こうから顔を出す。味方であるはずのリュウゲンでさえも緊張し、額に汗を滲ませている。

 てっきり、リュウゲン以上の巨体が姿を表すと思っていたが、現れた人物は蒼よりも顔の位置が少し低い。小柄だが衰えを感じさせない点はリュウゲンと同じく年齢不相応と言える。右目に刻まれた古傷と笑顔の中にも隠しきれないほどの迫力がその存在を証明している。

 英雄シゲヤス。

「そう焦ることはない。ゆっくりしていけばいい」

 焦るなという方が難しい状況。その場にいる全員が息を呑み、シゲヤスの行動全てに注意を払っている。

「なんだか、懐かしい匂いがするなぁ」

 よく見てみると、シゲヤスは酒を飲んでいるのか顔がほんのり赤い。たしか、先ほどの話し合いの席でも団長がどこかで飲んでいるという話をしていた気がする。

「今日は1年で一番機嫌がいい。よかったな、リンにも怪我はないし、このままおとなしくしていれば・・」

 そこで一度言葉を区切る。天井を仰ぎ、回っていた酔いを頭を振って覚まそうとしているようだ。

「殺しはしない」

 胡乱で誰に焦点があっているのかも定かではない。それでも、彼の放った殺すという単語が冗談ではなく、明確なイメージとして頭に叩き込まれた。

「物騒なこと言わないでよ」

 この状況で口を挟むなど自殺行為。全員の共通認識下にあるはずの空気を、一切読むことなく発言したのは蒼だった。

「確かにそうだ。今日だけは酒を飲んでもいいと決めているのに、そんなことしたら酒が不味くなるわ」

 豪快に笑い飛ばすシゲヤス。そこに不快な色は全くなく、気分を害した様子もない。

「孫ができてからは酒はやめたんじゃなかったっけ?」

 カエデの肩を掴み、一歩前に出る。バカと罵る声が聞こえたが、蒼の反応はない。

「誰に聞いたか知らんが、そんなことまで広まっとるのか?今日は特別さ。死んだダチへの供えもんだが、少しくらい許してくれるだろ」

「誰が死んだって?」

「あん?」

 シゲヤスの目が、近づいた蒼を捉える。茶化されたと思ったのか、その目には明らかに不機嫌さが滲んでいる。

「勝手に人を殺して酒飲んで、しょうがない人だよ」

「・・お前、だれだ?」

 シゲヤスの視界は酒が回ってまだ焦点が定まらない。視界に間違いようもない巨躯を持ったリュウゲンと見覚えはないが目立つ白銀の髪を持った少女。あとは、口ぶりからシゲヤスと顔見知りのような、サードらしきこれと言って特徴のない青年。

 どこかで見たことのあるシルエット。最近ではない、かなり前だが見知った間柄だったような・・。

 そこまで思考が追いついたところで、急激にもやが晴れたようにシゲヤスの意識が鮮明になっていく。

「リュウゲン」

「はい。どうしました?」

「・・酔い覚ましだ。一発殴れ」

「・・!?本気ですか?」

「思い切りやれ」

 シゲヤスの顔はすでに酔いから覚めているようだった。言葉もはっきりとし、丸太のような腕を持ったリュウゲンを目覚ましに使う必要がないほどには意識も明瞭だろう。

 それでも、シゲヤスはかすかに残った酒気さえも鬱陶しく感じるほどに、目の前に立つ青年の存在を確認しないではいられなかった。

「いきます・・」

 痛烈な拳打が老人の顔に打ち込まれる。なにをやっているんだと心の底から思ったが、それは言葉にはならない。目の前に立つシゲヤスは水をかけられたように顔を振るだけで、痛みの感覚まで拳は届いていないように見えた。

 開いた目と蒼の目がようやく交差する。それは、1秒にも満たない瞬きほどの交差だったが、それだけで十分だった。笑ってしまった。これまでじっと見たことがなかったが見飽きてしまった顔をみて、こんな感情になる日が来るなんて思いもしなかったから。

「よかった。初めて知ってる人に会った」

 まるで、上京したばかりの大学生のようなセリフだった。異世界に降り立ち、初めて出会った旧世界の知人に、安堵と歓喜で自然と笑みが溢れた。

「まったく、今までどこに隠れてやがった。このバカ店長は」

 シゲヤスの目は微かに潤んでいるように見えたが、こぼれる前にごしごしと拭いとられる。

「卵焼き焼いたんだけど。食う?」

「・・へっ。下手くそな卵焼きだな」

 悪態をつくシゲヤスの表情は、蒼の記憶の中の彼と相違ない。

 吉野繁泰との再会は、お互いに予想もしない形で実現した。

 

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