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卵焼きⅡ

 子供の頃から、嘘を見抜くのは得意だった。誰かに頼らなければ生きてはいけない世界で頼る人間を選ぶために、弱者だった私に神様が授けてくださった唯一の生きる術。 

 能力、共感覚《シンパシー》。リンドウが指定した対象の思考を送受信することができる。これによって、相手の考えは全てリンドウに筒抜けであり、情報を偽るどころか自分に対してどういう感情を抱いているかという段階からわかってしまう。当然、敵意を抱いていると分かった時点で近づかないという選択も可能になる。

 私の仕事はいま、目の前で嬉々として料理をする男の監視だ。

 兵団の厨房は滅多に使われることがなく、前回使われた時の煤の匂いが微かに残っていた。そんな場所に押し込められたこの男が、一体どんな感情に囚われているのか仕事抜きにして興味が湧いた。

 リュウゲンに対し、啖呵を切り威勢よくここまで来たが内心では仲間を人質に取られて気分がいいわけがない。当然、怒りや焦りといった感情が彼の中には暗雲のように立ち込めていることだろうと。

 しかし、そんな様子はいつまで経っても現れなかった。

 それどころか、監視であるリンドウの存在すら忘れてしまったかのように鍋やコンロに夢中になっている。

「よし、やるか」

 ようやく、材料に手をかけた。この男は、何一つとして読むことはできない。脳内で起こっている思考自体は共感覚として伝わってきてもいる。それでも、彼の目的や行動原理といったものは何一つとして浮かび上がってこないのだ。

 本当に料理のことだけしか考えていない。

 私の共感覚は、受診だけでなく送信も同時に行うことができる。今、私が得ている情報は行動で卓を囲んでいるリュウゲンたちにも伝わっているはずだが、おそらく誰の目にも脅威としては映っていないだろう。

 それにしても、楽しそうだ。変わった形の鍋を器用に使い、卵を焼いている。その顔つきは真剣そのものだが、口角は上がり、目は優しく緩んでいる。

 不意に鼻腔を卵の焼ける匂いが満たす。その懐かしい感覚に、リンドウは幻覚を見た。

 記憶の底に沈んでしまっていた暖かく懐かしい光景。

「・・お父さん」

 頬を暖かいものが伝っていく。仕事もわすれ、いつの間にか私は蒼の調理を夢中になって見ていた。


 蒼が能力の実証のためにリンドウに連れられ厨房に向かったのと同じ時。講堂に残されたアイとカエデは、ユウイチらと同じ卓に着き尋問を受けることになった。

 アイにも手を拘束するための手錠が嵌められた。アイも敵意がないことを示すために、これに応じる。カエデの方は既にアイによって全身を拘束されているため、これ以上拘束具が増えるということもなかった。

「アイに関しては、ただの家出ということでいいんだよね?」

 重々しい空気の中、ジュンイチが口を開く。ジュンイチ兵長はアイと面識があり、同い年のユウイチとは違い少し歳が離れているが今さら緊張するような間柄でもない。

「本当は、帰ってくるつもりはなかった。この街でサードまで進行したのは私だけだったから」

「まあ、わかるよ。サードだけじゃなく、セカンドからは見た目にしっかり進行具合が現れるから、アイだけじゃなく偏見の目で見る人も多い」

 べレスの進行には、四段階ある。第一段階《ファースト》は肌の変色と能力の発現。このファーストには個人差があり、ほとんど変色しない人もいれば、この段階では能力の発現も自覚できないこともある。しかし、この段階でも既に人間から一歩離れた存在になったことは疑いようもない。

「信じてもらえないかもしれませんが、森で初めて川崎と出会った時、彼はまだ血液の流れる人間でした」

 講堂内に動揺が広がる。これまで口を挟まなかった兵長たちも、アイの発言は耳を疑うものだった。

 そんななか、リュウゲンだけは厳しい顔を崩さない。

「あり得ん」

 リュウゲンの一喝に、揺れた空気が再び張り詰める。兵団長シゲヤスに次ぐその風格は、歴戦の猛者のそれであり、最前線で戦い続けているからこその説得力がある。

 アイだって、この目で確認していなければ、嘘だといって話を聞きもしなかっただろう。実際、それを確認する術はなくなってしまった。

「10年前の邪悪な調理《マッドクック》。あれを自分の目で見たものとしては、確かに信じられない話だね」

 ジュンイチもリュウゲンに続き、アイの発言を否定する。簡単に信じてはもらえないだろうと予想していたが、取り付く島もない。

 べレスと人間の決定的な違い。それが、肉体の強度。進行が進むほど皮膚はしなやかで強かに、骨は金属のように硬質化する。臓器の全ては痛むことをしらず、呼吸の限界も測ることはできない。

 殺しても死なない生き物。それがべレスだ。

「あの小僧がなにものなのかは、リンドウから伝わっている情報でじきにわかるだろう。アイの妄言も、あとで確認すればいい。問題は、あと1人・・」

 アイを見ていたと思っていた二つの黒瞳は、隣に腰掛けるカエデに注がれている。

 肩ほどまでに切り揃えられた白銀の髪。年下の少女にしか見えない彼女は、蒼を一度殺すために私たちの目の前に現れた。結局、カエデの助言によって蒼は命を繋いだが、カエデが現れなければ川崎はべレス化することもなかった。今はサードということでぎりぎり人間として扱われているが、毛先に残った漆黒は彼女が魔神であることを細やかに証明している。

 カエデの素性をありのまま話せば、ただで済まないのは目に見えている。正直、アイにもカエデたち魔人に対する憎悪は少なからずある。

 ここまで大人しくついてきたが、カエデの考えていることがわからないままだ。

「私は、蒼の妹。名前はカエデ」

 それは門の前で蒼と打ち合わせていた内容だった。反抗的な態度を取るわけでもなく、蒼の妹としてこの場を切り抜けるつもりらしい。べレス化が解けた時のカエデの狼狽ぶりは未だ気掛かりではあるが、ここで面倒を増やすわけにはいかない。

「妹、ねえ」

 冷え切った空気が漂う。まるで、地雷を踏んでしまったような感覚。そこから足を少しでも動かせば、爆ぜてしまうような危うさが部屋全体に充満している。

「どうして嘘をつくんだい?」

 心臓を握られたような緊張がアイに襲い掛かる。殺意と似た冷たい眼光が、素性を偽った白銀の少女を貫く。団長、副団長を除いた兵長らだけの視線でも、一つ一つが鉄槍のように重く鋭い。

 そんな圧を一身に受けながらも、カエデは眉ひとつ動かさない。しかし、それがむしろ、カエデが常人ではないと自ら証明している。

「答えろ。こんなところまでのこのこやって来た目的を・・」

 カエデを詰めにかかっていたリュウゲンの言葉が途絶える。突然、明後日の方向を向いたリュウゲンの額にはうっすらと汗が滲み、慌てた様子で部屋を飛び出した。

「まさか・・」

 リュウゲンが飛び出した方向は、奥にある厨房への道だった。嫌な予感を覚えたアイはリュウゲンを追う。

「待った」

「退いてください、ジュンさん!」

「だめ」 

「どうしてですか!川崎が・・」

「君はどっちの味方なんだい?」

 諭すような言葉で、ようやく自分が置かれている状況を理解する。見知ったはずの団員たちから向けられる視線は、カエデや蒼に向けられていたあの刺すような視線。

 ここで川崎を助けに行くということは、この団、このコロニーすべてを敵に回すことと同じだ。

「それでも、私は、」

「おいおい、なんだか面倒なことになってそうだな」

「・・!!」

 予想外な人物の登場に全員の意識は、彼に吸い寄せられる。

 そんななか、タイミングをひっそり窺っていたカエデだけが姿を消していることに誰も気が付かなかった。


 リンドウの共感覚が途絶えた。これが意味するところは、リンドウの身に能力を維持できない何かがあったということ。戦闘能力のないリンドウだけにサードの監視を任せたのは、判断を誤った。最悪の状況がリュウゲンの脳内をめぐる。

「無事か、リンドウ!」

 飛び込むように厨房に入り、壁に横たわるリンドウの前に出る。床にへたりこんだリンドウは能力こそ発動していないが、特に目立った傷もなく無事と言える。

「あれ、リュウゲンさん」

 とぼけた顔をしたリンドウは、普段の凛とした彼女ではないとぼけた顔をしている。幻覚や催眠の類だろうか、いずれにしろ能力を偽り、コロニーの中枢まで侵入することが目的だったことはこれで決定的だ。

 リュウゲンの登場にまだ理解が追いついていない蒼は、鍋の上にあった卵焼きをちょうど皿に移すところだった。

「あ、ちょうどよかった。今できましたので、みなさんのところに持っていこうと・・」

「・・その必要はない。貴様の処遇はすでに決定した」

 なおも首を傾げる蒼に、言葉の代わりにとリュウゲンが拳を振り上げる。ようやく、自分がどういう状況に置かれているのかを理解した蒼も、皿を抱えたまま一歩後ずさったが、ここは6畳ほどしかない小部屋で逃げ場などない。

 岩石のような拳が、蒼の頭めがけて振り下ろされる。鈍い音が小部屋に響き、呆けたままだったリンドウがわけもわからず悲鳴をあげる。

 目を閉じ、両手が塞がった状態で衝撃が来ることをただ待つだけ。しかし、その瞬間は訪れなかった。

「あなたは、人を疑うということをしないんですね。すこしはこの人を見習った方がいいと思う」

 白鳥の羽の羽ばたきを思わせる美しい白銀の髪。黒鉄の枷に嵌められ、ここに存在できるはずがない少女の姿がそこにはあった。

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